霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

夏の雑感

2013年08月11日 | 心霊現象
留守中にもかかわらず、読んでいただいているようで、感謝です。
あいも変わらず同じことを、性懲りもなく・・・、ときっとお思いでしょうね。
そこが私の目のつけどころ。耳にタコ、百辺言えばのたぐいです。お覚悟を!。


8月にはいると、「戦争」に関係するイベントや映画が思い出したように集中して、私達の周りにあふれます。
第二次大戦があったこと自体、知らない子供が多くなった昨今、原爆が日本に投下されたことさえ知らないそうですぞ。
こんなことでいいんですかねぇ。学校ではもう何も教えない。近代史をね。
関ヶ原までは「暗唱」して、脳に叩き込むのに、その後の明治から今まではさっぱり繋がっていない。
歴史認識とかいいながら、繋がらない時間をもつ「日本人」の負けでしょう。
最初っから勝負になりませんなぁ・・・。

こんな「人に語る天からの声」を知りました。
 『それほどに戦(いくさ)がしたい男らよ。
  子を生んでみよ、死ねと言えるか! 』
強烈なこの言葉は、沖縄の「中村文子さん」のもの。
そんな歌と反戦運動への献身を残して、6月に亡くなった。



日本に「お化け」や「幽霊」のたぐい?が横行した時代。
江戸時代らしい。
お化けは完全に「この世」にはないもの。しかし分かっているけど面白おかしく付き合う「術(すべ)」を知っていた。それを「粋(いき)」と、江戸時代ではいって、一つの文化になったそうです。
いろんな「お化け」が出現?(創作)し、おばけに自分の気持ちを移入していく。
総数50以上の「お化け」があったといいますから、いやはや彼らの楽しみ方は、際限を知らない人の心の現れでもあったようで。
ちなみに「ろくろ首」。あれはね、「我が夫が浮気している相手見たさに、来る日も来る日も見たい思いがつのった」結果の女の姿だという。ね、恐ろしくもあり、悲しくもあり、心の世界を覗けば、さもありなんとさえ思えてくる。
今だって考えてみれば、「お化け」全盛。夏休みもあってか、アニメや映画なども子供向けの「お化け」に大人も便乗して楽しんでいる。
実に「粋」な時代ですなぁ~。

一方「幽霊」。これは実際にはあった。現に見た人が「尾ひれを付けながら」話す「幽霊話」は、いずれ「四谷怪談」となって、まことしやかに現実味を増す。
「ひとだま」なるものを見た、と夏の夜はまたまた騒がしくなる。
幽霊が吐くその一言、「うらめしや~」。きまって「そう」言うからには、きっと共通した何かがある、と幽霊博士なる「御仁」が解説する。
日本に、お化けや幽霊文化が江戸時代を中心に栄えてきたということは、「仏教」では人は成仏できないという本音がみえてくる、という。
だから人の魂(霊魂)は、「幽霊」となってこの世に表れ覗きにくる。
「うらめしや~」、この言葉の裏には個人に対する怨みつらみもあろうが、「救われていないことにたいする怨み」である、という。
今でも続くこの「お化け・幽霊」の文化は、人に何かを伝えようと必死なのかもしれない。

『これだけ言っても、まだ分かってもらえないのですかぁ・・・』(それが、うらめしや)と、私的に言えば「こう」なります、はい。



「ゲリラ豪雨」という言葉から「今までに味わったことのない豪雨」という新語が現れるほどの異常気象です。
花火大会の延期が「うらめしい」などと、言っていられないほどの大災害が続出している。
北海道の海も異常事態の模様。だがこればっかりは「うれしい悲鳴」らしい。
温暖化のせいか海水の温度が上がり、捕れるはずのない魚が大漁続きだ。
漁師さんのほころぶ顔がそれを物語っている。『黒マグロ』?でしたっけ、捕れるはずのない魚が今、この夏すでに70匹以上の大漁をみている。
これは表の顔。いい顔は表の顔であって、必ず裏の隠れた顔がある。そしてそれは「不吉」な顔だ。
「禍福はあざなえる縄のごとし」と昔の人は言った。
また「万事塞翁が馬」とも。ものごとの裏を見て生きるこの「姑息(こそく)」な、いやらしい、
そして因果な性格、・・・と言うなかれ。
人は「のど元過ぎれば」すぐに忘れる「いい加減」な性格を持っているもの。これも生きる術(すべ)なのだろうが、古人は「それ」に警鐘を鳴らし続けた。気を緩めるな、流されるな!と。
そして、「明日は我が身」となる可能性を秘めて、大自然は次の行動を我が身に向けて迫りくる。
家にいても、「身が危険を感じる降り方をする雨」って、どんな雨なのでしょうね。
体験した人がいう。「圧迫感」だったと。
人は心身ともに、圧迫されるよりも解放感を望む。
同じ音でも爆発でも、「花火」は違う。
尺玉100発を一斉にあげる、こんなことは昔は不可能だった。
100人の職人が、一斉に合図とともに花火に火をつける。そして同じくあがれば「ご喝采」となる。中には不発もあるだろうから、むずかしい。まず、一斉に100人の職人が同時に集められるか・・・?。まず無理だ。
しかし今は「コンピュータ」操作で、それが可能になる。
柏崎花火まつりの「尺玉100発一斉あげ」は、人々の歓声と拍手の中で、「圧巻」そのもの。
三尺玉2発も圧巻。
職人さんの渾身をこめた作品が、一瞬という間を借りて、夏の夜空に炸裂する。

夏の暑さも「死ぬほどではなく」そこそこで、幽霊もお化けも「お友達」感覚で出てきてくれれば、
これ以上の「日本の夏」はない。
そして「そこそこの涼」もついてくる。


過日の「地震予知間違い報道」ね。
一瞬身構えました。しかし「間違い」。良かった!。
中にはその報道に「ダメ」をだした者もいた。「オオカミ少年になる」と。
そして「いいんじゃないか」という意見もあった。「いい訓練」になった、と。
私の感想は、後者のほうだ。
「とうとう、今か!」という覚悟は、何度も味わってこそ深くなるし、行動も体が覚える。
ひょっとして、誤作動は、「そんな為」に起きたのかもしれない。
『暑い夏、ダレて忘れかけている日本人よ、「今」だとしたら、備えは完璧か!』とね。
ありがたや、ありがたや「誤報」に感謝!


東京の地を踏んだとたん、私は呼吸困難になりました。
熱風が鼻をふさぐ。よくもまあ、人はこんな日本の夏を耐えるものですね。
中国大陸のある土地では、すでに43度とか。また、「こんなところにも日本人が!」という番組でも、トルコあたりでは50度近いとか。
日本はまだいいか~、と思っていたら、とうとう43度っていうところが「日本」にも出ちゃいました。

皆様、今年こそ秋になって再会出来るよう、生き延びて、生き延びて生き延びて・・・、またお会いしたいものです。(祈り、合掌)