使う教科書はバラバラ
江戸時代の教育というと、武士の子息達が通う藩校によるエリート教育する一方で、、農民や町人、職人達の子供達は、寺子屋に通って読み書きそろばんを学んでいました。寺子屋は何人かの先生が教室で教えるのですが、今の学校みたいに、全員同じ教科書を使って、同じカリキュラムで勉強するというスタイルではありませんでした。
読み書きそろばんといった基礎的なところは共通なのですが、親の懐事情で寺子屋に通い始める年齢がバラバラで、理解度によって進む速度もバラバラです。さらに、武士の藩校が教養をつけることを重視した教育をすることに対して、寺子屋の教育は、大人になって路頭に迷わないために、すぐに役に立つ教育が重視されていました。農民の子供は農業をするのに役に立つことを学び、町人の子供はお店で働くのに役に立つことを学び、職人の子供は職人の仕事に役に立つことを学びます。 ……ということは、寺子屋に来ている子供達の事情に応じて、使う教科書がバラバラなのです。教える内容も、今日何を教えるかとか、何を重視して教えるのかは、個々に対応する必要がありました。
寺子屋の先生達は、村や町の知識人や老人が担っていました。寺子屋に来る子供達が将来役に立つように限られた期間で教えないといけないため、生徒1人1人に適したやり方で教える必要がありました。今流の言葉でいうと、一律教育ではなく、個別教育を行っていたといえます。 江戸時代、わが国の識字率は他国と比べて高い水準でした。これは親達が子供に教育する意欲(未来に対する投資意欲と言っても良い)が高かったことと、寺子屋の先生達による個別教育を実施し、生徒1人1人にとって適した教え方を実施してきたことが大きな要因です。
知識社会は創造性や独創性が重視される
産業革命以降の工業社会では、金太郎飴みたいに、平均的な人材が企業から求められてきました。学校はそういう社会からの要請にこたえてきました。21世紀になると、知識社会にシフトします。創造性や独創性が求められる社会では、人と同じではダメで、人と違うことや得意技は何かを問われます。平均的な人材を供給してきた今の学校は、教育のやり方を抜本的に転換することが必要です。少子化で子供も減ってきています。 これからの教育のやり方は、江戸時代の寺子屋がやってきた個別教育のように、1人1人の潜在能力を引き出すことを重視するやり方に変わっていくのではないでしょうか
2008/10/13 橘みゆき 拝