田舎びと歳時記

花鳥風月、演歌と津軽に一筆啓上

批判を覚悟でボヤキ節

2010-08-27 11:01:52 | Weblog
コラ~ッ 与党○×党の政治家 お前ら一体何をしとるんや!
そんなに気に入らぬ奴の足が引っ張りたいんか
いくら蚊帳の外に置かれたか言うて、嫉妬はやめなはれや

みっともないで!

あんたら高いお金もろうてるんやから、ちゃんと仕事せんかい
訳のわからぬ勉強会やら避暑地でお祭り騒ぎでっか
いい加減にしいや!

ほんま 情けのうて、血圧上がってしまいましたがな

来月の選挙とかで、○さんがKさんに勝ったら又変わるんどすか?

ほんま 世界中から笑われまっせ!

先生方 日本の為やなんや言われますがな、わてらから見ると権力闘争
言うんはご自分の為のようにしか映らんでっせ。

世の中、円高・株安でちっとも儲かりませんがな なんとかしてくれやす。

ほんま 頼みますで


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官営富岡製糸場

2010-08-20 13:27:39 | 私の歳時記
明治維新間もない日本に、富国強兵・殖産興業の名のもとに官営富岡製糸場が誕生。
明治4年3月建設に着手、翌5年7月に主要な建物が完成し、同年10月より操業開始。

歴史教科書の明治時代の項では、おなじみの官営富岡製糸場です。群馬県富岡市にあるのですが、
敷地内に入って見学するのは、初めてでした。昭和62年まで実際に民間の製糸工場として操業して
いたとのことですから、私達の小中校時代には今日のように一般に公開されていなかったのです。



富岡製糸場というと上記の建物写真が有名なのですが、案内書によればこの建物は東繭(まゆ)倉庫と
呼ばれ、1階は事務所・作業所などとして使い、2階に乾燥させた繭を貯蔵していたとのことです。
建物の長さ104.4m 幅12.3m 高さ14.8m 
一番驚いたのはこの建物の構造でした。木骨レンガ造と言われる、木材の骨組みの間にレンガを積み
並べる工法だそうです。柱や梁そして屋根の小屋組みは全て木材だったのにはビックリでした。



繰糸場(そうしじょう)と呼ばれる、繭から生糸を繰る作業が行われていた建物の全長は140.4m 幅12.3m
高さ12.1m
 繰糸場(そうしじょう)

 繰糸場内部

 繰糸場内部

敷地面積53,738㎡(16,255坪)広大な敷地内にはこのほかにフランス人の指導者の住居として使用された
建物や女工館、検査人館などがあります。

開業当初、技術伝習生として15~25歳の若い娘達が募集されたようです。彼女達は維新後の日本の最先端
で活躍していたと言えるのでしょう。
ちょうど今はNHK大河ドラマで坂本竜馬がブームとなっていますが、彼女達も坂本竜馬と同時代を生きていた
ということになります。

この富岡製糸場――世界遺産登録を目指しています



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…ほんま…

2010-08-17 15:05:37 | 私の歳時記
あの鼻垂れ小僧だった甥っ子が、大阪弁 を喋った!

このお盆休みに前橋に帰省した折、甥が我が家へも立ち寄ったのです。
大阪市で社会人二年目を迎えた甥も、ついに関西人になってしまったのか。親でもない私にとっても
遠くへ行ってしまったような、ちょっとした寂しさがありました。
話をしていると、『ほんま』という言葉がよく出てくるのです。標準語に近いとは言え、ぶっきらぼうな
群馬弁よりも、ずうっとやさしくて洗練された感じで、さすがに大阪ですな~と言いたくなる位です。

この甥っ子、学生生活は本州の西端に当たる下関市で過ごし、社会人になったら距離的にもグット近くなっ
て大阪住まい。私も一度車で、下関の下宿先を訪ねたことがありますが、あの遠さには音をあげました。
高速を乗り継いで行ったのですが、もうハンドルを握るのもうんざりな程でした。

ほんま 往生しましたで~

わてのように群馬の地方都市で暮らしてる者にとっちゃ~、浪速はあこがれでっせ
ほんま うらやましいですがな

甥っ子の影響かどうか、やたらに大阪弁らしき言葉の練習です。
大阪人成りたてホヤホヤの甥っ子が聞いたら、どう言うでしょうか?

おじさん ほんま 単純やな!


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立秋から初秋へ

2010-08-09 10:52:36 | 私の歳時記
東北地方の夏祭りも八月七日の立秋と共に終息へ。ねぶた祭りの終わった今頃、津軽は気抜け状態の
真っ只中かも知れません。
嗚呼 今年も終わった!
ねぶたが終わり、立秋の声を聞くと何やらと急に秋めいてしまうのかも。この時期に味わう悲哀、これもまた
心に沁みて、いいもんだねぇ~

そんな立秋の日、私はと言えば、町内の勤労奉仕に従事。つまり、山車の組み立て作業にほぼ一日を費
やしておりました。何故こんな暑い時期にと思いながらも、素直に労働に汗したという訳です。

ところで、ねぶたも今年のものは最終的には解体してしまうのでしょうか。そうだとすれば、もったいないですね。
この暑い暑い夏も、月遅れのお盆が終われば、やがては涼しくなってくれるでしょう。
そんな時に聞く、ひぐらしの『かなかな』と鳴く声は、本当にもの悲しい響きになってます。

ひぐらしの鳴く頃、そして初秋になれば楽しみも一つ出てきます。この頃に聴く演歌は、本当に沁みるんです。
連日の猛暑の中では、頭まで茹で上がってしまって、正直言って演歌も聴く気持ちになれません。

早く来い来い、秋風演歌の聴ける日よ!

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蝉の声

2010-08-02 15:43:49 | 私の歳時記
寝苦しい暑さに目覚めたら、もう鳴いていました。
空の薄らんでくるのを待ち構えてでもいたのでしょう、ミンミン蝉の声 でした。時刻は午前四時半前、
春先は鶯にそして今度は蝉に起こされる日となりました。

ついこの間までは、蝉の鳴き声が聞こえないと心配していたのに、とんだ取越し苦労でした。

起き出すのにはまだまだ早いので、横になったままで、夏のこと をあれこれと想ってみました。

――小学校時代の夏休み  アイスキャンディ―  地べたをグルグル回るねずみ花火

   麦藁帽子の子供達の隊列が水田のあぜ道を夕陽に向かってそぞろ歩く

   昼下がりの暑さの中、白い虫取り網で逃げられたミンミン蝉

   水に浸したスイカ 口のまわりを赤くしてお腹一杯食べた 美味かった

   横浜のいとこ達が兄弟三人でいつも泊まりに来ていた、蚊帳をつって川の字で寝ていた

   昼寝のとき うつらうつらしながら聞いた蝉の鳴き声 母の声――

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