7月18日(木)
隼人池の歴史を語ってくれました。
江戸時代中期にため池として作られた。
犬山城主、成瀬隼人守の名前が由来となったらしい。
徳川幕府より命を受けて尾張藩の食料庫として今の昭和区桜山近辺に
水田をたくさん作ることになった。
その名前が「藤成新田」と呼ばれ、たくさん稲を作っていた。
藤成新田の水瓶(水源)が隼人池だったらしい。
隼人池からは、用水路(ごけんや川)を作り、山崎川までつながっていて、
この水路から藤成新田まで水を引いていたらしい。
隼人池の歴史を語ってくれました。
江戸時代中期にため池として作られた。
犬山城主、成瀬隼人守の名前が由来となったらしい。
徳川幕府より命を受けて尾張藩の食料庫として今の昭和区桜山近辺に
水田をたくさん作ることになった。
その名前が「藤成新田」と呼ばれ、たくさん稲を作っていた。
藤成新田の水瓶(水源)が隼人池だったらしい。
隼人池からは、用水路(ごけんや川)を作り、山崎川までつながっていて、
この水路から藤成新田まで水を引いていたらしい。