7月18日(木)
隼人池での子供の頃の生活
・隼人池は昭和20年代はとてもきれいで、子供たちは隼人池で泳ぎを覚えた。
子供の中には「ガキ大将」と呼ばれるリーダーがいて、遊びも泳ぎもリーダーを
中心となって行っていた。
「弱いものいじめ」はなく、リーダーがグループを守っていた。
・四つ手網で小魚をたくさん捕っていて、捕った小魚は佃煮として食べていた。
・四つ手網で小魚を捕る方法は追い込み漁であった。
・ウシガエルやウナギがたくさんいて、食べていた。
ウナギは流し針といって、長いひもの下にいくつもの釣り針を仕掛け、針には
大きなミミズをつけて、夜に仕掛けて朝引き上げていた。
ウナギがよくかかっていた。
・アメリカザリガニは、戦時中は見かけなかったが、B-29が池に落としたため
増えていった。
そのザリガニを釣っては、みんなで食べていた。
・子供の頃は、とてもおおらかな時代で、自由に池や川に入って遊んでいた。
今の子供たちはかわいそうだ。
セミの抜け殻でもさわれない子供が多すぎる。
隼人池での子供の頃の生活
・隼人池は昭和20年代はとてもきれいで、子供たちは隼人池で泳ぎを覚えた。
子供の中には「ガキ大将」と呼ばれるリーダーがいて、遊びも泳ぎもリーダーを
中心となって行っていた。
「弱いものいじめ」はなく、リーダーがグループを守っていた。
・四つ手網で小魚をたくさん捕っていて、捕った小魚は佃煮として食べていた。
・四つ手網で小魚を捕る方法は追い込み漁であった。
・ウシガエルやウナギがたくさんいて、食べていた。
ウナギは流し針といって、長いひもの下にいくつもの釣り針を仕掛け、針には
大きなミミズをつけて、夜に仕掛けて朝引き上げていた。
ウナギがよくかかっていた。
・アメリカザリガニは、戦時中は見かけなかったが、B-29が池に落としたため
増えていった。
そのザリガニを釣っては、みんなで食べていた。
・子供の頃は、とてもおおらかな時代で、自由に池や川に入って遊んでいた。
今の子供たちはかわいそうだ。
セミの抜け殻でもさわれない子供が多すぎる。