今日はどこの高校も卒業式の予行で授業はない。したがって私は休みである。厳密に言うと出勤日だから行かなくてはいけないのかも知れないが、昨年度のB校の様には、C校もそううるさいことは言わないみたいなので無断欠勤を決め込む。
朝から街に出かけて、新居で使う寝台を見て回った。車がない人間としては郊外の大型専門店には行けないから、仙台駅前のダイエーとロフトしかない。
結局ダイエーでパイプベッドとマットレスを求めた。もちろん配送してもらうのであるが、取り寄せとか何とか書いてないにもかかわらず、届くまで十日もかかるという。来月九日が引越しだから、ぎりぎりで間に合いそうにない。乗りかかった船だから買うことにしたが、ちょっと期待外れであった。ロフトの無印には組み立て式とか折り畳み式の寝台はなくて、搬入に苦労しそうだから止めたのだが、移住に間に合うならこちらから買った方が良かったかも知れないと思った。
私が寝台を見ていたら、ちょうどレジに不思議なおばさんが来ていて、ひと騒動起きていた。年の頃はよくわからないが七十になるかならずであろうか、しきりに店員に訴えている所を仄聞すると、どうも何十年か前に自分はここの店から何千円かお金を盗ってしまった、それで申し訳ないから今返したい、と言って財布から紙幣を出して差し出し、もちろん店員はそんなものを受け取る訳にはいきませんと言い、それでもおばさんは無理やり押し付けようとする。
これはその筋の診断では何と言ったか、要するに罪悪妄想という奴である。年齢から見ておそらく認知症ではなかろうかと思うが、当人の認知が歪んでいるので、周囲がいくら否定してもきくものではない。私が伝票を書き終えて会計を済ます頃には、店員との談判がいよいよ行き詰まって、その辺の売り場にお金を放置しようとして店員に追いかけられる所まで発展し、警察を呼ぼうかという話になりかかっていた。後はどうなったか、私は帰って来たから知らない。
最初におばさんが出現してから、しばらく後に出てきた男の店員は、お話が全くわかりませんと頭ごなしに全否定していたが、認知症の患者にそういう対応はあまりよろしくないと言われている。たとえば徘徊であれば、一応相手のいう事を聞いて、その辺を一緒に散歩しているうちに、うちへ帰るなんて言い出したのは忘れて、おとなしく帰って来る。
しかしまあ介護の専門家でもなし、とつぜん来られた当事者は大変だったろうと思う。ああいうのは一体どのように対応すればいいのか、話を合わせてお金を受け取ってしまえば当座はいいかも知れないが、あとで今度は物取られ妄想の標的にされてもたまったものではない。
私なども一応いまは普通に人の世で何食わぬ顔をして暮らしているけれど、そういう妄想の種みたいなものは自分の中にも思い当たる節がある。たとえば自分の発言とか応対がちょっとまずくて、相手が怒っているのではないか、とついいつまでも気になるとか、あるいは最近の例では、A校で授業を落としたのが問題になるのではないかとか。
だからあのおばさんの気持ちは何となくわかるような気がするのである。特にいかにも健全な常識人であるかのような男の店員と対比してみると、自分のメンタルはどちらかと言えばあのおばさんに近いかも知れないとさえ思える。だからと言って両者をうまく仲介できるという訳では全くないのだけれど。
朝から街に出かけて、新居で使う寝台を見て回った。車がない人間としては郊外の大型専門店には行けないから、仙台駅前のダイエーとロフトしかない。
結局ダイエーでパイプベッドとマットレスを求めた。もちろん配送してもらうのであるが、取り寄せとか何とか書いてないにもかかわらず、届くまで十日もかかるという。来月九日が引越しだから、ぎりぎりで間に合いそうにない。乗りかかった船だから買うことにしたが、ちょっと期待外れであった。ロフトの無印には組み立て式とか折り畳み式の寝台はなくて、搬入に苦労しそうだから止めたのだが、移住に間に合うならこちらから買った方が良かったかも知れないと思った。
私が寝台を見ていたら、ちょうどレジに不思議なおばさんが来ていて、ひと騒動起きていた。年の頃はよくわからないが七十になるかならずであろうか、しきりに店員に訴えている所を仄聞すると、どうも何十年か前に自分はここの店から何千円かお金を盗ってしまった、それで申し訳ないから今返したい、と言って財布から紙幣を出して差し出し、もちろん店員はそんなものを受け取る訳にはいきませんと言い、それでもおばさんは無理やり押し付けようとする。
これはその筋の診断では何と言ったか、要するに罪悪妄想という奴である。年齢から見ておそらく認知症ではなかろうかと思うが、当人の認知が歪んでいるので、周囲がいくら否定してもきくものではない。私が伝票を書き終えて会計を済ます頃には、店員との談判がいよいよ行き詰まって、その辺の売り場にお金を放置しようとして店員に追いかけられる所まで発展し、警察を呼ぼうかという話になりかかっていた。後はどうなったか、私は帰って来たから知らない。
最初におばさんが出現してから、しばらく後に出てきた男の店員は、お話が全くわかりませんと頭ごなしに全否定していたが、認知症の患者にそういう対応はあまりよろしくないと言われている。たとえば徘徊であれば、一応相手のいう事を聞いて、その辺を一緒に散歩しているうちに、うちへ帰るなんて言い出したのは忘れて、おとなしく帰って来る。
しかしまあ介護の専門家でもなし、とつぜん来られた当事者は大変だったろうと思う。ああいうのは一体どのように対応すればいいのか、話を合わせてお金を受け取ってしまえば当座はいいかも知れないが、あとで今度は物取られ妄想の標的にされてもたまったものではない。
私なども一応いまは普通に人の世で何食わぬ顔をして暮らしているけれど、そういう妄想の種みたいなものは自分の中にも思い当たる節がある。たとえば自分の発言とか応対がちょっとまずくて、相手が怒っているのではないか、とついいつまでも気になるとか、あるいは最近の例では、A校で授業を落としたのが問題になるのではないかとか。
だからあのおばさんの気持ちは何となくわかるような気がするのである。特にいかにも健全な常識人であるかのような男の店員と対比してみると、自分のメンタルはどちらかと言えばあのおばさんに近いかも知れないとさえ思える。だからと言って両者をうまく仲介できるという訳では全くないのだけれど。