焦らず 慌てず 諦めず 行けるとこまでNO2

日ごとの感想を、書き記す
フォトアルバムも見て下さい。

タンデムツーリング

2012-06-30 00:34:33 | 日記
なんという天気!
もう梅雨とは思えない好天。
今週一週間は大儲けした(誰が?)のではなかろうか?
天候ひとつで儲けたり損したり、人生いろいろかも知れませんが・・。
とにかく、勘違いする晴れ間の一日でした。

今日は奥さんがお仕事お休み。
いつもなら買い物・・というところですが
本日は嗜好を変えて・・。
私が以前よりバイクに乗っていることはご承知の通り。
奥さんも一度だけ乗せたことがあります。

2年ほど前の夏。
琵琶湖花火大会の日。
西大津の高層マンションに住む同僚が
花火見物をみんなでするのでと誘ってくれたそうで
バタバタして帰ってきたのですが電車に間に合わず・・。
車で送ってもよかったのですが、たぶんこんな日なので
道が混むことが予想される。
そこで提案。
「バイクで行くか!」
決定!!
で、準備をしてバイパスを走って西大津まで・・・。
割合空いていて、1時間かからずに到着。
帰りは一人ですっ飛んで帰ってきたので・・・時間短縮。(はっきり時間は書けません)

その時おもしろい話が・・。
急なことなので、ヘルメットが自分の分しかない。
まさかタンデムをするとは思わなかったので・・買ってない。
仕方ないので、子どもが使っていた通学用のヘルメットを被らせて乗せた。
ヘルメットならなんでもいいか、と思っていたのだが
自転車用とバイク用では規格が違うので駄目らしい。
集まりの中で大爆笑だったとか。

世の中ヘルメット被らない奴もいるし、阿弥陀にしている輩も多い。
まじめに、とにかく被っとけと考える我々の方が正しい、と私は思う。
あれで検問にでもかかっていたらお巡りさんは何というのでしょうか?
一度かかってみたいですね。

で、本題に戻って、
そんなこんなでメット買いました。せっかく買ったので使ってみることになった。
コースは以前自分だけで行った朽木周り京都鞍馬方面経由、山の中一周コース。
10時前に出発して朽木から久多を抜けて鞍馬から大原、
大津市葛川から朽木を通って家に・・・。
4時間くらいの行程でした。

途中、カウベルという喫茶店でトイレ休憩。
大学生くらいの娘さんのインターハイのスキー競技のパネル写真が一杯ありました。
練習は主に信州方面で合宿とか。
高校生の時は3学期ほとんど学校へ行ってないでしょうね。
お金もかかったでしょと聞くと、お母さんフーン、と生返事。
大変だったのよ、とそれでもうちは出せたのよが入り交じった顔でした。

それから、少し遅い昼食は朽木・市場の少し上にある「鯖蕎麦街道 十割蕎麦」で
ぶっかけ鬼おろし蕎麦を注文。(スダチの酸味が最高でした)
(「fecebook」に写真乗ってます。)
なかなか美味しかったです。
勝手にとっていい蕎麦のかりんとうも美味しかった。

二人乗りはバランスが悪くて慎重にならざるを得ませんでしたが
まぁ無事に帰れました。
奥さんは喜んでいました。
また行く、と言うだろう。
もっと大きなバイクを買ってくれ、と交換条件出してみようかな?
まっ、無理やろうけど・・。

さて、今日の「愛車遍歴」
これです。

   
ヨッシーさんが「名前書かずに当てて貰え」と仰るので名前は書かずにおきました。
前回のブログで紹介してしまってますが解る人には一発で解るでしょう。
(今日はまぁまぁいい感じに書けたと自負しているのですが・・)
ホンダシビック(第2代目)1500です。
ほんとはホワイト車でした。
ちょっと色をつけて紹介してみました。
この車は子どもができて2ドアのカリーナでは都合の悪いところが出てきたので変えました。
ff車のオートマチック。新車で購入。
どこのホンダで買ったんだったっけ?   忘れました。

これにはいろいろな思い出があります。
まだこの車にもクーラーというものはつけませんでした。
暑い夏に、他の車が窓を閉め切って走っているので
こっちも負けずに見栄を張って、窓を閉めて走ろうと家族で話し合いました。
ほんの瞬間でしたが、窓を閉め切っていかにもクーラー車のような顔をして
団扇で扇ぎながら走った記憶があります。
家族が団結できていた頃の話でした(笑)。

冬に比良スキー場へ一人で行った時の話。
スキーキャリアから板をおろして準備をし助手席側に何の気無しに立てかけておきました。
それを忘れて自分は運転席側に腰掛けブーツを履こうと座ったとたん・・・。
ズルズルズル、ゴーン。
瞬間、なんだか解りませんでしたがワンテンポ遅れて「あっ!!」
腰掛けた振動でスキーが横倒しになり、助手席側のボンネット角に
板のエッジが思いっきり・・・。
へこみました・・・。車のボデイも私も・・・。

同じ場所で、雪が多い日。
どこの奴かは不明ですが、雪が深かったので駐車場から出る時
私の車に直角に止めた状態で思いっきりアクセルをふかしたようです。
空転するタイヤが土や石を巻き上げて私の車を直撃。
雪と一緒にへばりついていたので解りませんでしたが、家に帰ると
運転席側のドアに思いっきりのへこみ傷・・。
またへこみました。
自分で修理して、長い間黄色のパテを塗り込んだままで走っていたのを思い出します。

それから、とっておきは
あまりの厚さに閉口して、買って2年後くらいに後付のクーラーをつけました。
10万くらいかかったと思います。
ボーナスか月給日に支払いをしようと車屋さんにわざわざお金を持って行きました。
ところが生憎お休みで支払いができません。
ここからが悲劇。
それまで田舎のことで用心が足りず、家では車にカギをかけずにいました。
その日支払いができなかったお金をバッグに入れたままグローブボックスに入れて忘れていたのです。
翌日起きると、祖母が「車に電気ついてるで~、バッテリー上がるで~」と言ってきました。
見に行くと車内灯がついています。
「おかしいな、閉めたはずなのに」
と車を除くとドアが開いてまま。
助手席の足下には書類が散乱。
なくなったのはカバンと車に残しておいた10万円。
「やられた~」
背中に汗がにじみましたが、時すでに遅し・・。
警察が来て、指紋を採ったり事情聴取したり・・。
あの指紋を採る金属粉は車に振りかけられると、なかなか洗っても落ちません。
二重三重に悲しい事件でした。

その頃福井から滋賀にかけてこの犯人はかなりの件数やっていたようです。
近くでも数件盗難に逢われました。
うちの家なんかカギはかかってないし、金はおいてあるし泥棒もウハウハだったでしょうね。
敵もさるもの、賢いです。
最後にドアを閉めると音がするのでドアはゆっくりあわせておくだけ・・。
だから朝電気がついていたと言うことです。
今考えても腹が立つ!!
この犯人、捕まっています。
警察が本人を連れて現場検証に来ました。
でも、支払い能力がないし、保証人もいなかったようで一円たりとも帰っては来ませんでした。
ウーン、また腹が立ってきた。
それから、家でもカギをかけるようになりましたとさ・・。

ff車は雪道に強い。雪の多いマキノへ勤めるようになったので条件としてはピッタリでした。
ある雪のたくさん降った数日後の朝。
国道の雪がほぼ溶けはしましたが、まだ轍がしっかりセンターに残っている状況でした。
前の車が遅かったので、後ろから大きな車が来ていたのは解っていましたが
轍を越えて追い越しをかけました。
それから、基の車線へ戻ろうとした、その時・・。
後輪が轍に引っかかって車が大きくターンを始めました。
そのまま数回転。
気になるのは後ろのトラック。
これが突っ込んでこないかと、冷や汗ものでした。
幸い雪だまりに突っ込んで前部側面が少しへこんだだけで済みましたが
またへこみました。
でも、死なないでよかったなぁ。

FFだろうと4WDだろうと、無理をしては行けません。
皆さん、安全運転あるのみです。

まぁ、この車は印象が深いですね。
次回は・・・言わないでおきましょう。
画を見て名前を当ててもらうことにしましょうか。
次の車は自信ないなぁ。
うわ、1:42やって、もう寝ましょ。

梅雨は何処へ トライアスロンの思い出

2012-06-28 12:25:37 | 日記
降りそうで降らないのが、最近の天気。
台風5号以降、涼しいけれども梅雨らしい雨がない(有り難いけど、ちょっと不安な)天候が続いている。
今日は降るかな?と期待しつつ(?)も雨音がない日が続いている。
ようやく明日頃には・・と思っても明日の予報はしっかり晴れマーク。
1日の日曜日に雨マークが入っている。
トライアスロンの日なのに、選手諸君ちと可哀想。
レースが始まると雨が降ってもあんまり関係ないと思うけども
寒いとやっぱり冷えるし、サングラスも見にくい。
天候は限度もの。過ぎたるは・・・ということでしょうか。
選手の力が十分発揮できる天気になることを祈ります。

ちょうどうちの家の前がバイク(自転車)のコースになります。
ダラダラ登り1、5㎞の頂点付近。
ここを3周回ります。
応援も楽しいですよ。

 一昨年のレースです。

この高島ミニトライアスロンが始まったのは私が40少し前の頃(1989年)ですから
20数年前。
スイム200m、バイク13㎞、ラン4㎞でした。
スイムはプールでおこなわれ、とりあえずの大会でした。
そこら中でトライアスロンが流行し、私の町でも社会教育課の若手が
ウエストレイクトライアスロンクラブと連携して始めてくれました。
その後、近くの新旭町ではランナーズが主催のトライアスロン駅伝も実施されていました。
これにもチームを組んで3度出場しました。
おもしろいことが一杯あり良い体験をしました。
数年後に溺れてなくなった方がおられ、大会は中止となりました。
残念です。
第2回のミニトライアスロンは琵琶湖を泳ぐようになり
スイム400m、バイク29.1㎞、ラン8.6㎞となりました。
初めてのオープンスイムでフローティングスタート(深いところで立ち泳ぎのままスタートする)。
岸辺からのスタートも曲がるところで混雑して大変ですが、浮いたままのスタ-トでも大変でした。
浮かんで合図を待っている間(ウエットスーツで浮くのはそれほど苦労しません)不安感もあって
緊張しています。

ちょうどその日は曇り空でした。
水の色が濃い緑色。
脱力して水に浮かびゴーグル越しに水中を見ると・・・!
緑色の空間に自分の腕だけが浮かび上がって、まるで宇宙空間に投げ出されたように感じ、
ブルッと身震いがしたかと思った瞬間、いきなりパニック状態。
周りからは解らないと思いますが、頭の中は大混乱。
(今考えても、なぜこんな状況になったのか理解できません。)
せっかく泳ぎもプールで練習してきたのに・・。
なんとパニックは怖い。
クロールでの息継ぎができなくなってしまったのです。(笑)
仕方なく終始平泳ぎ。顔を水につけることが出来ない自分の情けなさ。
もう必死でした。
あれほど、自分の心の弱さを感じさせられたことはなかった。(恥)
でも、その後は好きになりましたが・・。
スイムの時に解ったこと。
  焦ってみても得はない。
  とにかく地道に、一かきすればいくらかはゴールに近づく!
  そう信じて焦らずに我慢することが全て。
スイムでは数十メートルごとに大きなオレンジ色のゴムのブイが浮いている。
息継ぎに顔を上げると、そのブイが延々と遠くまで並んでいる。
目線が低いのでよけいに遠くに見える。
苛ついたら損。
一かき、また一かきの繰り返しが一番確実。
人生勉強をしました。
(だからといって自分ができた人になったとは思えませんが・・)

とにかく、どうしてあんな辛いことをわざわざお金を払ってやるのか理解できない、とよく言われましたが
やってみないと解りません.あの達成感は・・。
1日の選手の皆さん頑張って下さい。



それでは高齢「愛車遍歴」の時間です。
本日は4台目の車「トヨタカリーナ1600」
例によって、あまり似ていません。
最近キレが悪いです。

   眠い中を描いたので特徴が・・。

就職も決まった昭和52年。
ポコポコではちょっとと思い、中古のカリーナを買いました。
この時代金は誰が払ってくれたのだろう。自分でだったかどうか忘れてしまった。
グレーのハードトップ。
カッコウばかりを優先させた車だったように思います。
窓が狭い。後ろなんかほとんど見えない。
流れるようなバックラインなので、視認性はほぼ無視?
運転する時に窓に肘をかけるのが好きですが、窓の位置が高いためにこの車はちょっと苦労しました。
自分的にはセリカが欲しかったですが、人気車でなかなか回ってこなかった。
でもまぁ、満足して乗っていたように思います。

あんまり思いではありません。
クーラーもなかったし音響も今一。
走りに特にこだわりがある人間ではないので、こんなモンでよかったんでしょう。
記憶に間違いなければ3年半くらいお世話になりました。
2ドアなので後部座席の活用があまりできなかったな。
独身時代と新婚の時ですから、それでもよかったんでしょうね。
でもあの頃の車ってカッコだけを追求していたものが多かった。
あの頃、2000ccの車なんて最高級だったのに今や2000は普通になりました。
性能も今の車とは全然違います。進歩したものだ。

その後、カッコにとらわれず使いやすさを求めてシビック1500に変わります。
その時、下取りが査定ゼロでした。
「持って帰るのにお金欲しいくらいです」と言われちょっと寂しさを感じた記憶があります。
「部品の欲しいところがあったら取ってもいいですよ」などと言われ
コイツはもうスクラップなのか、と悲しくなりました。
でもあの車はぶつけたこともなかったし、上手く扱えた気がするなぁ。
今は見たこともないですね。

次回はシビック時代に入ります。
(どんな時代や?)

今日も畑で・・。

2012-06-26 23:36:03 | 日記
梅雨の晴れ間が今日で4日間連続。
嬉しい誤算!
昼過ぎから8㎞のウォーキングコースにチャレンジ!!
風景写真を撮りながら、1時間半の楽しい時間を過ごすことができた。
ちょっと足や肩が張っているし、日焼けの兆候もあって顔がほてる感じがする。
でも、時間を見つけて頑張らないと、体重が増加傾向。

夕方、畑で豆取りをしていたら額紫陽花の変化に気づき、カメラを取りに・・・。
お花の珍しい写真が撮れました。


額紫陽花のつぶつぶが・・花開いていました。  なんとも可愛らしい!!  仰天!!


青は青らしく、ピンクはピンクらしく・・。  見れば見るほどかわいい花。


一つ一つの花が自己主張している気がします。


上から見ると幻想的な感じ?


これでもか、と言わんばかりの紫陽花でしたね。 もうゲップでそうですか? 
でも、紫陽花の花はとても気に入っています。
こんなにかわいい花が見られて、写真にも撮れて・・・今日はハッピーかな?
 

こっちは豆の花。スナックエンドウの元!です、よろしく。


可憐で清楚なイメージかな?  こんな人いないですか? 


本日最後はキュウリの花。こちらもきれいな三人娘!! 下向き加減で虫さんが入りやすいようにできています。

これまで、紫陽花の小さな花にあまり出会うことがなかった。
今回初めて気づいて、撮りました。
世の中、自分が気づかないうちに済んで終わってしまう事って
山のようにあるんだろうなぁ。
もったいないな、と思う。


さて、「愛車シリーズ」第4弾。
今日は「三菱ミニカ」です。
お金のない大学生なのに、駅まで遠い大学生だった私を見かねて
母親が買ってくれた中古のミニカ。
前回紹介したように、全くの「ポコポコエンジン」でした。
濃いグリーンの車体にポコポコという音を弾ませながら走ったものでした。
いつだったか、エンジンが調子悪く、気筒がひとつ動かなくなって
すごい回転数が上がって、「ビューーン」とか言っているのに亀にも負けそうなくらいのスピードしか出ない。
後ろを見れば、白い煙モクモク!! 車が燃えているみたいに・・。
琵琶湖大橋のてっぺんまで上がるのに一苦労した思い出があります。

数少ない気筒がひとつ休みを取ったら、車は走らんわなぁ。
エンジン音ばっかりで全然走らん車乗ってみ!
いらつくで~。悲しくなるで~。
特に梅雨時の雨模様の日は調子が悪くなる。
ホンマにだだっ子のような車でした。
それでも愛着がありました。

いつだったか、琵琶湖大橋の料金所で検問をやっていて
止められました。
夕方も暗くなり始めていたので「やばいなぁ」と思っていました。
なぜなら、片方のライトが点灯していなかったからです。
  お巡りさん  「ちょっと止まって・・・。片方電気ついてないけど・・・」
  私      「あ~?そうですか」と知らなかった振り。
  お巡りさん  「こら、危ないなぁ。ちょっと待ってや・・。見たろ」
        ボンネットをバーンと叩く
  お巡りさん  「ほら、ついたがな、こんなモンや」
  私     ライトが点灯して転倒!!(吉本新喜劇調に・・)

 整備不良で罰金かと思ったら、ライト直してもらってただで修理。
こんな事なら時々検問にかかりたい、と思う私でした。
結局湖西線が開通してから大学卒業までの2年と8ヶ月くらいお世話になりました。
ガソリン代とかはバイトして払ってたんでしょうね。
車検とか税金とかは母親が払ってくれていたのでしょう。
そんなこと、忘れていますから感謝の念が足りません。  

      
  (ちょっと今回イメージ不足で全然似てません。調子が出たら、リベンジしたいと思っています。
   なんという車かさっぱり特徴が捉えられていない。 ほぼ零点・・かな?
   でも後ろの窓の形が少し特徴を出せたと思います.どなたかご存知の方いかがですか?)

今の奥さんとお付き合いを始めたのがこの頃で、ポコポコでデートをしたような・・・。
とりあえず背に腹は替えられない、と言うことで下駄代わりの車でした。
しかし、贅沢は言えずポコポコでもとても役立ってくれました。
これがなかったら、大学生活は大変やりにくかったと思います。
名コンビでしたね。
バスケットを教えていた高校生達とガリバー旅行村へキャンプに行ったのもポコポコでした。
懐かしい思い出は一杯ですね。
もう一度ポコポコエンジンの音を聞きたいです。

3年で一度も大学へ行かなかった(と記憶している)けれど、無事4年で卒業。
採用試験は3年生になる1月から「毎日試験勉強を2時間はやる」
と誓いを立てて採用試験までの1年と半年頑張った。
自分の一生のうちあのときが一番勉強したと思う。
でもすぐ忘れた。
付け焼き刃な受験勉強なんて、結局そんな程度。
でも、自分は必死に頑張ったと言う印象と体験だけはしっかり心に残った。
このことは、ポコポコとともに(?)その後のバックボーンになったと考えている。

4月から採用されたのを機にさすがにポコポコは・・と考え
次は中古のカリーナ1600ハードトップを買った。
見かけは格好良かった。走りは普通かな?
2ドアだから乗り降りは不便だったが、特に支障は無し。
当然ながら、エアコンも無しカーステレオはついてたかな。
なにかアンテナが自動で上がり下がりするシステムだった(かっこいい)。

それらについてはまた次回、と言うことで・・。
 

梅雨の合間に

2012-06-25 10:41:02 | 日記
台風が過ぎて、梅雨の合間の晴れ模様。
6月も残り1週間となりました。
昨日は予定して、天候を心配していた地区のゴルフコンペ(アイ アム 幹事)。
予想に反して、曇り空の風のない今としては申し分のない一日でした。
朝7:15分スタート。3組10人(いつもより少し少なめ。幹事のせいか?)
ハーフ終了後スルー(休みを取らずにそのまま後半にいくこと)でラウンド途中に電話が・・。
「いい感じで、早いので、もうハーフ回りませんか?」
誰も反論する人間はおらず、即、提案採用。
ということで1.5ランド、下手ゴルフを楽しみました。
その後は、焼き肉屋で打ち上げ。
最近生ものが問題視され、残念な焼き肉屋さんですが、盛り上がっていました。

最近ちょっと運動不足と食べ過ぎ(なぜか、ご飯が美味しい!)で体重増加中。 危険です!!

さて、また畑周りの画像を送ります。
(最近こればっかり、外へ出ないものですから・・すいませんって、自己満足の世界だから謝ることはないのですが・・)


 なかなか、いかつい!! 
「むかし、従弟がスターウォーズに出演していました。 あいつは顔が赤かったけど・・」って似てませんか?

 雨降らないとお肌が乾燥します!
 
 日だまりの中で・・・。

     「雨蛙、あまえるな一茶 ここに無し」 
 体長2センチ、表情が見えず惜しい!


 ムラサキツユクサ  これを見ると理科の実験を思い出します。

 「お役ご免」
「天空の城 ラピュタ」で戦闘ロボットが草むらに横たわっている場面を思い出しました。

 野良生えのマリーゴールド。 一昨年から咲いてます。 ちょと栄養不足で小振りですが、強いです。

 「白薔薇に青いリングを!!」
特に意味はありませんが・・。 画像をひっくり返しています。

 「こんなん出ましたけど・・!」
物置に放置してあったサツマイモから芽が・・、茎が・・、葉っぱが・・。 土なくても芋もなるかしら?

 「黄昏の懇談会」

 薔薇のドライフラワー。 これも画像をひっくり返してます。(ほんとうは逆さづり状態です)

ということですが、代わり映えしませんね。
本人はそれなりに楽しんでおります。


さて、それでは愛車シリーズ第3弾、いってみたいと思います。
今回は「コロナマーク2ハードトップ」
初めて乗った「トルコン」と呼ばれたオートマチック車。
ゆったり感が軽にはない心地よさでした。
  今、若い兄ちゃんがセルシオなんかを転がしていると
  若いのに不相応な車に乗って・・! と思ってしまう自分がいますが
  あの頃の自分とおんなじ!  ちょっと「恥」!!
  若かったですから・・。  嬉しがっていちびってましたね。
    (解説文 調子に乗ることを、いちびると、我々は表現します)

     前回のブルーバードと似通ってしまいました。
表現力不足!!
横幅が狭くなってしまって「マークⅡ」と言うより
いすゞのベレットみたいになってしまいました。
ハードトップ特有の後部のなだらかなラインが絞りすぎて
フェアレェディかサニークーペみたいになってしまった。(悔しい!)
特徴の受け口様のフロントグリルを少し表現できたかと思います。
もう少しワイドにしてゆったり感が出せると良かったと思います。
いかがですか?

この車は二十歳過ぎから2年弱乗りました。
オートマチックの運転の楽さを覚えた車でした。
この頃の車はどちらかというと安全性より見栄え、かっこよさを目指していたので
後ろが見にくい車でした。バックするのはちょっと不安でしたね。
高校卒業して、ちょかついている時期だったのでかっこつけていたと思います。恥ずかしい!
高卒後4年して、思うことがあり大学進学を目指しました。

時はミュンヘンオリンピック。
男子バレーが金メダルを取った時です。
そういえば、「ミュンヘンへの道」流行りました。もう松平さんもなくなりましたね。

脱線しましたがその時、背水の陣で10月頃に友達にこの車を買ってもらいました。
売ったとたんに運転席の背もたれのヒンジが壊れて
その友達、可哀想に少しの間、背もたれ無しの車を運転していました。
僕も運転させてもらいましたが・・、疲れるし、危ないし・・・ゴメンねの気持で一杯。
騙したわけではありませんが、たまたまの故障です。

翌年大学進学するまでは、車がなくなったので同僚の先輩が125のバイクを下さって
4月までそれで通勤しました。
いやー冬下は辛かったです。

幸い合格しましたので、当分は車は不要。
あのバイクはどうしたんだったかな?
従弟にあげたのかな?忘れました・・ゴメン!

あの頃湖西地方にはJR(あの頃は国鉄?)は走ってなくて
江若鉄道(浜大津から今津までの単線)しかありませんでした。
この鉄道は近江から若さまでを繋ごうとして造られました。〈だから、江と若をとって命名〉
今津から若さまでの山をどうしてもクリアできず、日本海へ繋ぐことを断念したようです。
もっと早くにこの線が繋がっておれば、むかし「近畿のチベット」と言われた高島(いまは市)も
もう少し発展したかなと・・・。
なにせディーゼル機関車でしたからのんびりしたものでしたね。

それが廃線となり、湖西線の工事が開始された頃でした。
前回、ブルーバードが工事のトラックとぶつかったのは・・・、この湖西線のせいです(責任転嫁?)
大学2年の夏に湖西線が開通。
それまで京都の姉夫婦の家に下宿していましたが(ちっちゃな借家で、京都の狭い路地の倉を改装したものでした)
茨木まで通学可能になって高島に帰ってきました。
片道2時間の通学が始まったのです。
けっこう大変でした。

この時に家から駅まで〈5㎞ほどあります〉通学するのに母親が
三菱ミニカの中古を買ってくれました。
エンジン音が「ポコポコポコ・・」とかわいく聞こえるので
今30後半になる甥っ子が「オッチャン、ポコポコは?」
とよく聞きました。
今でもうちでは、ポコポコと呼んで親しんでいます。
これについては次回お伝えします。

2時間通学が始まって、いろいろありました。
始めの頃の湖西線はすごくきれいだったのを覚えています。
もうピカピカ。
今は車両も変わりましたが緑とオレンジの近郊列車が懐かしいです。
2年の半年は頑張って通いました。
3年になると少し授業も少なくなり
休みが増えます。
その調子でだんだんルーズになり、ここだけの話ですが・・・
3年生の時には、ほとんど学校へ行っていない状況でした。
親しい友達が電話をくれて「もう、学校止めたんか?」と尋ねてくれるくらい・・。
どうやら大学の友達間では退学したことになっているらしかったです。〈笑〉 
でも、嬉しいことに出席をとられる時は代返してくれたり出席カードを書いてくれていたようです。
今更ながら、感謝の気持で一杯です。
4年生の時は一生懸命登校しました(念のためにお伝えしておきます)
ではまた次回。



〈/font>

5号通過?

2012-06-22 17:49:53 | 日記
台風5号、ちょっと一段落?
割合天気はよかった。
友達の誰かさん、ゴルフに行くって言ってたけど、ラッキーじゃないですか?
洗濯物もお外に干せました。
明日から数日はましらしい。
良かった!
日曜日、地域のコンペの幹事が当たっているので
なんとかなりそう・・。

今日は玉葱とニンニクの収穫をして、トマトの手を補強しました。


 これスライスして食したら、血液サラサラ・・・。
いつまであるかな?

と、そのついでにまた花の写真を撮影。
今日は少しいいカメラで・・・。

 額紫陽花のつぶつぶを・・。

       

 ピンクのつぶつぶも・・・。

       花びらにピントが合わなかった!!

 咲いてるぞ!っと。 

 これからやぞ!っと。

 ドクダミやぞ! 文句あるか!!っと。

 太陽みたいやけど、名前忘れたぞ!っと。

 コイツも知らんぞ!っと。


とまぁそんな訳で、(どんな訳?)
レンズを換えて、ちょっといつもよりボケを多めに入れてきどっています。
じっくりお楽しみ下さい。

愛車シリーズ(いつの間にそんなシリーズが・・)
本日はこれ(さきに言うとこ、ブルーバードsssセダン)です。
  
       色合いでごまかしました。
本当は白でしたが・・・。
うまく描けなくてラインでぼかしました。
見る人に、この中のいい線を見つけて理想の形をイメージしてもらう作戦です。
左のフロントグリルのあたりや砲弾型ミラーが行けてると思います。
なにせ40年くらい前の話ですから・・。

友達の車を見て軽で我慢できなくなり1600(だったと思う)のこれを買いました。
「SSS」というのがなんとも格好良くて、自尊心をくすぐりました。
自分の実力のなさを車でもってカバーしようという・・・浅はかな時でした。
でも楽しく走りました。
これにはヘッドレストがなかったように記憶しています。
当然シートベルトなんかもするはず無し。
バイク乗っている時だって、まだヘルメットは必要なかった時代ですから・・。
クーラーなんかとてもとても・・。
夏はさわやかな風を一杯に受けて走るものと決まっていました。

実はこの車、勤務時間中に同僚と一緒に走っていて事故ってしまったのです。
あの頃ちょうど湖西線を大工事中で、たくさんの工事用トラックが走っていました。
ご多分に漏れず、従来の道を横切って工事用ダンプが往来。
そこには旗を持ったおじさんがいて、トラックに指示を出していました。
基本的には工事用トラックが止まるべきで、我々が優先のはず・・。
用事が終わって工事車との交差点にさしかかる。
交差点のそばでおじさんが旗を振っていた。
私は少しスピードを落とし徐行体勢になった。
ところがおじさんが懸命に旗を振るので
「ハーン、これはトラックが我々が通るのを待っているのに違いない。
これは待たせては悪いな」と考えた私は
再度アクセルを踏み込んで、早くその場を通過してあげようとした。
すると、突然そのおじさんが慌てている様子が見て取れた。
まさか!と思って急ブレーキをかけたが一瞬間に合わず・・・。
目の前を、「トラックのタイヤってこんなに大きいのか!!」と思わせるくらい大きな車輪が目の前に・・!

幸い、少し突入が遅かったので車の側面にダンプがあたることはなく
前面を後輪の巻き込み防止バーとタイヤを引っかけた状態で済んだ。
それでも衝撃は大きく、車は完全に左方向を向いてしまった。
道の左は大きな側溝。車は十分はまり込む広さ。
ただ、トラック用に設置された鉄パイプの欄干があり、それに私の車の側面が突き刺さって止まった。
怪我は私だけ、運転席右上のサンバイザーの金具でおでこをぶつけ出血。
病院で4・5針縫った記憶。
その頃傷跡は毛の中になったが、今やおでこと同化してしまった。(どうかしている・・か?)
シートベルトをしていれば・・・。傷禿げにならずに済んだのに・・。

某有名な建設会社の雇いトラックで、すぐに事故担当者が飛んできて
事故そのものは私が加害者(相手の側面にあたっているから・・)となった。
加害者で良かった、被害者なら今頃45回忌だ。
でも、一旦停止をおろそかにしていた会社の責任をとって車の保証は全額してくれた。
(新車買ってくれていたら、ここで会社名を大きく50ポイントくらいで載せるところだが・・)

 ほんの少しのことで命拾いの事故だった。
車は直ったものの、ケチがついた気がして・・・、嫌になるとどんどん気持は萎えるもので
数ヶ月後には別の中古車を購入することとなる。
金持ちでもないのに・・。給料はほとんど月賦でしたね。

新しい中古車(?)は コロナマークⅡハードトップ。オートマチック。
初めてオートマなるものに乗りました。
その頃あんまりなかったように思います。
図体のでっかい車でした。
分不相応を絵に描いたような・・・。

いやーいろいろあるものですね。
次はマークⅡ。画がう「まーくつ」くれるまでお待ち下さい。