更新もろくにしていないのに時々見て下さる方がいるようで、不思議でもあり有難いことでもある。
しかし今週に入ったら妙に忙しい。要因は主にC校の成績処理のためである。先週台風のために二日休校して、それでもなんと日程は繰り延べず、三連休の金・土をつぶして試験をやりきってしまった。生徒にしてみれば、試験が終わって三連休、のはずだったのが、台風と試験勉強で遊ぶこともならぬ二日休校の後、試験を二日やって、休みは日曜の一日だけである。私が生徒だったらやってらんないと思うが、特に不平もなく収まっているのは、さすが進学校と感動する。
それで成績処理も佳境に入って、一方では秋休みもなく後期の授業も始まっているので、授業の予習も間髪入れず追いかけてくる。これで今のところ休みのA校の授業まで始まったらとんでもないことになる。
しかし先日試験が終わって、前期で完結した私の授業は消滅しているA校であるが、油断してはならない。今日C校で仕事をしていたらいつの間にか携帯に留守電が入っていて、事後指導の件で相談があるので学校に来てくれという。
確かに赤点を一人出した覚えがあるので、大方その件だろうとは思ったが、その生徒には事前に警告も出してある。提出していない夏休みの課題を出さないと赤点になると宣告してあるので、欣然として赤点を受け入れたものとこちらでは理解していた。
のであるが、夕方行って教務部のえらい先生から話を聞いてみると、何か手続き上の不備があったとかで、やはり事後指導をして救わなくてはいかんという指令が管理職から下ったのだという。面倒なので詳細は略すが、要するに、生徒にチャンスを与えずに突き落としたということになって、外部に漏れた時に体面がわるいらしい。
事後指導というものは、あくまで生徒が自らの不勉強を反省して、教員に願い出て行われることになっているものである。いくら教務規程やらシラバスやらに照らして不備があったからとて、自らの意志で課題を出さない生徒に対して、新しく課題を設定して事後指導を受けていただくというのは変な話だと思うが、管理職がそう言うのでは仕方がない。聞くところによると、阿弥陀さまは我々凡夫がいくら逃げても追いかけて来てお浄土に迎えて下さる、有難い有難いというのが一向宗の教えだそうであるが、まさに阿弥陀の慈悲のような学校である。
しかし阿弥陀に従う聖衆たる私としては迷惑な話で、A校の追認会議は明日の午後だという。それまでに指導して格好をつけなくてはならないが、明日は私はもう一方のC校で働いている。どこでもドアかコピーロボットでも無い限り無理である。一瞬途方に暮れたが、時間割を見るとどうにか昼休みに空きがありそうなので、適当に教科書から漢字練習の課題を出して、明日の昼休みに持って来させることにした。作文の授業が本来こんな課題で事後指導になるわけはない、というなら、二日ばかりの指導で赤点が黒くなるということ自体、元来ありうべからざる奇跡なのである。これが本当ならば教員はみなカトリック教会の認める聖人か福者と言ってよいが、そんな馬鹿なことを言っている場合ではない。私の明日の日程の方が綱渡りである。朝のうちにC校の教頭に願い出て、午後の授業を半分休む算段が必要かもしれない。
しかし今週に入ったら妙に忙しい。要因は主にC校の成績処理のためである。先週台風のために二日休校して、それでもなんと日程は繰り延べず、三連休の金・土をつぶして試験をやりきってしまった。生徒にしてみれば、試験が終わって三連休、のはずだったのが、台風と試験勉強で遊ぶこともならぬ二日休校の後、試験を二日やって、休みは日曜の一日だけである。私が生徒だったらやってらんないと思うが、特に不平もなく収まっているのは、さすが進学校と感動する。
それで成績処理も佳境に入って、一方では秋休みもなく後期の授業も始まっているので、授業の予習も間髪入れず追いかけてくる。これで今のところ休みのA校の授業まで始まったらとんでもないことになる。
しかし先日試験が終わって、前期で完結した私の授業は消滅しているA校であるが、油断してはならない。今日C校で仕事をしていたらいつの間にか携帯に留守電が入っていて、事後指導の件で相談があるので学校に来てくれという。
確かに赤点を一人出した覚えがあるので、大方その件だろうとは思ったが、その生徒には事前に警告も出してある。提出していない夏休みの課題を出さないと赤点になると宣告してあるので、欣然として赤点を受け入れたものとこちらでは理解していた。
のであるが、夕方行って教務部のえらい先生から話を聞いてみると、何か手続き上の不備があったとかで、やはり事後指導をして救わなくてはいかんという指令が管理職から下ったのだという。面倒なので詳細は略すが、要するに、生徒にチャンスを与えずに突き落としたということになって、外部に漏れた時に体面がわるいらしい。
事後指導というものは、あくまで生徒が自らの不勉強を反省して、教員に願い出て行われることになっているものである。いくら教務規程やらシラバスやらに照らして不備があったからとて、自らの意志で課題を出さない生徒に対して、新しく課題を設定して事後指導を受けていただくというのは変な話だと思うが、管理職がそう言うのでは仕方がない。聞くところによると、阿弥陀さまは我々凡夫がいくら逃げても追いかけて来てお浄土に迎えて下さる、有難い有難いというのが一向宗の教えだそうであるが、まさに阿弥陀の慈悲のような学校である。
しかし阿弥陀に従う聖衆たる私としては迷惑な話で、A校の追認会議は明日の午後だという。それまでに指導して格好をつけなくてはならないが、明日は私はもう一方のC校で働いている。どこでもドアかコピーロボットでも無い限り無理である。一瞬途方に暮れたが、時間割を見るとどうにか昼休みに空きがありそうなので、適当に教科書から漢字練習の課題を出して、明日の昼休みに持って来させることにした。作文の授業が本来こんな課題で事後指導になるわけはない、というなら、二日ばかりの指導で赤点が黒くなるということ自体、元来ありうべからざる奇跡なのである。これが本当ならば教員はみなカトリック教会の認める聖人か福者と言ってよいが、そんな馬鹿なことを言っている場合ではない。私の明日の日程の方が綱渡りである。朝のうちにC校の教頭に願い出て、午後の授業を半分休む算段が必要かもしれない。