期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

むやみとあつい

2011-06-30 20:27:52 | 日記
 今日は仙台で三十四度を越えたそうで、猛暑日一歩手前というところである。去年の夏も暑かったが、今年も何だかそれに輪をかけて暑い。思い返せば去年も夏休み前、海の日少し前に真夏のような暑さが続いたような気がするが、今年はさらに早く暑さが来たような感じである。
 幸いにして、震災を機に移り住んだ今の部屋は、築二十年の1Kながらエアコンが備え付けてある。今日みたいな日は有難くこれを使わせて頂く。節電が叫ばれている現下ではあるが、夕方てくてくと歩いて帰って来て、水で体を拭って冷風に当たっていると極楽である。狭い部屋だからあっという間に冷えて、書物を読んでいたらすぐに眠くなって、エアコンは止めて晩ご飯までうたた寝してしまった。
 震災の日まで暮らしていた実家にはエアコンは無かった。だから毎年夏になるとひたすら暑さに耐えていた。海岸沿いの町であったから、涼しい海風が入って、仙台ほど暑くはなかったが、それでも年に何日かは猛暑日もあった。
 エアコンは無かったし、他にもいろいろ不満な所はあったけれど、でも昔の家の方がよかった。細部を一つずつ思い出して行ったらきりがない。昔の家はよかった、と心に呟くだけで今でも涙がこみ上げてくるのである。

あついのだ

2011-06-29 20:55:14 | 日記
 まだ梅雨のうちだと思うのに真夏のように暑い。今は夏至をすぎて間もないから日も長いので、夕方は特にいつまでも日が落ちず、暑さが続く。
 それでもこのあたりは久しぶりに晴れたので洗濯にはよい。私の部屋は特に、晴れていると朝はがんがん窓に日が差すので、窓掛けを巻き取ったらすぐにも何か外に掛けないと大変なことになる。昨日洗って室内に吊るしておいたものを、起きてすぐに出して、出勤するまで二時間足らず干しておいたらだいたい乾いてしまった。
 本当は布団も干したいのだが、あいにく今日は朝から夕方まで仕事が詰まっていてどうにもならない。こうしてみると専業主婦というのはじつに有難い存在だと最近つくづく思う。誰かがうちに居てくれて、留守を守っているというのは非常に心強い。これが一人だと、出かけている間は部屋は全く機能を喪う。洗濯物を干しておいて雨が降ってきても濡れるに任すしかないし、ネットで注文した古本が届いて、新聞受けに入らないとなるとそのまま持ち帰られてしまう。実に不便である。
 震災まで、実家に家族と住んでいた頃はよかったと思うが致し方ない。自ら新しい家族を作るほどの甲斐性も無し、せめてこの梅雨時は、たまに晴れた日は洗濯休みなんてものが認められないかしらと夢想するのみである。うちの両親が子供の頃は、田植えとか稲刈りとか、農繁期となると小学校は休みになったそうである。社会生活がそのくらい自然に合わせて営まれていた時代もついこの間まであったのだ。

どうやら生きているようだ

2011-06-28 20:36:36 | 日記
 パソコン君は一夜明けてどうなったかしらと思ったが、あいにく今日は一時間目から仕事が立て込んでいて、夕方帰ってご飯を食べてお風呂に入って洗濯を仕掛けるまで、昨夜鞄にしまいこんだままで全く手も触れられなかった。
 夜になってようやく出してみて、こうして使ってみると、どうやら何事もなく、機嫌よく動いているようである。心配だったAC電源も来ているようだし、本体にも特に故障は見受けられない。
 これで安定して運転できるようであれば、教材も作れるし、ネットも見られるし、メールも取れるし、非常に便利である。これらの事が一切出来なくなって、思えばさまざま不便なことはあったが、ここで一つだけ記すとすれば、教採の申し込みをするのがとにかく面倒だった。
 昔は五月の連休頃に、県庁に募集要項を貰いに行く所から始まって、書類を手書きで書いて、封筒に入れて封をして、郵便局に持って行って書留で送ったものである。しばらくすると受験票がやはり郵送されてくる。それで何の不都合があったかと思うのであるが、いつの間にか電子申請なるものが導入されて、自前でインターネット環境を持たない者は事実上試験を受けられないようなことになってしまった。
 確かに、申し込み期間中は県庁や出先機関にパソコンを置いておくから使いなさい、などと書いてはあるが、実際には、受験票もメールの添付ファイルで届くのである。ということは、接続環境とともに自分のアドレスと、さらにはプリンタも無いと試験は受けられない。事情があれば郵送も受け付けるというが、最初からそんな特別扱いを求めるのもいやである。
 それで非常勤先のパソコンで履歴書も書いて、電子申請してやろうと思った。アドレスは昔からのをウェブメールで使えばいいと考えたのであるが、A校の機械はフィルタが掛けられていて個人頁に入れない。
 公立学校の機械はどこもそうだと思い込んで、それでまず絶望しかかったが、幸いなことにC校の機械は何事もなくウェブメールが使えたので、どうにか〆切の最後の週に滑り込むことができた。
 ところがそれから何日かして、県教委から携帯に電話がかかってきて、補正指示なるものをメールで送るという。来年三月現在での年齢を間違えたとか、区分が既卒ではなくて教職であるとか、そういうミスは確かに注意散漫であったが、面倒なのは履歴書の空白期間の件であった。
 非常勤の辞令は例年四月十日前後から始まって、三月二十五日前後に終わる。したがって毎年年度代わりには必ず数日の空白が生じる。しかし私はこれを在家庭とは絶対に考えないのである。なぜならその頃はすでに現任校で留任か、別の学校からオファーが来ていて行き先は決まっている。だいたい今年だって、辞令の出るはるか前に、C校のオファーを受けてB校を断ったら、教頭から人間性の問題だと嫌味を言われた。
 それでも辞令がそうなっていると言うのであれば、非常勤は一年で三枚辞令がたまる。夏・冬の休みは切られるからである。これもいちいち在家庭と書かねばならないのか。確かに通常の業務はしていないけれど、休み明けは継続することが決まっているし、少しは授業の準備もする。
 私など非常勤生活十年以上で、その間五・六校は渡り歩いている。今回昔の辞令もすべて瓦礫の一部となったから、任期ももう正確にはわからないが、向こうの言うらしい空白期間をすべて克明に書き出したら、職歴が軽く五十行くらいにはなるであろう。見る方も馬鹿馬鹿しいと思うが、それとも何か、要するに非常勤生活が長い、履歴の汚れている奴は今さら採用する気はないと言うのか、とはやはり講師根性の僻みというものであって、これだから受からないのだろうなあ、と思うと気分はどんどん沈みこんでくる。
 それで結局、一度の補正指示で向こうのお気に召さなくて、試験当日に直して持って来なさいということになった。もう最初からこれでは本当に全く受かる気がしない。
 しかし私は思うのであるけれど、電子申請でよほど教育庁は暇になったのであろう。余った人手で書類をチェックして、こんな下らない空白期間なんか見つけて、何のための電子化であるかとしか言いようがない。

パソコンが復活した

2011-06-27 21:17:24 | 日記
 津波で廃墟と化した自室から、奇跡的に救出されたパソコンは、その日は全く異常なく動くようであったが、間もなくACから電源が取れなくなって、修理に出してあった。
 地震が三月十一日で、救出されたのが四月末で、それからすぐにY電機に持ち込んだら、なにしろ中国系の怪しいメーカーの機械であるせいか、見積もりだけでも五月一杯くらいかかるという話だった。ところが六月に入っても全く音沙汰がないので先日ついに連絡してみたら、さっそく返事が来て、直すのに二万なにがし掛かるという。
 見積もりを頼んだ時すでに、一度潮をかぶった機械は、直してもすぐ故障するかもしれないという話があったし、さらにこう見積もりだけで時間がかかるのでは信用ならないと思って、修理は諦めることにした。先週末に返って来たというので、今日仕事が終わってから夕方街へ出かけて引き取ってきた。
 予定としては、今週中にも怪しいメーカーにリサイクルの手続きをして、処分するつもりであった。けれど懐かしい機械と久しぶりに再会して、はて動くものかしらと思って電源を入れてみたらこれが驚いた事に、問題なく立ち上がるのである。ACからもちゃんと電気を取っている。
 そしてこの春から移り住んだ私の陋屋は、有難いことに無線LANが備え付けてある。つないでみたら何事もなくネット接続も出来て、ここ数ヶ月たまっていたウインドウズならびにウイルスソフトのプログラムの更新も済んだので、使い慣れた機械であちこち見て回って、こうして日記など書いている。
 しかし何しろ津波をかぶった機械だから、こうしてずっと問題なく使えるだろうとは私も信じ切ってはいない。悪くすれば明日の朝になればまたAC電源がつながらなくなっているかも知れない。その可能性の方が高い。もしそうとなれば、最後に私のもとに帰ってきて、もう一度だけ昔を思い出させてくれたということになるであろう。
 たとえ一夜だけでも、日記もこれでまた切れるにしても、まあ、よかったと思う。後は壊れるまで手元に置いて、いよいよ壊れた時には仕方がないからお別れをして送り出してあげようと思う。