期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

にわかに忙しい

2011-09-28 20:32:26 | 日記
 更新もろくにしていないのに時々見て下さる方がいるようで、不思議でもあり有難いことでもある。
 しかし今週に入ったら妙に忙しい。要因は主にC校の成績処理のためである。先週台風のために二日休校して、それでもなんと日程は繰り延べず、三連休の金・土をつぶして試験をやりきってしまった。生徒にしてみれば、試験が終わって三連休、のはずだったのが、台風と試験勉強で遊ぶこともならぬ二日休校の後、試験を二日やって、休みは日曜の一日だけである。私が生徒だったらやってらんないと思うが、特に不平もなく収まっているのは、さすが進学校と感動する。
 それで成績処理も佳境に入って、一方では秋休みもなく後期の授業も始まっているので、授業の予習も間髪入れず追いかけてくる。これで今のところ休みのA校の授業まで始まったらとんでもないことになる。
 しかし先日試験が終わって、前期で完結した私の授業は消滅しているA校であるが、油断してはならない。今日C校で仕事をしていたらいつの間にか携帯に留守電が入っていて、事後指導の件で相談があるので学校に来てくれという。
 確かに赤点を一人出した覚えがあるので、大方その件だろうとは思ったが、その生徒には事前に警告も出してある。提出していない夏休みの課題を出さないと赤点になると宣告してあるので、欣然として赤点を受け入れたものとこちらでは理解していた。
 のであるが、夕方行って教務部のえらい先生から話を聞いてみると、何か手続き上の不備があったとかで、やはり事後指導をして救わなくてはいかんという指令が管理職から下ったのだという。面倒なので詳細は略すが、要するに、生徒にチャンスを与えずに突き落としたということになって、外部に漏れた時に体面がわるいらしい。
 事後指導というものは、あくまで生徒が自らの不勉強を反省して、教員に願い出て行われることになっているものである。いくら教務規程やらシラバスやらに照らして不備があったからとて、自らの意志で課題を出さない生徒に対して、新しく課題を設定して事後指導を受けていただくというのは変な話だと思うが、管理職がそう言うのでは仕方がない。聞くところによると、阿弥陀さまは我々凡夫がいくら逃げても追いかけて来てお浄土に迎えて下さる、有難い有難いというのが一向宗の教えだそうであるが、まさに阿弥陀の慈悲のような学校である。
 しかし阿弥陀に従う聖衆たる私としては迷惑な話で、A校の追認会議は明日の午後だという。それまでに指導して格好をつけなくてはならないが、明日は私はもう一方のC校で働いている。どこでもドアかコピーロボットでも無い限り無理である。一瞬途方に暮れたが、時間割を見るとどうにか昼休みに空きがありそうなので、適当に教科書から漢字練習の課題を出して、明日の昼休みに持って来させることにした。作文の授業が本来こんな課題で事後指導になるわけはない、というなら、二日ばかりの指導で赤点が黒くなるということ自体、元来ありうべからざる奇跡なのである。これが本当ならば教員はみなカトリック教会の認める聖人か福者と言ってよいが、そんな馬鹿なことを言っている場合ではない。私の明日の日程の方が綱渡りである。朝のうちにC校の教頭に願い出て、午後の授業を半分休む算段が必要かもしれない。

台風が行ったらしい

2011-09-22 11:10:36 | 日記
 昨日は予報のごとく台風十五号の直撃に遭い、一日逼塞を余儀なくされた。日中は出て出られない天気ではなかったが、電車が早々とすべて止まったのだからどうにもならない。
 当地は夜になっていよいよ風雨が激しくなった。私の部屋は窓が北向きで、打ち付ける雨の音がうるさくて寝られないかと思った。実際は雨は夜半には止んだらしく、後は何も知らずに寝てしまった。
 しかし風雨が荒れている間は不安なもので、何が心配と言って、今は考査の答案三クラス分を持ち帰っている。私の住んでいる部屋は地勢が少し高いから、まず浸水する恐れはないとして、万一にも窓ガラスが破れて風雨が吹き込んだりして、この答案もろとも水没でもしたらどうするかと思う。
 それであまり意味はないかと思いつつ、答案の束だけは防水袋にしまって寝た。さらに寝床のあるロフトまで持ち上げておこうかとも思ったが、それはそれで何となく不安なので、居間の机の上に置いて寝た。
 朝になってみるとお天気も穏やかになって、この辺りは何ということもないが、テレヴィを見ると県内の被災地ではなかなか大変なところもある。仮設住宅が水没したり、浸水はしないにしても雨が洩る所もある。
 両親も仮設暮らしなので、どうしたかと思ってメールしてみたら、驚いたことに夜更けになって市が差し回したバスで避難していたという。結果的には浸水も何もなかったのだが、周りより低い土地なので、大事をとってというか、心配した人が避難を要請したらしい。
 それで夜の十時頃に近くの公民館に移って、日付の変わる頃に帰ってきたという。老母が言うには、避難しなくてもいいかと思ったんだけど、これが最後のバスですなんて何度もハンドマイクで騒いでるから、普段何も協力しない分こういう時くらいはと思って。ここにいる百二世帯はもう一蓮托生なのよね。
 突然話が変わるようだが、私は子供の頃から今に至るまで、自分という人間は何だか世の中のメインストリームから外れているというか、他の人々とは自然に違う方向へ行ってしまうのは何とも不思議だと思っていたのであるが、これはわが両親もそういう傾向があるのである。今回こうして被災して、私がひそかにいう収容所のような仮設に入れられてみるとよくわかる。何かとストレスはあるであろうと思う。
 そのうえ両親の住んでいる部屋でも、雨漏りというか、換気扇のあたりから軽く水が洩るらしい。なにごとも仮設だから仕方がないと言いながら、悲しいことである。私の住んでいる部屋などは、築二十年の1Kだから茅屋といってよいが、一応はじめからちゃんと人が住む部屋として念を入れて作ってあるだけに、昨夜の嵐でもどこも何ともなかった。
 こうしてみると、仮設住宅と、民間賃貸住宅の仮設扱いでは、居住環境に相当格差があると言わざるを得ない。私など自分自身が恩恵に浴しているから大きな事は言えないが、普通の貸間を借りて、県に家賃を払ってもらった方がいいに決まっている。この制度は震災の後しばらく経ってから導入されたのであるが、仮設の出来ないうちに民間賃貸を借りた人は、あくまで自分で家賃を払える見込みがあって借りたのであるから、放って置いてもまあ良いのである。
 それよりはその家賃補助のお金で、雨の洩らない、もっとちゃんとした仮設を作って頂きたかったと思う。甲斐性のない息子としては親がそんな所に住んでいてもどうしようもない。ホームレス家を買うなんてのは、ありゃ二宮君だから出来る夢物語である。

台風が来るらしい

2011-09-20 18:06:16 | 日記
 連休が明けて、予想のごとく涼しくなって、それはたいへん有難いけれども、今度は台風が来る。
 私は今日で自分の担当する試験は終わって、明日明後日はまだ定期試験が続いているが、出勤する必要はない。それでも勤務日なので、教頭にそう言って、ちゃんと年休を取って二日とも休みにしてきた。
 東海では大変なことになっているようだが、明日はまさかこの辺りではそれほどのこともあるまいと思うが、何があるかわからない。出ないで済むなら家から出ないでいた方が良いに決まっている。
 三クラス分答案も持ち帰ってきたから、明日はたぶんこれをゆっくり採点しながら引きこもることになるであろう。本当は採点なんか次の連休に回して、街に遊びに行きたいのであるが、無用の人間がふらふらしていられるような天気かどうかわからない。まあ明日以降になってからの話である。
 夕方帰って来て風呂を掃除していたら、ちょうどよく郵便屋さんが来て、このあいだアマゾンで取り寄せた古本を届けてくれた。岩波の新大系の(というのは業界用語であろう)『中世和歌集鎌倉篇』である。
 津波ですべて家財を失ったうちでも、特に書物は惜しいことをした。古典文学のテクストを新大系と旧大系で揃えるというのが私のひそかな夢になっていて、震災直前にはだいぶ充実して来ていた。新大系の八代集は全巻あったし、加えて今回求めた中世和歌集の鎌倉・室町、平安私家集と袋草子といった具合に、和歌文学関係のテクストはほとんど自前で用が足りるようになっていた。
 加えて新大系の源氏、旧大系の狭衣、浜松中納言ほかの物語類もあった。じつはこれらは買い込んだだけで読むには至らず、棚に並べて日夜愉しみに眺めていたまま水禍に遭ったのである。
 こういう本を読み返しながら、できれば大学にも籍を置いて研究を続けたい、というのが、震災前の私の希望であったが、まず博士課程の夢は教官に否定された。何事も永遠ということはないのだ、と自分に言い聞かせているうちに、あの大震災になって生活の基盤そのものが消滅した。
 失った書物について、同じものを揃えるべきかどうか、当初は私の中では否定的であった。元通りの復旧ではなく復興を、なんて言葉は一般にも言われるが、本にしても、元と同じものを復元しても仕方がない。テキスト類なら別の版を手元に置こうと思った。たとえば八代集ならば国歌大観からのコピーで済む。新大系にしても、以前は手元になかった巻をと思い、土佐日記と枕草子の二冊だけ、今まで手に入れていた。
 しかし今回、昔なじみの一冊と再会してみると、何とも言えず懐かしい。こういう本を携えて、行きつけたカフェで一服しながら読もうと思うのであるが、明日明後日はそれどころではないかもしれない。

これ以上無用の血を流してはいけない

2011-09-16 20:28:00 | 日記
 というと何だか「戦争と平和」みたいな話柄であるが、むろんそんな方向の話ではない。私一個の身体の問題であって、本人も血を流したくはないのだが、流れるものは仕様がねえじゃん、という感じである。
 今週は全く疲れた。先週後半に教採に参加して、一日休んだ分の授業が火曜日に振り代わって二時間多くなり、さらに昨日木曜日は定期試験前の七時限目の追加で、一つ増えて一日四コマもやってきた。
 そして最も条件が悪かったのは、ずっと残暑が厳しかったことである。てきめんに体力が消耗する。
 そんなこんなで痔疾の状態は相変わらずよろしくない。今週は特に、用を足すたびに出血量がこれまでにも増して多くなっている。これは一つには食生活を改善して、野菜や果物を意識して食べるようにしたために、胃腸の活動が活発になり、肛門への負担が大きくなっているものと思われる。
 病気になると人間誰しもこれまでの来し方行く末を思うもので、私も例外ではなく、震災に遭って一人暮らしを初めておよそ半年、その間の食生活といったらやはり実家で暮らしていた従来に比べて相当不健康ではあった。とにかく野菜果物をほとんど食べなかったから、代謝もよくなく粘膜も弱る。
 それで一つ思い立ち、野菜を食べることにした。青梗菜を買って来て、茎は浅漬けにし、葉はサンドイッチに挟んだり、即席味噌汁に入れる。これで十分菜っ葉の味噌汁らしくなる。
 青梗菜は一日一株、林檎は一日一個食べることにして、さらにこれまで全く縁のなかった野菜ジュースなんてものも飲み始めた。おかげで先週あたり一番ひどかった便秘はみるみる改善されて、吹き出物も影を潜めたのはいいが、出血が続いているのでだるくて仕方がない。顔色も生徒に言われるほど悪い。
 そこでさらに最新兵器を導入した。すなわち愛情一本の栄養ドリンクであって、世間一般にはごく普通に用いられているであろうが、私にとってはこれもまたあまり常用するものではなかった。三本三百円とかでフィルムに包まれて売られている代物であるが、普段飲まないからよく効く。今週の一日四コマはこれで乗り切ったようなものである。
 さいわい今日から定期試験が始まり、来週は頭としっぽに三連休もあって、授業が全くない。残暑も治まり涼しくもなるらしい。ここでしっかり休養をとって少しでも体力を回復しないと、十月になればA校でさらに授業が週四コマ増える。出血を抱えたままそんな状態に突入したくはないが、現実には難しいであろうと覚悟はしている。半年かけて悪くなったものは半年かけねば治らない。

二次が始まった

2011-09-09 09:35:17 | 日記
 昨日今日明日と三日間、お招きを受けて教員採用試験の二次に参加している。
 内容は、昨日が面接二つ、今日が模擬授業、明日が適性検査である。
 しかし二次が平日も含めて三日かかるというのは、遠くから泊りがけで来ている人は大変だろうと思う。私も数年ぶりに受けたからよくわからないが、昔は長くても二日間でみんな終わっていたように記憶する。運がよければ午前に面接、午後に模擬授業といった具合で一日で終わることもあった。
 今年はなにしろ非常時であるから、諸事いつも通りには行かないのかもしれない。今回県教委はよほどテンパッていると見えて、一次の時も内容のまちがった受験票をネット経由でばらまいて、結局全員ぶん郵送で送り直すという事態になったが、今回も試験二日前の夜八時にとつぜん電話がかかってきて、何事かと思ったら、試験開始時刻の確認と、会場が市立高校になる三日目は上履きを持って来いという連絡であった。
 想像するに、一次の合格通知といっしょに連絡した開始時刻に、やはりまちがって印字したものがあったのではないかと思われる。さらに憶測すると、昨日会場で配られた日程表を見たところ、模擬授業の組分けの通し番号が一番から十五番で、教室番号がやはり一番から二十九番だかまである。これは非常にまぎらわしい。一つの表にしたら区別がつかないから、こういう時はどちらかをアルファベットにするとか、違う配列をしないといけないのである。われわれ試験問題を作るときなんかは常識である。
 そういう関係で、何人かにまちがった時刻を連絡するはめになったのではないかと思うが(ちなみに私のは問題なかった)、もう一つ上履きの件も私は個人的に面白い。実は県教委から連絡のあった日の朝、私は一つ決心をしてこちらから県教委に問い合わせをしていた。すなわち、要項には何も書いてないが、上履きは要るのかどうかである。これ一つで荷物がだいぶ変わる。
 一日目と二日目は、会場が地方公務員の研修センターだというので、なんとなく土足のような印象があったのだが、やはり不要ということであった。
 さらに係りの人には、要項に何も書いてないでしょう、と言われ、妙に上から目線だなと思いつつ恐縮して電話を切ったが、よく考えてみると、三日目は会場が市立高校になる。私は行ったことはないが、当県内で土足の公立高校があるとは聞いたことがない(沖縄の教採に行ったら、会場の高校は土足だったので驚いた)。普通に考えれば上履きは必要である。
 この際わざと持たずに行って、万一の時には要らないと言われましたと開き直ってやろうかと思ったが、あまりにも不毛であるので、その日のうちにA校で履いているサンダルを持って帰って来た。電話がかかってきたのはその夜であった。
 何をやってるんだかと思うが、職員一人一人は大変であろうと同情する。なにしろ夜の八時までかかって、参加者に一人ずつ連絡をしている。それでも連絡のつかなかった人はいたらしく、靴袋らしいものを提げてきた受験生も何人か散見された。
 そんなわけで今日もこれから昨日と同じ所に行く。私の順番は昨日も今日も午後からで、今日なんか三時すぎからである。仕事しているより楽かもしれない。

寝て暮らした

2011-09-05 16:47:49 | 日記
 夏休みが終わった直後の、先週一週間が休みも無くて日程的には一番きつかった。今週以降になると、A校は前期の授業が終わるし、C校も定期試験が見えてくるのでだいぶ楽になる。
 それで月が変わったのにこの稿もずっとほったらかしであったが、さらにその間に教採一次の結果も来たりして、これがどういうわけか合格で、二次のお招きを受けてしまったのでいっそうあたふたしていた。今週後半は木・金・土とまた実盛にならねばならない。
 しかし今週前半はそれまで案外余裕がある。今日は月曜で、本来はC校に出講する日だが、土曜日の文化祭の代休ということで、文化祭にも行かずにきっちり休む。
 それで一日ほとんど部屋で寝て暮らした。別に寝たきりというわけではないが、朝ご飯を食べてはうとうとし、片づけてお風呂を洗ってはまた意識を失い、買い物に行って帰って来て、一服してまた一睡、といった具合で、十五分くらいずつだが寝てばかりいた印象がある。
 あいかわらず痔疾は猛威を振るっていて、こう眠いのは血を失っているせいではないかと思うが、寝るのはさすがに一番の薬で、今日後半になって何となくうっすらと光明が見えて来たような感がある。下血はしても気のせいか量が少ない。まあ漱石の胃潰瘍の日記を思い出してみても、今日は少しよくなったと思う、明日はそれがイリュージョンである、云々と書いてあったがそれと似たようなものだろう。
 ところで突然話は変わるが、昨日から私の住んでいる市では議会選挙をやっていて、これがまあうるさい。猫の額のような狭い市で、候補者が二十人もいるものだから、一日じゅう選挙カーの騒音が止むことがない。外を歩いていると、複数の音源がさまざまな方向から殷々と響いてくるのさえ聞き分けられる。
 一応住みはじめて五ヶ月になる私のところにも選挙券が配達されてきて、日曜日には近くの公民館に行かねばならない。しかし誰が誰やら全く判らない。これが住み慣れた昔の市であったなら、考えるまでもなく入れる人は決まっていた。すなわち母の実家の向かいの、化粧品その他よろづ屋の旦那さんであって、私も子供の頃、祖母にアイスなんか買いにやらされたりして顔見知りであった。
 これにしても何か政治的な信条があって支持するのかどうかと言えば、大して立派な動機はなかったわけであるが、一応どこのどういう人ということはわかっていたわけで、今の全く五里霧中という状況よりは余程ましである。
 しかしあの旦那さんも聞いた話によると、町に津波が押し寄せた時に、往来に出て隣近所に避難を呼びかけているうちに逃げ遅れて亡くなった。本人としては不覚だったかも知れないが、選良としては模範的な最期といえる。しかしやはり死ぬことはない。あの家では奥さんも含めて一家全滅した。市に申請する人が誰もいないから、家の跡地はそのまま片付けられず、この間お盆に墓参りに行った時に通りかかったら、見覚えのある店の床板だけが砂の中に残っていた。