陳先生は聡明な人だ。研修生あがりの日本語教師だが、
もともと、日本語研修センターでは研修生の中でも
特に優秀な人材をピックアップして採用する。
今回の私の通訳では大きな働きをしてくれた。
通訳代わりの陳先生は翌朝の早い飛行機で泰安に帰った。仕事がつかえているのに無理をして来て頂いていたのでしかたがない。
朝 起きたら 私の部屋にフルスが入った紙バッグがあった。ちぃふいさんが、忘れて帰ったのだ。まもなく電話がかかってきた。昨日の晩、別れるときからの記憶が全く飛んでいるという。きっと、あの甘いお酒が効いたのだろう。
ちぃふいさんが朝起きたら大事なフルスがなくて、持って帰ったのはサインをしてもらった本やCD、それに私(忠野小路)の名刺だけだったという。どうして私の名刺があるのか分からないという。何か失礼なことはなかったでしょうかと、しきりに心配していた。別に何もなく、酔っぱらっているようすでもなかったので、心配要りませんよ、と答えた。
その名刺は 食事会の時、陳先生が大変日本語が上手なので、ちぃふいさんが感動して、しきりに陳先生についての情報を詳しく聞いていた。陳先生は名刺を持たないので、泰安の日本語センターの住所が書いてある私の名刺の裏に陳先生の情報を本人に書いてもらって渡したものだ。
陳先生は私とコンビで研修生に日本語を教えている。陳先生は基本的な文法や練習問題、研修生の生活指導まで全てにわたって担当している。私はもっぱら会話力を高めるための日本語の特訓をしている。それに陳先生はこのやっかいな日本人おじいさん先生のお世話までしているのだ。
陳先生は 大変お世話の届く人で、彼女には実質 日本フルス普及会の中国総支部長、北京支部長、中国連絡員、通訳の仕事をしてもらっている。近々そんな名刺を作って送ってやろうと思う。
陳先生が北京支部長というのはちょっと説明がいる。 私は泰安で陳先生にお世話になったが、彼女は北京の研修生派遣事業の日本語教育を担当しており、本拠地は北京だからだ。実際、私が泰安での仕事を終えて日本へ帰ったあと、彼女はすぐに北京に戻り、北京の研修センターで仕事をしている。