期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

晴れ

2010-05-31 17:38:50 | 日記
 朝からいいお天気で、日ざしは強いのだが風は心地よく、悪くない日和である。
 私の健康もどうやら回復して、陰鬱な気分もほとんど晴れわたった。朝から三時間ぶじに授業をして、特に体調の落ち込みもないようである。
 ただ声がまだ本当でない。時に嗄れ声になる。これはもしかすると職業柄、この声はもう元に戻らないのかもしれないという気もする。昔で言えば田中角栄「日本にはまだまだ土地がありますよ」とか、私は記憶にないけれども池田勇人「所得倍増」とか、政治家は演説で常に大声を出すせいでああいう塩辛声になるのだろうと思う。教員も似たようなものである。声が変わるだけならまだいいが、癌になるのは少し困ると思う。もっとも自分の場合、酒も煙草も嗜まないので大丈夫だろうという気はする。
 午前中の授業を終えて早々に退出し、エアリに赴く。何しろ週末に全く出歩けなかったから、少し遊びに行きたい、というのもあるが、具体的な用事として、ずぼんを一つ求めてこなくてはならない。うちでいま穿いているずぼんが、お尻の外れあたりが擦り切れて破れているのである。何しろ高校生の頃から穿いているジーンズだから、いくら物が良くても破れて当り前である。
 ユニクロに行って、同じような白いジーパンを買って来た。ずぼんにしては安いもので、二千円でお釣りが来る。今まで穿いていたのと比べてみると、一口にジーンズとはいえ、布地の厚さが明らかに薄い。これはどう見ても、親が買ってくれた旧いジーパンのように、十何年は絶対に持たないだろうなと思う。最近は色々な物が品質が落ちて、上等でなくなったといわれるが、買う方にも問題があるのは間違いない。しかし稼ぎが悪くてお金がないのだからやむを得ない。
 それにしても、帰って穿いて見れば、穴が空いていたのに比べればそれなりに快適である。やはり稼ぎに応じてまともな服を着るのは必要なことだと思う。

晴れ

2010-05-30 17:33:08 | 日記
 久しぶりにいい具合に晴れた。ただ風はひんやりしているようであるが、ほとんど外に出なかったのでよくわからない。
 今日も結局、一日家にこもって過ごした。何だかだるくていけない。特に熱があるというわけではないようだが、喉に違和感があって時に声が出にくい。まだ炎症しているのではないかと思う。これで週が明けて仕事が始まってガンガン声を出したら、また元に戻りそうである。
 今日こそは元気になって図書館にでも行きたいと思っていたので残念である。お昼にパブロンを飲んだら、怒涛の如く眠くなって、午後はうつらうつらして暮らした。

曇り

2010-05-29 11:51:27 | 日記
 肌寒いので電気ストーブを焚いて、綿入れを着込んで暮らしている。今年はちゃんと米が取れるのかどうか心配になるような気候である。
 夜の間に腹具合が悪化したらどうしようと思っていたが、一晩寝てどうやら大丈夫だったようである。今朝はまだ喉は痛いし何となくだるいが、寝込むほどではない。
 来週は金曜日から旧い方の学校で中間試験が始まる。私の試験は初日に入れられたので、なんとしても火曜日に問題を準備してしまわなければいけない。骨格は何年来使っているのを再利用して、内容を少し変えるだけだから、すでにほとんど出来上がっている。今日は午前中この問題の体裁を整えて、解答用紙を作って完成させた。
 基本的に今日は静養しようと思う。出て歩くと体力を使う。午後は新学校の方の授業の予習をしなければいけない。

曇り肌寒し

2010-05-28 20:26:54 | 日記
 やっと一週間が終わった。
 何だか体調もガタガタと崩れ落ちるような感があり、今日は授業をしていたら急に声が嗄れて出にくくなった。一時は喉の痛いのも治って、熱っぽいのもなくなっていたはずなのに不思議である。
 加えて午後はずっと胃痛で七転八倒した、というほどでもないが、胃痛を抱えながら普通に行動しているのはけっこう辛い。
 思い当たる原因として、一つはやはり疲れがたまっていたことであろう。直接的には、今日はお昼に豆パンマーガリンと小倉パンを食べたのだけれども、これを真面目に食べずに、生徒のプリントを見ながら食べて、しかも途中で中断して朱筆を入れたり検印を押したりして、疲れて眠くなってきた所で小倉パンを食べたことである。胃には最悪である。やはり食べる時は集中して食べて、それから集中して仕事をしないといけない。
 そんなわけで毎週金曜日に立ち寄っていた大学には今日は行かずに帰る。ついに一週間大学に足を踏み入れずに終わってしまった。
 代わりにこれまた一週間ぶりにドトオルで一服する。昨夜は夢でまでドトオルに行ったので、たまにはカフェでゆっくりしないといけない。喉にもいいかもしれないと思い紅茶を摂る。
 紅茶を一口飲んだらすっと胃痛が止んだので少し驚いた。どうも物を入れると止む所から見て胃酸過多であろうか。結局晩ご飯を食べ終わるまで断続的に続いた。今夜・明日以降落ち着くことを期待したい。
 ドトオルを出て、またダイエーに下穿きを買いに行く。昨日記した、前閉じの問題も然りながら、手持ちの別のに、今度は穴が開いているのが発覚したので、早急に更新しないといけない。
 ダイエーの前に、藤崎百貨店ではどうだろうと思い紳士服売り場に行ってみたら、確かに売り場の陰の奥まった方に下着はあったが、さすがに高い。いちばん安いのでも三千円とかする。ユニクロならずぼんが買える値段である。確かに上等で、穿き心地はよいのだろうが、やはり買う気にはならない。百貨店で物が売れないというのも無理はないなと思う。
 ダイエーでまた別の、今度はちゃんと前開きの下穿きと、八八〇円の襟飾りを買って帰る。襟飾りもだいぶ擦り切れていたのを二本、このあいだ藤崎百貨店で払ったので、員数不足が続いていた。
 週末は静養しようと思う。というか今晩この胃痛が無事治まるのかどうかが私は今心配である。夜中に何かなければよいと願うばかりである。

曇りのち晴れ

2010-05-27 17:29:49 | 日記
 天候不順に伴い体調もいささかよろしくなく、うちに帰れば教材作りが精一杯の日々で、後は何だかぼんやりして、ようやく息をついていたような感がある。
 一昨日は最高気温が二十五度ととんでもなく暑く、昨日はそれが十度くらい一気に下がって、今日も肌寒かった。今朝はうっかりして夜着が足りなかったらしく、起きると少し喉を痛めてしまっていた。これは元はと言えば、先週末まで出張して、風邪を引きこんで帰ってきた父からうつって来たものである。結局私も一週間喉の痛みとともに暮らすことになった。
 月曜日あたりは何となく熱もあるような雰囲気で、いざ教室に行けばしゃんとするものの、戻ってふと気を抜くとだるさが押し寄せてきてどうも辛かった。今日あたりはようやく少しは元気が戻ってきたかなあという感じである。週も後半に入ったから気分的にもほっとしている所はあるかも知れない。
 そんなわけなのでこの間特筆するようなことはほとんど無い。今思い当たる些事とては、一昨日、仕事が終わってから、本当は大学に行かなければいけなかったのだが、体調不良に名を借りて休みを届け出て、代わりにダイエーの紳士服売り場に赴き、下穿きをひとつ購入した。手持ちのものの中に、もうだいぶ古くなって性がなくなって、穿いているうちに局部がはみ出して来て気持ちが悪いのがあるので、この際これは更新した方がよいと思う。
 ところが暑さを押してぼんやりしながら選んだせいか、うっかりして前閉じのものを買ってきてしまった。ちゃんと「前閉じ」と表示してあるのを意識していたのだが、現実をイメージすることが出来なかったのである。前が縫い閉じてあったら小用を足すことが不可能はないか、というわけで、そんな代物がこの世に存在しているとは思いも寄らなかった。
 帰って包装を開ける段になって、なるほどこういうものかとわかったが、開けてしまったので返品は利かない。むしろ開封前でも返せるものではない。
 そこで昨日は生まれて初めて、前の開かない下穿きで一日すごした。前が縫い閉じてある以外は、なにしろちゃんとした値段のボクサーブリーフを買ってきたのだから、穿き心地は悪くない。穿いているのを意識しないというのが、下着としては上質である。
 ただ小用を足すときに、いちいち帯革を解いて、ずぼんを下ろして、下穿きをずらさなければならないのが面倒なだけである。じっさい穿く前は、これはもしかするといちいち個室に入って、ぜんぶ下ろしてしゃがむなり座るなりしなければならないのかと絶望しかけていたが、どうやら立ったままでも出来ないことはない、しかし何だか、あられもないという言葉が脳裏に浮かぶような格好で、これは間違った行動なのではないかという不安はある。いずれにしても早急に、前の開く下穿きを、ちゃんと確かめて買い直して来ようと思う。

涼しくなった

2010-05-23 11:32:56 | 日記
 ということは昨日までは暑かったということである。全く気候は劇的で、昨日などもう夏かと思うような空気であったのが、今日は朝から曇り、海からの霧がどんどん上がってきて肌寒いほどである。
 外に出ても濡れるだけなので家でゆっくりしている。霧が収まって雨になれば午後から出かけるかもしれない。
 実は今年は私は免許更新の年で、誕生日が来月七日なものだから、もちろん既に通知は来ているし、そろそろ行かなくてはならない。今年度は平日はずっと仕事だから、日曜日しかチャンスがない。いろいろ勘案してみると、誕生日前となると今日か来週の日曜しか機会がない。
 しかして今週末は大学図書館に本は返さなくてはいけないし、教材は作らないといけないしで、少し忙しいなと思っていたが、よくよく確かめてみたら、最近では更新は誕生日の一ヵ月後までに延びたのであった。そうなると来月は初旬から中旬にかけて中間試験があって、どこの学校でも必ず平日に授業のない日が出来るから、問題なく更新に行ける。まずはよかったと思う。
 かくの如く事情に疎いことからもうかがえるように、私は車の運転という技術には全く門外漢である。自車校を卒業して以来、一度も運転席には座ったことがない。したがって免許は最速で金色になり、更新は五年に一度で済む。
 生来鈍くさい人間であるということは折にふれて書いてきた覚えがあるが、車の運転に関しては全く不向きであった。いまだに自車校には恨み骨髄で、全くあんなひどい学校はないと思うが、高校という学校に対してこのように感じている人も、卒業生と現在通っている人とを問わず少なくないのであろう。
 車の運転などということは得意な人に任せて、バスや何かの交通機関に有難く乗せて頂けばよろしいと思っていたが、この頃『大学』を読んでいたら、一般教養として礼・楽・射・御・書・数というのが挙げられていた。このうち御というのが、馬車を御する術である。つまり古代中国においても、乗り物の操縦が出来ないと君子にはなれなかった、というより、君子以前のこれは生活技術であろう。
 ちなみに楽は当然音楽で、射というのは弓を射ることである。この二つが当時どういう意味を持っていたのかはよくわからないが、現代に引きつけて言うならば、カラオケと社交ゴルフ、あるいは草野球か何かそれに類するスポーツ、ということで、社会で人交わりをして行く上では、こういう心得も確かに必要である。
 いつの時代も人間の営みというのはそう変わらない、というより、中国文明の普遍性というものを感じる所以であって、それが現在あそこまで世界的な価値観とずれているのはどういうわけなんだろう、というのは私にはよくわからない。いずれにしても私自身は楽も射も御も落第であるからこうして『大学・中庸』なんか読んでいる。

雨が降った

2010-05-20 18:15:31 | 日記
 しばらく稿を継ぐのを怠っていた間に、昨日今日とも、見たら20IPくらい数値が出ているのは不思議である。見ても何も書いてなかったという読者の方にはご足労であったと思う。
 しかし一週間が経つのは早いものだなあと慨嘆せざるを得ない。うちに帰ってネットなんか見ない間にあっという間である。しかし一方では矛盾するようだが、一週間過ぎるのがあまりにも遅いという感じもする。明日も学校に行かなきゃならないなんて信じられない。これが普通のお勤め人の生活であるにちがいないが、それでも非常勤なのだから普通のお勤め人に比べれば楽すぎる。
 火曜日の旧学校の授業はどうやら無事に済んだ。回顧するならば、その前の週の金曜日の授業がいささか喧しい中を、あまり鎮定に意を用いずに強行したら、担任だか誰かに訴え出た生徒がおり、その先生がまた生徒部の先生にわざわざ注進してくれて、話が大きくなり、私の授業を見回りに来るかもしれない、ということになったのである。
 全くやれやれである。私は生来気が優しい、というより面倒くさがりの不人情という面が大きいと思うが、生徒を統制する気概に欠けるところがあり、これこそ教員の適性として大きな問題であるのだが、授業中少しくらい喧しくても自分がそれを上回る声量でがんがん話を進めればいいやと思ってしまう。国語表現の授業といえばなおさらで、全員が押し黙っていたらそれはそれで問題があるのではないかと思う。
 まあそれでも、勉強する環境としてよろしくないという点は否定できないので、大いに反省はせざるを得ない。
 昔もこういう目に遭ったことはあった。若い頃は、やはりそれなりに教員になりたいと思う野心があったから、こんなことだから自分は採用されないのだと落ち込んだりもしたが、今ではもう教採を受ける気もなく、そんな身の程に合わない希望は捨てたのでかえって気は楽である。
 さらには、これは今までの自分になかった考え方として、自分はこれほど一生懸命やっているのであるからうまく行かない筈はない、という、開き直ったような気分が出てきたのは我ながら面白い。理詰めに考えれば、一生懸命やったからといって当然いい結果が出るとは限らないが、人の自信なんてものは大体が無根拠のものではあるまいか。
 それで結局、今週火曜日の授業は、全く授業に参加する気のない問題児たちが揃って休んでくれたせいもあって無事に済んだ。しかし明日はどうなるかわからない。それにしても、生徒が休んでくれた方が助かるというのは、先に生徒部に通報した先生も当然のようにそう言うのだが、本当にこれでいいのかと思う。生徒に勉強させるのが教員の役割ではないか、と思うのだが、何も持たずに字を書く気もない人間に、何をどうすればいいか名案があるわけではない。他の多くのまともな生徒と同じ教室で面倒を見るということになるとなお無理である。結局は欠課時数が超過して単位を落とし消えて行くのを待っているようなもので、全く何をしてるんだろうという気はする。

晴れ

2010-05-17 18:17:00 | 日記
 乗りかかった舟ということで、稿を改めて今日の話も書いてしまおうと思う。
 何と言っても特筆すべきは、急に暑くなったと言うことであろう。昨日までの肌寒さが嘘みたいである。朝まではそれでも少し涼しかったのでスーツを着て出たが、駅から歩いて学校へ着く頃には少し暑苦しかった。
 日中となると、建物の中はまだ熱が伝わってこないので冷やりとしていて、外は熱風という感じだった。今日の時間割は午前中で終わるので、帰りがけは大変だと思っていたが、さすがに真夏ではないので風はまだ心地よかった。これがあと半月もするととんでもないことになる。
 今日は新しい学校での授業で、三時間まあ何事もなく済んだのでよかった。実は先週の金曜日、旧学校の授業でちょっと失敗したので、少し凹んでいて、月曜日はいつにも増して気分が重かったのだけれど、まあ少し安心した。あとは明日、失地回復が成るかどうかである。

彩雲を見た

2010-05-17 17:47:59 | 日記
  
 ただし昨日の話である。こういうことは即時に書かなければ意味がないとはよく承知しているが、つい別の原稿に熱中しているうちに日記を書く機会を失ってしまった。
 昨日は実は、四年前に亡くなった祖母の誕生日で、ちょうどこの日というのは、母や叔母など一族の者にとってはなんとなく格別の思いのある現象であった。
 雲というのは古来、死者に関係のあるものとして見られてきたものである。火葬の煙を雲にたとえるのは、和歌を初めとする日本古典文学の修辞では常套といえる。
 彩雲そのものがどう捉えられてきたかというのは、今ひとつ不案内であるが、まあ瑞兆であろうという気はする。人が死ぬる時には阿弥陀如来がお迎えに来て、五色の雲がたなびくとか何とかいう話もなかっただろうか。亡くなった時とか命日とかいうのとは違うが、極楽往生を証するものと考えておきたい。
 写真は私の携帯カメラで撮ったのであまり鮮明でないが、肉眼で見たときはなかなか鮮やかであった。午前十時すぎに東南の空に現れ、初めは橙・黄・青・緑くらいの色が見えていたが、しばらくすると紫と赤も綺麗に出てきた。少しずつ空を移動しながら、十分くらいで消えたようである。

曇りのち晴れ

2010-05-15 20:31:50 | 日記
 しかしここ何日かの寒さはないんじゃないかと思う。今日は午前中は少しは暖かくなったのかなあと思い、毛のシャツに薄い上着で出かけたら、昼すぎ曇り、のち晴れたがやはり肌寒かった。陽射しはあるのだが風が冷たい。ちょっと北欧のような感じもする。行ったことはありませんけれど。
 そんな中、仙台では今日明日と青葉まつりである。すずめ踊りと呼ばれる踊りが街中で披露される。とニュースで言っていたが、「と呼ばれる」という言い方はちょっと面白いなあと思う。何だか怪しげな踊りみたいである。県民にとってすずめ踊りはすずめ踊りであって、別に当然のものである。私は踊れませんけれど。
 かくいう私は祭りと言うと迷惑だなあと感じる方である。一般に非日常が好きでない。これは子供の頃からで、だから運動会も学芸会も合宿も、行事と名のつくものは億劫で嫌だった。淡々と同じ日々が続くのがよろしく、何か変わったことに巻き込まれるとろくな目に遭わないというのは抜きがたい観念としてある。
 普通の人は、祭りとか非日常というと何か日常の退屈を打破してくれたりして、たぶん楽しいんだろうと思う。今日も少しだけ街を通ったが、家族連れとか友達どうしとか恋人とかでそれなりに混んでいた。こうして人付き合いが絡むから、祭りはおそらく面白いんだろうと想像する。
 私の場合、咳をしても一人、ではないが、祭りがあろうが何があろうが単独行動だから、単に平穏な日常に変動を生じるだけである。今日などは市中を走るバスも経路が変わるし混雑するだろうし、実害は無かったからよかったが、よけいな気を遣わせられた。
 私にとって今日は祭りなどどうでもよく、混雑にもめげず大学図書館に行こうと思う。昨日もひさしぶりに学校帰りに寄ったのだが、なにぶん時間がなくて堪能する暇がなかった。いろいろ見たいものもあるし用事もあるので、午前中から出かけて夕方まで居てきた。一日じゅう研究に時間を使ったのは本当に久方ぶりのような気がする。
 これはここ数日考えていることなのだが、やはり今年も教採は止めておこうかと思う。去年も地元は受けずに関東に出撃して討ち死にして、他県は旅費が無駄だから元来受ける気はなかったが、ついでに地元も止めてしまえと思う。
 もっと言うと、今年どころかもう永久に教採からは足を洗おうかという気になっている。この四月から新しい学校にも勤めてみて思ったのだが、私という人間は専任の教員には向かないし、なれそうにない。十年あまりにわたって私という人間を拒否し続けた県教委の判断を認めるのは口惜しいけれどもやむを得ない。
 考えてみると、本県だけで全校種合わせて毎年四千人くらい受けて、採用されるのは四百人である。九割は落ちるのである。私はたぶんこの九割の側の人間なのである。
 県教委は出願者四千人を確保するのが目標だと言うが、それが毎年毎年、次の年に積み残されて、世間にはおびただしい数の屍が生み出されているのではないかと思う。一将功成りて万骨枯るである。それとも私のようにいつまでもしがみ付いている馬鹿はいないのだろうか。
 講師を続けつつ研究を続ける、といっても、研究者になる見込みは教員以上に小さいのはよく分かっているし、本心は単に好きな本を気ままに読んでいたいと言うだけだから、楽な道を選んでいるだけという可能性は高い。こうして考えてくるといつも同じような結論になるが、私の生きる場所はもうどこにもないんじゃないかという気がしてくる。