期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

いろいろなことが起こる

2012-02-29 22:55:14 | 日記
 今日はどこの高校も卒業式の予行で授業はない。したがって私は休みである。厳密に言うと出勤日だから行かなくてはいけないのかも知れないが、昨年度のB校の様には、C校もそううるさいことは言わないみたいなので無断欠勤を決め込む。
 朝から街に出かけて、新居で使う寝台を見て回った。車がない人間としては郊外の大型専門店には行けないから、仙台駅前のダイエーとロフトしかない。
 結局ダイエーでパイプベッドとマットレスを求めた。もちろん配送してもらうのであるが、取り寄せとか何とか書いてないにもかかわらず、届くまで十日もかかるという。来月九日が引越しだから、ぎりぎりで間に合いそうにない。乗りかかった船だから買うことにしたが、ちょっと期待外れであった。ロフトの無印には組み立て式とか折り畳み式の寝台はなくて、搬入に苦労しそうだから止めたのだが、移住に間に合うならこちらから買った方が良かったかも知れないと思った。
 私が寝台を見ていたら、ちょうどレジに不思議なおばさんが来ていて、ひと騒動起きていた。年の頃はよくわからないが七十になるかならずであろうか、しきりに店員に訴えている所を仄聞すると、どうも何十年か前に自分はここの店から何千円かお金を盗ってしまった、それで申し訳ないから今返したい、と言って財布から紙幣を出して差し出し、もちろん店員はそんなものを受け取る訳にはいきませんと言い、それでもおばさんは無理やり押し付けようとする。
 これはその筋の診断では何と言ったか、要するに罪悪妄想という奴である。年齢から見ておそらく認知症ではなかろうかと思うが、当人の認知が歪んでいるので、周囲がいくら否定してもきくものではない。私が伝票を書き終えて会計を済ます頃には、店員との談判がいよいよ行き詰まって、その辺の売り場にお金を放置しようとして店員に追いかけられる所まで発展し、警察を呼ぼうかという話になりかかっていた。後はどうなったか、私は帰って来たから知らない。
 最初におばさんが出現してから、しばらく後に出てきた男の店員は、お話が全くわかりませんと頭ごなしに全否定していたが、認知症の患者にそういう対応はあまりよろしくないと言われている。たとえば徘徊であれば、一応相手のいう事を聞いて、その辺を一緒に散歩しているうちに、うちへ帰るなんて言い出したのは忘れて、おとなしく帰って来る。
 しかしまあ介護の専門家でもなし、とつぜん来られた当事者は大変だったろうと思う。ああいうのは一体どのように対応すればいいのか、話を合わせてお金を受け取ってしまえば当座はいいかも知れないが、あとで今度は物取られ妄想の標的にされてもたまったものではない。
 私なども一応いまは普通に人の世で何食わぬ顔をして暮らしているけれど、そういう妄想の種みたいなものは自分の中にも思い当たる節がある。たとえば自分の発言とか応対がちょっとまずくて、相手が怒っているのではないか、とついいつまでも気になるとか、あるいは最近の例では、A校で授業を落としたのが問題になるのではないかとか。
 だからあのおばさんの気持ちは何となくわかるような気がするのである。特にいかにも健全な常識人であるかのような男の店員と対比してみると、自分のメンタルはどちらかと言えばあのおばさんに近いかも知れないとさえ思える。だからと言って両者をうまく仲介できるという訳では全くないのだけれど。

寒かった

2012-02-27 20:35:00 | 日記
 朝は天気がいいのかと思っていたが、一日寒風が吹きすさび雪がちらついた。どうやら今日明日あたりが最後の寒波らしい。後は暖かくなり、長期予報によれば、今年の春は気温は高めに推移するという。思うに、あっという間に暖かいを通り越して暑くなり、夏が来てしまうのではないか。ここ何年か、厳しい暑さ寒さが続き、春と秋は短くなって、極端に言えば夏と冬しか無くなりつつあるような印象である。日本の四季はいずれ二季になりそうである。
 寒いせいもあって今日はあまり出歩かずに自室で過ごした。C校に一時間目の試験をしに行って、少し採点をしてから昼前に退出し、あとは午後近くのマーケットに買い物に出ただけで、ずっと採点をして暮らした。おかげで一クラス片付いて、ただあとは見直しをして集計をしなくてはならない。明日つづけて自室で仕事をするか、あるいは生徒たちが学校にいる間に、早いところ街へ遊びに行ってしまうか考え中である。
 夕方、そろそろ晩ご飯の支度をしようかなと思っていた頃に、金曜日にアマゾンに頼んだ古本が届いた。例によって岩波新大系の、源氏物語第一巻である。震災前に源氏は全五巻揃えていて、四巻途中で光源氏が消える幻巻までは読み終わって、ちょっと一休みしてそのうち匂宮巻からだと思っていた所に津波が来て全部無くなってしまった。
 それで心残りだから、しばらく前に改めて四巻を取り寄せて、最近暇になったところで数日前から匂宮、紅梅、竹河、と読んでいる所である。それ以前の巻はこの間もう読んだばかりだから差し当たり要らないようなものだが、今回また第一巻も求めたのは、今回C校の二年生の古典の授業で若紫巻をやったからである。例の、雀の子を犬君が逃がしつる云々というあの場面である。
――古典の教科書なんてだいたいどの作品のどこを取り上げるかなんて千篇一律で、源氏といえば、いづれの御時にかの冒頭と、上で言う源氏の覗き見と、紫の上の死くらいなものだろう。
 それでその前後もやはりもう一回手許に置いて読み直したいなあと思って、授業をやっている間に手に入れればよかったのだが、つい優柔不断で、単元もすっかり終わってからになってしまった。あまり意味がない。
 しかしこうして読んでみるとやはり源氏は素晴らしいと思う。今じつは栄華物語も並行して読んでいるのだが、言葉の遣いよう、文章の組み立ての精粗から言っても比べものにならない。

大雪

2012-02-25 13:18:21 | 日記
 天気予報どおり朝から雪が降り続け、見る見るうちに外は真っ白になってしまった。仙台では積雪十センチを越したという。昨日の穏やかさとは引き替え、このようにとつぜん大雪になるのも春が近い証拠というものであろう。
 しかし週末ごとに天気が悪いのは困ったもので、今日は仮設実家を訪問する心積もりであったのだが、何かと足元がよくないので自重した。私一人が出歩くだけならよいが、実家に行こうとすると父が車で迎えに来てくれる。雪かきをしないと車も出せないような状況だから、自主規制して止めにした。
 それで朝からお昼まで、ずっと部屋で本を読んで過ごした。慈円の愚管抄を読み進める。震災前からぽつぽつ読んでいて、途中まで読んだ所で当時の本は瓦礫に埋まってしまって、当地に移り住んでからまた古本で買い直したものである。
 お昼を食べて、一日閉じ籠もりきりでは健康によくないので、雪を冒して買い物を兼ねてS市の図書館に出かける。ここしばらく読んでいるのは、旧大系の万葉集四巻本の巻頭解説である。小豆色の旧大系と緑色の新大系、たとえば万葉集のように両方に同じ作品が入っている場合があるが、どちらが良いかは作品によって違いがあるように思う。あくまで私の個人的感覚にすぎないが、源氏は新大系の方が良い。旧大系の本文は、私が二十年前に大学に入った時に初めて接した思い出深いテキストだが、あまりにも読点が多くて読みづらい。それだけ親切ではあるのだろうが、豆腐のぶつ切れのような印象がある。その点は新大系の本文の方が流れが自然で、さらには各巻の解説も充実しており、読んでいろいろ為になる。
 一方、万葉集はどうかと言うと、かなり迷う所だが、これは旧大系の方が良いのではないかと思う。まず各巻の解説が懇切丁寧で行き届いている。校注者のうち、集全体について、あるいは個々の歌人について、総合的な内容を書いているのは高木市之助、上代特殊仮名遣いなど、言語的なことを説明しているのは大野晋と思われるが、いずれも一代の碩学だけあって、押さえておくべき基礎的なところでたいへん勉強になる。
 新大系となると、おそらく編者たちとしては、数十年前の旧大系で書かれたことは自明として、その後の学問的成果のみを集中的に述べるという方針なのであろう。そのせいか解説がどうも手薄に見受けられる。研究者としては当然の態度かも知れないが、一般の読者もいるのであるから、煩をいとわず常識的な所をもっと盛り込んでもよかったと思う。万葉集のような、いわば古典の王道のような作品はなおさらである。
 そんなわけで、万葉集は旧大系で手に入れることにしたいという結論になり、いずれそのうち古本屋に遠征する予定である。じつは角川文庫版をすでに集めかけていたのだけれども、やはり信頼できる注のついた、ちゃんとしたテキストでないと読んだ気がしない。残念ながら本文そのものについては、まだ全く読んでいないから、自分なりにも両者を比較することは出来ないのだが、やはり旧大系の大野注の方が、熱がこもって個性的で面白いのではないかと思う。
 しかし今日の日記、このくらい誰が読んでもどうでもいい話もないなと思う。要するに閑適な日常を送っているということである。

晴れ少し暖かし

2012-02-24 21:57:40 | 日記
 しかし風は強くて冷たかった。春先という感じになって来ている。
 さて今日は結局、授業に間に合うようにA校に出かけた。玄関先の掲示板を見ると、確かに一・二校時普通授業と書いてあって、本来であればちゃんと授業をしなくてはいけないのだなと改めて思った。休みだと思い込んでいたのは全くもって私の誤りであった。
 もしかしたらいきなり管理職に呼び出されるかも知れないと内心びくびくしながら職員室に入ったが、別に誰にも何とも言われなかった。念のためいつもの時間に教室に行ってみたら、誰も来ておらず無人であった。授業は無いつもりで前々からアナウンスしていたから、内心では変だと思っていた生徒も居たかも知れないが、それで皆休んでしまったものと見える。
 しかし同じ授業は火曜日にもあったから、あるいはその時に来て授業が無かったので、今日も来ないことにしたという者もいたかも知れない。今となっては確かめることもできない。
 いずれにしても誰も居なくては授業も成立しないので、午前中は自分の部屋にこもって、昨日C校でやって来た試験の採点をする。昼休みになって用意してきた弁当を食べようとしていたら、生徒が一人答案を取りに来た。
 これで出校した意味はあったと思ったが、もしかして火曜日も来た、と訊いてみたら、学校には来たが私の所へは来るのを忘れたという答で、授業があるとは思っていなかったようである。
 お昼を食べて一服して、これで一応名目は立ったということにして、早々に退出した。しかしつくづく思うに、このA校には五年つとめたが、最後は遣り残したことはないという充実感どころか、自分の中ではぐだぐだな終わり方になってしまった。今まで非常勤としてあちこち学校を遍歴したが、どうも私の仕事というのはこういう終わり方をするものらしい。この稿では書かなかったが、この半年の授業では一人の生徒とも今までにない嫌なぶつかり方をした。A校の前に確か三年ほどいたZ校でも、最後の年の冬に、世間的には決して大事件というのではなかったが、私の中では教員としての自信を喪うような、生徒指導上の不祥事をやらかした。
 Z校には専任の教員が配属になったので私は辞めになり、直接的にはその不祥事が原因になったのではあるまいと私は思っているが、そういう経験から、来年度の話が舞い込む以前から、今のA校も今年限りかなという気がなんとなくしていたのである。その意味では来年度から専任で勤めるというのは、気が進まなくても何でも、一つの運命の必然と言うべきかとも思う。

寒さ少し緩む

2012-02-21 17:57:32 | 日記
 前稿にも書いた通り、定時制のA校では学年末試験も先週で終わって、今日は予定通り成績を出しに行って私物を片付けて引き払ってきた。
 ところがここにいささか問題があって、月間予定表をよく見ると、試験の後も授業は一部続いている。くわしく言うと、昼・夜・その中間という三部形式で営業しているうち、昼間部の四時間は今日あたりはどうも通常通りらしい。
 私は試験の後はてっきり自分の授業は消滅するものとばかり思っていた、には理由がないわけではなく、九月の前期末試験の後は、昼間の通年授業だけが存続して、私の担当する半期授業はそこで終わりになっていた。学年末もそうかと勝手に思い込んでいたのだが、月間予定表にはどこにもそんなことは書いてないのである。
 そんなわけで、今日の一・二時間目、私は学校には居たが、自分の部屋で片付けをしていたから、もし生徒が来ていたら待ちぼうけを食わせたことになる。こういうとき普通の学校では、生徒が騒ぎ出すなり、教員を探しに来るなり、何らかの事態が起こるはずなのであるが、何事もなかったように過ぎたのは、おそらく誰も学校に来ていなかったのだろう。出欠も取らないし成績も関係ないとなると、自主的判断で生徒は来ない。要するに大学のような所がある。
 一つには、何しろ私じしん試験明けは授業は無いものと思いこんで、前々からそういう風に予告していたせいもあるだろう。試験の時に、答案返却希望の者は来週火曜日の昼休みに来るようにと言っておいたら、一人だけ来た。
 問題は、今週金曜日にもう一回だけ授業があることになっているのだが、これにどう対応するかである。たぶん生徒はもう誰も来ないと思う。私も以前から休みとばかり思って、朝から用足しに出かけるつもりであったが、一応様子を見に偵察に行った方がいいのかとも思う。しかし前々から生徒に誤ったアナウンスをしていたとなると今さら無駄である。
 自分の勘違いを棚にあげて言うが、こういう所A校はいい加減な所があって、去年の九月、この稿でもちょっと書いたが、前期の授業が終わる時にも、赤点をつけた生徒の対応について行き違いがあり、教頭に注意を受けてしまった。事後指導をやるかやらないかは教科の総意として対応すべきで、私の独断では決められない、それにシラバスに試験をやると書いてあったのだから試験をやらずに成績をつけてはいけない、と言われれば全くこちらの落ち度であるが、私にも言い分はある。事後指導はやらないよと課題を与える時に生徒を脅かしたのは事実であるが、それで向こうが宿題を出せば何ら問題はなかったのであって、それでも出さないというのは事後指導云々の問題ではあるまいと思う。それに元々シラバスなるものは私の手許に届いておらないから、何が書いてあるか知る由もない。
 最近世の中で流行っている、いわゆるコンプライアンスなるものは、こういうものではないかと自分で経験してみるとしみじみ思う。それまでは何ら問題なく回っていたものが、何か起こると、それまで意識されていなかった法度がどこからか出て来て、個人が責任を問われてしまう。人はこうして組織の罠にかかるのだなと、前回は思ったが、今回も明るみに出れば明らかに私の不行き届きになりそうである。金曜日どうしようかいまだに迷っている。

寒さ続く

2012-02-18 13:35:36 | 日記
 更新を怠っている間にいささか暖かな日もあったのだが、昨日今日はまた以前のような寒さが戻ってきている。ただこのごろ実感するのは日差しの明るさで、一昨日などは朝起きたら真っ白に雪が積もっていたのに、昼間ずっと日が照っていたから夕方までには嘘のようにほとんど消えてしまった。一昨年の日記を読み返しても、やはり絶望的にいちばん寒いのは二月上旬で、その後はそれほどの寒さはまずないものらしい。
 仕事は年度末でだんだん楽になってきてはいるが、暇ができると買い物に行ったり料理をしたり、それにもましてたまった本を読むほうが忙しい。日記だか雑文だかわからない文字を書きつけるより本を読んでいた方が有意義な気がする。
 昨日でA校の試験は終わり、学校で採点も済ませ、家に帰って来てから夜更けまでかかって作文の打ち込みも完成させた。来週火曜日に学校に行って、成績を提出して、希望者が来れば答案を返して、A校における私の仕事はまず完了する。後は片付けて引き払うのみである。
 今日は午前中部屋で、今度はC校の試験対策プリントをこしらえた。こちらは来週木曜から試験なのだが、古典の授業を受けている生徒からの希望である。面倒くさいから対策プリントなどない、今までの授業を各自復習すること、と言いたいが、教育はサービス業と化している昨今の現状ではやむを得ない。
 こんなことをしているうちに来月九日を期して移転である。引っ越せばまた新生活が軌道に乗るまであれこれ面倒なことであろう。そうこうしている間に新しい職場で常勤の仕事が始まって、後は自分の自由な時間など全く取れなくなる。
 今更ではあるが、やはり専任の教員なんかやめとけばよかったかしらと思うことがある。非常勤で日銭を稼ぎつつ、国文学の勉強をもっと続けたかった。まだ何年かはみなし仮設で家賃はかからないし、持続可能性がないわけではない。
 しかし現実には、すべてが後戻りできない形で決まってしまっている。思えば、被災して経済的な余裕もなくなったのだからという意識が、定職に就かねばならないという選択の最大の理由であった。推薦してくれた教授もそのように考えたらしいが、落ち着いて考えてみると、それが私という人間の本来の生き方であるかどうかは大いに疑問の余地がある。
 こうして書いていてふと思い当たったが、この私の心理は、いわば鴎外の『舞姫』であろうか。エリスが私にとっては文学である。豊太郎は官途から脱落しかけた自分をなんとか伯に推薦してくれた友人に対して、○○の如き良友は得難かるべし、されど彼を憎む一片の心今も脳裏に残れりけり云々と述べていたかと思うが、私もまた教授に対しては表向き感謝に堪えないが、心底では恨めしさも否定できない。ましてや私の場合、ささやかな夢であった博士進学をあっさりと閉ざされたから尚更である。その首謀者と私が勝手に考える准教授に対しては、たとえ先生が私を大学研究者として見込みなし、不適格と判定しても、私は私なりに勉強して行きますと言いたい気がしている。
 まあ本当に『舞姫』であれば、軍医として栄達した鴎外の如く、私も立派な教員として全うしないと平仄が合わないが、むろんそんな自信はない。むしろどこかで脱落するんじゃないかと思う。せっかくのみなし仮設を断ってしまって、自前で部屋を借りて仕事に行き詰ったら馬鹿みたいだよなあと思う。でも今となってはどうしようもない。

相変わらず寒い

2012-02-12 11:30:01 | 日記
 先週は一瞬だけ暖かくなったが、またひと頃の極寒が戻って来ている。私の部屋における一つの寒さの基準として、エアコンを焚き詰めで炬燵にあたっていても耐えられないということがある。今朝はそんな感じで、なかなか暖まらないので諦めて街に出かけようかと思ったが、諸般の事情で昼までは部屋に居ようと決めていたので、我慢しているうちにようやく暖まってきて、今はこうして炬燵にあたってブログなど更新する気分になっている。
 もう引越しまで一ヶ月を切り、この町に暮らすのもあと僅かである。引っ越してしまえばたぶんほとんど縁が切れる。暇があれば仙台に出るよりは、近いことだし隣市の図書館に行こうと思う。
 隣のS市の図書館は、私の住んでいるT市からは電車で五分、駅前のビルの三階にあり(興味のある人は調べればたぶんどこだか見当がつくだろう)、おかげで津波被害を免れたものと見える。これが一階だったらひとたまりもなく浸水していたのではないかと思う。
 蔵書もなかなか充実していて、国文学に関しては、岩波の旧大系と新大系、それに朝日の古典全書が美本で揃っている。国歌大観、国史大系、新釈漢文大系もある。近現代の個人全集も一通り備えてあるように見受けられる。これだけの書物がぜんぶ水没していたらさぞや勿体なかったろう。
 仕事の方は次第に暇が出来てきた。先週でA校の授業は終わり、試験問題も作ったので、来週は二時間だけ試験をして、採点をして成績を出すだけである。C校では二年生の授業だけが残っていて、ただ時間割がよくなくて、月曜から木曜までほとんど一日一時間ずつである。時間割変更を願い出て、まとめてもらえないものかと思ったりするが、専任の教員でもないので遠慮している。空き時間は教材研究もすることだし。
 それで今日午後からはS市図書館に行く予定である。実を言うと最初の頃は、この辺をうろうろしていると生徒に見つかるのではないかと不安であったが、案外行き会わないものである。特に図書館ではほとんど学生を見ない。閲覧席から勉強を追放しているからかと思う。
 まあ学生に会っても別に困ることもないであろう。さすがに駅前のビッグのミスドで一服しているのを見つかるのは感じが悪いが、気分はそのくらい年度末を反映している。

雪が積もっている

2012-02-03 21:57:40 | 日記
 何だかこの頃はのべつに雪ばかり降っていたような気がして、いつ積もったものやらよく覚えてもいないが、たぶん一昨日の晩あたりであったか、気温が低いものだからなかなか溶けない。私の住む界隈はまだパウダースノーといった感じである。
 いまとっさに記憶をたどって、なぜ雪が降ったのは一昨日と特定したかというと、翌日の木曜日、私は仕事が終わった午後から不動産屋に行って、今住んでいる部屋の退去の申し出をしてきたからである。途中仙台駅前でも歩道は真っ白で歩くのに難渋した。
 さらに遡って火曜日、この日は推薦入試で休みだったから、もと住んでいた市まで遠征して、市当局にいわゆるみなし仮設の退去申請を出して来た。
 これで何があっても来月九日にはこの部屋を出なくてはいけない。引き移る部屋も決まっているし、引越し業者の手配も済んでいるから、それこそ天災地変でもない限り移転は確定的未来といってよい。
 それまでしばらくは仕事がいろいろと忙しい。C校では三年生の授業が終結し、学年末に向けて少しずつ楽になるはずなのだが、全部片付くまでは慌しい。
 昨夜はふと思い立って、来週の火曜日、A校を年休をとって休みにしてやろうかという気を起こし、さっそく課題を作り出した。休むと言ったって届けを出してそれっきりという訳には行かない。四時間分の課題を作って置いて来なくてはいけない。
 それで昨夜から今日午前中にかけてはひたすらパソコンを叩き、今日C校に行ってからも、空き時間は休みの手配、課題の完成に追われた。
 教頭には私用があってととりつくろったが、ありようは、別になんにも用事はない。単に、火曜日はC校とA校の授業が同時に入って一日五時間、いちばん大変な日だから片方休みたいというだけである。こうして課題を作って、後で回収したものを見て、と考えると、労力は差し引きあまり得にはなっていない。
 それでも当日は、朝一でC校の仕事が終わったら、そのまま古本屋なり図書館なり、どこかに遊びに行こうかしらと思ったりするが、考えてみるとあまり遊び呆けてもいられまい。C校の教材研究に少しは掛かった方がいいような気がする。A校の試験問題もそろそろ考えなくてはいけないが、四時間分の授業をせずに済むというのはその分やはり相当楽ではある。