大府市議会議員 たかばとくこ の日々

2007年、政治の素人が議会に飛び込んでみました。

総務委員会視察レポート 岩手県遠野市・遠野まごころネットについて その1

2012-07-27 10:13:54 | 議会
【メモ】
 民による後方支援活動を展開された窓口となったのが遠野まごころネットである。遠野まごころネットは、いち市民が震災後沿岸被災地をまわり、とにかく何かしないと、と民間ボランティアとして行動する必要を感じたが、社会福祉協議会を通さない活動が信用を得にくいことを体感し、遠野市社会福祉協議会に机ひとつ置かせてもらったことから活動開始している。団体自身が登録会員としてのボランティアを擁するというより、コーディネートや事業企画が主体である。被災地が広域で、かつ被災地にボランティア拠点を置ける状態になかったので、官の支援活動同様に、遠野まごころネットが遠野市に拠点を置いて、被災地のボランティアニーズの把握、全国から集まってくるボランティア希望者の受け入れ、現地派遣等のコーディネート機能を発揮した。集まってくる個々のボランティアを受け入れ組織(チーム)すること、各地のボランティア団体間の連携をつなぐことに取り組んだ。
 現在は遠野市浄化センター敷地内にプレハブを置き、本部事務局としているほか、東京にも事務所を置いている。
 とにかく現地を助けないと、という必要に迫られた行動から、生命や生活空間の維持のための活動(支援物資の収集配給、泥出しガレキ分別、避難所運営)から、復旧復興への支援と段階を移しており、生活みまもりなどメンタルケア、起業支援、ボランティア連携のノウハウ活用などを中心としたものに活動を移しながら、進化し続けている。このノウハウ活用において、すでに九州水害の被災地にグループを派遣し現地ボランティアコーディネートの助言を求められるなどしている。またまごころネットの情報発信力を用いて、九州でのボランティアや物資の募集状況を中継し発信している。
大規模事業地を確保し、雇用の場産業再生の場まで展開しようとしている点は、発足1年半足らずのNPO法人としては特筆すべき点である。
 役員名簿には行政職員OBや市議会議員が連なっており、官と民が分担し協力しあうための行政の基礎知識を持っていた人材が深く関わっていることがわかる。


【リンク】
遠野まごころネットHP

7月26日(木)のつぶやき

2012-07-27 02:39:56 | 日常
00:19 from Seesmic (Re: @zetagohshi
@zetagohshi 直後は生死がかかってる状態ですから、死なない最低限のレベルを(たとえば一日おにぎりいっことか) 全員に提供できるのを最低限として、それまでに長いと3日かかるという意味かと。指定避難所以外に逃げおおせた数世帯が把握されるまでとか、孤立集落がヘリ脱出までとか

09:51 from Seesmic
遠野市とぴあ庁舎で、沿岸被災地後方支援について市長からお話を伺ってい ます。ICT化で情報は行き来するようになったがモノや人の行き来も必要、それには道がないといけない。内陸と沿岸部を6つの街道で結ぶ遠野市は、その立地から明治三陸津波でも沿岸を支援した記録が残っているとのこと。

10:08 from Seesmic
国・県・市町のタテのラインは機能しなかった、各地の市町の水平連携が役に立った。今後の大規模災害について市町村に権限持たせては、との思いもある(本田市長)震災後に、以前から整備要望していた沿岸部への道路が復興の重要路として高規格道路整備されることになった。@遠野市

10:52 from Seesmic
あかんキーボード電池切れっぽいorz 書き込み断念。

11:34 from Seesmic
遠野市とぴあ庁舎を後にして総合防災センター訪問。耐震性に問題ありとして震災前22年3月着工、24年7月完成。ヘリ離着陸ができ後方支援拠点となった運動公園の進入口に用地選定。災害対策本部室になる大会議室も。H19~H20市民懇談会・市民説明実施、H21・3センター基本計画策定。

12:46 from Seesmic
遠野市総合防災センターのデッキから総合運動公園を臨む。震災時に自衛隊車両とテントが埋め尽くしていた場所の現在。 twitpic.com/abt3e5

14:09 from Seesmic
遠野まごごろネット本部。顧問の荒川さんからお話をお聞きしました。 twitpic.com/abttmg

17:41 from Seesmic
県営名古屋空港に無事到着しました!帰りはFDA機のピンク。名古屋は暑い!

19:18 from Seesmic
大府市役所地下多目的ホールで行われている地域懇談会に来ています。主催は市 協働促進課(広聴tん等)。行政の施策について住民に説明し、意見をいただく場として一昨年度より各地区で行っているもの。今年のテーマは「健康づくり」。担当課のほか全セクションの部次長級が執行部として出席。

19:29 from Seesmic
市長から冒頭に、みなさんお健康づくりについてだけでなく、まちの健康についても、ご意見いただきたい、と。大府自治区区長から、昨年の地域懇談気で調べて回答すると言われたことがそのままになっているので、責任ある回答を、と。続いて健康推進課長から健康づくり施策についての説明@地域懇談会

19:52 from Seesmic  [ 1 RT ]
説明者はプレゼンの上手い職員さんで、印刷配布したパワポをそのまま読むのではなく、配布に入っていないデーターを表示して説明を加えたり、保健師さんによる健康づくり講座の実演タイムなど。施策、その目的、実際に行っていること、市民意識調査による評価を織り混ぜて説明がすすむ@地域懇談会

20:00 from Seesmic
説明終了、意見交換タイム。時間が限られているので一人一問で、とアナウンス。昨年この懇談会で質問があった防災無線が聞こえるか、について回答。毎月1日のテスト放送、室内室外、市内各所で46人の職員で市内各所で確認。室内ではっきり聞こえる、屋外なら聞き取れるなど。@地域懇談会

20:12 from Seesmic
「防災無線聞こえるか試験は、流す日時承知して行ったもの。無線で伝達100%めざすというより緊急情報を伝えるひとつの手段。新たな方法として携帯のエリアメールを昨年度導入した。」と答え。住民からは健康づくりウォーキングコース整備について、健康遊具の設置公園の場所など質問。@地域懇談会

20:20 from Seesmic
市の将来像、どんな姿、何をめざすか→地域で安心して最期を迎えること、国立長寿医療センターの老朽化は対策検討が進んでいる。近隣自治体まで含めると恵まれている大規模専門(高次)医療機関、地域のかかりつけ医、みまもりなどのご近所、など広域多層で考え、みんなの健康をめざしたい@地域懇談会

20:25 from Seesmic
ウェルネスバレー構想について、どうなっていきたい、どうしていく、もう少しはっきりと何か→もっと広報していく。全国有数の健康・医療施設の集中拠点。特に言うなら産業、自動車産業は現行の3分の1になるとも言われている。20年30年先を考えて新産業を産み出していきたいと市長。@地域懇談会

20:29 from Seesmic
参加者アンケートないんだな。質問ご意見どうぞ、っても言いにくい人もいるだろうに@地域懇談会

21:33 from Seesmic
地域懇談会終わって、市長と区長さんと、職員何人かと立ち話して一旦帰宅、ご家庭関係買い出しのためイオンなう。スタバできゅーけー。

by takaba_tokuko on Twitter

総務委員会視察レポート 岩手県遠野市・沿岸部後方支援活動について その2

2012-07-26 22:56:56 | 議会
【所感、大府市に対して】
「官による後方支援、民による支援」

 市の後方支援について。まず着目するのは「想定内の災害であった」と市長がお話になっている点である。未曾有の災害と言われながらH19,H20と実際の訓練を伴い準備を進めていた。また、立地だけでなく地域相互の関係が歴史上も現在も深く、住民感情として支援に向かいやすかったという面がある。遠野市とてこの震災全体から見れば軽微な被害と映るが、広い市域に5000名の避難者を抱えており、その市民生活の支援復旧に携わる一方で、時間も人手も割いて後方支援を行うには、住民の理解が必須である。大府市が知多半島の付け根に位置するという地理的要因をもって本当に知多半島の後方支援を考えるなら、自治体間のネットワークづくりは当然であるが、住民もその活動に理解ができるよう意識の醸成が必要である。
 遠野市の動向は非常に計算されている。後方支援拠点施設整備については、平時は遠野市民に提供する施設と認識しつつ、複合機能として初めから後方支援を位置づけた。施設機能の複合化は、市町村合併によらずともスケールメリットを展開できる例として昨今着目されており、機能のみならずサービス提供対象まで複合化して考えた点は先進的である。この施設整備計画で国費補助を見込む一方、貴重な経験となったH19、H20の大規模広域訓練はそれぞれ県費、国費(防衛省)で賄っている。必要性や目的はブレず、費用負担は抑える形で実現している。後方支援は広域生活圏の維持と有事の人道的側面から決して否定するものではないが、財政規律として市税は当地市民のために使われるべき原則から、その備えの段階からどんどん市税からの歳出をしていくことは合理性に難があるので、このように市のふところを痛めずに準備を進めていた着眼と工夫はぜひ見習いたい。なお、実際の支援活動に要した費用は国費負担として補填されている。
 リーダーの判断力、行動力で、対応に差が出た、との話は被災自治体各地でお聞きする声である。「支援の希望は断らずに受け入れる」との判断は、簡単なようで行政としてはなかなか下しがたいものと察するが、それが結果として人もモノも遠野に集積する形となり、それをさばく力・指揮官が官にも民にも存在したため非常に有効に機能した。また、各地支援隊やボランティアの滞在拠点を提供することも、平時から広い市域の把握とリスト化の即時判断が奏功している。個々の才覚といえばそうかもしれないが、自治体リーダーの責任とスピードによるものが平時以上に重大になることは覚悟しておく必要があろう。有権者として選出する責任をも自覚したい。


【参考リンク】
みちのくアラート2008(自衛隊東北方面隊Web・活動写真集)

総務委員会視察レポート 岩手県遠野市・沿岸部後方支援活動について その1

2012-07-26 22:35:53 | 議会
【メモ】
●想定外でなく想定内だった津波被害
本田敏秋市長が、前職であった県職員時代に過去の三陸沿岸津波被害について今後の危険性を想定し、三陸沿岸部をご自身の足で回りご自身の目で確かめていたとお聞きしている。その当時から、今回の東日本大震災級の津波被害は個人的に想定しておられた。
●遠野市と沿岸部との立地条件と交流の歴史
25日に遠野市博物館を見学させていただいた。遠野市は内陸部の盛岡や平泉などと沿岸部を結ぶ交通の要衝で、遠野から馬で1日で沿岸部に行くことができたことから、海産物と農産物の交易を行う人々が必ず通るルートであり、歴史的にそれぞれの人の交流があった。現代も平時から親戚関係など緊密な行き来があり、遠野市を中心として見ると内陸へ3本、沿岸部へ3本の幹線路があり遠野市を中心に放射状のルートが確保されている。
●想定内の被害に備えた2回の訓練
H19 岩手県総合防災訓練の持ち回りが遠野市の担当となった。本田市長のかねてからの構想により、通常は実施自治体と県の合同訓練の体裁のところ、沿岸部への出場・搬送を盛りこみ、後方支援を想定した初の実地訓練を行った。
H20 自衛隊東北方面隊の4年に1度の大規模訓練を遠野市で実施。総合運動公園を基点とした沿岸地区の救助・救命・救急・捜索訓練を行った。
●三陸地域地震災害後方支援拠点施設整備推進協議会設立
運動公園隣接地に多目的体育館整備を計画。有事には後方支援拠点施設として活用する目的も兼ねて計画し、協議会を設立。他自治体には負担を求めない、国費補助の充実を目指していた。
●発災…市本庁舎は全壊したが民家は一部損壊、人的被害なし・市内被害総額32億円
即時庁舎立ち入り禁止、テント設営し対策本部に。市内の情報収集をし人的被害なしの確認とれたのは夕方。市内対応はマニュアルどおり分担で対応できていた。
市内は合併旧庁舎ごとを拠点とし責任を持たせる運営。市内50箇所に避難所、約2000名が避難(ライフラインが止まったため)
総合運動公園は冬季閉鎖中で、直ちに開門し投光機・発電機を搬入するなど訓練どおり対応。
通信の断絶により沿岸部の被害は知らず。訓練どおり総合運動公園を開門し体制は整えた。
●12日未明から…沿岸部の被災状況が徐々に判明。官民を超えた後方支援活動本格始動
大槌町から助けを求めてきた被災者が遠野市へ。遠野市職員を現地へ向かわせ、沿岸部の被害状況の報告を受ける。後方支援活動本格化。「支援の希望はとにかく断らず受け入れる」方針により、物資、支援隊が次々遠野市へ。官民を超えた連携で、自衛隊、他府県援助隊、民間事業者、各地からのボランティア受け入れ、遠野市民もボランティア協力など。
人力も物資もここまで集まるとは想定外。提供可能施設の場所、設備、受け入れ可能人数をリストアップして、受け入れ割り振り対応した。
●ボランティアとの連携
社会福祉協議会と市が情報を共有。ボランティア拠点に144箇所を提供した。(遠野まごころネットが社協に机をひとつ置いて活動開始。)
●県との連携
遠野市の後方支援は当初72時間を想定していた。その先は県がサポートしてくれると考えていたが、県は盛岡から動かない、物資も県から届かない。支援する側も、硬直した県に対し、遠野が受け入れると聞いて遠野に送り込んでくる。初期対応からそのまま遠野市が後方支援活動を継続していった。県はあてにならないという課題が残った。
●初期からこれまで、今後
初期はまず生命維持が第一。救助活動や炊き出し支援など。次に生活支援。避難所の環境整備から、仮設住宅や長期避難者対応など。現在は被災自治体の歴史記録の確保や文化の保存振興、被災者のメンタルケアと自立に向けた産業振興へとシフトして、広域の活動は続いている「縁がつなぐ後方支援プロジェクト~6つのネットワーク」。
現在も支援拠点を遠野市において活動する民間団体も。
情報化の時代であっても、人・モノが実際に動くことはどうしても必要で、長年要望してきた高規格道路が復興支援道路として国費で整備されることになった。
●遠野市総合防災センター
遠野市消防本部でもある。消防は平成の合併前は広域消防であったが、そのままエリアが合併し新遠野市となったため、現在は市単独消防となっている。最新の指令設備、訓練棟を設備し、後方支援活動の自衛隊設営拠点となった総合運動公園隣接に位置する。市本庁舎がない現在、当センター会議室が有事の災害対策本部室となる予定。震災の記録展示コーナーもある。

*********

【リンク】
遠野市の後方支援について(遠野市HP・沿岸被災地後方支援室のページ)
縁がつなぐ後方支援プロジェクト(遠野市HP、PDF

7月25日(水)のつぶやき

2012-07-26 02:25:03 | 日常
08:49 from Facebook
大府市議会総務委員会視察2日目、新花巻からくりこま高原へ東北新幹線利用。震度7だった栗原市にうかがいます。 fb.me/1tzR78cw9

08:50 from Seesmic
大府市議会総務委員会視察2日目、新花巻からくりこま高原へ東北新幹線利用。震度7だった栗原市にうかがいます。 twitpic.com/abe77v

09:12 from Seesmic
昨日は移動中に寝ただけでほぼ徹夜だったので早々に寝落ち。それにしても思うことは、自己決定自己責任の重みが増しているということ。その「自己」は。個人だったり集団だったりするのだが。その力をつけないと。

09:56 from Seesmic
栗原市役所にて視察スタート。防災の取り組み、東日本大震災について、議会の対応についておききします。当日は議会はない日だった、本会議場の天井が崩落したとのこと。現在は吊り天井、布吊りで今後の地震に耐えられるものに修繕されたそう。

10:08 from Seesmic
「平成20年岩手・宮城内陸地震、東日本大震災の被害状況と対応」と題された資料は、20年地震の被害と対応について24ページ、東日本震災の地震被害と対応について5ページ、震災の放射能対策について13ページ。最大震度であっても死者・行方不明者ゼロ。危機管理室さんからお話いただきます。

10:14 from Seesmic
H17に10町村が合併して栗原市に。H19に総合計画・防災計画策定。H17に県から危機管理監配置うけ、計画策定や自主防災組織設立などすすめていた。H19から相互応援協定締結、発災時に場所情報が重要としてGIS導入。総合防災訓練準備中にH20発災。

10:22 from Seesmic
H20岩手・宮城内陸地震。地盤地震で山の崩壊、地滑り等。土砂ダムとの戦い、山間部の孤立と交通遮断、が特徴。市内でも山間部に大きな被害、庁舎ある中心部の被害はそこまでではなく、情報が届いていなくて報道で市内山間地区の被害を知った。通信手段の確保が必要だった。@栗原市視察

10:28 from Seesmic
H20地震被害、死者13人行方不明6人。避難世帯最大120世帯、避難者最大300人。発生8時43分、県に自衛隊派遣要請11時 。緊急消防援助隊経派遣要請11時38分。長期・甚大の場合ボランティアの協力必須、そのための準備(想定)しておいたほうがいい。@栗原市視察

10:36 from Seesmic
仮設住宅は、国の基準があるが、民間の借り上げのほうが対応が早く環境も整っているので、大規模でなければ仮設建設にこだわらず借り上げのほうが被災者の精神保健上もよいと学習、東日本震災では借り上げ住宅で対応。20日頃まで天然ダムや地滑りの調査→避難所受入準備しながら避難指示・勧告発令。

10:47 from Seesmic
孤立集落は停電・断線で電話不通、防災無線はアンサーバック機能がないので相互通信できず。自衛隊ヘリ上空偵察で3地区の孤立を覚知。自主防災組織で情報収集安否確認、避難誘導、救出救護、給食給水。孤立集落の自衛隊ヘリによる避難完了は翌日午後、身一つで避難のため後日一時帰宅。@栗原市

10:54 from Seesmic
H20で感じたこと取り組んだこと→情報通信手段の確保、防災無線にアンサーバック機能つけた。緊急ホットラインの導入。生業・個人財産への支援。災害記録の有効活用。H23震災では関連死1名、沿岸部に出掛けていた市民2名が死亡、しかし市内で震災直接死者なし。@栗原市

11:04 from Seesmic
震災では安否確認が大きかった。自主防災組織や自助共助で住民相互により初期に救出できたケースも多い。訓練のできているところできていないところで差が出た。地域防災マニュアルだけでなく避難助運営マニ、初動マニの準備をすすめている。災害廃棄物の対応、区分を明確にし予め説明する必要。@栗原

11:10 from Seesmic
震災の情報のあり方→アンサーバック防災無線で各総合支所や主要避難所と相互連絡。翌日から「広報くりはら号外災害関連情報」を発行し被害・支援・各種のお知らせを全世帯配布(全11号)。@栗原市

11:17 from Seesmic
その時その場で精一杯、現地現場に集中し近視眼的になるのはわかるが、災害後の状況は刻々変わる。それに対応できる視点も必要。東日本震災では地震、津波、原発の3つの性質があり、整理した対応が必要。原発関連では果樹・林産物・魚類・肥料に出荷自粛があった。@栗原市

11:28 from Seesmic
専門家を放射能対策アドバイザーとして放射線対策推進体制を作った(先日、伊達市長も良い専門家に早期に対応協議に入っていただいたことを強くおっしゃっていた)。被害対策基本方針の個別取組5項目に「正しい知識の普及広報啓発」「健康不安への配慮」重ねて報告しておられる情報の重要さがここにも

11:35 from Seesmic
行政に何ができるか=その瞬間は何もできない。3日は自力でやっていただくしかない。行政はまず命に関わる人の対応と、状況の把握で精一杯。3日あればその先の対応が始められる。自主防災組織の重要さ。避難所の開設から住民でできないか、とも。有事にはみんな地域を守る意識が働くと実感。@栗原市

11:53 from Seesmic
自主防災組織には消防団は入れていない。消防団は救助や災害復旧に集中させるため。職員の第一は情報収集、把握、人命にかかわる緊急事項。その時議会は→議員の安否確認は議員任意の自己申告。臨時会3月25日、補正予算審議、全議員による調査特別委員会設置(常任ごと分科会方式)@栗原市

13:35 from Seesmic
写真は修繕終わった栗原市議会の議場。3月定例会は10日で終わり、23年度予算は議決済み。災害対応の補正予算のための臨時会は2週間後と5月。震災関連での予算専決はなかった。有事に議員個々はどうするかの定めはなく各々で行動。@栗原市 twitpic.com/abglv9

13:37 from Seesmic
写真は修繕終わった議場。3月定例会は10日で終わり、23年度予算は議決済み。災害対応の補正予算のための臨時会は2週間後と5月。震災関連での予算専決はなかった。有事に議員個々はどうするかの定めはなく各々で行動。@栗原市 twitpic.com/abglv9

15:02 from Seesmic
栗原市役所ロビーにあった栗原市民憲章。方言なのが新鮮。 twitpic.com/abhbhz

15:17 from Seesmic
くりこまから新花巻まで新幹線、今日の宿泊地は遠野。遠野市と大府市は友好都市なので、今晩は友好交流会が予定されている。遠野市さんと合流するまで時間が少しあったので宮沢賢治記念館へ。施設前にかわいいタクシー。 twitpic.com/abhfka

17:24 from Seesmic
写真は宮沢賢治記念館のデッキからの風景。時折雨が降る天候のためか下界が霞んでるのが逆になんかムード出してます。 twitpic.com/abicte

17:37 from Seesmic
遠野に着いて、宿泊先目の前にある市立博物館をご案内いただいた。盛岡から沿岸部に出るには遠野を通るのが近道で、昔の馬でまる一日で行けた。から往来・物流の拠点だった。城守も要衝としての位置付け。交通手段の発展とともに「通過」するだけになり衰退してしまう事例は各地で聞く。

17:41 from Seesmic
宮沢賢治記念館と遠野市博物館での柳田國男氏のお話で、頭脳明晰で才能あり行動力のあった偉人に、どんだけデキるひとたちなんだと素直に思う。理系と文系って両立する、というか真の部分は同じなのかなと。

by takaba_tokuko on Twitter