
ここが「寺床」。ガイドブックには、左に「寺床」とよばれる平地が笹に埋もれている。寺床前の石畳状の道から山肌を右上するように礫の多い道を登る。と書かれています。しかし、タカ長の目には「床」の字からイメージされるような平坦地は見えませんでした。

どこに平地があるのだ、と言う感じです。これじゃァ犬小屋も建たないや。
あるのは礫の多い、足元の悪い登り道。その道を登って行きます。



タカ長は足元に集中。いつものようにキョロキョロまわりを見ながら歩く余裕はない感じです。
ラストを歩く美弥様には遅すぎるペース。そのため花を見つけるのは美耶様の役(?)

ヤマシャクヤクの写真を撮ってしばらく行くと右手に、、、、、

展望台。でも、この上に登れそうにありません。お二人さんもあの上に登る気持ちは持てないようでした。

それから先も足元の悪い登り道。その道のそばにあるイワカガミを最初に見つけたのも美耶様。


その先には群落(?)がありました。白花もありました。山を歩いているあいだカメラは封印状態ですが、イワカガミだけは何枚も撮りました。

でも、どこで撮るにしても足元は良くないのです。気はぬけないのです。

そのような道が下り坂になり、沢地形を過ぎたところに立て看板がありました。


このあたりが鉱山跡のようです。言われてみれば狭い平坦地もありました。ここが鉱山跡???これではタカ長邸も建たない感じです。
小五郎山鉱山跡。確かに平坦地が見えましたが、タカ長がイメージしていたより狭い鉱山跡でした。当時の人々はタカ長の想像を超える、劣悪な環境で働いていたのでしょう。
足元が悪いので鉱山跡を見るのは帰りにして、寄り道ナシで山頂を目指しました。

そこからひと頑張りすると山の様子が変わってきました。山頂が近くなったことをやっと感じることが出来ました。
あえて時計を見ていませんが、5時間も6時間も登って来たような気がしました。

山頂に着きました。見えている女性登山者は途中で追い越された人です。
帰宅してYAMAPを見たら、tentenの名前で投稿されていました。
そのtentenさんは昼食が終わっていました。かなり差をつけられたようですね。それも仕方ありません、年齢的にはタカ長よりずいぶん若い人でしたから、、、、、、、。