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田舎びと歳時記

花鳥風月、演歌と津軽に一筆啓上

望郷津軽

2008-05-22 16:23:47 | 津軽
津軽人でない私が津軽に対して望郷の二文字を使うのは、不適切でしょうか、あるいはその資格なし?
よもや、『正統の津軽人でない者が、勝手に津軽を語るな!』 などとおっしゃる方も居られないと思いますが。
この私、父母祖父母全て生まれも育ちも上州で、どこを遡っても津軽出身のご先祖様にはたどり着きません。ただし5~6代前までの話で、それより前となると判りません。もしかしたら、この私の身体の中にも津軽の血が多少なりとも流れているということもあり得ることです。
『遠いご先祖はきっと津軽の人であったのでは!』 だからこそ、津軽の地にこうも惹きつけられるのだと。

金木町 ― 市町村合併で今は五所川原市となリましたが ― ここは最も多く訪れ、そして何故か肌の合う町です。
夕陽の沈む地平線の果てまで続く津軽平野、そのただ中にある金木町。津軽に来たならば、この町に寄って五感全てを使い津軽を味わってきます。
この町には看板に温泉の文字のある古い旅館があります。金木町に行った時の定宿となっているところです。なんでも実際に温泉が出たとかで、風呂場の入り口には番台があり、宿泊客以外にも近くの人達が来るそうです。私はこの風呂場で、近所の親子ずれに出会いました。子供達のキャーキャー騒ぐ声が湯気の中に響いていました。
ここの旅館の玄関ガラス戸、重厚感ありと言えば確かにそうなのですが、ちょっと開けにくくて、夜も一晩中鍵などかけずにいるとのことでした。
ねぶた祭りの際に泊まった時は、2階の古風な和室で、渦巻き型の蚊取り線香が煙っていました。

津軽三大民謡 ― 津軽じょんから節、津軽よされ節、津軽小原節。これに津軽あいや節と津軽三下がりを加えると津軽五大民謡。

津軽三味線 ― 今でこそ若者にも受け入れられ、多くの若い津軽三味線奏者が居りますが、昔は門付け(かどづけ)で奏された辛く悲しい歴史も。
青森市内にある津軽三味線を生で聴くことの出来る民謡酒場、有名な故高橋竹山さんのお弟子さんだった女性が弾く津軽三味線、太弦をたたいた時に出るあの響きには鳥肌が立つ程でした。
このお店は予約制で、名前を記帳しなければならなかったので、素直に本名をフルネームで書いて置きました。このお店の経営者でもあるあのお弟子さんの女将、演奏の前にいきなり、『○○さん!何か聴きたい曲ありますか?』と言いました。
一瞬誰に向かって話しているのかと思いましたが、○○とは私のことでした。はるばる群馬からやって来たのが判ったのでしょうか。 『津軽じょんから節を!』
お膳に出された料理とお酒と津軽三味線、至福の時でした。

たたみ敷きのこの部屋の壁にかかった額付きの大きな白黒写真。師匠の高橋竹山を囲んでの宴席のようで、着物姿の若い美人が竹山にお酌しています。この女性こそ誰あろう、この店の女将そのひとでした。写真の中の女将、きれいでしたよ~
女性の津軽三味線奏者と言えば、青森市の観光物産館アスパムでも、金木町の津軽三味線会館でも演奏聴きました。結構いるものですね~ なかでも青い袴姿のショートカットの美人奏者、不謹慎ながら、うっとりでした。こんな体験が一層津軽への思いを募らせているようです。

岩木山 ― 津軽富士、津軽の秀峰。このお山を見ると、津軽の地にいる自分を実感出来ます。弘前辺りから眺めるよりも、日本有数のりんごの産地である板柳町や鶴の舞橋のある鶴田町近辺からの姿のほうが、均整がとれていて美しく又やさしく見えるように感じます。青空の中、頭にまだ雪を冠した凛々しい岩木山、それが一番好きです。
数々の歌にも登場する岩木山、私には穏やかに座っている父親のようにも思えます。
『よく来たな~』 でもあり、また 『どうして来たんだ!』 でもあります。

津軽に望郷の念を抱く理由、私にもよくは判りません。岩木山があるからなのでしょうか、それとも津軽人の血がそうさせているのでしょうか?




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