宿縁というものはあるもので、全くの無用者に陥っていた私に再起の機会を与えてくれた今の学校は、実は二度めの勤務になるのであった。六年ほど前まで、非常勤で三年ほど務めていたから、なんとなく勝手はわかっている。それが今回常勤で仕事をする上で無形の力となっていただろうと思う。
しかし人間失格ではないが、私は恥の多い人生で、前回ここに務めた時も、今では思い出したくない失敗をして、先生がたには迷惑をかけた。詳しくは書かないが、別に私じしんが法に触れるようなことをしでかした訳ではなく、要するに生徒指導が一人でうまく完結できず、大ごとになって特別指導のもとを作ったということである。
それが非常勤を辞めた年の冬のことで、この一件が仕事を切られた直接の原因という訳ではなかったと思うが――専任の教員が補充されることになって、非常勤は不要になったという話だった――私としてはかなり自信を失い傷心を抱えて、当時の校長が紹介してくれた次の学校に移ったのであった。そこでどうにか五年務めて、震災を経て、さて心機一転と例の私学の常勤になった所が、またしても深い深い穴に落ちたという訳である。
だから私が新しい務め先に行く時はいつも、はたして自分に務まるのかしらという非常な不安を抱えているのであるが、しかし今回は幸いにして順調のようである。それどころか前回同じ学校で仕事した時に比べて、自分もずいぶん成長したのではないかと、ひそかに自負する所すらある。しかしそう自惚れていると、思わぬところでまた足をすくわれるのではないかという恐れは拭いきれないのである。
しかし人間失格ではないが、私は恥の多い人生で、前回ここに務めた時も、今では思い出したくない失敗をして、先生がたには迷惑をかけた。詳しくは書かないが、別に私じしんが法に触れるようなことをしでかした訳ではなく、要するに生徒指導が一人でうまく完結できず、大ごとになって特別指導のもとを作ったということである。
それが非常勤を辞めた年の冬のことで、この一件が仕事を切られた直接の原因という訳ではなかったと思うが――専任の教員が補充されることになって、非常勤は不要になったという話だった――私としてはかなり自信を失い傷心を抱えて、当時の校長が紹介してくれた次の学校に移ったのであった。そこでどうにか五年務めて、震災を経て、さて心機一転と例の私学の常勤になった所が、またしても深い深い穴に落ちたという訳である。
だから私が新しい務め先に行く時はいつも、はたして自分に務まるのかしらという非常な不安を抱えているのであるが、しかし今回は幸いにして順調のようである。それどころか前回同じ学校で仕事した時に比べて、自分もずいぶん成長したのではないかと、ひそかに自負する所すらある。しかしそう自惚れていると、思わぬところでまた足をすくわれるのではないかという恐れは拭いきれないのである。
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