3話以降は全て録画しているので、ま、いいのですが、そういう問題ではありません。
このドラマをDVDとして残す、ということが大事じゃないのかね、フジテレビよ。
さて話は本題に戻して…
「エンディングノート」。
久しぶりに、とてもいい、ドキュメンタリー映画観ました。
自分は基本的にドキュメンタリー映画が好きな方です。
基本的にドキュメンタリーは当たり外れが激しいですし超低予算なので、
外れると「観てらんない、帰る」ということもしばしばなのですが、
少なくともドキュメンタリーを撮る覚悟、
具体的に言うと、カメラを向けることで無条件に発生する攻撃性、
そこを乗り越えてでも撮るという壁がドキュメンタリーにはあるので
その踏み絵を超えているという点で、ある程度信用しています。
ただ、ドキュメンタリーを主な生業とするようになると、
「ドキュメンタリーとは本質的に攻撃的である」
という開き直りと言うか、傲慢さが見え出してきて、それはそれで、
ちょっとつらいものがあります。言っていることは確かに正しいのですが…。
で、そこをクリアできるのが、被写体に対して関係性として深く入り込んでしまう、
というやり方です。
身内を撮ると必然的にそうなりますし、ブログで初めに取り上げた「STEVIE」もおんなじ。
STEVIEでは、映す側が被写体STEVIEを支える覚悟を決めてます。
そういった被写体は生きてて何度もないので、ドキュメンタリーを生業とする人は
普通選択しないのですが、観る側は、監督のそれ以降の映画人生とか気にしませんからね。
その映画がいいか悪いかだけなので。
さて、長々書きましたがここまで前振りです。
この映画はそれだけじゃないすばらしさがありまして、
それは、主人公であるお父さんの面白さと言うか、おかしみというか、そういったところをきちんと
「描くぞ!」と思って描いているところ。ナレーションもふわっとしていて、いい。
末期ガンなので、幸せな物語であるはずはないんだけど、かといって人は始終深刻なわけではなく、
どんな状況でも日常を生きているし、楽しいこともあるし、そんな状況だからこそのユーモアもあるし。
終盤で、高齢の母親に病室から別れの電話をしているにもかかわらず「なにかあったらまた電話するわ」って。
この状態で何かあったらそりゃもう電話できんだろ!ってツッコミと、そんな状況でも相手の気持ちを
軽くしようとする想いに泣けてくるのと、このシーン含めてもう完全に入り込んでました。
だからこそ、最後の長回しのカットが切ない。
淡々と続く、もう動かない固定されたカメラの風景が、切ないです。