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焦らず 慌てず 諦めず 行けるとこまでNO2

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梅雨は何処へ トライアスロンの思い出

2012-06-28 12:25:37 | 日記
降りそうで降らないのが、最近の天気。
台風5号以降、涼しいけれども梅雨らしい雨がない(有り難いけど、ちょっと不安な)天候が続いている。
今日は降るかな?と期待しつつ(?)も雨音がない日が続いている。
ようやく明日頃には・・と思っても明日の予報はしっかり晴れマーク。
1日の日曜日に雨マークが入っている。
トライアスロンの日なのに、選手諸君ちと可哀想。
レースが始まると雨が降ってもあんまり関係ないと思うけども
寒いとやっぱり冷えるし、サングラスも見にくい。
天候は限度もの。過ぎたるは・・・ということでしょうか。
選手の力が十分発揮できる天気になることを祈ります。

ちょうどうちの家の前がバイク(自転車)のコースになります。
ダラダラ登り1、5㎞の頂点付近。
ここを3周回ります。
応援も楽しいですよ。

 一昨年のレースです。

この高島ミニトライアスロンが始まったのは私が40少し前の頃(1989年)ですから
20数年前。
スイム200m、バイク13㎞、ラン4㎞でした。
スイムはプールでおこなわれ、とりあえずの大会でした。
そこら中でトライアスロンが流行し、私の町でも社会教育課の若手が
ウエストレイクトライアスロンクラブと連携して始めてくれました。
その後、近くの新旭町ではランナーズが主催のトライアスロン駅伝も実施されていました。
これにもチームを組んで3度出場しました。
おもしろいことが一杯あり良い体験をしました。
数年後に溺れてなくなった方がおられ、大会は中止となりました。
残念です。
第2回のミニトライアスロンは琵琶湖を泳ぐようになり
スイム400m、バイク29.1㎞、ラン8.6㎞となりました。
初めてのオープンスイムでフローティングスタート(深いところで立ち泳ぎのままスタートする)。
岸辺からのスタートも曲がるところで混雑して大変ですが、浮いたままのスタ-トでも大変でした。
浮かんで合図を待っている間(ウエットスーツで浮くのはそれほど苦労しません)不安感もあって
緊張しています。

ちょうどその日は曇り空でした。
水の色が濃い緑色。
脱力して水に浮かびゴーグル越しに水中を見ると・・・!
緑色の空間に自分の腕だけが浮かび上がって、まるで宇宙空間に投げ出されたように感じ、
ブルッと身震いがしたかと思った瞬間、いきなりパニック状態。
周りからは解らないと思いますが、頭の中は大混乱。
(今考えても、なぜこんな状況になったのか理解できません。)
せっかく泳ぎもプールで練習してきたのに・・。
なんとパニックは怖い。
クロールでの息継ぎができなくなってしまったのです。(笑)
仕方なく終始平泳ぎ。顔を水につけることが出来ない自分の情けなさ。
もう必死でした。
あれほど、自分の心の弱さを感じさせられたことはなかった。(恥)
でも、その後は好きになりましたが・・。
スイムの時に解ったこと。
  焦ってみても得はない。
  とにかく地道に、一かきすればいくらかはゴールに近づく!
  そう信じて焦らずに我慢することが全て。
スイムでは数十メートルごとに大きなオレンジ色のゴムのブイが浮いている。
息継ぎに顔を上げると、そのブイが延々と遠くまで並んでいる。
目線が低いのでよけいに遠くに見える。
苛ついたら損。
一かき、また一かきの繰り返しが一番確実。
人生勉強をしました。
(だからといって自分ができた人になったとは思えませんが・・)

とにかく、どうしてあんな辛いことをわざわざお金を払ってやるのか理解できない、とよく言われましたが
やってみないと解りません.あの達成感は・・。
1日の選手の皆さん頑張って下さい。



それでは高齢「愛車遍歴」の時間です。
本日は4台目の車「トヨタカリーナ1600」
例によって、あまり似ていません。
最近キレが悪いです。

   眠い中を描いたので特徴が・・。

就職も決まった昭和52年。
ポコポコではちょっとと思い、中古のカリーナを買いました。
この時代金は誰が払ってくれたのだろう。自分でだったかどうか忘れてしまった。
グレーのハードトップ。
カッコウばかりを優先させた車だったように思います。
窓が狭い。後ろなんかほとんど見えない。
流れるようなバックラインなので、視認性はほぼ無視?
運転する時に窓に肘をかけるのが好きですが、窓の位置が高いためにこの車はちょっと苦労しました。
自分的にはセリカが欲しかったですが、人気車でなかなか回ってこなかった。
でもまぁ、満足して乗っていたように思います。

あんまり思いではありません。
クーラーもなかったし音響も今一。
走りに特にこだわりがある人間ではないので、こんなモンでよかったんでしょう。
記憶に間違いなければ3年半くらいお世話になりました。
2ドアなので後部座席の活用があまりできなかったな。
独身時代と新婚の時ですから、それでもよかったんでしょうね。
でもあの頃の車ってカッコだけを追求していたものが多かった。
あの頃、2000ccの車なんて最高級だったのに今や2000は普通になりました。
性能も今の車とは全然違います。進歩したものだ。

その後、カッコにとらわれず使いやすさを求めてシビック1500に変わります。
その時、下取りが査定ゼロでした。
「持って帰るのにお金欲しいくらいです」と言われちょっと寂しさを感じた記憶があります。
「部品の欲しいところがあったら取ってもいいですよ」などと言われ
コイツはもうスクラップなのか、と悲しくなりました。
でもあの車はぶつけたこともなかったし、上手く扱えた気がするなぁ。
今は見たこともないですね。

次回はシビック時代に入ります。
(どんな時代や?)