大府市議会議員 たかばとくこ の日々

2007年、政治の素人が議会に飛び込んでみました。

王滝村、それと、忘れないということ。

2014-10-28 15:31:47 | 日常

産業文化まつりは終わりましたが。この写真は、その本部テントに置かれていたもの。

長野県王滝村は知多半島の水がめ、愛知用水の水源地・牧尾ダムがあるところ。牧尾ダムを作るときに、王滝村側では、198戸がダムの底に沈んだという。
水源地として、大府市は都市間交流をさせていただいています。産業文化まつりでは、そうした交流のご縁から、毎年、出展いただき、販売ブースには王滝村からお越しくださった職員さんが立ち、時には村長さん自ら来賓として来場くださっていました。

このたび御嶽山が噴火したのは、9月27日の土曜日のことでした。大府市長によると、週明けの月曜に、何かご支援申し上げることがあれば、との旨を打診したそうですが、即時でお役に立てることはなかったようで。その後、大府市消防本部は、消防庁からの要請を受けた愛知県の救助隊の一員として、現地での救助・捜索活動に加わっています。
噴火災害の後、市民の方から、産業文化まつりで王滝村の物産を購入して応援したい、というお声や、昨年台風でまつりが中止になったので、2年ぶりにお会いできるね、という声をいただいていました。まつりに来ていただけるだろうか、という心配の声もありました。

残念ながら、王滝村の方に産業文化まつりに来ていただくことは叶いませんでした。噴火による住民生活への影響、連日の遠方から派遣されてくる救助隊や現場確認・調査の方々への対応、まだまだ大変な中におられるだろうことは、想像に難くありません。
大府市側からは、品物だけ送っていただければ、販売の手間は全部こちらでさせていただくから、と、支援の気持ちも込めて尋ねてみたそうですが、品物を手配するだけでも今は難しいとのことだそうで…

出展していた他のボランティアの方と、販売していたコーヒーを片手に、王滝村さんの話をしていました。
これまでのお付き合いのこと。ボランティアとして、王滝村の村おこしのアイディア出しに協力なさったこと。
「捜索活動が終わって、日に日にニュースになることが減っていく。でも、このように、恒例行事にも出てこられない大変なさ中に今もいらっしゃる。まだまだ忘れるには早い時期でも、だんだんにみんなの意識から遠のいていく」

忘れない、ということ。
思えばあの大災害であった東日本大震災だって、被災地からは今なお「忘れないで」とのメッセージが発せられる、くらい、もう記憶の片隅になってしまった人は多いわけで。
産業文化まつりに合わせて、遠野市長がお越しになり、挨拶の席で「震災では大府市さんにお世話になった」と今もお礼をおっしゃってくださるのだけど、私たちにしてみれば、そうして震災の話を当事者として目の前でしてくださることで、震災を忘れず、思い起こし、思いやることができています。

多くの人出で賑わい、美味しいものもたくさん並んだ産業文化まつりには、こういう側面もあったのです。