2006年12月27日(水曜日)の出来事ファイル。
一月生まれの28日の運勢、過ぎた事にクヨクヨせず眼前の仕事に全力、です。
年賀状の、宛名印刷が出来ない!事で、すっかり落ち込んでいる親方、朝、「さあ、今日は年賀状は完成させるぞー」
、と、意気込んだー。親方。「えー、だって、エラーが発生してるんじゃーなかった?」と、ツッコミを入れる相棒。
「うん、一晩寝たから大丈夫だー」と、当然の如くに返事を返す親方。「わっははー、パソコンも人と同じですか」
と、更にツッコミを。「そうだー」と、平然として答えている親方は、自信ありげだ。早速作業に入ったが、
やはりエラーが出る。親方は考えた。「年賀状は来年出そうよ、おもいっきり広告を入れて」と言い訳がましい、
単純な発想からの言葉に、事務所内は、唖然とした空気に包まれた。(考えたのはそっちかよって感じだ)
「あー、あのーね、元旦に届いても見る人は、何十枚の一枚でしか無いでしょう。目立たない、
そう、インパクト無いでしょ、」と、更に理路整然?と、説得に必死の親方。単純な発想なだけに、言い訳が苦しい。
「えー?、でも、親方は、元旦になると年賀状はまだ来ないかって、待ってるでしょう!」と、女房が、親方の痛いところを突く。
「でも、保険会社からも来るが、年賀状が来ないからってやめないよな」と、年賀状が、なんら影響が無いって言う、
営業からのお言葉だ。「でもー、一社から来てて、もう一方から来ないと、何故来ないって思うよ」
と、相棒の矛先が、営業に変わってきた。収拾が着かなくなって来たところで。「おほん、それでは、
もう一度、宛名印刷をやって見て、だめなら来年に、もし、成功したら今年中に出す。これでどうだ」
と、妥協案と言うか、判断を、パソコン様にお願いします状態だ。これこそがパソコンに使われる姿?だ。
一月生まれの28日の運勢、過ぎた事にクヨクヨせず眼前の仕事に全力、です。
年賀状の、宛名印刷が出来ない!事で、すっかり落ち込んでいる親方、朝、「さあ、今日は年賀状は完成させるぞー」
、と、意気込んだー。親方。「えー、だって、エラーが発生してるんじゃーなかった?」と、ツッコミを入れる相棒。
「うん、一晩寝たから大丈夫だー」と、当然の如くに返事を返す親方。「わっははー、パソコンも人と同じですか」
と、更にツッコミを。「そうだー」と、平然として答えている親方は、自信ありげだ。早速作業に入ったが、
やはりエラーが出る。親方は考えた。「年賀状は来年出そうよ、おもいっきり広告を入れて」と言い訳がましい、
単純な発想からの言葉に、事務所内は、唖然とした空気に包まれた。(考えたのはそっちかよって感じだ)
「あー、あのーね、元旦に届いても見る人は、何十枚の一枚でしか無いでしょう。目立たない、
そう、インパクト無いでしょ、」と、更に理路整然?と、説得に必死の親方。単純な発想なだけに、言い訳が苦しい。
「えー?、でも、親方は、元旦になると年賀状はまだ来ないかって、待ってるでしょう!」と、女房が、親方の痛いところを突く。
「でも、保険会社からも来るが、年賀状が来ないからってやめないよな」と、年賀状が、なんら影響が無いって言う、
営業からのお言葉だ。「でもー、一社から来てて、もう一方から来ないと、何故来ないって思うよ」
と、相棒の矛先が、営業に変わってきた。収拾が着かなくなって来たところで。「おほん、それでは、
もう一度、宛名印刷をやって見て、だめなら来年に、もし、成功したら今年中に出す。これでどうだ」
と、妥協案と言うか、判断を、パソコン様にお願いします状態だ。これこそがパソコンに使われる姿?だ。