大府市議会議員 たかばとくこ の日々

2007年、政治の素人が議会に飛び込んでみました。

ブログとフェイスブックとツイッターと。

2015-08-05 13:08:43 | 日常あれこれ

ブログの更新がなかなかできていません。どうしようか迷っているところです。
フェイスブックを個人の発信だけでなく、公式ページとしての運用も始めたところ、ブログに書くような記事はほとんどそちらになってしまいました。
不器用な私がブログとFBページを維持するのは難しいなあやっぱり、と実感しているところです。
かつてブログは、自分からの説明責任と、自分の覚え書きとしての役割で書いていましたが、FBページはフェイスブックに登録していない方でもどなたでも見ていただくことができ、書いたものを事後にキーワード検索しても活用できるため、ブログに求めていた役割はフェイスブックの公式ページでできているように思います。

フェイスブックの公式ページでなく、ブログをブックマークしてご覧になってくださっている方には、大変申し訳ない限りです。

フェイスブックの公式ページはちょこちょこ書いていますので、大変お手数ですがブックマークはそちらでお願いできたらと思います。

フェイスブックページ「大府市議会議員 たかばとくこ」 ※オフィシャルなことはこちらに書いています 

フェイスブック 個人アカウント「鷹羽 登久子」 ※少しくだけたことも書いています
 

ツイッターは特に大げさに考えることなく、思いついたときにログインして書いています。仕事柄に関係のないつぶやきもあれば、仕事に関係のあることまで色々と。
防災情報があるときは、ツイッターは積極的に発信するようにしています。

ツイッター 「たかば とくこ」 ※更にラフに発信しています

 

(今のところインスタグラムには手を出していません。。。)




準備中です。その2。費用の公費負担について

2015-04-15 21:16:58 | 日常あれこれ

マイカーを加工してもらいました。統一地方選と時期がずれる友人に、拡声器一式と加工を助けてもらいました。

市の選挙には公費負担(選挙公営)という制度があり、拡声器一式を装備したレンタカーの借り入れや、運転手と拡声器一式込みでタクシーを期間中まるまる借りた場合の費用を、税金で負担してもらえる仕組みがあります。費用の上限と、一定以上の最低得票クリアという条件がありますが。
また、選挙期間中に使った選挙カーのガソリン代も、税金で負担してもらうことができます。
これら「選挙公営」を利用する場合は、立候補の届出と同時に手続きをする必要があり、選挙が終わってから後日「やっぱり公費で払って」ということはできません。
(町村の選挙には公費負担制度はありません)

なぜ選挙カーの費用やポスター代が公費負担されるのか?については、選挙にお金がかからないように、資金が厳しい人でも立候補できるように、という理由があります。選挙にかかる費用のうち、これらを候補者本人の負担としないことで、お金がないから立候補できない、というハードルを下げ、より色々な人が立候補できるように、という目的があります。
ですから、公費負担を請求しません、ということが必ずしも正しいとは思っていません。
税金で払っていただくのですから、少しでも安くあげる工夫はしたうえで、公費負担をお願いする。
誰でも立候補できるように、立候補の機会の平等のために、選挙公営の制度は、なくしてはいけないと思っています。何より、お金持ちしか政治に関われないというのは、雑草の私はもっとも嫌うものですし。

これまで2回の選挙では、選挙カーに関して、初回はガソリン代のみ公費負担、2回目は一切公費負担なしでやりました。いずれも拡声器一式は選挙時期のずれる仲間からの貸し出しを受け、車はマイカーを加工という形でしていまして、加工の手間も友人がボランティアでやってくれていて、材料費実費程度しか費用がかかっていません。
マイカーを加工した場合の加工賃は選挙の公費負担制度の中に想定されていないので、この材料費は身銭になります。が、お金がない人の立候補の機会を奪う、というほどの費用はかかっていないので、この手法はアリとします。
少しでも安くあげる工夫をしてみたら、公費負担制度にあてはまらない形だったということで。

繰り返しますが、選挙の公費負担制度は、あくまでも、過剰に請求したりせずコストの低減に努めたうえで負担をお願いするのは、お金がない人でも立候補できる選挙制度であるためには、必要な制度です。
公費負担を求めません、というのは、候補者個々の選挙手法のあり方の問題ですから、それぞれに判断なさればよいと思います。が、
公費負担制度そのものを批判し、自分はもらわないでやったから制度を利用すべきでない、あるいは、こんな制度イラナイ、との論調に対しては同調できません。




準備中です

2015-04-14 20:25:24 | 日常あれこれ

本日午前、19日朝に提出する書類の最終確認。整った書類を当日持参するだけでOKのところまでできました。
手法がシンプルだと揃える書類もシンプル。提出する申請様式の枚数の少ないこと少ないこと。
おかげさまで書類の事前審査に指定されたときに、時間的に猶予があるからと調整中で確認してもらえなった書面は、2度目の確認にあたる今日で一発OK。
準備を後援会や事務局長にお願いした方に任せるタイプの本人さんもおられるようですが、私は初回から、こうした事務も自分で全て行っています。
まあもともと事務職経験も長いですし。

確認を終えて5階議会フロアに行ったら、委員会室にこんな表示が。

すわ、「この議員には要注意」とかの話でも??と思いきや(そんなの公式にやるわけないか)、課長級からは本会議や委員会の出席、答弁があるので、発言の流れやルールなどの研修とのことです。
8年もやってきて、こういう研修してるの、今まで知らなかった。新任課長研修は承知していましたが、中でも議会向けというのがあるんですね。

親類に訃報があり、親類宅との往復で慌しい日となりましたが、親類の高校生くんに、議会のこと、終わったばかりの県議選のこと、あちこちに見かける2連ポスターのことなど質問を受け、嬉しくなりました。高校生が、学校の公民的分野で習ったことをベースに素直な関心を寄せてくれるリアルが、本当に嬉しかった。

さあ、こういう彼らのために、ぼくらが今せんといかんこと、していかないといかん!


調達。

2015-04-09 12:19:36 | 日常あれこれ


でかいのは中古品を一万円ほどで譲り受け、ちっさいのは無料で貸してもらいます。マイクだけ安いの買ってきます。
でかい方担ぐと、今の右手の状態では一週間もたないので、メインはちっさい方になる見通し。
女性候補の場合はでかいの担ぐほうが画的にいいんですけどね...

というわけで、これまたカネをかけないで準備を進めてます(^^)v

選挙にカネがかかることも、新規参入の障壁になってるから、とことんカネをかけない手法にこだわります。
行政にコスト意識を求めるなら、自分も当然に。

まず実践。


野犬の一生。

2012-05-26 23:58:58 | 日常あれこれ
野犬化した野良犬について、友人議員のブログに手を焼いている様子が書かれている。

純血種の野生の犬というのは存在しないので、もとは飼い犬が飼育放棄や遺棄されて野犬化する、あるいは、そうして野犬化した犬の子孫だ。
友人議員が動物保護管理センターとどのように連携しているかはわからないが、知多地区の動物保護管理センターの子犬の譲渡犬のほとんどは、凶暴になる前に保護した野犬の仔だ。野犬がいるところに捕獲器をかけたり、子犬をかくしている場所を見つけて、親犬がいない間に保護してくるらしい。
成犬になると警戒心も強いし力もあるし足も速いしで、そう簡単にヒトに捕まることはない。
まだ、親犬から「ヒトは怖い」と教え込まれる前の仔のうちに保護すれば、凶暴化することもなくヒトにもなつきトレーニングしてしつけることもできる。だから、仔犬の保護をして、親犬は天命果てるまで待つしかない、のが現状。
とはいっても、野犬は、ケガや病気のケアをしてもらえるわけでもないし、栄養状態だって管理されたドッグフードのようにはいかないから、丁寧にケアされる家庭犬よりは寿命が短いと思うのだが。
保護した野犬の仔は、ヒトに慣れさせてから、飼い主募集に出され譲渡される。飼い主に名乗りをあげる人は順番待ちのような状態とのこと(といっても、一時期よりは手を上げる人は減っているそう)。
しかし、保護が遅れ、親犬から警戒心を教わった後になってしまうと、見かけはコロコロと愛らしい仔犬の姿をしていても、保護してしばらくは子犬どうし団子になって飼育職員を遠巻きに見る、職員のそばには寄ってこない、という状態になり、この時期を早く脱しないと、大きくなってからでは飼い主として手を上げる人が減ってしまう。
ともあれ、こうして仔犬を保護しては飼い犬にすることで、ネズミ算のように代々増えてしまうことのないように尽力するしか、できることはないのが現状。

さて、冒頭の、手を焼いている友人議員の地区では、成犬の野犬で被害が出ているそうで。
捕獲器をしかけているらしい。

人馴れの見込みのない成犬が保護された場合、ほぼ間違いなく殺処分となる。
被害が出ている現状、飼い主が存在しない、捕獲後に人馴れして家庭犬になる可能性はゼロに等しい、
動物保護管理センターとて、助けられる命は助けたいし、譲渡の可能性のある個体はできるだけ譲渡に向けてがんばるけれども、野犬は手のつけようがない。
野犬が人馴れして家庭犬になるのは、相当にレアケースといっていい。
処分されるまでの数日間を、センターのオリの中で、伏せて警戒心を解くことなく過ごしてその日を迎えることになる。雨露はしのげるが、冬は寒いまま暖房はない。食べることは困らないが。

人目につくところに出れば厄介者として追い回され、エサをくれる人も頭をなでてくれる人もなく、自分で食い扶持をさがし生きている彼ら。
もちろん、安心して家庭犬として暮らした記憶がないなら、それで不満も寂しいも何もなく、そういうものとして生きているのだろうけど、
ガスによる殺処分を迎えれば、追われることも嫌われることも飢えることもない。



彼らの犬としての一生は、どうなんだろう。