焦らず 慌てず 諦めず 行けるとこまでNO2

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梅雨の合間に

2012-06-25 10:41:02 | 日記
台風が過ぎて、梅雨の合間の晴れ模様。
6月も残り1週間となりました。
昨日は予定して、天候を心配していた地区のゴルフコンペ(アイ アム 幹事)。
予想に反して、曇り空の風のない今としては申し分のない一日でした。
朝7:15分スタート。3組10人(いつもより少し少なめ。幹事のせいか?)
ハーフ終了後スルー(休みを取らずにそのまま後半にいくこと)でラウンド途中に電話が・・。
「いい感じで、早いので、もうハーフ回りませんか?」
誰も反論する人間はおらず、即、提案採用。
ということで1.5ランド、下手ゴルフを楽しみました。
その後は、焼き肉屋で打ち上げ。
最近生ものが問題視され、残念な焼き肉屋さんですが、盛り上がっていました。

最近ちょっと運動不足と食べ過ぎ(なぜか、ご飯が美味しい!)で体重増加中。 危険です!!

さて、また畑周りの画像を送ります。
(最近こればっかり、外へ出ないものですから・・すいませんって、自己満足の世界だから謝ることはないのですが・・)


 なかなか、いかつい!! 
「むかし、従弟がスターウォーズに出演していました。 あいつは顔が赤かったけど・・」って似てませんか?

 雨降らないとお肌が乾燥します!
 
 日だまりの中で・・・。

     「雨蛙、あまえるな一茶 ここに無し」 
 体長2センチ、表情が見えず惜しい!


 ムラサキツユクサ  これを見ると理科の実験を思い出します。

 「お役ご免」
「天空の城 ラピュタ」で戦闘ロボットが草むらに横たわっている場面を思い出しました。

 野良生えのマリーゴールド。 一昨年から咲いてます。 ちょと栄養不足で小振りですが、強いです。

 「白薔薇に青いリングを!!」
特に意味はありませんが・・。 画像をひっくり返しています。

 「こんなん出ましたけど・・!」
物置に放置してあったサツマイモから芽が・・、茎が・・、葉っぱが・・。 土なくても芋もなるかしら?

 「黄昏の懇談会」

 薔薇のドライフラワー。 これも画像をひっくり返してます。(ほんとうは逆さづり状態です)

ということですが、代わり映えしませんね。
本人はそれなりに楽しんでおります。


さて、それでは愛車シリーズ第3弾、いってみたいと思います。
今回は「コロナマーク2ハードトップ」
初めて乗った「トルコン」と呼ばれたオートマチック車。
ゆったり感が軽にはない心地よさでした。
  今、若い兄ちゃんがセルシオなんかを転がしていると
  若いのに不相応な車に乗って・・! と思ってしまう自分がいますが
  あの頃の自分とおんなじ!  ちょっと「恥」!!
  若かったですから・・。  嬉しがっていちびってましたね。
    (解説文 調子に乗ることを、いちびると、我々は表現します)

     前回のブルーバードと似通ってしまいました。
表現力不足!!
横幅が狭くなってしまって「マークⅡ」と言うより
いすゞのベレットみたいになってしまいました。
ハードトップ特有の後部のなだらかなラインが絞りすぎて
フェアレェディかサニークーペみたいになってしまった。(悔しい!)
特徴の受け口様のフロントグリルを少し表現できたかと思います。
もう少しワイドにしてゆったり感が出せると良かったと思います。
いかがですか?

この車は二十歳過ぎから2年弱乗りました。
オートマチックの運転の楽さを覚えた車でした。
この頃の車はどちらかというと安全性より見栄え、かっこよさを目指していたので
後ろが見にくい車でした。バックするのはちょっと不安でしたね。
高校卒業して、ちょかついている時期だったのでかっこつけていたと思います。恥ずかしい!
高卒後4年して、思うことがあり大学進学を目指しました。

時はミュンヘンオリンピック。
男子バレーが金メダルを取った時です。
そういえば、「ミュンヘンへの道」流行りました。もう松平さんもなくなりましたね。

脱線しましたがその時、背水の陣で10月頃に友達にこの車を買ってもらいました。
売ったとたんに運転席の背もたれのヒンジが壊れて
その友達、可哀想に少しの間、背もたれ無しの車を運転していました。
僕も運転させてもらいましたが・・、疲れるし、危ないし・・・ゴメンねの気持で一杯。
騙したわけではありませんが、たまたまの故障です。

翌年大学進学するまでは、車がなくなったので同僚の先輩が125のバイクを下さって
4月までそれで通勤しました。
いやー冬下は辛かったです。

幸い合格しましたので、当分は車は不要。
あのバイクはどうしたんだったかな?
従弟にあげたのかな?忘れました・・ゴメン!

あの頃湖西地方にはJR(あの頃は国鉄?)は走ってなくて
江若鉄道(浜大津から今津までの単線)しかありませんでした。
この鉄道は近江から若さまでを繋ごうとして造られました。〈だから、江と若をとって命名〉
今津から若さまでの山をどうしてもクリアできず、日本海へ繋ぐことを断念したようです。
もっと早くにこの線が繋がっておれば、むかし「近畿のチベット」と言われた高島(いまは市)も
もう少し発展したかなと・・・。
なにせディーゼル機関車でしたからのんびりしたものでしたね。

それが廃線となり、湖西線の工事が開始された頃でした。
前回、ブルーバードが工事のトラックとぶつかったのは・・・、この湖西線のせいです(責任転嫁?)
大学2年の夏に湖西線が開通。
それまで京都の姉夫婦の家に下宿していましたが(ちっちゃな借家で、京都の狭い路地の倉を改装したものでした)
茨木まで通学可能になって高島に帰ってきました。
片道2時間の通学が始まったのです。
けっこう大変でした。

この時に家から駅まで〈5㎞ほどあります〉通学するのに母親が
三菱ミニカの中古を買ってくれました。
エンジン音が「ポコポコポコ・・」とかわいく聞こえるので
今30後半になる甥っ子が「オッチャン、ポコポコは?」
とよく聞きました。
今でもうちでは、ポコポコと呼んで親しんでいます。
これについては次回お伝えします。

2時間通学が始まって、いろいろありました。
始めの頃の湖西線はすごくきれいだったのを覚えています。
もうピカピカ。
今は車両も変わりましたが緑とオレンジの近郊列車が懐かしいです。
2年の半年は頑張って通いました。
3年になると少し授業も少なくなり
休みが増えます。
その調子でだんだんルーズになり、ここだけの話ですが・・・
3年生の時には、ほとんど学校へ行っていない状況でした。
親しい友達が電話をくれて「もう、学校止めたんか?」と尋ねてくれるくらい・・。
どうやら大学の友達間では退学したことになっているらしかったです。〈笑〉 
でも、嬉しいことに出席をとられる時は代返してくれたり出席カードを書いてくれていたようです。
今更ながら、感謝の気持で一杯です。
4年生の時は一生懸命登校しました(念のためにお伝えしておきます)
ではまた次回。



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