期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

半曇り

2012-05-30 17:46:03 | 日記
 よくわからない天気表記であるが、要するにご機嫌が取りにくい空模様である。午前中は晴れ間があって妙に蒸し暑く、かと思うと午後は少し涼しくなって嫌な色の雲も見える。傘を持って出歩いたが、結局雨は降らなかった。
 仕事を辞める前後に相当健康を害して、下血が打ち続きかなりひどい貧血に陥った。ひと月余りかかって全身状態はだいたい元に戻ったが、いまだに妙な所が二点ほどある。
 一つは右手の親指が微妙にしびれて感覚がおかしい。と書くとなんだか脳血管障害かと疑われそうだが、おそらく肩から腕につながる辺りに問題があり、血行か神経か何かが阻害されているのである。今日みたいな日は特にしびれる。
 そしてその右手は外観の方がかなりひどい。手の甲に火傷の痕みたいな赤いあざがいくつかできている。さらに小指も少し腫れてただれている。これも別に火傷したわけでも根性焼きされたわけでもなく、仕事を辞める前後から自然にただれが広がった。要するにストレスで免疫が阻害されて、一種のアレルギーを起こしたものと推察される。
 老母は見るたびに皮膚科に行けと言うけれど、こんなもの放って置けば自然に治る。と思って何もしなかったら全然治らないので、仕様がないアトリックスのハンドクリームを買って来た。しかも特別に薬用の奴である。これをニ三日前から塗っていると少しずつよくなって来たようである。
 それにしても医療って何なのかしらと思ったりする。昨日だったかNHKのクロ現を見ていたら、いま日本の病院は大変なことになっていて、入院患者をのんびり置いておけない。治るか治らないかでどんどん退院させているのだそうである。そうしないと病院に国から下りるお金が劇的に減らされるらしい。
 それでテレヴィのことだから深刻な方の話を取り上げていて、たとえば私みたいな一人暮らしの老人で、まだ一人で歩けないようなのを、まるで荷物でも運ぶようにして部屋に連れて行って置いて来てしまう。ヘルパーが一日に二回だか介助に来てくれるというが、とてもそれで用が足りるとは思えない。
 そうかと思うと、重い認知症の上に肺炎をわずらって家で寝ているお婆さんがいる。これは夫が一人で介護しているのであるが、酸素マスクを当てて意識も定かでなく、いつお迎えが来てもおかしくないように見える。ところが往診してくれるお医者は、決して入院とは言わない。行っても帰されるからである。一人で看ている夫はどうしようもなくて、意識も朦朧としている妻に卵豆腐なんか食べさせようとしている。誤嚥性肺炎なんだからどう考えても無茶であるが、番組の範囲では一応治ったという。人の命というのは案外頑丈なものである。
 いろいろ考えさせられたけれども、まず自分の親がこうなったらどうするだろうと思った。次には自分自身を始末するのはもっと大変なことだろうと思った。とりあえず医療というものは宛にならないと覚悟しておいた方が良いようである。それで私は今から医者にはできるだけ掛からない様にしている。とか言って、とつぜん倒れて医者に担ぎ込まれて点滴を打ってもらったりするのだけれど。

生活保護ねえ

2012-05-27 20:56:52 | 日記
 部屋の水漏れが続いて鬱な上に、この頃はどこのテレヴィを見ても生活保護の話ばかりで気が滅入る。たかがお笑い芸人が(とあえて言ってしまうが)ちょっとお上のお金をよけいに懐に入れたくらいでどうしてあんなに騒ぐのか。だいたい昔から芸人なんてのはまともな人間とは見られてなかった。古い言い方をすれば河原乞食である。普通の人間とは価値観が違うと思わなければいけない。
 たとえば永井荷風は、戦後に陋巷で独り暮らしをして、胃潰瘍で吐血して今でいう孤独死をしたのだが、実際は銀行に数千万円の預金があったという。それでも戦中の苦労が忘れられず、極端な倹約をして命を縮めた。
 あるいは林芙美子も、これは『放浪記』の例の舞台で有名であるが、晩年流行作家になって収入が激増しても、きわめて吝嗇で、周囲の人間からは顰蹙を買った。亡くなった時に葬儀委員長をつとめた川端康成が、皆さん故人を許してやって下さいと言ったくらいである。
 ことほど左様に、自由業の人々というのは金銭感覚がはかり知れない。今回たまたまお上の金が絡んだためにこんな騒ぎになったが、法的には不正受給とまではいえない、となれば問題は当人の人間性だけであって、この事例から生活保護制度がけしからんとかいう話に発展するのはどう考えても異常である。
 まあどうせ移り気なマスコミとそれに誘導された世論なんてのは、喉もと過ぎないうちにいずれ忘れるだろうとは思うが、特にネットなど見ていると、この生活保護叩きともいうべき過熱ぶりは空恐ろしい。だいたい、自分の分に応じて日々働きながら忙しく暮らしている人ならば、生活保護なんて制度がどうあろうと関心は薄いはずであるし、本当に困窮している人はじっと息を潜めているにちがいない。今騒いでいるのは九割九分まで全く関係ない野次馬と言ってよく、その主な心情は、あいつだけがこっそり得をしているという嫉妬であり、その裏側には、自分もいずれ受給者に転落するのではないかという不安が張り付いていて、それを否定するためになお声高に騒ぐ。
 したがってそんな生活保護叩きは、制度をまともに議論する時には無視するに如かないのであるが、今回の騒ぎのきわめてグロテスクな面は、自民党の国会議員が主導している所である。私は本当に思うけれども、政治家がここまで露骨に世論に媚び、人気取りに汲々としていてよいのであろうか。よくは知らないが古代ローマ帝国末期みたいになってきているぞ。
 民主党政権になってから生活保護が増えている、と自民党議員が言っていたが、よく考えて見ると、それは小泉改革で福祉を切り詰めて、経済を痛めつけた後遺症が出て来たのではないかという気がする。まあ民主党も利巧とは言えまいが、ものごとはちゃんと流れを見なくてはいけない。あの頃はやった言葉が〈自己責任〉である。当時の経済学者などは、本当の意味はちがうと言うかもしれないが、あれで個人は会社からも家族からもばらばらに切り離されてしまった。今さら「親族扶養を常識に」なんて何を馬鹿なことをと思う。
 もう一つ、例の芸人が言い訳に、将来の保証もない不安定な身の上で云々みたいなことを言い、それに対してコメンテーターと呼ばれる誰も彼もが、それは自分を含めて誰でも同じですとしたり顔で言うが、私はそれも変だと思うのである。
 まず、これらの人々が、そういう不安を自分のこととして本当に実感しているのかどうか。私は非常に疑わしいと思う。口先では不安定な身分だと言いながら、みんな実はどこかで根拠もなく安心しているのであって、日々ご飯を食べてお酒を飲んで、予定にしたがって仕事をしている。例の芸人が、そういう病的な不安に実際にさいなまれていたとして、それでお上のお金をよけいに貰っていいという理屈にはならないが、悟りを開いた高僧でもあるまいし、誰しも明日どうなるかわからないなんて、実感もなしに言うのは不誠実だと思う。
 そしてそういう、みんなが不安を抱えている、というのは、やはり困った事態であって、特に政治家は深刻に受け止めるべきなのである。五木寛之ではないのだから、間違ってもそれが当然だと思ってはいけない。生活保護叩きというのは結局、この国にそういう得体の知れない不安が沈殿していて、訳も判らず人々が狭量になってイライラピリピリしているという証拠である。

量が多い夜も朝まで安心

2012-05-25 17:31:25 | 日記
 何なんだ普段にもないこの際どいタイトルは。ということで水漏れの話。
 台所の換気扇ふきんからの水漏れは、どうやら定常状態に達し、止まる様子もなければ増える様子もないのだが、いちばん多く漏れて来る所は、なめたけの空瓶で受けていてだいたい二時間で一杯になる。夜寝る時とか出かける時はこれでは対応できないから、昨夜は洗面器の中に空き瓶を置いて寝たら、朝にはやはり溢れていた。
 そんな面倒なことをしなくても、直かに洗面器で受ければいいではないかと思われるかも知れないが、昼間から洗面器を置いておくと場所を取って仕方がない。それに洗面器にじかに水滴が落ちるとそれなりに大きな音がする。夜なんかドアを閉めて寝るけれど、それでも気になりそうである。ガラスが素材としてはいちばん静かなようである。
 昨日の午後に管理会社のおじさんが見に来てくれて、天井板まで外してみたが、案の定やはり原因は不明であった。天井は全く乾いているそうで、どこから水が来ているか全くわからないと言って、元に戻して帰って行った。
 水滴の音は換気扇設備の奥でしているので、おそらくこれを撤去しないと埒は明くまい。もしかすると壁も剥がさないといけないかも知れない。
 それで専門の設備の人が改めて来てくれるのが来週の火曜か水曜だそうである。それまでこの水漏れと付き合わなくてはならないのかと思うと憂鬱である。話が違うと怒られるかも知れないけれど、女性がこの表題に記したような時期に憂鬱になるというのもわかる気がする。
 余談はおいて実際問題として、竪穴式住居ではあるまいし、人間が住んで居る所に上から絶えず水が漏って来るというのは、これはどう考えても健康で文化的な最低限度の生活とは言われない。いろいろ忙しくはあるのだろうけれど、対応が遅すぎやしないかと思う。
 震災の後、多くの被災者が仮設住宅というものに初めて入ったわけであるが、中には粗悪な造りのものもあった。相当待たされてようやく入居してみたら、雨漏りがするというので問題になった仮設があった。こんな所は人間の住む所でないと涙ぐんで訴えていたおじいさんを思い出す。雨漏りくらいでと一般の人は思うかも知れないが、家財を失い、それまでの生活が根こそぎ消滅した被災者にとっては、それだけのことでも哀しさが噴出する。
 さて仮設ならぬ私の部屋の水漏れは、とにかく構造物をある程度分解しないといかんだろうから問題はより深刻である。工事となれば、今までどおり住みながらというのも困難かも知れない。もし数日どこかに移るとなっても行く所はない。その暁には管理会社持ちでホテル暮らしか?というのは愉しい夢想であるが、実際こちらの仕事のない時でまだよかったと思う。あの地獄のようなブラック会社ならぬグレー学校に居たら、今回の事態はとても付き合い切れなかった。

衰運だ

2012-05-24 13:52:14 | 日記
 諺というのはうまいこと言ったもので、弱りにたたり目とか、泣き面に蜂とか、つまりそういう事態が人の世には起こりがちだということが、昔から直感されていたのであろう。占いで天中殺とかいうのも、そういうことの理論化ではないかと思う。
 天中殺にもせよ何にせよ、私は今どうもそういう感じである。昨日あたりから部屋の台所で水漏れが発生している。コンロの上に付いている換気扇が異様に立派で、壁に四角い穴が開いていて青い羽根が回っているという、ああいう一般的な換気扇でなくて、黒い箱型のものが天井から作りつけになって覆いかぶさっているのだが、その箱と隣の戸棚の継ぎ目から水が滴っている。
 よくよく耳を澄ませてみると、その黒い箱の奥で水滴が滴る音がする。気のせいか、台所の天井裏でも点滴の音がするような気がする。
 思えばこの三月まで一年近く暮らしていた部屋でも、トイレの水漏れでずっと悩まされた。ただあの時は漏水箇所がパイプの継ぎ目という形で目に見え、対処も比較的容易であったが、今回は何しろ壁の向こうだから、一体どうなることか。
 午前中のうちに管理会社に連絡して、午後これから来てもらうことになっているが、電話口の女の人に、ところで海坂さん〈仮名〉は某校の先生だったと思いますが、お仕事は、と聞かれた。昨日も漏水の件で一度連絡をして、その時は止まったから断ったのだが、あまり平日の昼間に連絡するものだから不思議に思ったのだろう。
 取りつくろうのも面倒くさいから、自己都合で退職して次の仕事を探しているところですと正直に答えたら、では勤め先が決まったら連絡して下さいと言われた。
 向こうとしては単なる事務的な受け答えかも知れないが、今の私の精神状態には、少しく波風が立たざるを得なかった。貯金を取り崩して行っても、理論的にはあと十ヶ月は保つ筈である。十ヶ月と言ったらもう年度末になる。いくら何でもそれまでにはどこかから非常勤が舞い込むだろう。改めて計算を立てて不安をなだめた。
 しかし逆恨みのようだが、人の勤め先なんか気にするよりも、水の漏らない部屋を作れと言いたい。これで勤めがあったら尚のこと対応は面倒だっただろう。
 基本的には、部屋を替わって大方の生活環境は向上したのだが、細かい所でやはり何かと昔はよかったと不平を言いたくなるのは、これは人の性というものだろうか。三月まで住んでいた部屋の管理会社は、こちらの勤め先なんか穿鑿しなかった気がする。
 水漏れでまた神経が弱ったらしくて、昨夜は久しぶりに夢見がわるかった。何か自分の大切な所持品が盗まれて、犯人はだいたい判っているのだけれど訴えることもできなくて、口惜しくて仕方がない。――醒めてから思ったが、これが現実に侵入してくると、認知症の物盗られ妄想になるのであろう。
 それからまた久しぶりに故郷の夢を見た。家の近くの田んぼに、蛙の卵が沢山あった。これは決して気持のわるい悪夢ではない。私にとっては、子供の頃から毎年今ごろの季節には見慣れた風景だったのである。こうやって書いていても懐かしくて涙が出てくる。

曇り時々晴れ

2012-05-23 17:56:27 | 日記
 予報でおどかされたくらい本当に暑くなったのかなと思う。案外曇りがちで日ざしが薄くて、上着を着て歩いてちょうどいいくらいだった。
 上着を着て、午後から例によって近くのミスドに行ったのである。お金は遣うけれど、少し外を歩かないとどうにもならない。ただ散歩して帰って来ればいいようなものだが、途上に目的か用事がないと出歩く気がしない。贅沢と言われそうだが。
 入会を申し込んでいた某学会から、六月例会のお知らせという刷り物の葉書が来た。以前メールのやりとりでは、この例会の後の委員会で入会が承認されるとか言っていたが、お知らせが来たからには行ってもいいものだろうと考える。今さらながら全国学会というものは初めてなのでとかく勝手がわからない。
 しかし思えば、最初に理科大学に入った時、すでに学会発表というものを私はやらかしていたのであった。と言ってもいわゆるポスター発表というやつである。ボードに資料を貼って置いてその前で立ちん坊をしていて、縦覧して来て足を止めた人に説明するのである。だから別に会場の人がみんな私の話を聞いているという訳ではない。
 あれは大学四年か修士になってからだったか、いずれにしても十年以上昔になる。場所は福岡なる九州大学で、初めて飛行機に乗って一人旅をしたという印象の方が鮮明である。お昼に学食で食べたうどんの汁がたいへん薄かったのに驚いたり、空き時間に街を歩いて、城山三郎『落日燃ゆ』に書いてあった、広田弘毅元首相が子供の頃に揮毫したという天満宮の額を探し当てたりした。当時から興味関心は文学の方に厚い人であった。
 ということで来月十六日には思い切って江戸表に出府する。旅費が限られるので残念ながら日帰りにせざるを得ない。当日土曜日の午前中に移動して、午後の学会を聴聞して、夕方帰るつもりにする。泊り込んであちこち見て歩くのは、そのうち非常勤職でも舞い込んだらの楽しみにしたい。

曇のち雨

2012-05-22 17:04:20 | 日記
 今朝は起きてすぐ何となく感じが悪くて、昨夜のうちに野菜を刻んでおいた味噌汁を何とか煮たはいいが、物が食えるかどうかすら一時は危ぶまれた。用便を済ませたらどうにか気分が戻り、朝食を普段より少し略して喫したが、どうも身体に力が入らない。
 こういう時はうちでじっと休んで、いてはいけない。自己診断によると、これは昨日ほとんど蟄居していたために、体内の循環が滞ったのである。
 そこで午前中早々にお弁当を詰めて部屋を出て、バスに乗ってメディアテークに行く。まさしくリストラ父さんだよなあと思う。
 弁当と言っても、食パンを二枚焼いて、ハムとチーズとレタスを挟んでサンドイッチにして、半分に切ってタッパーに詰めるだけである。去年一年間、さらに四月に入って二週間、仕事をしていた頃は、ほとんど毎日こうしてお昼を準備して出かけていたものだった。今は何もなければ出来るだけ家でお昼を食べるようにしているから、こうしてお弁当を詰めるのは本当に久しぶりである。
 ドトオルで一服しながら新古今集を読んで、テークが開くのを待って出かけて行って、古橋信孝『古代の恋愛生活』(NHK出版)を読む。これは万葉集を古代人の世界観で読むとこうなる、という話である。一応大学院で三年勉強したけれど、まだまだ国文学についても和歌についても、知らないことの方が多かったと思う。
 さてしかし本を読んでいると眠くなって困る。特にお昼を食べてから一時台はだるくてほとんど寝てすごす。まだまだ貧血は侮るべからず。
 テークを出てベローチェで一服しているうちに、細かい雨が降ってきた。欅並木の緑が何とも鮮やかで美しい。

穴の底

2012-05-21 21:33:17 | 日記
 もしくは井戸の底というのが私の今の心象風景という奴である。『ねじまき鳥クロニクル』にそういうモチーフがあったと思うけれども。
 曲がりなりにもあちこちの学校で講師を十年続けてきて、しかし今回自分から放り出してしまう羽目になって、今まで自分がやって来たことは一体何だったんだろうと思う時がある。自分はもう二度と教壇に立つことはないのではないかと考えることもある。
 一応県教委に講師登録はしてあるけれど、ひと月経ってまだどこからもオファーは来ない。大体それは当然で、希望は一応非常勤で出してあるが、年度途中での需要は産休か育休か病欠が多いから、必然的に常勤の注文が多いのである。
 それで暇だと色々な事を考える。戦国時代には「奉公構い」という慣習があったそうである。当時は仕える主人を変える侍が多くて、見限られた方の主人は腹いせに、あいつを雇わないようにと各大名に触れを回したりした。そんなことを思い出す。私が辞めた某校が、私の悪名を言い触らしているのではないかと疑心暗鬼にかられる。
 今はおそらく、来し方行く末を改めて考えて、自分を見つめなおす時間なのだろうと思う。まあ言ってみれば、菩提樹下でじっと座っているようなもんである。煩悩がいろいろ起こる。その煩悩と付き合うのが今の仕事なのだろう。
 それで自分の人生の方向性はわからないが、じっと座ってばかりいても仕方がないので、また懲りずに教採にエントリーした。例年のことながら、合格・採用を期するよりは参加することに意味がある。
 さらには、国文学の研究を続ける拠り所として、とある学会に入会を申し込んだ。これは普通は学生のうちに入っておくべきものであるが、私は何事にせよ人より取り掛かりが遅い。
 学会の中には入会に推薦者を要するものもあるが、私が目をつけた所は誰でもフリーで入れてくれる。ただ肩書きを無職と書いて出したら、あっという間に返信が来て、所属先を申告しないと承認が遅れる恐れがあると言われた。とにかく無職なので何もない、実は去年三月に某大学を出た者で云々と陳弁してやったら、どうやら大丈夫のようである。
 思えば、震災の直前、大学院の博士課程に進学しようと思い立って、試験を受けてみごとに落とされた。面接の時に、どこか学会に所属する気はないのかと言われて、当時は本心そう思っていたのだが、講師を勤めながら学会発表を聞きに全国を転戦するのは大変なので、と大失言をした。そんなドクターは聞いたことがないと教授にやっつけられて衝撃を受けたが、今は全く暇になったので、旅費さえ気にしなければいつでもどこでも聴聞に行ける。
 考えてみれば、講師職を失って糸が切れてしまったのも、改めて研究に進むべき天の配剤であるかも知れない。学会に所属した所で、今さら院に戻れる目途など全くないのだけれど。

お金の話とか

2012-05-19 09:27:54 | 日記
 金銭に関わる話というのも、自分の病気と同じことでごく私的なことであり、ちゃんとした大人は公言しないような印象がある。が今の私はちゃんとした大人ではどうみてもないので、いろいろ憚りなく書いてみる。
 勤めてわずか二週間で某高校の常勤講師職を放棄して、理屈から言えばその間の給与というものも存在しておかしくないが、私は辞める時はそんなものは全く期待していなかった。むしろ一年間の辞令をもらっておきながら途中で辞めるのであるから、契約違反だとして訴えられてもおかしくないとさえ覚悟していた。それは妄想に類するが、たとえそうなっても、辞めるという選択は後悔しないと自分に言い聞かせていた。
 そんなわけなので、学校と縁が切れてしばらくしてから、とつぜん郵便が来て、半月分の給与を振り込みますと言って来た時は非常に意外であった。当時はかなり真剣に、学校に何一つ貢献できなかったのだから給与などもらう資格はありませんと言って返上しようかと考えたが、今さらそんな格好つけていられる身分でもなし、結局ありがたく頂くことにした。ただ教頭に一筆メールでお礼を書き送っておいた。
 それより感動したのは、これはわが家の恥を晒すようなものであるけれども、辞めた直後に親が黙って拾萬円も送ってくれたことである。もう四十も近いという息子に、こんな甘いことだからろくな人間が育たないのだと言われるにちがいないが、親は有難いものだと思った。その時は半月分ただ働きだと諦めて、気分は真っ暗だったからいっそう身にしみた。世界中に見捨てられても親は認めてくれるというのは本当に有難いことである。
 さて望外のお給金ももらい、検診の結果も来て、これであの学校との縁は全く切れたと思っていたら、昨日また郵便が来た。何事かと思ったら、私学共済からの脱退のお知らせであった。
 私もよくは知らないが、教員というものは、公立学校であれば公務員だから、共済という組織で年金と健康保険がついている。私立でもこれに類する私学共済というもので社会保障がなされている。いずれにしても非常勤は這入れないが、今回私は常勤であったから入れられていた。そういう結構な職を二週間でなげうつのだから本当に馬鹿だと言われるにちがいないが、何度も言うように私は自分の決断は後悔しないことにしている。
 見ると、二週間で辞めてしまったから、加入月数としてはゼロである。ところがいささか驚いたことには、お預かりしていた(要するに給与から天引きだった)掛金をお返ししますとあって、弐萬七千円もあったらしい。私は全く知らなかったが、月給の一割以上である。
 私などは全く不案内であるが、掛金は労働者個人と使用者(学校ですな)とで折半しているはずで、それが年金と医療にどう配分されるのかなど知ったこっちゃないが、これが何十年と積み重なれば、停年の後で相当な年金が頂けるであろうということだけは想像がつく。
 改めて思ったのだけれど、世間のお勤め人というものは、誰しもこういう利益を思って堪えがたきを堪え忍びがたきを忍んでいるのであるなあと感じ入った。自分もやはり辞めなければよかった、とはしかし決して思わない。客観的に言って辛抱が足りないという評価には同意するが、いま振り返っても、やはりあの学校は自分には勤まらなかったと思うから、仕方がないのである。
 ただ、こうして夢と消えた社会保障をおぼろげに思い知らされてみると、今回仕事を投げ出したということは、私にとってさまざまな意味で十字架となるのであろうなあと改めて感じさせられる。もちろん経済面だけではなく、生徒を見捨てたという倫理的な責任はこれまで重々承知していたが、非常勤を続けていては実感できなかった経済条件というものもある。
 最後に遠慮がちに呟いておくけれども、みんなが乗っているレールから勝手に下りた人間が言うことではないが、こういう現在と将来にわたるお金をあてにして組織に縛られているとしたら、それも悲しいことではないかと思う。日々楽しく働いているという人はそれでいいが、日本という社会は、やはりこうしてみると終身雇用を前提として制度ができていて、それに合わない人(私だ)は存在意義がないようになっている。だから自分を無理やりにも曲げて組織にしがみつくことにもなって、心身ともに消耗していくのである。そういう風に価値観が改まらないと、やはりこの社会の活力は復活しないのではないかと思う。

晴れ

2012-05-16 20:24:15 | 日記
 全国的には暑いくらいの陽気になったところも少なくないようであるが、当地もだいぶ暖かくなり、しかし暑いと言うほどではなかった。今がちょうどよい気候かも知れない。実際その時にはそうとも思わなくて、寒暑厳しくなると改めて思い出すものである。
 さて私は相変わらず無職無収入で、人間出歩くと何かと金を遣うものであるから、基本的には自室から歩いて行けるマーケットと図書館にしか行かない、という方針を立てているのであるが、やはり前の勤め先には近いし何かと気が滅入る。
 それでたまには用事を作るようにして他行する。今日はタオルケットとシーツを買って来ようと志を立てた。何しろ被災して家財を失って以来、必要最小限の範囲で生活用品を揃えてきたが、まだ足りないものも多い。タオルケットと、敷き布団に掛けるシーツは一枚ずつしか無い。タオルケットは去年の夏、お天気がよくて、一日で確実に乾くという見通しの立つ時に何度か洗ったが、秋冬になってからは洗濯していない。シーツに至っては一度も洗ったことがない。
 寝ている分には別に実害も無いようだが、気分の問題で、この際少しでもさっぱりしようと考える。収入の見込みも立たない時に、わざわざ高い買い物をすることもないとも思うが、そういう後ろ向きの考えはよろしくない。
 それで午前中、駅前のダイエーに赴いて、五階寝具売り場でよさそうなのを一枚ずつ仕入れた。これで今晩から心新たに眠ることができるであろう。明日はお天気が続くようなので、旧いのを洗濯するのにちょうどよい。
 ダイエーに行く前に、ミスドで一服した。カスタークリームに珈琲二杯。この方が実は私にとっては感動の度は強いかも知れない。
 所期の目的は達したので、昼前に帰ろうかという案もあったのだが、やはりつい大学へ足が向く。文食で、安くて栄養のあるお昼を食べるのが主目的である。幸い血も止まったことだから、滋養をつけて早く体力を回復しなくてはいけない。
 図書館で七十一番職人歌合なんか読んで、夕方にもう一回、文食で缶珈琲と百円のケーキを食べて帰る。売店の小母さんに顔色悪くないですかと気遣われてしまった。この小母さんは誰にでも人懐こく話しかける傾向がある。私などは基本的に人見知りな方だから、去年の三月に卒業するまでは全くコンタクトがなかったのであるが、最近うろうろしているうちに個人的に認識されてしまった。大きな原因としては、普通の学生が講義を受けていて閑散としている時間帯に顔を出すからでもある。
 今日は今までになくまとまった話を交わした。小母さんの旦那さんは胃癌の手術をして胃を三分の二取って、幸いよくなって退院する時に、お医者に食生活の指導をされたんだそうである。貧血には良質のたんぱく質を摂るとよいと勧めてくれた。
 学生でもなし教員でもないのに、どうしていつまでもこの辺に出没しているのであろうかと、小母さんとしては不思議に思っているだろう。私としても身の上を明らかにして置きたいと思うが、話せば長いことになるし、仕事中に無駄話をしてはいけないので、早々に遠慮して出て来てしまった。小母さんは時々食堂で休憩していることがあるので、そのうち機会を狙いたいと思う。

2012-05-15 17:33:25 | 日記
 人は病気をすると、何かと自分の身体のことにばかり関心が向くようになるものである。それはいろいろな現れ方をするのであるが、一つには、自分の身体的なことを慎みなく語り散らすようになる。
 六年前に膵臓癌で亡くなった私の祖母も、最晩年にはそういう所があった。胆管が詰まって、十二指腸の方に胆汁が流れないようになったので、鼻から管を通して取るようになった。黒茶色の胆汁がどのくらい袋に溜まったか、祖母は常に気にしていて、ノートか何かに記録していた。沢山取れると喜んで、傍の者に知らせるのであった。それが時に見境がなくなって、茶飲み友達の隣の小母さんにまで、汚い液の溜まった袋を見せるのはいかがなものかと母などは嫌がっていた。
 これは祖母だけの話ではなく、老人にはある程度共通してくるのではないかと思う。やはり祖母の友人であったお婆さんは、糖尿病になって、自分で腹に注射を打たねばならなくなったのだが、話をしながらわざわざその部分を開けて示してくれたりするのであった。
 常人の感覚からすれば、私の母のように、見っともない、ということになるであろうが、祖母の胆汁にしても、その友だちの注射にしても、元々身体の辛さ苦しさがあり、それが楽になるのがうれしくて、人に話さずにはいられなかったのではないかと思う。今の私にはその気持ちがよくわかるような気がするのである。
 それで何を言いたいかというと、私もこの稿でやたら自分の痔疾の話を記すが、自分でもなんだかなあと思わないではない。自分の身体の、しかも決して綺麗ではない部位の話など公言するものではないとも思うのだが、やはり記録のためにも書かずにはいられない。
 それで現在の状況を記すと、有難いことに一昨日あたりからようやく血が止まった。当然まだ貧血はあって、昨日はまたつい大学図書館から歩いて帰ってしまって、また悪化したかとひやりとしたが、今日夕方はついにガスが出た。手術の後ではないが、これは胃腸の調子が元に戻った最大の指標で、今回はどうやらこれで逃げ切ったと思われる。
 思えば仕事を辞めてちょうど一ヶ月めである。後は養生すれば遠からず本復する。そのうちきっと仕事も舞い込んで来るであろう。