流離未踏

流れの果てにあるものは・・青天霹靂

志木・下宗岡流離 篭嶌門樋、新田圦樋

2021年10月08日 | 旅みたいな・・
「篭嶌門樋(かごしまもんぴ) 」   (埼玉県志木市下宗岡4-2)

宗岡第二中学校に向かって流れる水路(暗渠)に造られた石造アーチ型樋門は明治28年(1895)に建造された。

本格的な煉瓦製造会社が設立されたのは明治20年以降、いま話題の渋沢栄一氏も関わっていたのだろう。
れんがの寸法が統一されたのは明治25年頃なので、この樋門は当時の最新技術で造られたということになる。

現存する石造りのアーチ型樋門としては埼玉県内唯一で現在も樋門として機能している。

本流と並行した分流は新河岸川旧提に沿って東に流れる。

その流れの先に、「新田圦樋(しんでんいりひ)」 (埼玉県志木市下宗岡4-9附近)

周囲に説明板は無いが、開渠部のれんがは長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積んだイギリス積み。