期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

涼しくなった

2010-06-29 20:14:32 | 日記
 つい昨日まで連日暑い暑いとばかり言っていたが、今日は劇的に涼しくなった。長袖のシャツを着てネクタイを締めて、楽に過ごせるくらいである。学校で仕事をしていると、ちょっと暑くなって腕をたくし上げる程度で、ほとんど汗もかかない。
 これというのも、天気図で言うとオホーツク海に高気圧が成長してきたおかげである。当地の梅雨はこれでないと気分が出ない。何かの拍子で夏に入ってからまでこの気圧配置が続くと、北東気流が流れ込んで冷夏になる。サムサノ夏ハオロオロアルキ、という羽目になって米がとれないという大変な事態になるが、夏まではこれで問題ない。当分このままであってもらいたいと思う。
 しのぎやすくなったので、午前中ニ時間授業をしてから、夕方まで残業をして次回の教材も作ってしまった。今日の授業で集めた作文を添削して、テキストデータに打ち込んでプリント化する。
 ついでに来週の火曜日、婚礼に出席するため休むので、二時間分の自習課題を印刷して袋に詰めて担当の先生に託してきた。一時間は作文、二時間目は漢字の書き取りである。思えばこの学校に勤めて四年目にして、年休を取って課題を出すのは初めてである。手続きがよくわからないので、あらかじめ国語科の先生に聞いてあったのだが、教務の担当の先生のところに課題を持って行ったら、何だかもう一枚申請用紙を出してほしいような話であった。かと思うと一週間前だからまあいいんだけどとも言われた。よくわからないが、非常勤の私に出張も何もあるわけでなし、休むことはもうないだろうからどっちでもいいことにする。

今日も暑い

2010-06-28 19:47:29 | 日記
 一体いつ涼しくなるんだろうと言えば、もう秋になるまで涼しさは帰ってこないのか知らん。そう思うとなんだか寂しい。あたしゃ今年はまだ春も梅雨も満喫した気がしないというのに。梅雨のあの、冷たい雨がしとしと降る日に本を読んだり何かする静かな気分が今年は全くなかった。
 代わりにひたすら蒸される中での阿鼻叫喚、というと大袈裟であるが、今日なども最高気温は三十度近く、学校が普段どおり営業しているのが不思議なくらいの気候である。講義をしていても何だかいつも以上に頭が混乱して言い間違いが増えるような気がする。最新の脳科学か何かで調べてみたら、教員も生徒もたぶん相当能率は落ちているんじゃないかと思う。
 そんな中で午後、自分の分の授業も終わって職員室にいたら、生徒が胡瓜を売りに来た。そう実は私が今年度から勤めている学校は農業学校なのである。従って花や野菜といった上質な作物を市価より安く販売することがあり、こういう学校は地域ではきわめて人気が高い。
 先生がたの中にも、わざわざ校内の売り場まで出かけて行って野菜を買ってくる人もいるようであるが、私はそこまでの熱意はない。しかし職員室に営業に来られたとあっては買わないわけには行くまい。しかもちょうど人が少なくて売れ残りそうになっていたことであるし。
 胡瓜一袋に十本ほど入って二百円である。高いか安いかわからないがそういう問題ではない。ただし電車バスを乗り継いで持って帰るには相当重かった。

曇りのち雨

2010-06-27 20:06:40 | 日記
 そして湿度があいかわらず高い。もうミストサウナのような状態である。と言っても実際入ったことはありませんけれど。
 考えてみればこういう中で普通の格好をしているのが間違いではないかと思ったりする。洋装というのは本来、冷涼な北ヨーロッパで行われていた服装であって、高温多湿なモンスーン地帯の夏に向くものではない。自然に従うという観点からすれば、南の島の大王みたいななりが良いのではないかと思う。
 今日などは仕事も休みであるので、そんな格好でうちでゆっくりしているのが望ましいのではあるけれども、少しでも修論を考えねばならぬので、涼しさを求めて街へ出かけた。午前はミスドで、昼から大学図書館に移り、夕方まですごした。
 ここしばらくの蒸し暑さにもかかわらず、空調を日付で管理する大学図書館は、ちょうど一昨日から冷房が入りはじめている。おかげで快適で、それなりに原稿も書けたのでまあよかった。これまで考えていた事の他にも、本当に役に立つかどうかはわからないが、思わぬアイデアまで出てきたので驚いた。つくづく思うが人間の脳というものは、創造的な仕事をするにはコンピュータと同じで冷却してやらないといけない。
 しかし悲しいことに図書館の空調はきわめて旧式であるらしく、暖房もそうだが、冷房も細かい調整が利かない。ここしばらくの気候は、気温を下げるのではなく湿気を取れば相当快適になるはずなのだが、図書館の空調にドライという機能はないらしい。冷やすしか能がないので、長いこと居るとだんだん寒くなってくる。
 思えば私が初めてこの大学に入ったのは今を去ること十八年前であるが、あの当時は図書館に冷房がある!というだけで感動ものであった。確かあの頃は、仙台市図書館はまだ西公園にあったが、一階の閲覧室には冷房がなかったように思う。高校生の時だったか、夏休みの宿題のために初めて出かけていった時に、汗を流しながら本を探したのを覚えている。二階の閲覧室にだけは冷房があったかも知れない。
 大学に入っても、冷房があるのは図書館だけで、研究室にも教室にもなかった。夏の試験の時には汗を落としながら哲学の答案を書いた。その答案を先生が返してくれたのが、もう冬になって雪が降る日で、大学とは何たらいい加減なところだと呆れたものであった。
 それが今は大学も各教室に冷房がつき、市立図書館も各館すべて冷房完備になった。それと共に、というべきか、昔は梅雨の雨といったらもう少し快適だったんじゃないかと思う。湿度はさておき、温度はこんなに高くなかった。冷房で排熱した分が戻ってきているのかもしれない。

暑さにつき夏季休業

2010-06-26 18:34:31 | 日記
 あまりに暑くて茫然としているうちにあっという間に日が経ってしまった。
 しかしとにかく一日中暑くて、日々仕事をしながら暮らしているだけで精一杯という感じである。学校は冷房がないから、教室で授業をしているととにかく暑い。一昨日は西風が吹いて乾燥した暑さとなったが、その前まではずっと蒸し暑かったし、そうかと思うとまた今日からは湿度が上がって蒸し蒸しである。
 夏と冬とどちらが好きか嫌いかという話がよくあるが、私は盛夏・厳冬どちらも好きでない。あまり好きな人はいないかもしれないが、私の場合、夏冬になると精神的変調をきたす。夏あまりに暑かったり、冬に強風が吹いたりすると、地球温暖化かと思って、世界の終わりのような不安感にさいなまれるのである。
 特におととい、このあたりの今の季節には珍しく西風が吹きしきった時はあぶなかった。西風はこの辺では冬の風であって、時に電車が止まるような勢いで、家も何も吹き飛ばすような勢いで吹く。
 私は幼稚園児のころから風が嫌いで、しかし夏は台風でもなければ強風は吹かないものと油断しているから、とつぜん風に襲われて心の準備が出来ていなかったものと思われる。
 そんなわけなので本稿も今までになく不定期となることが見込まれる。ちなみに前回記した、学校の机の引き出しに忘れた携帯電話は、無事に回収した。いくつ着信があったものかと思ったら電源が落ちていて真っ暗になっていた。アラームを止める者もいなかったし、こんな時に限ってメールが二通も届いていたせいでバッテリーが消耗しきったらしい。幽閉されて餓死したという所か。

相変わらず蒸し暑い

2010-06-21 20:31:39 | 日記
 一大事でございます。何じゃ騒々しい。一大事でございます。学校に携帯を忘れてきてしまいました。
 ということで、明後日まで私の携帯電話は、職員室の机の中に幽閉されたままということになってしまった。
 やはり携帯を引き出しに入れるのはよろしくない。授業の時に教室に持って行って、もし万一電波を受信したりすると生徒に示しもつかないので置いて行くことにしているのだが、なんとなく引き出しに入れてしまうと、帰りまで忘れてしまってこういうことになる。
 以前にも一度これと同じ状況を招来したことがあって、その時は駅まで歩いてきてから気がついたから、仕様がないなあと思いつつもと来た道を戻って、いやー携帯忘れちゃったんですよ、と言ったら、それは取りに帰るのが当然だという先生がたの反応であった。
 今回は気づいたのが電車に乗ってからで、それでも世間一般の人は万難排して戻るのかも知れないが、私の場合は、まあいいかということで放置する。普段からめったに電話もメールも来ないし、だいたい疲れたし。
 ただこの機械が余人をもって代えがたい役目といえば、毎朝定刻にアラームを鳴らして私を起こしてくれることである。これがないと無制限延長で寝てしまう恐れがあるが、幸い古い携帯電話が取ってあったので、急遽充電して使うことにした。都市鉱山がどうたらいう話で、古い携帯はリサイクルに出しなさいと言われているが、こういう時に役立つこともある。
 すると明日・明後日と誰もいない早朝の職員室で、私の携帯がアラーム音を響かせることになる。これはいささか不安でないこともない。まさか宿直はいないと思うが、警備の何かが反応したら困るけれども、今更どうしようもない。
 ちなみに明日は、携帯を忘れたのと別の学校に行くべき日なのだが、有難いことに曜変で月曜の時間割が実施されることになって、私の授業はなくなった。年休を取れなどとうるさい事をいう学校ではないので、単に休ませて頂く。図書館に教材を漁りに行きがてら、優雅な休日をすごすつもりである。携帯がなくてちょうどいいと言うべきか。

曇り蒸し暑い

2010-06-19 20:29:52 | 日記
 気が狂いそうな蒸し暑さである。ただ居ても熱が体に溜まってくるような空気で、何だか呼吸もしにくい。
 夕方家に帰ってから、天袋にしまいこんであった扇風機を出して、組み立てて回してみたら、劇的に快適になった。気温がさほど高くないので、空気を動かしただけでだいぶ違う。
 さて今日は、午前中はうちで教材作成、昼から出かけて、金港堂書店に昨日の書物を請け出しに行ってきた。
 待望の本は、和歌文学大系15『堀河院百首和歌』(明治書院)である。これが七千三百五十円もする。歌書としてのこのテキストをいちばん安く入手する方法は、たぶん国歌大観をコピーすることで、これなら数百円ほどで全文読めるわけであるが、本文以外の情報は全く入っていない。私も大学院に入ってこの方、それなりに修行は積んだから、歌だけでも読めないことはないが、この本に関してはやはり専門家の注釈を参照したいと思ったのである。
 かねてから欲しいと思っていた本を手に入れて満足であるが、しかしこれをすぐに読む暇があるかというと、全くない。
 だいたい私の主戦場は新古今時代であるのだが、鳩山総理ではないけれども、学ぶにつけ、和歌史全体の見通しはどうしても必要だという事がわかってきた。それでとりあえず八代集だけでも読破しようと思い立ち、古今・拾遺・金葉・詞花・千載・新古今の各集は一応ぜんぶ目を通して、今は後撰集の秋下巻を読んでいる。後拾遺集だけが全く手付かずである。
 ところが昨日など、今年度の修論オリエンテーションのお知らせが助教氏からメールで送られてきて、また資料を作らねばならない。こういうイベントがあるたびに、私の場合研究に対する意欲が減退する。困ったものである。
 金港堂を出て、さっそく最寄りのカフェに入って、買ったばかりの本をめくって解説だけ読む。本文は当分お預けである。
 しかし今日は本来ならばこんな風に街をうろついている場合ではなく、研究室の学生は今日は皆たぶん金谷川なる福島大学に行っているはずである。そこで今日・明日と学会が開かれているはずで、私はなにしろ普段から研究室にあまり行かないから、誰も声を掛けてくれないが、本来ならば顔を出さないといけない。
 しかも明日は私の一応専門とする和歌文学についての発表があるようで、行かねばいかんよなと思いつつ、そんな所へ行っている暇も金もないという気もして千々に迷っている。
 私のこの頃の腹づもりでは、教採はもう諦めたから、できれば修論を書いてからも研究室に置いてもらえないかと思っているのだが、そのためにはもう少し研究室に貢献する姿勢を示す必要がありそうな気がする。人の学会発表なんて聴いてためになるような気はしないが、いわば義理で顔を出すのである。旅費と時間はそのための必要経費である。
――しかしこの頃は仙台でもいろいろな学会が華やかに開かれているようであるが、どの分野の研究者にしても、こういう、業界での付き合いのためという動機はあるんじゃないかと思う。純粋に知的関心でもって学会に来ている人ってどのくらい居るのかしらという気がする。
 しかし私の場合、どうせ研究者になりたいなんて大それた希望も今更持ち得ないしと思う。すると一方では、雨は降るし教材は作らないといけないし、行かない理由は限りなくあって、たぶん行かないことになりそうな気がする。こういう、どっちに転んでも後ろ向きな考えは考えるだけ疲れる。

曇り

2010-06-18 21:00:03 | 日記
 日ざしが弱かったので、蒸し暑いながら昨日までよりは随分しのぎやすくなった。夜に入って雨が降り出したようである。
 出勤途中、電車の中でとつぜん携帯電話が震え出し、見ると音声着信なので、取ろうかどうしようかと迷っているうちに、地下を走っているところだったので圏外になってしまった。
 もっとも用件はだいたい見当がつく。金港堂書店からであるので、先週の今日取り寄せを頼んだ書物が、入荷したというお知らせにちがいない。
 駅に降りてから改めてかけなおしてみたら、やはりその通りだった。
 書店の店頭にない書物を手に入れると言えば、昔はこうやって取り寄せを頼むしかなかったものだが、今日日はインターネットという文明の利器があり、コンビニで受け取るなり、最寄りの書店に送ってもらうなり、自宅に届けてもらうことさえ簡単に出来る。こんな風に回りくどいやり方をする人ももうあまりいないのかも知れないと思うが、今回あえて地元なる金港堂を煩わしたのは、商品券で買おうと思ったからである。新聞投書の謝礼として、日専連のギフトカードをもらったのが三千円ぶんたまったので、この際かねて欲しかった本を買ってしまおうと思い立った。
 そんなわけで今日は準備がないから、引き取りに行くことが出来ない。明日の楽しみということにしたい。
 それにしても、注文した時に金港堂の端末を見せられた時には、十八日に入荷予定と表示されていたが、本当にその日に着いたとはと思う。注文したのが十一日なので、ちょうど一週間である。これも昔に比べれば早くなったものである。げんに、金港堂がくれた控えには、約二週間前後かかると印刷されてある。
 さて今日の授業では、かねてから準備していた各地の方言の音源を聴かせた。元ネタは斎藤孝『声に出して読みたい方言』(草思社)と付属のCDである。教材として購入してもよかったが、とりあえず今回は図書館から借りて済ませた。
 帰りはこれを返却するために榴ヶ岡図書館に寄る。ひさしぶりに駅東口のスタバかベローチェで一服しようかと思ったが、どちらも混んでいたようなので諦めた。結局駅を通り抜けて西口に来て、行きつけのベローチェに落ち着いた。これなら最初からメディアテークまで行けばよかったのである。
 おまけにバスの時間を勘違いして一本乗り遅れた。空いていたので車内で爆睡して帰る。

晴れ

2010-06-17 22:24:06 | 日記
 暑くなると予報されていたら本当に暑くなった。
 今日は新学校の出勤日であるが、試験中で授業はない。私の担当している科目は一昨日と昨日が試験で、昨日のうちに夕方までかかって答案はぜんぶ採点してしまったので、今日は休みである。
 いままでの普通の学校ならば、こういう風に行事や試験で授業がなくなれば、非常勤は自動的に休みで問題はなかったのだが、今年の学校は授業はなくても出勤日は出勤しなくてはいけない。休むならばちゃんと年休を申請しなさいということになっていて、昨日は教頭にことわってきたから、堂々と休める。
 久しぶりの平日のお休みである。昨年度まで三年ほどは、週二日か三日しか仕事が入ってなかったので、普通に平日でも暇な日があったのであるが、今年は非常勤でも有難いことに仕事が増えて、土日しか休みがない状態で、平日はとにかく仕事が優先であり続けてきた。
 今日はまず十時ころに街に出てカフェで一杯やる。まあどこでもよかったのだけれど、ミスドに入って、ハニーオールドファッションと珈琲を取り、修論の原稿を少し書いた。
 昼から大学にゆく。図書館で文献をあさるつもりだったのだが、検索してあった五つが一つも見つからなかった。何だか呪われているみたいである。
 しかし図書館は冷房がまだ入らないので到底いられないだろうと思っていたが、論文館は思ったより涼しくて、長袖のシャツを重ね着してちょうどいいくらいだった。快適に読書をして夕方帰る。一日ゆったりして命の洗濯という感じであった。

晴れ

2010-06-16 21:22:09 | 日記
 首を痛めたり、お腹を少し悪くしたりで日記を怠っているうちにまた数日経ってしまった。今週は父が某所に出稼ぎに行ったせいで、何かと野暮用があるということもあり、何かあったのかと思っている読者もいたかも知れないが、特に変わった事はない。
 さて、ここしばらくで印象深い出来事といえば、やはりサッカー日本代表であろう。私など予選リーグ三連敗がいいところだろうと思っていたが、あざやかに緒戦の勝利である。新聞テレビの報道でも、いわゆる街の声というのを見ても思いがけない勝利という感じで、何だか提灯行列でもするような勢いである。
 日韓大会の時にも言われたが、私などこういう情景を見て、太平洋戦争開戦、真珠湾攻撃の第一報が流れた時なども国内情勢はこんな感じだったのかなあと思ったりする。特に今回など、直前の強化試合で連敗続きで、重苦しい雰囲気であったが、あの頃も、アメリカでは移民排斥があったり、中国大陸の戦争はなかなか思うように進まなかったり、日本という国は大丈夫なんだろうかという不安が立ち込めていたのだろうと思う。
 そこへ米英を相手にあざやかに勝ってしまった、というのが、今回まず世界ランキングから見ても、身体能力から見てもかなわないだろうと思われていたカメルーン戦に勝利、という状況によく似ているように思うわけである。
 これでもしかすると予選リーグ勝ち抜けもありか、という期待がにわかに高まってきたわけであるが、世界はそう甘くなく、やはりこの間の戦争の如くして、最後はやられることであろう。話はサッカーであるから有難い、てなもんである。
 それにしても、思いがけず勝ってからのマスコミの論調ってどうなの、という気はするわけである。勝てば官軍というけれども、掌を返したように監督以下選手を賞賛しているが、これも先の戦争と同じである。朝日新聞などこうやって軍をたたえて戦争を煽ったんだろうなあと「報道ステーション」を見ながら思ったのは私だけだろうか。

晴れ

2010-06-12 17:24:17 | 日記
 昨日もそうであったが日中は案外蒸し暑く、少し動くと汗が出る。しかしまだ朝夕は涼しいのが、真夏とはちがう所である。
 講師稼業を始めてこの方、今までは例年、夏いくら暑くてもネクタイは必ず締めて仕事をしていた。さすがに真夏日ともなると上着は脱いでいたが、ネクタイは締めるべきものと信じて疑わなかった。
 それが今年初めて、クールビズなる流れに乗って、昨日はネクタイなしで学校に行ってしまった。やはり首もとが涼しくて快適である。人はこうして易きに就くのであるよと思う。だいたい明治から戦前までの小説や何かを読んでいると、しかるべき式典などの際は真夏でもフロックコートを着ていたらしい。当然冷房などないわけで、まあ非人間的ではあるが、様式というのは人間性を無視したところで成立する。
 そういう時代から見れば人間が甘くなったという年寄りの批判は、ネクタイ無しの姿に対してはいまだくすぶっているわけであるが、今は何しろ冷房という文明の利器があるので、皆が正装をすれば冷房を掛けてしまう。環境への負担になることを考えれば、自然に従った服装で、冷房に頼らない方がよいに決まっている。
 そのせいか、今は少し以前から比べれば、バスや電車やカフェの冷房はいささか弱くなったような気がする。ここ何日か、少しくらい蒸し暑くてもあまり冷やさない。これは大変よい傾向で、そういう中でネクタイに拘るおじさんは一人で勝手に締めて汗を流していればよいのである、と言いたいが、やはり周囲の見た目ということも考えれば、ネクタイは取って歩くのが今の時代よいのかしらんと思う。
 さて今日は、ネクタイも何も関係ない休日で、長袖シャツ一枚ですごしていた。午後からは散髪に行ってきた。四月から仕事が忙しくなって、平日は休みなし、従って週末に何かと用が入り、町内の床屋へ行く暇もなかなかなく、この際、通勤途中の美容院か、エアリにあるという千円床屋に行こうかと思ったほどであるが、やはり通い慣れた町内の床屋は安気である。ほとんど何も言わなくても仕上げてくれる。美容院ではこうはゆかぬと思うが、何か雑誌でも持って行って、こんな髪型にして下さいなどと注文するのも面白いなあと思わないでもない。