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夜明け前午前5時

徹夜明けの思いつきレベルな発想を、推敲なしでお届け

谷川俊太郎

2012-01-29 20:19:19 | 本:その他
唐突ですが、詩人は谷川俊太郎と中原中也が好きです。
あと、詩が中心じゃないけど、宮沢賢治も。

ま、王道ですね。
三者、キャラが違いますが、それぞれどれも大切なのです。

自分にとって谷川俊太郎といえば「朝のリレー」。
たしか教科書とかにも載ってたと思いますが、そのときは「ふーん」って感じでした。
でも、何かの拍子で大学生の時に目にして
ガツーン
とやられました。今でも覚えてます。あまりに衝撃的でした。

で、ちひろ美術館で谷川俊太郎の絵本関連の企画展があったのでちょっと観てきました。
今日が最終日でギリギリセーフ。






単に谷川俊太郎企画だったら足を運ぶまでには至らなかったと思うのですが、
この企画展は3人のイラストレーター・絵本画家の「堀内誠一・長新太・和田誠」を取り上げていまして、
村上春樹やヴォネガットの表紙絵を書いている和田誠に惹かれて行ったわけです。

とは言いつつも、これまで殆ど知らなかった「長新太」にハマってしまいました。
和田誠より、更に乾いた感じ。

特に、『わたし』の、谷川俊太郎の視線と長新太の書く女の子の感じがすばらしい。
これはあまりに良かったのでちひろ美術館のshopで購入。

わたし (かがくのとも傑作集―わくわくにんげん)
谷川 俊太郎
福音館書店



和田誠は『あくま』が良かったです。
これは、感じとしては村上春樹の空気感に近い。なんだろ、ちょっと「ニヤッ」としてしまう感じというか。
そんなんじゃ全く伝わらないですね、失礼しました。

あくま
クリエーター情報なし
教育画劇

クルーグマン ミクロ経済学

2008-08-18 22:47:49 | 本:その他
夏休み最終日。

今年はオリンピックに加えて、地元静岡の常葉菊川が
甲子園の決勝まで進んだので、高校野球もチェック要。
夏休みは忙しい日々でした。

結果は、すごい点差で負けちゃいましたが…。

野球ってそんなに好きだっけ?
という根本的な疑問を抱きつつ、こういうときだけは
地元魂を燃え上がらせるのが地方出身者のセオリーです。


といっても、一日中TV観ているのもさすがに疲れるので
後は溜まってた本をざくざく消化。

消化の中心はコレ↓

クルーグマンミクロ経済学
ポール・クルーグマン,ロビン・ウェルス
東洋経済新報社

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これまでケーザイはマクロ方面しかかじってきてなくて
というのは、興味がそっちしかなかったからなのですが、
ちょとはミクロも知らんとな、と思いクルーグマンのミクロを
買って(積んで)おいたのでした。

夏休み期間中では、ほぼ半分あたりまでしか進めませんでしたが、
ミクロの需要・供給曲線って奥深いなぁ。
マンキュー教科書もそうですが、全てのケースにおいて
「こういうときはこうなって、でそれは実例だとこーゆーこと」
という流れで必ずグラフを動かして説明してくれるので、
素人でも読めばイメージできる。
スカッと爽快!

数式をあまりにも排除しているので、理系から見ると、
数式のないグラフを信じなければいけないというのが
ちょっとだけストレスで、不満点はそれぐらい。


さて、片や、いわゆるパンキョー時代に全く理解できなかった
教科書を実家に帰省した時にひっぱり出してみました。
ええ、完全な嫌がらせです。復讐です。

(ペラペラ流し読み…)

むー、書名は出しませんが、これじゃ確かに興味湧かないわ。

ミクロを例にとると、いきなり限界効用の話をし始めるんだけど
そもそもなんで限界分析が有効なのかは一切説明ないし。
実際の経済事例も全く取り上げてない。

この『入門』書で、はたして何人が理解できたんだろう。

1973年1刷で1990年に28刷なので、大昔に作った講義ノートで
何十年も講義する、やる気なし先生御用達の書ですね。

こんなひどい本で講義されてたなんて、くやしー。


あーっ、女子サッカー、アメリカに逆転されたーーー!!

ポル・ポト

2008-06-15 23:47:44 | 本:その他
このままだとEconomist記事だらけになってしまいそうなんで
ちょっと本の感想でも差し込んでおきます。

ポル・ポト。
一般的なイメージとしては、クメール・ルージュによる大虐殺の親玉、
と言った感じでしょう。自分もそうでした。

1975年からの3年9ヶ月で人口の20%が死んでいるのは確かに異常で
それがどういう状況だったのか、を知りたくて読み始めました。

でも読み終わって感じたのは、カンボジアという国は
「シアヌークという王を持ってしまった悲劇」でもある、
ということでした。

シアヌークが軍(ロン・ノル)を使って激しい弾圧を行う

ロン・ノルが台頭して(バックにはアメリカもいますが…)、
クーデターを成功させる

ロン・ノルのあまりに腐敗した政治に対して国民は嫌気がさして
クメール・ルージュを支持・勢力拡大する。
(バックには中国もいますが…)

シアヌークは政治的生き残りのため、過去に弾圧したクメールルージュを支持

まあ、おそろしいぐらいの日和見状態です。
でも、カンボジアでの王は絶対的なものですから、そんな王様は
つい最近まで王様でした。何をしたって王様ですから。

同じ王制でもタイのような民衆からの尊敬を、現在のカンボジアでは
ほとんど感じませんでした。
なんていうか「いいわるい関係なく絶対的にあるもの」という感じ。

そして、例によって大国の陰が当然あります。
この時代、大国間の駆け引きにもれなく振り回されます。

カンボジアの経済復興の足かせとして、クメールルージュの傷跡
(人的資源の抹消)はもちろん大きいですが、それだけではないです。
いろいろからみついて簡単には解けない問題だらけ。

ポル・ポト―ある悪夢の歴史
フィリップ ショート
白水社

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不都合な真実

2007-10-13 01:14:34 | 本:その他
夏休みの旅の感想をこれから書くつもりだったけど、
ゴアがノーベル平和賞とっちゃったので、ちと我慢できず一言だけ。

地球温暖化はすごい微妙な話で、二酸化炭素の排出が
一次要因かどうかは、今だはっきりしてないわけです。
地球の気温自体が、長いスパンでは変動してるわけだし。

でも温暖化の要因ではあるから、二酸化炭素の排出量削減は
先進国が粛々とやればいいだけの話。特に威張ることはない。
発展途上国にも追随してほしいなら、先進国が金出すべきだし。
産業革命から石炭燃やしてこれまでどれだけ二酸化炭素出してきたの?

その一方で、世界では飢餓やAIDSで人が死んでたり困窮してるわけで
どっちを優先すべきかといったら、間違いなくこっちだと思う。
もうこれは、思うなんてもんじゃなくて、こっちなんです、間違いなく。
飢餓は80年代で終わったわけじゃない。

プリウス買って社会貢献してる気になるなら、まず赤十字に寄付しろよって話です。
ちょっと調べて考えれば、当たり前の話だと思うんだけど。

寄付とか援助でその国が良くなっていくかはまた難しい問題なんですが、
でも、その日生きていくのに困っている状況をなんとかする、ここははずせない。

別に赤十字じゃなくてもいいけど、結局のところ一番効率よく使ってくれるのは
組織のでかい、ユニセフや赤十字でしょう。
エコカーに負けず劣らず、5千円以上の寄付なら、税金控除もありまっせ。

なんだか途中から話がずれていってしまいましたが…。
環境問題は、どうしても個人のエゴが見えて、気持ち悪くってしょうがないので
ここまで書いてしまいました。

マクロ経済学Ⅰ

2007-05-21 01:12:50 | 本:その他

GWに終わんなかったケイザイ関連のネタが
ようやく終わりました。

読んだのはコレ

ちなみに、自分が持ってるのは旧版です。
数年前に買ったものの、全く読めずに、本棚のこやしになってました。
新版を立ち読みしたら、数段読みやすくなってた。くやしー。


さて、マンキュー先生の分類分けが正しいのかどうかは
知りませんが、この枠組み、すっごい把握しやすい。

<マンキュー先生の枠組み>
 『古典派とケインジアンはやたら意見が対立するけど、
  そもそも見ているスパンが違うのよ。どっちも正解。
   古典派モデル=価格が伸縮的=長期分析向け
   ケインジアン=価格が硬直的=短期分析向け
  以上。』


で、この枠組みを元に、前半で古典派モデル、後半でケインズ派の
主にIS-LMモデルを、それぞれ説明してます。

使う数式はほんと限られていて、これをいろんな角度で見ていきます。
数式を変形してくのは、なんとなく力学に近い感じ。
といっても、左辺と右辺を入れ替えるぐらいで、基本は足し算引き算。


必ずグラフを出して、ケーススタディでそのグラフを動かして
説明してくれるので、ちゃんと腑に落ちる。


もともとは今回、「IS-LMモデル」ってやつの考え方を
知りたかったんですが、これも、すごいシンプルに
分かりやすく説明してくれてます。

 『IS曲線は財政政策(税金と、公共事業とかの政府支出)で動くし、
  LM曲線は金融政策(貨幣供給量)で動く。
  で、その結果、所得とか利子率とかが決まるのよ。要はどっちも大事』

へ-、ちょっとこれは意外でした。
基本的にメディアは財政政策ばっかりでしょう、ネタにするのが。
増税とか公共事業とか。
でも、それだけじゃ国民所得は決まんなくて、金融政策も大事だぜ、
ってことのようです。

メディアが金融政策をそんなに取り上げないのは…、
説明がめんどくさいんでしょうね、きっと。


A Wild Haruki Chase

2006-11-24 01:18:09 | 本:その他

村上春樹を海外で翻訳してる人たちを集めた
シンポジウムの記録です。

これはすっごくおもしろい。
視点の幅がすごく広くて「へー、こんな読み方もあるんだ」
と感心することしきりでした。


そして、なんといってもリチャード・パワーズの基調講演がすごい。
いやー、ホントすごいです。
以前にBlogで「小説家が評論的に物を語るのはやめてほしい
と書きましたが、ここまでされたら降参です。参りました。


春樹の長編にユングの世界観を重ねるのは、一般的というか
周知な事実だと思います。
本人自身、河合隼雄と何度も対談とかしていることからも
影響というか類似性は明らかですし。,

ただ、ユング的世界って、輪郭がぼんやりしてて、
はっきりとはつかめない気がするのです。
少なくとも自分はそんな感じ。

イメージはつかみやすいんだけど、
つきつめづらいというか。
ある一定の領域からは、「そこは感じるのです」とつきはなされちゃうというか。

そこをパワーズは、脳科学を引用することで、ぐっと輪郭を
はっきりさせてます。
とくに前半部分で、先端の脳科学と春樹的世界を関連付けしていく
ところは、ゾクゾクするぐらい刺激的でした。
いきなり視界が晴れるような、そんな気分。


あと、はじめの1ページぐらいで述べられる、村上春樹に対する
最大限の賛辞もすばらしいです。要チェック。


奇跡の人

2006-11-13 23:54:48 | 本:その他

これ、別に本を読んだわけじゃないです。

書きたい内容に合うカテゴリーがなかったので、
無理やり書名をタイトルにしました。


今日の帰りの電車にて、高校生A&Bの会話…
※注:ネイティブじゃないので意訳

A 「あのさー、目が見えなくて、音が聞こえなくて、話せない
  人の話って知ってるー?」
B 「えー、知らない、何それ?」
A 「なんかさー、そんな感じだから、四つんばいで、動物みたいに
   ウーウーうなってる感じだったのがさー、サリバン先生っていう
   先生に出会って…」
B 「でも、どうやって話せるように…?」


えーーーーーーーっっっっっっつ???!!!


今の10代に、ヘレン・ケラーって情報は入ってこないの?
偉人ど真ん中ですよ!
業界(偉人界)の超大御所っすよ!!
紅白だったら昔のヒット曲でトリ飾っちゃうレベルですよ!!!

…。

ちょっと熱くなりすぎました。
しかし、2/2の確率で知らんっつう事実をどう受け止めたらいいのか。


でもまぁ、偉人の流行り廃りはあるのかもしれません。

そもそも、偉人伝ってカテゴリ自体が、一過性のブームだったのかも。
矢追純一のUFO特番と同じようなもんだったのでしょうか。


ハルキ・ムラカミと言葉の音楽

2006-10-26 00:03:14 | 本:その他

さきほどmixiの日記とついに関連付けしてしまいました。

というわけで、ここに新しくたどり着く方もいらっしゃるかと。
そんな方は訪問ありがとうございます。

えーっと、このBlogはかなりの部分が読書感想日記化しているので、
かなり地味です。

しかも感想なのに、あらすじとかあまり説明しておらず(日記なので)、
自分が昔のを読んでも、よく分からないところがあり(日記なので)、
熱くなってる部分がたまにあったりもして(日記なので.…くどいですね)。


前説はこれぐらいにして、今日のは、『ねじまき鳥~』とか英訳した
ジェイ・ルービンの村上春樹論です。


いろいろ春樹論は世の中に出てますが、ものすごーく好きな人か
生理的に嫌悪してる人かのどちらかなので、けっこうしんどいです。
好意的な論だと、文章まで春樹調だったりしてちょっと熱狂的だし。

どっちにしても多いのは、「実は作品自体はあまり論じていない」
という点。みんな必死に自分の考え・想いを語り倒してます。


それに比べると、この本はすごくフラット。
著者に関する前知識なく、テクストだけを分析しました、という
スタイルをとっています。

例えば、作品の登場人物名を分析してたり。
『ノルウェイの森』の「トオル」だとこんな感じ。

 トオル
  ↓
 「通り抜ける」の意
  ↓
 主人公が成人期への途上にあることを示す

これが、『ねじまき鳥~』の「トオル」だと、また違った見解を出してます。

上の解釈が正しいかどうかは別だし、自分から見ると明らかに
的外れって思える箇所もいくつかありつつ、でも、こういう解釈の
積み上げが、普通のまっとうな作品論だと思うのです。


作品論としては、いちばんおすすめ。


ユダヤ大辞典

2006-08-27 22:50:12 | 本:その他

ここ最近、読書感想Blogとなりつつあります。

・映画;最近ピンとくる映画がない
・料理:ハンパなく太るので自粛中(すでに手遅れ?)
・音楽:バンド練習してますが、ライブのネタバレになるので
          あまり書けない

…。
記録って意味でblog書いてるので、やっぱり本になってしまうではないか…。


さて、ストックしてあった小説があらかた片付き、次に読もうと
している小説は、かなり重たい長編なので、一冊、毛色の変わった
やつを読んでみました。

ユダヤ大辞典

自分の中で『三大理解できてないもの』のうちのひとつです。
最近、イスラエル・パレスチナ情勢が大きく動いていることもあり
よいチャンスかな、と思って手に取りました。

 感想:イスラエル・パレスチナ問題が一朝一夕に解決できないことは
     よーく分かった。
          でも、今起きていることは、歴史というより、政治上の問題で、
     そこんところは、この本だといまいちよく分からない。


「歴史は勝者が作る」、朝まで生テレビとかで必ずでてくる言葉ですね。
ま、良い悪い関係なく、正しい見解だとは思います。

ユダヤ民族は、4000年前のアブラハムから始まるようなのですが、
それからほとんどの間、勝者側には立っていません。
紀元前後に存在したイスラエル王国やエルサレム宮殿の数百年だけが
勝者であり、あとはほとんどが、流浪の民としての歴史のようです。

なお、これら歴史関連の説明は、この本はとても参考になりました。
あくまでもユダヤ民族から見た歴史という注釈は必要ですが。

このような過酷な歴史の上で、ようやく建国されたイスラエル(1948~)
ですから、まわりがアラブ圏に囲まれているということもあり、国を守る
という意識が非常に強いということは理解できます。

でも、今のパレスチナ情勢の複雑さは、こういった歴史的背景ではなく、
政治的な背景が主原因だと思うのです。新聞とか読んでる限り。

そしてそれらについて、イスラエル側の主張は、ちょっと苦しい部分が
あります。
この本も、逃げずに以下の内容を取り上げてはいるのですが…。
 ・パレスチナ人の定義(「もともとそこにいた民族じゃない」)
 ・アメリカのイスラエル支援について
 ・アメリカにおけるユダヤ系の積極的なロビー活動

特に、イスラエル建国以来、アメリカが無条件のイスラエル擁護を
続けている点、そこんとこの本当の理由を知らないと、イスラエル・
パレスチナ問題は理解できないようです。

だって、「国連加盟してる国」v.s.「テロ組織(と西側は見なしていた)」の
争いで、最近は国のほうがやってること過激なんですから。
どちらが悪いとか決められる問題ではないんですが、なぜ無条件での
擁護なのか、そこが分からない。

むー、ちょっと問題が複雑なほうに進んでしまいました。

アメリカから見たイスラエルは、アラブ・イスラム世界に対する拠点
だったりもするので、『三大理解できてないもの』の次のひとつ、
アラブ・イスラム世界も押さえないと次に進めないではないか…。

この問題、考えるのいったん中断です。


マクルーハン理論

2006-07-03 02:54:53 | 本:その他

ここ1~2年、「ケータイとは何ぞや?」ってところを
切り口として、メディアに関する本をぼちぼち読んでます。

この本も、その一環で買ったもの。
古本屋で買ったので、手元にあるのはサイマル出版刊行の
やつです。

いろんな人の論文をあつめた本なので、内容が結構広くて、
メディア論+記号論といった感じ。
認知の問題や、心理学に近い議論もあって、なかなかおもしろい。


ただ、これまでの分析として読む分には、とてもおもしろいけど、
「これからどうなるのか」という問いのヒントにはならないなぁ。

山形浩生が書いてるとおり、『現実に応用できるような厳密性を
持っていない』のです。
これはマクルーハンがどうこうという話じゃなくて、今のメディア論が
本質的に持つ問題なのかもしれない。

新メディアの持つ新規性・特殊性に関する考察(マクルーハンだと
主にTVが対象)はとても鋭いけど、概念レベルなので、そこを軸にして、
未来の具体的な姿を予測しても、実際とは絶対にズレちゃう。


あと、マクルーハンの書いた部分で言うと、科学的な内容についての
記述で「???」というところがある。

例えば、視覚についての記述で、『目はカメラの機構のようなもので、
あらゆるものが逆さで、これを大変な学習努力によって、子供は世界を
まっすぐに建て直し~』という内容。

確かに網膜にうつる像は逆さになるけど、脳の機能として、これを元に
戻してるはず。学習効果による修正じゃない。
じゃなきゃ、草食動物は生まれてすぐ立ち上がるなんてこと出来やしない。

技術的要素が強いメディアを論じるときに、前提となる科学・技術の
解釈が間違ってると、ちょっと厳しいな。