霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「神」への告発

2012年09月11日 | 心霊現象
自分から進んで「地獄」へ行くことを決すると、私は気持ちが楽になった。
「これ」をして天国へ行きましょう・・・、と、優しげに言われても「それ」は私の心の中で
常に疑問と悪寒を膨らませ、それが胸の中で発酵し熟成し、それが繰り返されていく。
「自家中毒」状態になった魂を抱いて、暇乞いをした私だった。

そんなある日、「論介」(のんげ)という妓生(きーせん)を背後に持った韓国人女性「李 淑」と友達になった。
キリスト教の礼拝に出たいという、彼女のたっての願いで、久々統一教会へ一緒に行ってみた。
彼女は、他教会での礼拝は初めての経験だという。
その日に、いきなりまぎれての参加だったから、誰が何を語るのかは分からない。
しかし、礼拝には変わりがないだろう・・・。
私にとっては運悪く、彼女にとっては運がよかった。
いつからそうなったかは、暇乞いした私にはとんとわからなかったが、その日は韓国人の説教が
予定されていた。
通訳のインターホンを借りて聞けばいいのだが、私は彼女に「後で教えて・・」と約束して何もせずに周りの変わった雰囲気だけを味わっていた。
時々彼女は、「オンニー(姉さん)」と言って、私の手をつついた。
「後でね・・・」、静かに聞いて、と合図をしてたしなめた。
小休止の時間になって、彼女は「姉さん、もういいよ。出ましょう」と言って、自分から玄関へ
向かった。
「オンニー」とは「お姉さん」という韓国語ではあるが、年上の女に親しみをこめて使う呼び名
であると、彼女と付き合ってすぐに分かった。(最初は何言ってんの?と不思議だったが)

お茶を飲みながら、そのいきさつを聞く。
日本の人は「御人好し」だ。と、言う。
「あの話は説教じゃない。日本人の悪口だ。言葉が分からないと思って、言いたい放題。
わたしは同じ韓国人だけど、胸が悪くなる。途中で立ち上がって、言い返してやろうとさえ思った
けど、我慢したのよ・・」だって。
そう言われて私は、通訳のインターホンを聞けばよかったと思った。がすぐに思いなおした。
聞かなくてよかった、と。彼女の前に私が飛び出したかもしれないからだ。

暇乞いの後、韓国人幹部によって、日本に向けて何が語られているかは知らない。
常識ある大人の彼らだから、充分神の言葉に照らし合わせて、間違いのないように聞いていると
信じたい。


神への祈りは、次第に告発となっていく「私の祈り」であった。
『イサク献』」を「愚の骨頂」だといった者がいた。
同じ教会の、それも上の立場の者だった。
きっとその者は、「それ」をやらないですんだ者だろう。
そうでなければ、口が裂けても言えるはずがない。
「そんな中途半端でやめて来ても、神は少しも喜ばない。医者になり、博士になり、会社の社長
になり、キャリアになってこそ、神に使われる部分も大きい。
そんな意味で、今どきイサク献祭など、はやらない。
やらせた方も、やった者も本当の「神」の気持ちを考えたら「愚の骨頂」と言わざるをえない!」
と切って捨てた。
私はその場で血の気が引いていくのが、はっきりと分かった。

足に取りすがる母の手を振りほどき、家を走り出た一人息子の彼が、これを聞いていない事を祈った。医師免許をもう数日後で手に出来る彼女が、勘当されてまで求めた神の真実と、日本の切羽詰まった時間の無い現状。
まだまだある「そのイサク」を・・・、「愚の骨頂」と切って捨てるその「罪」を何としますか?
私は名指しで告発した。
答えは出た。数十年かかってから、与えられたと言っていい。
誰にも言わない「神」との秘密だ。
言わぬが花。秘すれば花・・・、のたぐいだとは、こんな私でも分かる。
しかし、心が泣いている。(それを持って、あの世で神に会うのだ・・・最後のツメが残っている)

次の告発は・・・。
「天上天下唯我独尊」。これはウソですか?というものだ。
人の上に人を造り、人の下に人を造っている。
成績のいい者には、最高の「戒名」をあたえよう・・・、だと?
功労を積んだ者の墓所は、特別仕立ての「墓場」を用意して、そこで眠る・・・だと?
(尾瀬ヶ原がそうだという)
葬式にいったてはそのやり方が違うという。祭壇から着るもの、お供えの果てまで、さらに
功労者は「土葬」で、下々は「火葬」だと?
それによって「魂」の行く場所が違うとか・・・。
今でいう「葬式仏教」と何の変わりもないではないか?
私の聞き違いであることを切に祈る。だが、告発は続く。

さらに告発は続く。
今は、イサク献祭がなくなったという。すべて時の流れだ、と解釈していけというのかもしれない。
が、聖書や神の言葉を、学ばなくてもいいとさえ聞く。
人間の堕落から始まった、神と人類の出発や歴史を知らずして、どこへ行こうというのか?
人間の魂に深く分け入る何ものも持たずして、(真理の何たるかも知らずして)人間形成をせよと?
そんな人間の集まりは「烏合の衆」であり、神の働く集団であるはずがない。

そして、結婚に至っては、男と女が何の縁もゆかりもなく、合わさってそれでいいのか?
私の時は違った。
必ずあるという「その因縁」の背後を、自ら7年間かけ必ず探り当てよというものだった。
「祝福家庭」に因縁があって、たまるか!とほざく輩(やから)がいたことも確かだが。
何をもって、婚姻が成立するか?
守護霊が「それ」をしみじみと明かしてくれたではないか・・・。

さらに。
「日本が悪」だ、という。この真意はどこからきたのか?
神の時が過ぎ去った、その後の日本がそう成り果てたのか。それとももっと昔の、はるか昔から
そう呼ばれざるを得ない「決定的」何かをもって、そうなのか・・・。



私は実に根気強く、悪く言えばしつっこく、今もふつふつと燃える心で「神への告発」を続けている。
「霊界の門」とは言わず「地獄の門」を私が閉める時、私のこの告発の答えがしっかり魂に刻み込まれた時、自ずから霊界に大きな異変が起きることを約束して、この今日のブログを閉じようと思う。


「恨みがましい女ねぇ~」と言われた、私のゆえんでもある。
秋風よ、おまえもわたしの心を知っていておくれ・・・。