雲雀野ニ風ハ強かり夕茜
雲雀が高く飛んで囀っていた野原も、夕方になると風が強く吹いて、空は茜色に染まっている
季語:雲雀野(春)
【雲雀】の子季語(傍題):告天子・初雲雀・揚雲雀・落雲雀・朝雲雀・夕雲雀・雲雀籠・雲雀笛
雀よりひと回り大きい鳥。茶色。草原・河原・麦畑などに枯草や根で皿型の巣を作る。
巣から飛び立つときは鳴きながらまっすぐにあがり、ついで急速に降りてくる。
『万葉集』に【うらうらに照れる春日にひばりあがり心かなしもひとり思へば】と大伴家持が詠んで以来、詩歌に多く詠まれてきた。
春の野に、高く朗らかに「ピーチュル」と鳴く声はいかにも春らしい。※俳句歳時記
この句の【夕茜】は、綺麗な言葉なのでもしかして季語?だったら・・・と季重なりを疑い調べて見ると、季語ではないようでした。
夕暮れ時に、空が日に照らされ赤く染まっている様子の「茜さす」という言葉があります。
茜空には季節の縛りは無いからだと思われます。
【夕焼】は夏の季語として、子季語にも、夕焼・夕焼雲・夕焼空などがあり、
この情景だと「夕焼・夕焼け空」かと思いますが、でもそうすると雲雀は春の季語なので季節違いの季重なりになってしまいます。
季語でない「夕茜」ならば重ならず、しかも5文字なのでそうしたのかもしれません。
この短冊に書かれた助詞(て-に-お-は)の二とハはカタカナになっていました。
このような俳句はあまり見かけません。
それに短冊の裏に鉛筆で「蝌蚪」と書いてあり、読めませんでした。
調べて見ると、読みは「かと・くわと」で「オタマジャクシ」のことだと知りました。
蝌蚪は春の季語で、母はこの季語でも詠んでみようとしていたのでしょうか?
もし母が生きていたなら、聞きたかった疑問がいっぱいです。
それにしても、母の句には雲雀を詠った句が多い。
過去ブログの記事2句
🔗【揚雲雀果てなき想い天に告ぐ】
🔗【揚雲雀吾は地を這う農婦なり】
母は、嫁・妻・母のトリプル生活の中で、思いのままに動けない自分が居て、
春の日を浴びて、高い空を長閑そうに、ピューチュルルーと舞っている雲雀に、
ある意味羨望のような感情を抱いていたのかもしれません。