田舎びと歳時記

花鳥風月、演歌と津軽に一筆啓上

白川郷合掌造り集落

2008-10-24 14:38:44 | 田舎暮らし
ユネスコの世界文化遺産に登録されている 『白川郷合掌造り集落』、ようやく見に行くことが出来ました。
私にとっては聖地とも思い込んでいる所であり、前の晩から遠足に行く小学生のように興奮気味でした。
出掛けたのは、お天気との相談ということもあり、今週火曜日(21日)平日となってしまいました。



正直なところ、白川郷だけでなく飛騨高山方面まで足を延ばして一泊でもしてきたかったのですが、とんぼ返りとなってしまいました。
前橋を出発したのが朝8時30分過ぎ、帰路はコースを間違え反対方向に向かったりで東海北陸道になかなか乗れず大幅に時間のロス、帰宅は午前様寸前の15分前でした。

 

我が郷土群馬では白川郷のような急勾配のとんがり屋根を持った古民家には出会えません。山里に行くとごくまれに、わら葺き入母屋造の農家が記念物のように残っている位です。しかも廃屋寸前です。

集落の中に、まるで地中から生えてきた茸のごとく三角屋根があちこちに点在。屋根裏部屋の採光のために設置された白い障子がことさら風情を感じさせてくれていました。
初めて目にする光景でありながら、安らぎとなつかしさに満ち溢れていました。
あの三角形屋根の造形は屋根裏の空間を利用すべく生まれて来たとは言え、造形美を充分に意識して造り上げられたように思えます。



観光客の中を地元集落の子供達がランドセルを背負って帰ってきました。 『オッ、オ―ッ! 今日も一杯だな~』 そんなことでも話しているかのようです。
人の多さには、すっかり慣れきった様子で楽しそうに笑いながらお客さんとは逆方向に歩いて行きます。 

集落内の合掌造りの中でも一番大きい民家が内部を見学出来る(有料)というので、入ってみました。
1階は実際に居住しているのでしょう、2階は昔養蚕の為に使用されたスペースだったとのことで、様々な養蚕道具が展示されていました。
群馬県も昔は養蚕が盛んだったので親しみを覚えます。

     

よくぞこれだけの太くて大きな木を梁や柱に使用したものです。そして屋根の骨組みは真っ直ぐな丸太材を合掌材として使用、合掌の上に乗る横材をわら縄で縛りつけてあるのには感嘆の声でした。

住居内の柱や梁はすべて、真黒にいぶし出されていますが、これは囲炉裏やかまどで木を燃やして出来上がったものなのでしょう。
1階には囲炉裏があり、木が燃やされていて少々煙たかったようです。こんなのが、我が家にも欲しいものです。



ライトアップされた合掌造り集落も見ものでしょう。そして雪の中の佇まいも一度見たいものです。
集落内には民宿も何軒もありました。今度は実際に民宿で一夜を過ごしたいものです。




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懐古趣味?

2008-10-20 15:19:43 | 私の歳時記
これは一体何でしょうか?



薪ストーブではありません。今時めずらしい一品ですが、我が家の風呂釜です。
灯油の他に写真のように木を燃やして風呂を沸かすことも出来るのです。
庭木の梅や樫の木の枝を燃やすのです。今時何でそんなことをと仰ってはいけません!
田舎暮らしを希望されるのであれば、これ位のことは当然のこととお考え下さい。

ここ2週続けて日曜日に、庭木の枯れ枝を燃やして風呂を沸かしてみました。20分少々で沸きます。
沸いたお湯のなめらかなことこの上なく、身体の芯まで温まり、おまけにいつまでもお湯が冷めないのです。
灯油で焚いたのでは、こうはいきません!

最近はどこの家庭でも石油やガス給湯器、スイッチひとつで風呂が沸いてしまうのでしょうが、風呂釜の前にしゃがみ込んで枯れ枝を折りつつ中の焔を見つめながらの小労働は楽しくもあり又なつかしいものでもあります。



小学生も高学年になった頃、祖母によく言われました。『風呂を焚いておきな!』
風呂焚き位は子供の仕事だと言わんばかりの明治生まれ女性(ひと)の厳しいあの言葉、最近何故かなつかしく思い出されるのです。

日曜日の夕暮れ時になると我が家の煙突から―これも最近ではめずらしくなってしまったようですが、煙が立ち上がります。
マンション住まいの都会人あるいは現代人の皆さん、笑っちゃあいけませんよ!
オレンジ色に燃え盛る焔を見つめながらのレトロ?な体験、昔は日常茶飯事でした。

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思い出ばなし

2008-10-08 11:58:45 | 私の歳時記
幼い頃の体験は今もなお鮮烈に刻み込まれているもののようです。

どこの家だったか、そして何故その家に行ったのか定かではないのですが、平家建のその住宅は東向きで、しかも建物の建っている敷地が周囲より高くて、縁側前の猫の額ほどの庭からは眺めが良く、前に遮るものがありませんから縁側奥の6畳程の和室には外の光と風が一杯でした。

祖母と一緒にその家の縁側に腰を下ろして、幼い私は祖母とその家の誰かの話を聞くでもなく、ただ足をブラブラしているだけだったような記憶が残っています。
なぜあの家は、あんな高い所に建っていたのか?

電気釜やプロパンガスが普及する以前の話。各家庭に『かまど』があって、ごはんも木を燃やして炊いていた頃のこと。ただし大都市ではどうだったのでしょうか。我が家には、このかまどがまだ残っていて年に1回使用することがあります。年の瀬に、もち米を買ってきて、蒸籠(せいろう)で蒸す時に薪をこのかまどで燃やします。そして『餅つき』です。残念ながら機械です。我が家の家宝なる? 石臼は庭先にころがっています。

昔祖母が、かまどでごはんを炊くときに、炊き上がる直前だったかどうかはっきり覚えていないのですが、お皿の中に卵を割って入れておくと、なんとも不思議な卵焼き?あるいは 蒸し卵?が出来たのです。そしてとてもおいしかったのです。気泡の跡かどうかブツブツと小さな穴も開いていて…

十五夜の晩に、お月様へのお供え物を頂戴すべく、竹竿の先に釘を取り付けたものを持って子供達が何人かで近所を巡ります。おまんじゅうや柿などを失敬しようという訳ですが、この夜ばかりは公認となっているのです。ザワザワと物音がしてお客様のご来訪がわかるのです。『来たなぁ~』
私も1、2回先輩達に付いて行ったことがありますが、心臓はドキドキするし喉も渇くしで、1回も獲物にありつけたことはありませんでした。
縁先に飾られたススキのシルエットだけが鮮明に今もなお焼きついています。

最後に、水洗化される以前のトイレのお話。トイレの位置は大抵、住宅の南西隅にあったようで、縁側を西に向かって歩いていくと到達できたのです。そして外を見ると、何故かトイレのある近辺に『南天』の木があったのです。南天の赤い実がいつも笑っているかのようで子供心にも恥ずかしかったのを覚えています。

田舎暮らしを考える時は、必ずと言っていいほどなつかしい昔話が出てきます。







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