霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

高齢者の不安「3K」

2012年09月10日 | 心霊現象
先日のTV報道によれば、「3K」とは「お金」「健康」「孤独」の三つだそうである。
言われてみれば、なるほどと頷ける。
自分の身に当てはめてみればいいのだ。
なんと、そっくりそうではないか!
不安を持ったまま、なぜ生き続けるか?いや、生き続けなければならないか・・・。
これって、「幸せ」とは程遠いという事に気が付く。
高齢者になればなるほど、不幸になっていく?・・・。
こんな人生は、あってはならない。
多分人は言うだろう。若い時の心構えが、悪かった・・・、と。
あるいはまた、先を見越しての「人生設計」がなっていなかった、・・・と。
結果的にはそう言われてしまう「今」の現状の裏に、くやしいアクシデントがありはしなかったか・・。
昔の人はよく「蟻とキリギリス」の童話を引き合いに出す。アンデルセンだったか、他の方の童話だったかは失念したが、とにかく着実に積み上げる日々の、将来に向かっての設計は必須だというのだ。
だからとは言うまい。それにしては「健全」の名のもとに「冒険」をしない若者が増えた。
そこそこの人生であればいい、と言う。
「そこそこの人生」って、何だろう・・・。
かっての「クラーク博士」の『少年よ、大志をいだけ・・』などという言葉は、今は使われなくなった。全文を訳せば、その後に「神によって」という言葉がついている事などは、知らされていない。


小学生から、次のステップを確実にする予備校がある。いや、幼稚園から始まると聞く。
漫談の題材にされるまでに、それはエスカレートしていく。
大学の前の予備校。高校の前の予備校。中学の前の予備校。小学生の前の予備校。
幼稚園の前の予備校。だからもう妊娠したら、その妊婦が予備校に入るという。
『妊婦の時から予備校へ通う・・・』と、どなたかの「漫談」にあった。
とうとうそこまで来ている「人生」の準備模様に、ただただ驚かされる。
自分の人生、あるいは生活の基盤はどこかと問えば、「日本」と答えが返っては・・来ない。
全ての人生設計を完璧に準備したとして、その足元が大きく揺らぐ時、私達の夢も希望も将来も
、根こそぎ失うことになる・・・という事は考えない。
しかし最近は、一つだけ、(いや二つかもしれない)気付く人が多くなった。
いずれ近いうちに、必ずくると予告された「地震」である。
32万人の人が死ぬとまで予告されては、もはや人事とは思わない。
なにかしら国民が浮足立つようになった昨今である。
あとの一つは、出来れば考えたくもないという「領土問題」からくる国の不安定さだ。
人の会話をよく聞いているとね、高齢者はどこかいやに落ち着いて、会話を展開しているふしがある。
「どうせ私達、この世にいないもんね。その後のことだもの、気にすることないわ・・・」と、
70歳前後の人は、誰もが心の中ではそう思っている。
「若者は可哀そうにね・・・」ってなものだ。


日本がかって「神」(天津神)から出発し、伊勢と天皇家を中心として、国の存続が願われたと
すれば、国民は何を示してその存在を神に願えばいいかは、自ずから答えは出る。
もしもその「答え」からしてはずれているとすれば、何をかいわんやである。
そういう意味から言っても、日本の宗教界は、といわないまでも「神道」は眠りすぎていはしまいか・・・。
「神の時間」がある、と先に申し上げた。
その許された時間、あるいは与えられた時間、その限りある時間内でやるべき事をやらなければならない。
それを「いつ」「誰が」「どのようにして」知らせるか?
私の「あの時の学び」から言えば、「その時」はとうに過ぎ去っている。
何が起こって、何が決定したのか。これから何が始まるのかは、今の私には見えてこない。
「神の歴史」や「事情」から見ない限り、それは見えてこないのだが。

それにしても「神の時」のまっただ中にあった「あの時の日本」が、一つの矢を外し、二つ目の矢
も外し、三つ目の矢さえも外しかかっていたのを知らされた事を思い出す。
それから数十年。生きて神は、今の日本に何を求め、何を語っておられるのであろうか・・・。


『荒野で呼ばわるものの、声がする・・・』
人が必死で神の預言を伝えた時代は、とうに過ぎ去ったのかもしれない。
そして今はIT時代。パソコンを開き、ホームページを検索して聞く「神」の言葉。
そんな時代になって、高齢者はもっともっと先までも、生きていたいと思っているのかさえ分からない。
「どうぞ、ご勝手に・・・」年寄(高齢者)の声が聞こえてきそうな気さえする。

「お金」「健康」「孤独」。この三つが解消されれば、人は「そこそこの人生だった」と言うのだろうか?・・・。幸せな人生だった、・・・と。

顔の「シワ」をのばし、髪の毛をふさふさにし、背筋をまっすぐにして座り、「若いわね~」と
言われる「生きがい」もある。
人に見られてこその「老後」、と言い切る人さえいる。(私の姉がよく言っています)
その視線をはげみにして、若返るバネを強化する「マダム」もさすがである。が、私は思う。
「アンチエイジング」もいいんですが、年をとるという誰にも負けない「重さ」(体重じゃない
人間的重み)と「深さ」と貫禄をもって若者と組していただくのも、悪くはないか・・・と。

老人は体力よりも霊力、と昔から言われてきました。
その通りでしょうね。よく眠り、よく夢をみて、あの世へ渡るウオーミング・アップをし始める、
そんな「今」を大切にすごしてくださいませ~。