記録日記
2008年9月~2009年1月抗がん剤治療。翌2月~4月放射線治療。
一通りの治療が終わりました。
2010年2月に再発、手術入院を経て、現在は2ヶ月に1回の定期通院、服薬と代替医療としてのサプリメント摂取を継続しています。
2011年3月、再発。甲状腺切除手術。
これまでの治療経過とその後の生活を綴っています。
2008年9月~2009年1月抗がん剤治療。翌2月~4月放射線治療。
一通りの治療が終わりました。
2010年2月に再発、手術入院を経て、現在は2ヶ月に1回の定期通院、服薬と代替医療としてのサプリメント摂取を継続しています。
2011年3月、再発。甲状腺切除手術。
これまでの治療経過とその後の生活を綴っています。
父のお見舞いに行くと、ベッドがカーテンで仕切られている。
私もマスクをして面会。
聞くと、
白血球の数値低下。
38.9度の発熱。(10時)
とのこと。
食欲不振や吐き気、倦怠感に下痢の副作用は、昨日と変わらないようで。
朝は少し食べた。
昼は食べていない。
私が面会に行った14時頃、ぶどうを少し食べる。
同じく14時の検温で36.8度に下がる。
体重62㎏台。
父に頼まれていて銀行から引き出してきたお金を渡す。
私からもお見舞いを少し包んで渡す。
下痢も特に夜はつらいみたい。
私がいる間にもトイレへ駆け込む。
その間看護師さんの巡回。
白血球の数値を聞くと1500。
低いですね。
看護師さんも言う。
「白血球の数値も低いので面会は短時間にしてくださいね。」と。
ごもっとも。
先週まで同室でとなりのベッドだったHさんが、
抗ガン剤2クール目の治療か一昨日再入院。
トイレから出てきて
隣部屋の個室にHさんの名前を見つけた父は
話をしに個室へお邪魔する。
話をしたいのはわかります。
でも白血球1500。
Hさんにご挨拶しつつ、
「今は白血球数値低いから」と父を阻止。
実は、Hさんのもとへ行くそんな父をほほえましく思うのですが、
そして、話をしたいと思う元気に励まされるのですが、
ごめんね。却下!!
いずれにしても、
Hさんは父の大切な闘病仲間。
私も好きなおじさんです。
今日は1時間以内の面会でした。
私はいつでも行きたいけど、
次はいつ、行けるかな?
初の抗ガン剤治療。
医師や看護師、そして主に同室の患者さんから聞かされていた副作用について、
いろいろ聞いて覚悟していた父は、
(抗ガン剤治療中は)お見舞い禁止
と、家族に言い渡す。
そんな中、
娘である私のしつこいメールと、想定内(より少し軽い)の副作用だったため、
十分覚悟していたよりは精神的な余裕があり、
私のお見舞いを許可した。
私のしつこさが一番の理由とは思いますが、
1クール目の治療中お見舞いできたのは、
家族では私のみ。
抗ガン剤1クール目が終わった今日のお見舞いのときに、
給与振り込み先の銀行のカードを(父が持っている)
(実家へ近いうち行くなら)母に渡してくれ、と言う。
一度は受け取るも、
自分だけお見舞いに来れていることを思い、提案してみる。
「母さんに、来れるなら病院に取りに来てと言う方が、
(お見舞いに来れていない)母は喜ぶと思うよ。どう思う?」
と、尋ねる。
「数日したら今より副作用が辛くなりそうなので、今日明日に取りに来れるならそれでもいい。」
といった返事。
私が母へメールするのは簡単だけど、
父から伝えた方がいいと思うし、
母はメールの返信が早いので、
父にその内容をメールするように依頼。
もともと長い文章をメールで打つことのない父なだけに、
言葉を考えるのはつらそうでしたが、
がんばって、いつもより長そうな用件メールを打っていました。
予想どおり、母からの早い返信。
明日病院へ行ける。と、
母の友達(父も面識あり)もお見舞いに行きたいと言っているんだけどいい?
といった内容だったらしい。
またがんばって返信していた。
「短時間ならいい。」
という返信をしたみたい。
返信し終わった後は、ふぅ~と一息。疲れていました。
もともと長いメール打たないだけにね。
私には、
入院治療費払うために、お金をおろして持ってきてほしい。の依頼。
~明日も行っていいんだ~
それが私にはうれしい。
カードを受け取る。4人部屋なので、
紙とペンを差し出して、キャッシュカードの暗証番号を書いて貰う。
ちょっとドキドキ。
明日また、会いに行きますね。
2008年10月4日(土)
抗ガン剤(ドセタキセル+シスプラチン+5FU)5日間投与。
今日の時点で父が自覚している副作用は3つ。
「食欲不振」「吐き気」「倦怠感」
それから「下痢」も少々。
副作用の説明にあった「口内炎」はなし。
同じ抗ガン剤治療であってもl、
副作用には個人差があるのでしょうが。
倦怠感は四六時中で、
ちょっと姿勢を変えるときにも、
「あいたたた。」
といい、しんどそう。
食欲不振は、吐き気の影響の強さを感じる。
「本当に食べられなくなるもんだな。たったあれだけの量でさえ食べられないなんて。」
と、遠くを見ながらしみじみ言う。
実感の伴った言葉。
空腹感は感じるようですが、でも、食欲がわかない。
薬は飲める。
水は飲める(薬を飲むとき)。
そして、
私がいるうちにすすめてみた龍角散のど飴は大丈夫だった。
「食事の時間が近づくと憂鬱になる。」
吐き気をもよおすとのこと。
おそらく、食事のあのにおいがだめでしょう。
自分が寝込んでいるときや妊婦さんのつわりをイメージすると、
すごくよくわかる。
食事の時間が近づくと、確かに食事のあのにおい。
父は辛そうに、
横になってみたり、うつ伏せで(においを避けるよう)枕に顔をうずめてみたりする。
食事のにおいの不快感を想像し、
健康な私でさえ、具合の悪さを共感するかのように不快感を感じる。
「これはにおいのせい。」
と、父に伝え、においを嗅がぬよう伝える。
詰め所へ行き、
「食事のにおいが辛いようなので、マスクを貰うことができますか?」
と尋ねると、
「病院の入口にマスクを売っている。」
との返事。
ようは、ケアとしてのマスクの配布はしていないらしい。
1階に降りてマスクを買ってくる。父にすすめる。
その効果は?不明。
このにおいを嗅ぎ続けるより、寝てしまった方が父には楽だろうと思い、
マスクを渡してまもまく、病院を出てきたから。
マスクでどれだけしのげたかどうかは、明日聞いてこよう。
抗ガン剤治療後に(後数日で)白血球の数値の低下がピークになる。
つまりは、抵抗力が弱まるということ。
だから今日も、お見舞いの際にはマスクした方がいいかな?
と、思っていたくらい。
そんな感染症予防の意味でマスクの話をしていましたが、
「吐き気=におい」の話を聞いて、
父は改めて、マスクをリクエスト。
今日は久々のお見舞いだっただけに、
まだまだ、続く。
5日とちょっとの抗ガン剤治療1クール目が終了した父。
4日目より、食事が食べられなくなる。
お見舞いに行くと、横になって寝ていた。
ちょうど、看護師さんがいて、検温、口腔内のチェック。
熱は37度台。
舌が白かったらしく、
「口腔内清掃(舌ブラシ?)してますか?」
「しています。」
「舌が白いので(もう一度)お掃除してください。」
といったやりとり。
看護師さんがいなくなり、衣類の洗濯(病院内ランドリーにて)を頼まれる。
冷蔵庫チェック。
食事が摂れなくなったこともあり、(たくさんある)スポーツドリンクは持ち帰ってくれとのこと。
替わりに、
水がなくなったので欲しい。とのこと。
病院内の売店へ行って500ml×3本補給。
差し入れしていたバナナの残りが、柔らかくなっていたので
今日買ってきたNEWバナナと交換。
ちまたの「バナナダイエット」のせいで、
スーパーでもバナナが品薄気味。
世間はすぐそういった情報にとびつく。
健康、栄養、大切だけれど、
情報に踊らされているのではないか?
と思うほどの極端さに、
どこか、醒めた思いを抱く。
某番組で放映した納豆ダイエットのときの納豆品薄のときもそう感じたし、
その後、
某番組の情報偽造?のときの、スーパーでの、
極端な納豆の余り具合にもそう思った。
「情報は偽造かもしれないけど、昔も今も、
納豆は大切な栄養素をふくんだ食品ですから。」って。
どんなもんだか。
私は抗がん食品として、バナナを求めているだけに、
情報に踊らされている極端なバナナ不足に疑問を感じるわけです。
ちょっと脱線しすぎました。
長くなったので、またまた続く。