記録日記
2008年9月~2009年1月抗がん剤治療。翌2月~4月放射線治療。
一通りの治療が終わりました。
2010年2月に再発、手術入院を経て、現在は2ヶ月に1回の定期通院、服薬と代替医療としてのサプリメント摂取を継続しています。
2011年3月、再発。甲状腺切除手術。
これまでの治療経過とその後の生活を綴っています。
2008年9月~2009年1月抗がん剤治療。翌2月~4月放射線治療。
一通りの治療が終わりました。
2010年2月に再発、手術入院を経て、現在は2ヶ月に1回の定期通院、服薬と代替医療としてのサプリメント摂取を継続しています。
2011年3月、再発。甲状腺切除手術。
これまでの治療経過とその後の生活を綴っています。
4月3日(土)
しばらく更新を怠っていましたが、この日、
久々に実家に帰省してきました。
手術で切除した細胞は、癌細胞でした。
6日に検査通院。
すべてがきちんと切除されたかどうか、
術後の経過が良好かどうか。
父自身は、術後の飲み込みにくさも和らぎ、
膜が張ってきたようだと話す。
今日も飲みにでていた母が寝てからの
父との会話。
どの程度のペースで飲みに行っているかを尋ねると、
週に3,4回、という。
私の予想を裏切らず、かつ、はるかに上回る。
それに対し、父はとやかく言わない。
悟り。諦め。
「自分の稼いだ給料の範疇なら…」と父。
母は経済観念があまりない。
働くことや家計を支えることの価値や意味も
正直言ってわかっていない人。
私は諦めたくも諦めきれず、苛々する。
「ごちそうしてもらった」
「約束していた」
そんな言葉を聞いても、うんざりするばかり。
そんな問題じゃないことを
母は知らない。
だから私は母に冷たく、父に尊敬するわけで。
母のことは飲みの頻度程度しかしていないけど、
その他に、自分の仕事のこと、よさこいのこと、
兄弟の価値観について私から話す。
父の思いも聞きながら。
安心してほしい。
子どもたちの生きざまについて。
そんな思いがあったのかもしれない。
滅多にそんな会話のない父との会話。
あえて。
父の人生の価値を伝えたくて、きっと。
やや愚痴こぼしの日記でした。