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7.18 山崎川聞き取り調査 その7 隼人池の今昔①

2013年07月18日 | 日記
7月18日(木)

 隼人池での子供の頃の生活

  ・隼人池は昭和20年代はとてもきれいで、子供たちは隼人池で泳ぎを覚えた。

   子供の中には「ガキ大将」と呼ばれるリーダーがいて、遊びも泳ぎもリーダーを

   中心となって行っていた。

   「弱いものいじめ」はなく、リーダーがグループを守っていた。

  ・四つ手網で小魚をたくさん捕っていて、捕った小魚は佃煮として食べていた。

  ・四つ手網で小魚を捕る方法は追い込み漁であった。

  ・ウシガエルやウナギがたくさんいて、食べていた。

   ウナギは流し針といって、長いひもの下にいくつもの釣り針を仕掛け、針には

   大きなミミズをつけて、夜に仕掛けて朝引き上げていた。

   ウナギがよくかかっていた。

  ・アメリカザリガニは、戦時中は見かけなかったが、B-29が池に落としたため

   増えていった。

   そのザリガニを釣っては、みんなで食べていた。

  ・子供の頃は、とてもおおらかな時代で、自由に池や川に入って遊んでいた。

   今の子供たちはかわいそうだ。

   セミの抜け殻でもさわれない子供が多すぎる。

7.18 山崎川聞き取り調査 その6 隼人池の歴史

2013年07月18日 | 日記
7月18日(木)

 隼人池の歴史を語ってくれました。

  江戸時代中期にため池として作られた。

  犬山城主、成瀬隼人守の名前が由来となったらしい。

  徳川幕府より命を受けて尾張藩の食料庫として今の昭和区桜山近辺に

  水田をたくさん作ることになった。

  その名前が「藤成新田」と呼ばれ、たくさん稲を作っていた。

  藤成新田の水瓶(水源)が隼人池だったらしい。

  隼人池からは、用水路(ごけんや川)を作り、山崎川までつながっていて、

  この水路から藤成新田まで水を引いていたらしい。