霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

実は、私も「水子」になる予定だったの・・・

2013年08月02日 | 心霊現象
コメント頂き、ありがとうございます。
人生と一言でいってしまうけど、「いろいろ」などと簡単に言えないほど「壮絶」なものです。
かつての総理「吉田 茂」が、「間引き」される予定だった話は有名です。
「間引き」って何?、という方のために一言説明をば。
生活が苦しかったり、諸々の状況が許されなくてやむなく「生むことをやめる・中絶」を間引きと呼んでいました。
生まれてすぐ、産声を上げる間一髪に「赤子」の鼻にぬれた紙を押し当て、息を止めるという方法が、産婆さんがよくやったといわれている。他にも方法はいろいろあったでしょう。
吉田氏の場合、間引きすることは「産婆さん」に告げられていた。
ところが、生まれた赤子の顔が「あんまり可愛いんで、ついつい見とれて、産声を上げてしまった。
周りはもうその声を聞いたに違いない。とうとう「殺しそこなって」、この世に生まれ出た男の子が、将来日本国総理になる「吉田茂」その人であったということ。


総理と比べては畏れ多いが、私が母のお腹に入っていたとき。
父は相場、つまり株の取引きで大穴を開けた。(競馬なら大喜びする「大穴」だが)
「赤いダイヤ」「黄色いダイヤ」に人々が群がった時代だったらしい。昭和の戦中である。
私の父はその「先物買い?」とやらで、ほご全財産を失った。
「この子は育てられないから、な、たのむ!」と母は言われたらしい。
その後、父は川崎へ単身「出稼ぎ」に行き、「おきなかし」をやったそうだ。
いわゆる超厳しい肉体労働の仕事らしい。
しかし、私は生まれた。どこでどうなったのかは、いまだに謎である。
多分には母が「今度こそ男の子かもしれない・・・」との一念で、賭けて生んだ可能性はある。
最初は女の子、つまり私の二歳上の姉がいたからだ。

こうしてこの世に生を受けた私は、何も知らず元気いっぱいに育ってきた。
そんな一部始終を知っていた祖母だからこそ、「この子を助けてくれたら、この子は神でも仏にでもくれてやる!」と言い切ったのかも知れない。(どうせ、あの世へ行く予定だったのだから・・・)
しかし、私はまた病気に勝って生き続けた。「山の神様」と言われた霊験あらたかな「巫女」のおかげ?をもって・・・。(この事は前にブログで書いた通りです)

私は運が良かったとも悪かったとも思わない。
人生の「めぐりあわせ」なんて、最期に結論が出るものである。
でもね、ここまで生きるとね、そろそろその意味が分かり始める。
「なるべくしてなる」、これが私が感じる「私の人生」の結論である。
「間引き」をいったんは避け、次は重病をもまた避け、雪崩にあって九死に一生を得、そして神(死神)の呼び出しを受ける。
『来るのか!、来ないのか!』と。
この極め付けの時と言葉で、私がこの世に生を受けた意味が、いささかでも解せる今となった。
祖母の吐いた「神と仏への約束」のせいだけとは思わないが、霊界の「命のかけひき」さえ本気で考えた事もある。
母の命と引き換えにして「生まれて」きた「あの彼女」。
そう、守護霊に「望月家の姫」をもち、指導霊に「上杉謙信のご母堂」がついた「あの彼女」。
自分の命を、ただ自分だけのものだと思う「思い上がり」が反省されてくる。
大きくは、宇宙でただ一つの「命の重み」であり、神の分身でもあり、そして先祖の愛と望みと使命を受けた「結実」でもある。


この世に生まれ出た子、生まれ出なかった子。
どの子もそれなりの「因縁」あるいは「理由」をもって存在している。
あの世での「水子」の教育機関。
へたな肉体をもっての勝手放題、自由三昧の生活の結果に行くあの世の「魂の姿」より、水子で送られた魂のほうが「穢れなく」「正しく」育っているとさえ聞いたことがある。


もうすぐ「お盆」が来ます。
「あの世」と「この世」の橋渡しが出来る「わたし」になって、先祖を待つ準備をして、地上に肉体を持つ意義を十分発揮してまいりましょう!
そして、感謝を忘れずにね。

さらに一言ね。

苦しみ、悔恨の涙を流すその想い、水子は何にも代えがたい「母の愛」で美しく育っているはずです。あとは神の手に任せ、ひょっとしたら思っても見ない「高貴な姿」になって「わたし」を迎えてくれるかもしれません。ご安心なさいませ。
(私もね、あの世の弟に負けるかもしれません、がんばらないと・・・)
そして、合掌。