期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

さらに寒い

2011-01-31 19:47:46 | 日記
 今朝は昨日の朝にもまして寒かった。ついに氷点下十度という値が出てしまった。洗面所の窓もばっちり白く凍っていた。今はテレビのデジタル放送で気温が出るが、こういうシステムが無かった頃は、いったい何度くらいだったやらというのは判らなかったわけで、窓が凍るのはこのくらいの気温ということになる。
 今日はこの寒さの中、公立高校の推薦入試であって、各校授業はない。生徒ならびに講師は休みである。例の、行事でも年休を取らねば休めないA校の勤務日であるが、教頭に訊いてみたら、さすがに学校の都合であるから年休は取る必要はないと言われた。それなら学校行事すべからくそうではないかと思うのだが多くを語らず。
 そんなわけで休日である。一本遅いバスで街へ出かけて、まずお金を下ろして、駐輪場の利用料を払いに行く。三か月分二千九百円。この頃は天気も悪いし寒いしでほとんど乗っていなかったから、どこに停めたやらとずいぶん探してしまった。
 学都フリーパスも更新しようかと思ったが取りやめ、ミスドへ行って一服する。二階へ上がってみたら、寒いせいか平日にもかかわらずけっこう混んでいた。高校生や専門学校生や、その他勉強している人が多い。私はもうそれほど切羽詰ってやることもないから、のんびりと歌書を読む。
 昼まえぶらりと出てイービンの古本市に行く。今日で終わりという予告が出ていたから行ってみたのだが、二月末まで延長という掲示が出ていた。何だかいつも本日開店といっているパチンコ屋のようであるが、まあ営業している分には言う事はない。特に掘り出しも無く得る所はなかったが、いい気分転換になった。
 昼から大学へ行く。今はどうも試験期間中であるらしく、文系の食堂は昼どきでも空いていたが、代わりに図書館は妙に混んでいた。
 例によって持参の歌書を読み、またコピーを取り、三時頃くたびれたので食堂に移ってふと携帯電話を見たらメールが来ていた。見ればうちからで、電話してみたら、昨日投書を送った新聞社から連絡が来たそうである。何か聞きたいことがあったとかで、さっそく連絡してみたら、文章に一ヶ所ちょっとしたてにをはの問題で、この方がよいのではないかという話であった。よろしく直して頂くことにして、近いうちに掲載されるそうである。
 こういう話は論文と違って、直しが入っても全然堪えない。一つには直すなら直す、載るなら載るで、割り切りが明快だからだと思う。論文を教授に見せると、着眼点はすぐれているとかなんとか言う一方で、考え直すべき点をああだこうだと、しかも一度で済まず何度にも分けて言われているうち訳が分からなくなってきて、結局私という人間を学生として否定しているのかと思えてくる。
 割り切りが明快だというのはお金のやり取りが絡むということでもあって、また稿料ならぬ謝礼がもらえる。結局それがモチベーションだとすれば単純な話ではある。

この冬一番の寒さ

2011-01-30 20:14:49 | 日記
 今朝は氷点下十度まで下がったようで、日中もようやく零度前後にしかならなかった。
 そして一面の雪景色である。道路もすっかり凍って、通る車もほとんどない。これが平日であったらあっという間に大渋滞になったことであろう。休日でよかったという所である。
 私は昨日から三連休で、特にやることもないのでゆっくりしている。今日は一日うちにいて、午前中はまず今朝の朝刊で見つけた投書に対して反論、というか自分の意見を書いて、メールにして送った。この間投稿したのはどうやら没になったようなので、残念であったが、論文が没になったのとは訳が違う。書き直しなんて面倒な話はないのですっきりしていい。
 午後から古本市にでも行こうかと思ったが、お昼を食べて一服したら眠くなって、自室の椅子でうたた寝してしまった。やはり金曜日の院試以来疲れがたまっていたようだ。
 それで午後はB校の教材作りをした。二年生の試験が私の担当になっていて、問題を作る前にまず生徒に配る対策プリントを作らないといけない。国語の試験なんて、教科書をよく読んで来なさいで大体話は済むとしたものであるが、三人の教員で分担していることもあって、ある程度共通認識を与えるために対策プリントなんてものを出さねばならない。
 半分は出来たようなので今日はこれまでとする。やはり研究より私にはこういう仕事の方が合っているような気がする。
 夕方から母が同級会の新年会で町内の料亭に出かけたので、夜は寿司の出前を二人前とって父と食べた。進学は取り止めるつもりとすれば金の心配はもうしなくてもよい。それだけが一つ清々する。倹約倹約で縮こまっていた気分も伸びやかになる。春休みになったら新しいパソコンでも買おうかと思う。

かきくらし雪降りしきる

2011-01-29 20:53:24 | 日記
 一応この表題は景情の対応というか、筆者の精神も暗示しているつもりであったりする。どうでもいいことであるが。
 どうでもいいと言えば私の日記というのが全体そうであって、ここ数日は特に、愚痴と甘えと呪詛で充満することであろうから、苛々する人は読まない方がよいと思う。昨日などはあんなことを縷々書き綴ってしまってから、誰かにまた正論を述べられていたら対応に困るなあと思っていたのであった。一言甘ったれるんじゃねえと言われればまったくご尤もであって反論の余地はない。こんなこと誰にも口では言えないから日記に書いている。表で言えない事をネットに言っていいのかといえば、感心したことでは当然ない。ついったーでの呟きが騒動になる例があるくらいは私も知らないではない。
 それにしても自分の意志なるものが刻々変わることについては自分ながら呆れかえる所であって、今朝は一晩寝たらそれなりに立ち直り、もし院試に合格したならば、知らん顔で有難く入学して、自分の好きなようにやればいいではないかとまで前向きな(笑)心情になっていたのであるが、晩にはやはり進学は辞退しようと思い定めるに至った。どうも疲れて来ると何もかも嫌になるらしい。単純な話であるが。
 それでも引き金になったのは、昨日例の論文が教授Bに没にされて、掲載は見送った方がいいということになったので、博士の先輩にその旨メールで届けておいたら、今日の晩になって返事が来ていて、夏休み前に次号が出るのでまたその時にという、有難いお話を頂いたことであるらしい。もうこの論文の件は当分忘れておこうと思っていたところに蒸し返されたのでトラウマがよみがえった。と言うよりこれがトラウマになる時点で進学の資格無しであろう。今はそういう精神状態だからこういう風に考えが進む。
 こうしてみるとやはり一度折れた心はもう二度と元には戻らないようである。省みればこの三年間苦労が多かったと思う。入った当初は金の心配やら、研究室に馴染めないやらで、夜床に入ってから一人で泣けてきたこともあった。一年経った頃にようやく安心して研究室に行けるようになったが、かんじんの研究の方は方針が立たず、それがまたやっと勉強が面白くなってきたのが去年の夏、稼ぎも増えたので金の心配もようやく無くなったという今になって、教官たちに寄ってたかって研究を続ける事に対して疑問符を付けられる。人生だいたいそんなものである。
 馬鹿なことばかり書いてしまったので今日何をしたかを記すゆとりがなくなった。午後から太白図書館に出向いて取り寄せ図書の閲覧、その後、思い立って鉤取なる万葉堂書店に遠征する。残念ながら得る所なし。買おうかなと思う書物は無くはなかったが、決断に至らなかった。

心が折れました

2011-01-28 17:14:21 | 日記
 折れた心はまたつなげばよいようなものであるが、今回ばかりはポッキリ行ったかなあという感じである。久しぶりに死にたくなった。どうやらこの世に私の安心して居られる場所はどこにもないらしいと思う。学校においては常に非常勤であるし、大学へ行けば社会人の外様から入ったよそ者であるし、ついでに言えば机はいつも隣のお嬢さんの物置にされているし、家は家で親はいつまでも生きているわけじゃないし、いずれこの地上に私の生きていられる場所はどこにもなくなるんじゃないかと思う。人はこうして消滅に誘われていくのであろうか。
 しかしこうしてみると本当に、世間の人は、あるいは今まで普段の自分もそうであるけれども、どうしてこうここが自分の居場所であると安心して暮らしていられるんだろうと不思議に思わざるを得ない。考えてみればすべて根拠のない異安心というものだろう。唯仏是真、世間虚仮、である。
 とりあえず今日は院試というものが終わって、結果はどうあれ後は野となれというもので、よほど一安心するかと思っていたが、ため息と愚痴しか出てこない。筆記の方はとにかく書くだけは書いたが、午後の面接がいけない。他人は知らず私の場合は、専門の学力についてであるよりも、生き方の根本的な姿勢みたいなところに教官の質問が集中し、今までの人間としての生き方が間違っているんじゃないかというような懐疑に陥るのである。たぶんその通りなのだけれど。
 要するに博士というものは、単に文学が好きみたいな一般人は来てはいけない処で、選ばれた一握りのエリートが行う神聖な営みなんであろう。それなら最初からそう言ってもらいたいと思う。私は社会人修士として入ったが、最近大学というものは、社会人教育に力を入れますみたいな話をしているが、たとえそこでその人なりに学問に目覚めたとしても、その先は無いのである。この三年間私は何をした事になるのか。すべては全くの無駄、徒労だったのか。とはさすがに思わない。ここでの勉強がなければ、曲がりなりにも和歌を読むということは全くできなかっただろう。一つのスキルが身に付いたことは間違いなく、それはひそかに誇りとするところでもある。
 しかし先日も教授Aの所に進学の話をつけに行った時にも感じたことだが、要するに私みたいなものは来るなということなのねと試問を受けていて悲しくなった。そんなつもりはないというかも知れないけれど、作者の意図というものは読者によって作られる。誤読はつきものである。
 現実問題として私には、教授らの言う通りにしなければならないとすれば、ドクターはやはり到底つとまらない。全国で開かれる学会に参加しなくてはドクターの資格が無いみたいで、これ一つとっても、勤労学生にそんな旅費が出るわけがない。私の体力からすれば、平生の研究活動のためにも仕事は減らさなくてはならないが、毎度言うように仕事を減らせば学費が出ない。
 要するにすべては不可能、なのである。取ってつけたように頑張れと言われても頑張れない。合格発表は先の話だが、進学を認めてくれた両親はじめ各方面には申し訳ないけれどもバックレるしかないんじゃないかと思う。教官らもひそかにそれを望んでいるのではないかと思うが、単に私が悪うございましたと謝れば済む話である。
 加えて非常に落胆したのが、口述試問が終わってから、教授Bに呼ばれて、先日の論文について完膚なきまでに駄目出しされた。要するに学術論文としてはこのままでは存在が許されないということである。だから無理だと言ったのである。正月休みの十日くらいで書けるものではないと私も思っていた。院生の同人誌のようなものだから、それほど厳しい指導は入らないという話であったけれども、アドバイスを求めれば当然こういうことになるのである。
 しかし私は思うのだけれど、学生を指導する際に、教官たちは当然のごとく自分らのレベルに合わせてものを言うけれど、それってどうなのか非常に疑問である。私も学校では生徒を教える立場だが、もし生徒の作文を私自身のレベルで裁断したら、学校の偏差値の水準もあるが、突っ込み所は満載である。しかしそれをそのまま生徒に投げ返したとしたら、彼らはたぶん何も書けなくなるであろう。
 だから私は書けたということだけを取り上げて、どんなに不完全であっても、とにかく素晴らしいことだと言い聞かせ褒めたたえる。用語とか何とか、そんなのは二の次である。すると次を書く意欲も生まれ、そのようにして書いているうちに上達もするのである。
 高校の生徒と大学院の学生はちがう、という意見もあるであろうが、教育という点では私は本質的に同じではないかと思う。大学の文学部なる場所が沈滞して、どんどん閉鎖されていくというのは、つまり教官たちが自分らを基準にして教育を行っているからで、縮小再生産の過程に入っていると言わざるを得ない。こういう場所で新しいものが生まれるはずはない。
 まあ私のようなへなちょこが居たからといって発展するわけもないので、老兵は消えゆくのみである。来週からまた働く。

少し春あるここちこそすれ

2011-01-27 21:03:19 | 日記
 今日はB校で五時間目だけの授業で、午前はかなり暇である。木曜日がこの時間割になったのは十一月頃からで、午前中どう過ごすかというのはまだ今一つ慣れない。馴れる前に今年度が終わりそうである。
 今日はとりあえず、一本遅いバスで街に出かけて、金港堂に行って、読みたいと思っていた雑誌の取り寄せを頼んだ。記念年で古今・新古今の特集をした二〇〇五年の『国文学』である。一昨日研究室でふと手にとって読んだら、なんと私のこの間提出した修論の主要部分に関連した、まだ未読の論文が載っていた。怖ろしい話である。その点は今さら取り返しはつかないからごめんなさいと言う事にして、個人的興味(当然これしかないわけだが)からしても読んでおきたいと思う。
 店の奥のカウンターで注文して、店内を逍遥していたら、店員さんがさっそくどこかに電話をかけて在庫を聞いているようであった。支店か倉庫か知らないが、結論は、残念ながらそんなに古いバックナンバーはないということのようであった。考えてみると、金港堂よりはジュンク堂か丸善のような大書店に頼めば、在庫を持っていたかも知れないが、ささやかながら地域の書店を応援するという目的もあるのだからよいのである。しかし一ヶ月もかかるというから待ち遠しくはある。
 後はミスドに寄って久しぶりに一服する。一時間ぐらいしかないから物足りなくはあるがやむを得ない。午前中こうやってカフェに入ってのんびりすることなど最近は絶えてなかった。私にとっては命の洗濯である。
 昼まえ遅れないようにして登校する。冬至からちょうど一ヶ月ほど経って、二三日前あたりから日差しが強くなったと思っていたが、今日などはなんとなく空気も和んでいる感じであった。
 しかし放課後、一学年分の教材の印刷・紙折りの仕事もようやく終わって、四時半頃退出したら雪が降っていた。夜に入って、うちの周りではさほど積もらないうちに止んだようだが、明日の朝は寒いから路面は凍結するであろう。試験に行くというのに足もとは相当すべりそうである。

特に記すべきことなし

2011-01-26 21:33:59 | 日記
 今日はB校で三~六時間目まで続けざまに授業で、あとは教材作りに明け暮れたので特に印象に残ったことはない。
 昨日の方が事は多かった。A校の勤務日であったのだが、金曜日の院試に備えて、自習課題を作り終えて担当の先生に託してきた。
 夕方に退出してから大学へ行き、晩ご飯だけ食べて帰ろうかとも思ったのだが、いくつか用事もあったので研究室に立ち寄った。当然のように私の机が物置にされていたが、いまさら驚くほどのこともない。普段めったに来ないのだからやむを得ない。たまに来ると隣席のお嬢さんが大げさに恐縮されるのでかえって気を遣う。しかしこの三年間、人と共有だったり、隣から侵略されたりで、ずっと自分の机が自由に使えないような状況だった。改めて考えてみると、えらい損をしたような気がする。
 そんなことはいいのだが、ここ数日懸案だったのは、例の雑誌掲載用論文、ドクターからの勧めで、教官に読んでもらうように言われていた。この忙しいのにまた駄目出しが出るかと思うと非常に面倒くさく気は進まないが、放っておくわけにも行くまいと日曜日に印刷をしてある。
 それでも止めて置こうかなと思いつつも、教授Bに面会して置いて来た。〆切は一月末日と申し上げて、早めに読んでおくからと言われて、やれやれと思ってご飯を食べて戻ったら、早くも書き込みと付箋のついた論文が机上に戻っていた。
 それで一つ用事は済んだ。あまり全否定的なことも言われなかったようだからよかった。注の表記を整えるのが大半で、一つだけ書き直さねばならない部分もあるので週末に考える。
 明日は院試前日である。B校で五時間目の授業をして、あとはできるだけさっさと帰って、どこかの図書館でまったり勉強でもしたい。

少し休むのです

2011-01-24 19:54:02 | 日記
 また一週間が始まり、月曜はB校で朝一コマからの授業である。暗いうちに起きてご飯を食べて、寒い中を出勤したら、学校の前のサンクスの玄関先で女子生徒におはようございますと挨拶されてちょっと驚いた。よく見ると私の授業に出ている三年生なのだが、教室ではいつも生気がないのに、寒さの割にはいかにも柔らかい表情だったから見違えた。
 そのクラスは今日も授業があって、先生サンクスに居たでしょうと言われた。これだけの事だが何となく心が和むのをおぼえた。
 午前で授業が終わって、昼休み、教頭にちょっと話があるからと校長室に連れ込まれて、何事かと思ったら、来年度の話であった。まだ時間数などは確定していなくて、減るかも知れないが、また非常勤を頼みたいということで、有難くお願いしておいた。少しぐらい減った方が時間的に余裕ができてよいかも知れない。
 それよりも、来年もと言われたということは、一応仕事が認められて合格したということだと思うと、自分にも価値があるのかしらんと思えて精神的に安定する。
 それで張り切ったというわけでもないが、午後からはパソコンを打って教材を作ったりしていささか残業してしまった。例の新しい自主開発の単元で、なんとか第一稿を出して先生がたの机上へ置いてきた。
 大学へ行こうかと思ったが、取り止めにした。図書館も混んでいるようだから行ってもあまり幸せになれそうにないし、院試の準備と言っても大してやることもない。何をやっていいか判らない中で気ばかり焦らしてもいいことはないので、少しのんびりした方がよいのである。
 ちょっと寄り道をして、駅の西口の生協で缶珈琲を一服してからうちに帰って、日記を書き、さらにこの頃考えていたことを投書記事一本にまとめて、某新聞に投稿した。また図書カードをせしめようという目論見だが、二匹目のドジョウはいるかどうか。

心が折れそうです

2011-01-23 10:56:21 | 日記
 しかしいつの間にかこんなに日記の間隔が開いていたとは思わなかった。あまりにも間が開いたので何を書いていいかわからないが、忙しくてここ二三日、一昨日から昨日あたりは精神状態がどん底であったと思う。平たく言うと、やはり進学は諦めようかという感じである。
 一昨日、A校で仕事を終えた夕方に、とつぜん携帯に着信が来て、珍しく取れたのだが、某私立高校から来年度の講師のオファーであった。常勤という話だったし、実は大学院の進学を考えていますのでと言って断ったが、断ってしまってから、こんなことで良かったのだろうかと思い悩む。こういうとたぶんわかる人にはわかるだろうが、スポーツで有名な某I学園高校である。ここは進学にも力を入れていて色々なコースがあるようであるが、たぶん講師が宛てられるのは、偏差値的にも性格的にももっとも最下層の部分であろう。端的に言うと猛獣の集まりみたいなのを相手に国語を教える羽目になる。
 もう一つ言うと、私立高校にこうして一本釣りという形で身を任せても、今日あまり幸せになれないというイメージがある。実は私じしん以前に経験があるが、私立の学校というのは民間企業とあまりかわらない。大会社と無力な個人という構図であって、何かあるとすぐバッサリと切られてしまう。公立校でも別に組合に入れるでもないという点では同じだが、いきなり切るという無茶はまずない。加えて現在一応縁がある学校から何か話があることをまず期待すべきであろう。
 それで断ってしまったのだが、何となく憂鬱になった。最近脳裏に去来するのは、何事につけ永遠ということはない、という言葉である。今の私の望みというのは、この境遇がただ変化なく続いていくことである。講師先も同じのまま、学生の身分も保持していたいということであるが、いつまでも展望もなくこの状況を続けていていいのだろうかと思う。つらい学校での常勤が嫌だというのは単なる怠惰であって、それから逃れるための進学ではないか。自らに鞭打って新しいステージを探すべきではないのか。
 それにつけても準備も何もできないまま院試に突入しそうである。というより今となっては何を準備していいかわからない。とりあえず自分の修士論文の総括をして、博士課程で何を研究するかを書ければいいらしいけれど、ほとんど何も考えていない。
 それで一昨日あたりからもう進学辞退しようかと考えているのであるが、一方では、昨日大学の図書館に行って、行きのバスの中でも、午後から本を読んでいても、ほとんど寝倒してしまった。知らないうちにじわじわと疲れがたまっていたと見える。寒いし忙しいしという外的条件で人は鬱になるのである。

なぜか非常にせわしない

2011-01-19 21:38:50 | 日記
 来週金曜日の院試が終わるまではまた忙しい日々が続くのではないかと思う。と言って、別に試験勉強をしているとかいうのとはちがい、忙しさの内情は仕事の手配である。だいたい二つの学校でしめて四種類、週十六コマというのがもともと多い。昨日あたりは学食で晩ご飯を食べてから、大学図書館の公衆パソコンで、授業で書かせた作文をタイプしていた。
 そのうえ金曜日のA校を休みにするために自習課題を作らなくてはならない。さらにはB校の教材、A校の小テストといった具合で、いくらパソコンを打っても終わりの見えない状況である。
 したがって院試の準備はほとんど何も出来ない。受験票は昨日ようやく送られてきたけれど、こんな状態でもし進学しても本当に大丈夫かしらと思う。落ちた方が楽になれるのではないかと言う気さえするが、いやいや諦めてはいけない。いま現在は二校で週十六コマだが、これが来年度も続くという保証というか、それほど多忙と決まったものではない。もう少し減る可能性もあり、皆無になる恐れもある。そこまで行くとまさに恐れであって、学資が続かないからあっという間に学生生活は店仕舞いとなるが、いずれにしても行ける所まで行ってみようと決めたのだから今は余計なことを考える必要はない。
 しかしそれにしても今日はよく働いた。もともと水曜はB校で四時間連続という、週で最も過酷な日であるが、加えて、いつもは一クラスを分割して私と一緒に半分ずつ担当している先生が、具合が悪いとかで急に休まれて、二時間は合同、すなわち人数が急に倍になった。進度も違うし無茶な話であるが、幸い復習プリントが作ってあったのでやることは大丈夫だった。
 それより人数が倍になると治安の悪化が深刻である。特に態度の悪いクラスは授業中ずっとトランプを遊ぶ者が四名×二組、お化粧に余念のない者が二名、立ち歩く男子が一名といった状況で、だいたい半数は教室に存在する価値のない人間と言ってよい。こういうのを一気に取り締まろうとするとあっという間に内戦に発展して政権が転覆する恐れがあるので、軍事力が充分でない当局としてはやむを得ず放って置くのだが、相当ストレスではある。
 帰り列車の中で、向かいに全然関係のない他校の男子生徒が座っていて、耳に長いチャラチャラしたピアスが下がっているのを見ていたら、それを力任せに引き千切る妄想がしきりに浮かんできて、自分ながら怖かった。純文学にたまにある、暴力小説のような描写である。こうして人は道を踏み外すのだなと思う。そうならぬために適度なストレス発散は常に必要である。
 駅前の生協で缶珈琲を一杯やって帰った。本当は街のドトオルまで行きたかったが時間と金がないのでやむを得ない。それでも取りつかれたような気分は拭ったようになくなったからよかったと思った。

寒さいうべからず

2011-01-15 19:39:24 | 日記
 この頃は忙しいし寒いしで日記を省みている余裕がなかった。仕事が始まって、今週は火曜日からずっと普通どおりの授業だった。さらに来週は月曜から金曜までどこにも全く休みがない。一週間がよほど長いことだろう。
 年末年始の休みの間にずっとかかっていた、研究室の雑誌に載せるとかいう論文らしきものはどうにか書き終わって、水曜日の晩に元締めに提出してきた。あとは博士の先輩方が読んで、いろいろと突込みが入ることだろう。考えても面倒な話だがしばらくは忘れておきたい。
 それより何だか急に仕事が忙しくなった感がある。B校の授業一種類が私の企画立案に任されてしまって、考査問題ならびにその対策プリントを作らなくてはならない。
 それでとりあえず自分の授業で配るプリントをここしばらく作っていたのだが、今日は午前中寒い部屋でストーブを背負ってパソコンを打って、どうやら完成させた。これで授業の方は当分大丈夫だろう。
 それで安心している場合ではなくて、後はさっさと考査問題の方にも攻め込まなくてはならない。一月末には院試もあるが、そのあと二月の一日は研究室で卒論修論発表会なんてものもあるらしい。しかしこれは私は出られるかどうかわからない。火曜日の午後は私はA校で働いている。加えてその前の金曜の院試のために、やはりA校で休みを取らなくてはならない。年休は労働者の権利とはいうものの、そんなに続け様に休んでばかりいたらさすがにまずいんじゃないかと思う。
 寒いといって家の中で縮こまってばかりではいけないので、今日は午後から大学へ出かけた。今日明日とセンター試験なるものがあって、川内付近は時間によってはとんでもない混雑になりかねないので、ゆっくり出かけて早めに帰る。