田舎びと歳時記

花鳥風月、演歌と津軽に一筆啓上

津軽愛好家

2008-03-03 10:13:54 | 田舎暮らし
明日から春三月という声を聞く前日、二月最終日の29日(金)に、春のような暖かさに誘われて前橋市内にある『津軽』というお店に行ってきました。ここのママさんはまさに津軽の女性(ひと)です。今は市町村合併で五所川原市となりましたが、旧北津軽郡金木町の出身です。作家の太宰治や歌手の吉幾三さんと同郷ということになります。

津軽好きの私、金木町は何度も(4回)訪れています。太宰の生家の斜陽館、津軽鉄道がその中を走る芦野公園、特に斜陽館のすぐ近くにある津軽三味線会館には必ず立ち寄ります。津軽の音色を聴いてこないと津軽に来た気がしないのです。
そういえば芦野公園内には津軽三味線発祥の地の石碑と吉幾三さんの『津軽平野』の歌詞の石碑がありました。

津軽平野はまだ50センチ程の雪に覆われているようです。でももう三月です!
春はすぐそこに来ているはず。雪解けとなりやがて梅、桜そしてりんごの花と一斉に開花してくる時がやってきます。津軽人でない私にも待ち遠しくてなりません。

最後に、お店『津軽』で一杯やりながら是非聴きたい歌があったので有線リクエストしました。『雪の海峡 津軽』 津軽~津軽~となんども津軽という歌詞の出てくる竹川美子さんの歌です。津軽を歌った演歌は数知れずありますが、津軽という言葉や土地には絵になる何かがあるのでしょう。
この夜のひととき津軽に酔うことが出来ました。 
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2 コメント

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懐かしい (なつ)
2008-03-10 11:05:22
田舎暮らしでネットを見ていたら、懐かしい津軽の事が書いてあったので見入ってしまいました。合併でつがる市なってしまいましたが、小さな村、車力村に生まれました。減反政策で父が出稼ぎに出て家族ともども愛知県に住む事になりました。今から38年前の事です。父の転職、転職であちらこちらに移動。
 高校だけはと3年間、金木にある高校に通いました。
芦野公園は、授業を抜け出し友人達とおしゃべりをした所です。
 子供の頃の冬、遊んで雪にまみれ濡れて、このまま帰ったらまずいと子供心に思い、囲炉裏のあるじいちゃん、ばあちゃんの家で干して、その間津軽の民謡、手踊りを見て家路についたものです、
 もう、こんな風景は残ってないでしょうね。
三味線の音色、ねぶたのお囃子、民謡を聴くと津軽女の、血が騒ぎます(笑)
 25年前に、父が見栄で建てた家があり、私も兄弟も津軽に帰る事はないので、去年、売りにだしましたが、なかなか買い手は見つかりませんわ。久しぶりに帰った田舎で、思いっきり津軽を堪能してきました。
 今は愛知県に住んでいるのですが、嫁ぎ先が九州なのでなかなか津軽には行く事が出来ません。が、ばあちゃんや、母から受け継いだ漬物の味は、なかなかの腕前ですよ(笑)
 これからも、じょっぱり魂で、がんばりますわ。
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津軽との馴れ初め (津軽愛好家)
2008-03-10 18:16:07
なつさんコメント投稿ありがとうございます。
とりわけ津軽出身の方からなので、とても嬉しくて‘感激’!です。

車力村は以前(12年前)、十三湖を見た帰りに車で通ったことがあります。緑一面の水田の中をまっすぐに延びたアスファルト道に車を止めて、はるか南方に津軽富士『岩木山』の姿を望んだことがありました。

私と津軽との縁は平成7年から始まりました。ぶらり一人旅で何気なく訪れた青森駅。本当は竜飛崎まで行って津軽海峡が見たかったのですが…この時は実現出来ませんでした。

群馬へ帰る日に青森駅構内で手にした青森の旅行パンフレット、そこにあった雪を冠した岩木山の秀麗な姿を目にした時から私の津軽への思いは、つのり始めたということになるでしょうか。本当に、寝てもさめても津軽という日が続いたのですから。

お酒飲むなら、お店『津軽』 カラオケでは吉幾三 演歌聴くなら津軽の歌詞のある曲…

さて今年は弘前城址公園の桜、年老いた母に一度見せたいですネ~。

それでは。

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