
この本の著者・柳田邦男が大学生に話しているNHKの番組を見て購入しました。さっそく読み始めましたが、ついつい感情移入してしまい、読み進めることが出来ません。
タカ長も昭和20年8月6日のことは忘れていません。タカ長の被爆体験など、旧市内で被爆された人に比べたら万分の一にもならないと思っていますが、それでも6歳の子どもには世の中がひっくり返るような体験でした。
あの閃光も見ました。その後起きたことも数多く記憶しています。だから、ついつい感情移入してしまいます。
この本には当時江波山にあった広島気象台の台員たちの奮闘ぶりが書かれています。彼らが見た広島の様子が書かれているノンフィクションです。
十一時を過ぎると市内の火災はいよいよ激しくなり、その地域も大きく広がっていた。(中略)
すべてが煙だった。巨大な煙は炎さえもその中に包み隠してしまうほどで、猛烈な勢いで天空高くめざして上昇していた。成層圏をも突き破りそうな勢いだった。煙は強い上昇気流を誘発し、天頂で雄大な積乱雲に変じていた。積乱雲はかつて見たことのない壮大な峰々を形成し、雲の高さは確実に一万数千米はあった。その峰々は活発に動き、姿を変え、さらに成長して行った。それは悪霊の蠢きのような不気味さと威圧感とを持っていた。
黒ずんだ積乱雲の中では、頻繁に稲妻が走ったり、閃光が明滅したりし、雲の姿をいちだんと不気味にしていた。広島市西部の横川から己斐(こい)にかけての一帯は暗雲の状態から見て、激しい雷雨になっている様子だった。夏の日に雷雲が近づくとき、真黒い高雨域を遠望することができるが、横川、己斐方面は不気味なまでに黒々とした降雨域になっているのが見えるのだった。にもかかわらず火の勢いは一向に衰える気配を見せず、煙は依然として市街地全域から立ち昇っていた。

タカ長が原爆の閃光を見たのはX地点の川岸です。当時の地名は広島県佐伯郡八幡村。そこの、八幡川に架かる郡橋のところで、あの暗雲を見、その中から無数の焼け焦げた紙、たとえば新聞紙とか障子紙が落ちてくるのを見ていました。その中には雑誌の表紙でしょうか、黄色の地に赤い字が書かれたものがあったことも鮮明に覚えています。
広島気象台の台員たちが見たのはあの日の惨劇の一部にすぎませんが、タカ長が唖然として空を見上げていたとき、旧市内ではこのようなことが起きていたのだと思うと、いろいろ感じることがあって読書のページが進まないのです。