今日は終電帰りだったので、とっとと寝るつもりでした。
しかし、帰りの電車の中で、怒りがムラムラと。
クレイトン・クリステンセンによるイノベーション3部作の最終作である本書。
まだ1/3しか読み終わってませんが、無茶苦茶な本であることが
さっき京急の中でようやく分かりました。
その理由として可能性をあげると....
①実は同名同姓の素人に書かせた
②実はクリステンセンは多重人格
③翻訳者は海外生活が長くて実は日本語が不自由
④翻訳者はTOEIC 500点台
⑤訳は孫受け会社に丸投げ外注&校正なし
内容自体も、1作目、2作目に比べておどろくほど質が落ちてるけど、
それ以上に、たぶん訳がめちゃくちゃです。
通信業界の内容を書いてある4章は何言っているのか理解不能なぐらい。
この章の内容はホント楽しみにしていたのに・・・。ガックリ。
例えば、自分レベル(=低レベル)の英語だと、TOEICとかの長文読解で、
こんなことがよくあります。
1センテンスだけでまず理解して、その後数センテンス読み進めると
意味が全然繋がらない。数センテンスをまとめて、もー1回考えると、
初めて誤読が分かる。
で、この本の文章は、 1センテンスだけで理解して誤読した文章の
つなぎ合わせみたいに見える。だって、ぜったい文章繋がらないもん。
2ページ以上一気に読み進めると、何読んでるんだかも分からなくなる。
で、さらに考えると、誤読も多そうなんだけど、それ以前にまず、日本語が
おかしいのが一番の問題ではないかと思うのです。
日本語としてとても気持ち悪い。あまりに気持ち悪いので、以下に1例を。
『顧客に対する売り込みに対する規制や監視が無ければ顧客に損害を~(page171)』
『~に対する』を迷いなく2回繰り返す翻訳は初めて見ました。
出版物としてどーなの、このレベルは。誰が読んでも明らかにおかしいの
分かるじゃん!
図の誤植もひどいし、なんなんでしょう、この本は? まったくもう。
まだ300ページも残ってるけど、どうしよう・・・。
ヴォネガットの比較的初期の作品。
やっぱり初期の作品のほうがいいです、ヴォネガットは。
この本は、ナチス・ドイツの宣伝員でありながら、アメリカの
スパイだった男・キャンベルの物語。
#もちろんフィクション
この男自体はけっして悪人じゃない。
でも、指示に従っただけであっても、男自身は「ふり」をしていた
だけであっても、それが生きるためであっても、ヴォネガットは
許すようなストーリーを展開しません。
最後、この男は人生を救われない形で終えるんだけど、途中で
「あれ? もしかしたらうまくいくの?救われちゃうの?」という感じに
なります。
暗闇の中で、遠くにちょっとだけ光が見えて、そこにむかってもがく感じ。
でもこれも、いかにもヴォネガット的な急展開でその光は消えます。
時代とか、国家とか、大衆・世論とかにストレートな怒りをぶつけてきている
この本は、ハッピーな物語じゃないけど、非常に好感が持てる。
読み終えた本はあったのだけれど、ついついサボって
感想書けてなかったのです。
というわけで、困ったときは料理ネタです。
今日はパエリヤ。
大量に3~4人前ぐらい出来ちゃうので、余りはいつもジップロックで
冷凍庫へ。平日の夜ごはんとして重宝してます。
いつもはすぐにフタをして作るんだけど、ちょっと調べてみたら
どうやら本場はしないらしい。フタするとごはんに粘り気がでちゃうとのこと。
よし、今日は水分いつもより多めにしてフタをせずにTRY。
しかし、これがなかなか難しい。すぐに水分飛んじゃうのです。
途中でお湯挿したりした挙句、出来上がりは結局やわらかめに
なってしまいました。
むー、炊き込みご飯みたいでちょっと失敗気味。
あ、気が向いたら、読み終わった本の感想も書き込みます。
歯医者帰りのFUJIスーパー上大岡店で目が合ってしまいました。
なんて顔してんだ、お前。
そんなお前にひとめぼれだよ。
いつもの魚屋とちがって、エラ・うろこ・内臓を自分で処理しないと
いけないので、ちょっと迷ったけど、「ま、だいぶ安いし」ということで
家につれて帰りました。
ちなみに、わが故郷、静岡出身の彼女(もしくは彼)でした。
しかし・・・、
こんな魚、実家の食卓に現われたこともなく、なにをどうすればいいか
全く見当がつかない。
ちょっと迷った挙句、結局は「ズッパ・ディ・ペッシェ」に。
イタリアのブイヤベースみたいなやつです。
レシピは例によってWEBで拾ったもの。
ブイヤベースじゃないから、ふつうサフランは入れないと思うけど、
レシピには「好みでサフラン」と書いてあったので入れてみました。
これが正解。
サフランって、色づけの意味しかないと思ってたんだけど、
結構味も変わるもんです。
ついに地下鉄弘明寺駅にもR25がやってきました。
だいたいの場合、その日のうちになくなるR25。
以前、京急側では週末でもR25がGETできるという、
なかなかの弘明寺っぷりを見せつけてくれました。
本日の地下鉄、夜にはキレイになくなってた。
ふー、よかった。
でも、読者層はR25世代じゃないはず。
R60~70?
広告業界とは、縁もゆかりもないので、
これまで1回しか買ったことはない「広告批評」。
今月号は「特集:ケータイをデザインする」に惹かれました。
が、これだけじゃ買わねぇッス。
今回は、『水越伸×茂木健一郎』の対談がぶっちぎりでオモシロイ。
この面白さに負けました。
ちなみに、水越さんは、以前Blogに書いたシンポジウムの人です。
茂木さんは、ご存知『クオリア』の人ですね。
でどんな特集かというと...
佐藤可士和(N702iDの人)や、深澤直人(INFOBARの人)に、さんざんデザインを
熱く語らせておいて、で、2人の対談になるのです。
水越:『~、でも、今の状況は、なんか「うーん・・・」って感じがするというか。』
茂木:『デザインケータイはひとつのアイキャッチだし~、やはりそこに本質が
あるわけではないと、僕も思いますね。』
ドカーン。
とりあえずデザインケータイは上の一言で吹っ飛ばされました。
振り返って読むと、佐藤可士和さんの熱い語りがちょっとかっこ悪く見えます。
でもさ、よく考えてみると、今のデザインケータイに携帯の本質があるかって
言われると、確かに違うんだよね。
今まであまりにデザインされてなかったから、目立つだけな気がする。
何でもっと外部の工業デザイナー使わないのかよく知らないんだけど、
今までのケイタイって、例えば、『鼻毛カッター』レベルだと思うのですよ。
デザインの考え方が。
別に鼻毛カッターのレベルが低いってわけじゃなくて、鼻毛カッターを構成する
技術的要素がいろいろあって、で、それをパッケージするためにデザインがある。
鼻毛カッターにそれ以上のデザインは、その商品の性質上、求められない。
でも、ケータイはそれとは違うでしょうと。
で、このレベルの話は、別にケータイだけじゃなくて、家電とかにも言えて、
amadanaとかも同じアプローチなわけです。とりたててケータイ固有の話じゃない。
2人は、目に見える商品としてのデザインではなくて、ケータイというメディアを、
これからどうデザインしていくのか、という視点で議論してます。
これがなかなか刺激的。
茂木:『作る側のメンタリティが、いわゆる"ものづくり"の外に出られないんですよね』
うー、確かにおっしゃるとおりです。でも、「モノ」に縛られるからこそ、みんなケータイに
愛着をもったりするわけで、単純に他のネットワークと比較できないとも思うし...。
他にもおもしろい話してるので、興味があったら読んでみてください。
今日は、「ラストデイズ」観てから「デカローグ」の第5・6話観ようと、
ウキウキ(死語)しながら渋谷へ行ったわけです。
そしたら、シネマライズは、ナウでヤングな長蛇の列。マジで?
いくらカート・コバーンの話だからって、監督はガス・ヴァン・サントだよ?
しかも、カート・コバーンが死んだの自体、1994年、もう12年前だよ?
でも、よく考えてみると、リアルタイムに聴けなかった分、逆に知りたいって
感じなんだろうね。どんなカリスマだったのか、って興味で。
願わくば、ファッション的に群がるのだけはやめてくれ。
たぶんストーリーの起伏には乏しい映画だと思うけど、絶対寝るなよーー。
絶対いい映画のはずだぞーーー。
ということで、ラストデイズは年休取れたときの楽しみにとっておいて、
今日はデカローグ三昧に急遽変更。
前のBlogには、「<キェシロフスキコレクション2006>で、デカローグは
やってくれないみたい」と書きましたが、実はひっそりとやってました。
これ、リバイバル上映されたらかならず観る映画のうちの一つです。
ほんとうに好き。
もともとは、ポーランドのTVプログラム用に撮られたので、1話1時間の
10本立てになっています。
今日観たのは次の4話。
第3話:あるクリスマス・イヴに関する物語
第4話:ある父と娘に関する物語
第5話:ある殺人に関する物語
第6話:ある愛に関する物語
1話、4話、5話が特に好きなので、今日はとても満足。
第5話は、観るたびに「どうなの?」と問いかけてくる映画で、
今日も、「う~ん」。簡単には答え出せません。
ま、全話、簡単に答えが出せるような映画じゃないんですが。
あと、第6話は、また新しい観え方があって、なかなかよかった。
「デカローグ」、たしか数年前に、ユーロスペースで『日本最終上映』とかいって
特集組んでたけど、今回は『デジタル修復版』ということで上映でした。
「あの『最終』ってどゆこと??」とかツッコミ入れたくなりますが、
もー、この際、上映理由はなんでもいいです。
2~3年に1回、どこかで10話完全上映してくれれば何も文句ありません。
えー、最後にまた書きますが、観客はともに10名ほどでした。
シネマ・アンジェリカ、もっと本気で広報しておくれ!!
これじゃ、かかる映画が、あまりにかわいそう。
都内にデカローグファンは、いくらなんでももっといるはず。
心の中で「今季は1回もミスらないぜ!」と誓った仕事が
定時退社時間前ギリギリで、あっさりとミスってることが判明。
だいぶヘコんで会社をでました。
気分転換に今晩はきちっと自炊しました。
イサキのアクアパッツァと、アスパラのマヨネーズ焼き。
ほんとはメバルも売ってて、そっちのほうが好きなんですが、
いかんせん高いのでイサキで我慢。
そろそろ冬の根魚もおしまいだなぁ。
アクアパッツァは、ネットで拾った、イタリアン「アクアパッツァ」の
オーナシェフ直伝レシピを参考に、いつも作ってます。
これが失敗知らずでほんと簡単。
なんつっても、店名「アクアパッツァ」な男が教えるレシピですから。
ちなみに超有名店ですが、行ったことはありません。
「えっ!」っというぐらいの量のオリーブオイルを使って、ガンガン強火で
沸騰させると、あっというまにできあがり。
実はトマト買い忘れたので、味がさっぱりしすぎだったのですが、
相変わらず、これ、うーまーいーーーっ。
ありがとうアクアパッツァ、ありがとう日高シェフ。
毎年恒例のお花見に行ってきました。
今年は場所取り班でしたが、前夜確保組がいたので、
朝に行ってのんびりしていればよい、というラクな役割です。
写真は暇つぶしグッズ。
ビール飲みながら本を読む、つもりでしたが、持って行った本がハズレちゃいました。
ボルヘスの「不死の人」。
ちょっと前によんだ、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」が予想外におもしろかったので
ラテン・アメリカ文学を読んでみようと思って選んでみたのです。
「感想:古代ギリシアやら、旧約聖書やら、いろいろ出てきすぎて、訳分からん。」
物語の中で物語を語ることで物語性自体を批評する、メタフィクションって要素が
満載なのですが、そんなこと普通の本好きにアピールされても困ります。
とにかくページが進まない。読んでてぜんぜん楽しくない~。
一番おもしろかったのは、訳者あとがき。
一部抜粋すると...
『言葉即世界と見るヘブライ的ロゴス崇拝における、世界の始源としてのアレフと、わが悉曇字門において一切法本不生の理をあらわすとされる阿字と、これら両者の内包が、実は全く同一のものであることに思いあたるとき、ボルヘス文学はわれわれにとって、にわかに親近性を帯びはじめるのではなかろうか。~』
...。「なかろうか」って言われましても。
呪文みたいな日本語でぜんぜん分からないッス。
内容をちょっと調べてみると、どうやら、訳者はこんなことを言いたいらしい。
『サンスクリット語の「アレフ」が持つ意味って、日本密教の「阿字」観と、
要は同じなんだよねぇ。地球の裏側アルゼンチンで、ボルヘスも同じこと
考えてたなんて、おもしろいッス。』
だったらそう言え。
この本、訳が違えば読めるのかもしれない。
というわけで、本を読むのはとっとと止め、Buffalo Daughter聴きながら昼寝して、
買出し組の到着を待つのでありました。