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夜明け前午前5時

徹夜明けの思いつきレベルな発想を、推敲なしでお届け

ニャ夢ウェイ

2006-06-21 01:37:32 | 本:その他

今、猫といえば「きょうの猫村さん」ですが、
忘れちゃいけないもう一冊。

ニャ夢ウェイ

松尾スズキ夫妻が雑種猫「オロチ」を飼い始めて
「キャワイーン」な日々を描く。
ただそれだけの漫画(?)です。

でもね、猫好きにはたまらん。
冒頭数ページのオロチ写真見て、即購入決定。

はー、猫飼いたいなー。
弘明寺は野良猫が少ないし。
この街の数少ない弱点です。

向かいの家の犬なんて、朝の6時前から8時まで
きっちり2時間、毎朝吠えまくりだよ。ほんとバカ犬。
それにくらべりゃ、うちで猫飼うぐらい、誰にも
迷惑かかんないじゃん。


森達也の夜の映画学校

2006-06-14 23:55:19 | 本:その他

ドキュメンタリー映画を主に撮っている森達也の対談集

いきなり脱線しますが、この人の年代(1955年生まれあたり)の自主映画畑
メンバーはかなり強力です。

で、この年代でどうしても避けては通れないのが、立教出身の監督。
黒沢清、周防正行、青山真治、etc... ざくざく出てきます。
いまや日本映画界を代表するような人たちばかりですね。

自分の中では「頭脳派・理論派」って感じのこれら監督、要は、
蓮実重彦の講義を受けてた人たちです。

 ※蓮実重彦:
 元東大総長で、ニューアカトリオの一人。東大の先生だけど
 長い間、立教で 映画論を教えていた。
 本職はフローベール研究らしいけど  映画・小説評論でしか
 名前聞かない。

黒沢清、周防正行は、自分の世界を作ってるけど、青山真治は
もろに蓮実重彦の影響受けっぱなしの映像です。
「Helpless」を観たたときは、数分で、「うわー...。こりゃ喜ぶわ。」といった
感想でした。 (最近のは観てないからわかんないけど)

ちなみに小説家で影響をがっつりうけてるのが安部和重ですが、
この人も、映画評だと、蓮実重彦と間違えるぐらいの似た文章書きます。

そして、そんな自分そっくりさんを手放しで褒める批評家って...。
こんなムラ社会で生産される表現に興味は持てません。


と、ほうっておくとこの話は尽きそうにないので、この辺で脱線は
終わらせて、本題は後日。


4コマ哲学教室

2006-06-12 03:09:38 | 本:その他

相原コージの「漫歌」生きる意味シリーズ+テキストという形の
4コマ哲学教室


正直、テキストはほとんどいらんです。
哲学に関して「要はこういうことですよ」っていう入門書は
全く訳にたたん。
『要は』って括った時点で、別物です。
小説を『要は~』って2ページぐらいで説明されたところで、
まったく意味がないのと同じ。

この人、サルトル、ヘーゲルあたりは得意なようだけど、
ハイデガー、ニーチェ、ポストモダンのあたりは、まったく
説明になってないし。


相原コージの「漫歌」は、もう、おもしろすぎる。

生きる意味を悩みまくる「浩」と、食われるために生きてる「ブタ公」の
禅問答みたいな4コマ漫画なんですが、未だにこういった題材で
漫画を描き続けることができるのがスゴイ。

絵の空気は「ブタ公:かってにシロクマ、浩:コージ苑」といった感じ。


ちなみに、巻末宣伝の「反社会学講座」もおもしろいです。
Web上のしか読んだこと無いけど↓

http://mazzan.at.infoseek.co.jp/


犬のしっぽを撫でながら

2006-05-05 01:44:11 | 本:その他

GW中に小説・エッセイに手を出すのは控えてました。
なんというか、昼夜逆転生活の温床なのです、このたぐいは。

でも、あまりにクリステンセンに悩まされたので、リハビリと
勝手に言い聞かせて、息抜きのためにこのエッセイを購入。


小川さんは、エッセイでもあまり文体を変えない。

小説と同じ、すこしだけ硬質な感じの文章。
語尾も「だ・である」調で基本的には通します。
最後の一行とかで「オチ」をつけたりすることもほとんどない。

内容によっては、エッセイというより、ショートショートに
近い感じすらあります。

その、背筋の伸びた、ちゃんとした感じが、自分の中には
まったくない要素なので、あこがれという意味で好きなのかも
しれません。


この本、結局は昨日一晩(夜)で読んでしまいました。
昼夜逆転生活は防ぎようがなさそう。
今日は何時に寝ることやら。


リチャード・ブローティガン

2006-04-01 01:41:21 | 本:その他

ほとんどの作品を翻訳している藤本和子さんが書いた、
伝記というか、作品評というか、そんな

意外だったのは、白人貧困層の出身だということ。
でも、そういわれてみると確かに、他のヒッピームーブメント時代の
作家や詩人とは、空気感が明らかに違う。
同じ枠でくくられがちだけど、ぜんぜん別物なのです。


ちょっと話はそれるけど、白人貧困層の問題は、アメリカを知る上で
避けて通れない話に自分の中でなってきてます。

前にBlogで書いた映画「STEVIE」は、問題がそこに辿り着くし、
ラリー・クラークの写真・映画の多くも、題材はそこにあります。
ニルヴァーナが爆発的に売れた理由も、根っこはココにある(と思う)。

この問題は、状況があまりに極端すぎて、まだぜんぜん消化できてない。
中東情勢がぜんぜん理解できないのと同じぐらい、理解できてないです。
要は、事実・現実を全く知らないってことなのでしょう。


話を戻して...

全体を通して、孤独な人生を送っていたブローティガン。
精神的にも、強靭とはいえない、どちらかといえば神経質な人だったようです。

だからこそ、『アメリカの鱒釣り』や『西瓜糖の日々』を書けたのかもしれない。
本人の資質はもちろんだけど、育った環境や、その後の境遇も含め、
すべての要素が繋がって、作品が生まれたように感じます。

『アメリカの鱒釣り』は、小説というより、散文というか、イメージの繋ぎ合わせ
といった感じで、前に読んだときは、正直、「分からん」という感じでした。

今読めば、今度は分かるかもしれない。


暮しの手帖

2006-03-19 21:02:36 | 本:その他

今日は用事がてら、cowbooksヘも寄ってきました。


2~3冊、また買っていこうかと物色していたところ・・・・

暮しの手帖100号セット

創刊号から100号までのフルセットですよ!
デッドストックで、折り目なしの超美品ですよ!!
掘り出し物ですよ、奥さん!!

でも、100号セットで10万円ですよ・・・。
これはさすがに手が出ません。


ショウケースに入っていたので、お願いして読ませてもらいました。

創刊号をペラペラ流し読みしてみたんですが、とても昭和23年の
生活雑誌とは思えないレベルです。

特に「あとがき」がすばらしかった!!
とても平易な言葉を、でも丁寧に選んで書いてあります。
しかも、これが大事なのですが、ユーモアがあってかわいい。


暮しの手帖があまりにも頭に残ってしまって、その後本棚を眺めてみても
他の本がいまいちピンとこない。結局本は買わずじまいでした。


中目黒に立ち寄る機会がある方は、ぜひご一読を。
ていうか、誰か大人買いしてください。


ナイン・インタビューズ

2006-03-02 01:36:10 | 本:その他

この、まだ読み終わってません。
思った以上に時間がかかってしまって。

というのも、9人の作家のインタビューなんですが、
村上春樹を除く8人はアメリカな人たちで、
しかも左ページには英語、右ページには和訳という
『ついでに英語も勉強したまえ』方式な本なのです。

和訳中心に読みながらちょっと英語見て、という読み方でも
めちゃめちゃ時間かかる。
最終章の村上春樹を1とすると、他は5~10ぐらいかかります。

英語読むのなんて、数年前のTOEIC以来ですよ、まったく、もう。


さて、今回は村上春樹部分だけの感想にします。
今日の感想はかなーり青臭い感じになります。
ほんとパンキョウ1~2年生のノリです。
このBlogの題名通りでいっちゃいます。
あー、もう後には戻れない...。

~~~ここから青臭い感じ開始~~~

以前の「翻訳夜話」では、文体等の話が主だったですが、
ここでは、小説というシステムや、その物語性について
かなり具体的に触れてます。
これまでは、普段語ったりしない内容ですね。

そしてこれらの内容を、村上春樹が自己の意識下で明確に
語れるようになったことが、自分が村上春樹への興味を失っていく
ことになったことと、繋がっているような気がします。


「ねじまき鳥~」には、意識の上にまで上がってこない、
でも確実にある、ある感覚、それらを小説という媒体を
使って、ギリギリ意識の上にまで持ち上げてくる感じがある。

自分の中では、これこそが小説でしか表現し得ないことだと
思っています。


でも、以降の小説だと、明確に意識下にある、いわば記号化された
言葉を、ぼこっと使ってるような気がしてしょうがない。
『要するに~なわけです』と、説明されているような。

その時点で、表現が小説である必然性は薄いのです。
それなら評論読んだほうがいい。

小説の解体やら再構築だとか、相対主義・ポストモダンを超えた
人間性の再獲得だとか、そんなことは評論家が言っていればいい話で、
小説家自身には、語ってほしくないのです。

もちろん、これらのことが分かっていない小説家は、今の時代に
存在する価値はあまりないと思います。
このテーマを避けて、今、小説を組み立てることは不可避ななず。

でも、これらのことを評論的・意識的に語ることは、この本質から
逆に乖離していくことになってしまう気がするのです。

以降、個人的な感想なんですが(これまでも充分個人的な感想だけれけど)、
やはり男性作家は、文壇から限りなく遠ざかっている村上春樹ですら、
「文学の歴史を正しい方向に継承しよう」という自負があるんじゃないかと
思います。
この本だと、村上春樹やリチャード・パワーズにそれを強く感じます。
そして、そこにどうしても違和感を感じてしまう。

記号として機能してしまうほどの強い言葉で物事を語ってしまうことに
なぜ躊躇しないんだろう?
「要するに~」と語ってしまうことは、それまでの小説で伝えてきたものを
あっという間に、よく似ているんだけど、でも全く別のものに置き換えて
しまうことになってしまうのでは?


意識しているかどうかは別として、それらのことを絶対に口にしない
女流作家、この本の中だとシリ・ハストヴェットとかに、僕としては
シンパシーを覚えます。

やはり、「歴史=ジェンダーとしての男性性」ということに繋がるのか?

最近男性作家が読みづらい理由は、案外ここにあるのかもしれません。
なんか、無駄にヘンなもの背負ってる感じがするのです。村上春樹と同じく
文壇と呼ばれるものから遠いと思われる町田康ですら。


ふつかよい

2006-02-26 21:51:43 | 本:その他

今日はひどい二日酔い。
なにもしない、というか、できない一日でした。


二日酔いのときは、なぜか鷺沢萠を思い出します。


今、自分の本棚を探して、なぜか無いんだけど、
確か「町へ出よ、キスをしよう」というエッセイ集で、二日酔いのことを
書いた話があります。
それが妙に記憶に残ってるのです。

『二日酔いの朝、ちょっと無理してでもスパークリングワインを
飲んでごらん、すっきりするから(ビールでも可)。でも、よっぽど
調子がいいときにしてね。』みたいな内容でした。

この話のミソは「スパークリングワイン」ってとこ。

「ビール」だったら、たぶんぜんぜん記憶に残らない。
「シャンパン」とか「スプマンテ」とかだと、ちょっとスノッブすぎて
鼻につく。

20代一人暮らしの冷蔵庫にスパークリングワインが冷やしてある
状況も、まあ、かなり特殊といえば特殊だけれど、スタイリッシュで
あろうというがんばりというか、そんなところに好感が持てるのです。


cowbooks

2006-02-23 23:24:49 | 本:その他

今読んでいる本は、もうちょっと時間がかかりそうで、
早くもここに書くネタがありません。

というわけで、よく行く本屋の話でもします。


cowbooks」。中目黒にある古本屋さんです。

・合コンで趣味を聞かれ、3番目ぐらいに「本読むのも好きかな」
・かばんの中には読みかけの本がだいたいある
・友達の家に行くと、さりげなく本棚をチェックしてしまう

といったレベルの本好きにはジャストミートです。


そんなに広くはないのですが、とにかく壁の両側にある本棚の中身がすばらしいです。
どの本もきちっと選ばれてそこに並んでることがビシビシ伝わってきます。
理想の本棚って感じ。眺めてるだけで幸せになる。

選ばれる本も、「聞いたことはあるけど読んでなくて、ちょっと気になっていた」
というレベルが勢ぞろいです。

 アメリカ:ヴォネガット、ブローティガン、バロウズ、ギンズバーグ、ケルアック、etc
 ラテンアメリカ:ガルシア・マルケス、ボルヘス、etc
 日本:内田百聞、藤枝静男、稲垣足穂、etc

どう? 気になるでしょう? 「アメリカ」って分類はあまりに雑ですけど。
読書家な人なら「そんなの当然抑えてるよ」でしょうが、ふつうの本好きだと、
このあたり、読めてないのも多いですよね。
ブローティガン、ヴォネガットあたりは超メジャーですが、少なくとも私は
特に海外文学には疎かったので、「これ、気になってたんだよ~」という感じで
手に取っています。

月1ぐらいのペースで行くと、それなりに本が入れ替わっていて、なかなか楽しい。


古本ですが、正直、安くはありません。
でも、本棚をじっくり眺めて、気になる本を手に取ることができるシアワセ。
「いつまでもこの本棚を眺めることができる料」としては、安いものです。


数少ない難点としては、ブローティガンは文庫化されていないものが多いですが、
これだけはなぜか初版本ばかりだということ。あまり初版本とかにはこだわらない
お店なんですが。高くてなかなか手が出ません。

といいつつ、「西瓜糖の日々」は文庫本がでてるのに初版本買っちゃいました。


翻訳夜話

2006-02-21 23:46:43 | 本:その他

このBlogを始めるきっかけとなった本です。
つまり家の本棚にあるにもかかわらずまた買ってしまった


村上春樹と、
翻訳家であり小沢健二がゼミ生でもあった(!)柴田元幸の、
翻訳に関するフォーラムを主に収録した本です。

興味の中心はどうしても村上春樹になってしまうわけですが、
他では絶対に語らないようなことを、けっこう語ってます。
自分の文体の構造についてとか、どうして『グレイト・ギャツビー』が
すばらしいのか、など。

村上春樹を好きな理由として、その文体が比重として高い人は
おすすめな本ですね。

あと、最後の方で村上が提唱(?)する「カキフライ理論」は、ほんと
うなずいちゃいました。


村上春樹をして「天才」「文句なしにすごい」と言わしめる
フィッツジェラルド。
『グレイト・ギャツビー』は2回ぐらい読んではいるのですが
(もちろん和訳)、いまだ、さっぱり良さが分かりません。

一回、死ぬ気で原書読んでみたほうがいいのかも。
同じくさっぱり分からないアーヴィングよりは短いし。