期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

いじめの話続き

2012-07-31 21:40:21 | 日記
 本稿は自分の個人的な話。
 大津で中学生が自死に追い込まれた件についての報道が続くうち、ある時ふと思い当たったのが、この四月に勤め始めて二週間で辞めたあの学校で、私はいじめられていたのだなということであった。その時はもちろん、辞めてからもずっと意識できなかった。ただあのつらい感覚は子供の頃から非常に馴染みぶかいもので、逃げ出すほかないと考えたのは生物的本能といってよい。
 私は子供の頃から、いくらいじめられても登校拒否になったことは一度もなかったが、そうしてひたすら耐えていくことは、自分の魂のある部分をしだいに壊死させていくことにしかならない。
 そのようにして生涯のある時間を切り抜けた人間というのは、その後の精神のありようが、いわば復員兵のようになるのではないかと思う。作家の小説やエッセイを読むと、従軍経験は人によってさまざまな影響を残すことがうかがえるが、たとえば大岡昇平は、ある日そば屋に一人で入って、四人がけのテーブルに座ろうとしたら店員にカウンターに移るように言われて、逆上して店を飛び出したという。命令されるのはもう御免だという思いが、平和に戻った日常の中でふと噴出する。
 私なんかも、なかなか一口では言いがたいが、何かこういわれなく相手を支配してやろうという底意には非常に敏感になっている。あの学校の管理職は、生徒に対してもそうであったが、配下の教員にも、とにかく余計なことを考えさせずに、まず威圧して服従させるというのが方針であったと思われる。
 特に私という人間に対しては、いいかげん歳は食っているし、特殊な履歴を経てきたことではあるし、学校に忠誠を尽くすように根性を叩き直してやるという考えがひそんでいたに違いない。最初だからガツンと言ってやるみたいな。
 そうでなければあの、人が授業をしている教室に断りもなく入り込んで来て、居眠りしている生徒を勝手にひっぱたいて起こした上に叱りつけ、私がその生徒に言葉を掛けたことまで後で文句をつけるという行為は説明がつかない。
 日本におけるいじめという所業の始末の悪さは、必ず正当化を伴うということである。いじめられる方にも原因がある。いじめに耐えることで精神が鍛えられる。あらゆる組織にいじめは存在するのだから無くすことはできない。
 こういう、盗人にも三分の理みたいな屁理屈がつねにあるから、いじめられる方も加害側が勝手に作った世界観の中に閉じ込められて、一人で苦しむことになる。
 あの管理職も表面上は、平教員の指導監督という正当な意味があるから、それを受け付けない私が悪いと基本的に考えていた。しかし考えてみると、教育実習の時も駆け出しの常勤の時も、あんなむちゃくちゃな〈指導〉をされたことは一度もない。
 いじめとして自覚することにもう一つ効用があると思うのは、いじめというものは、本質的にきわめて個別的で特殊な状況だということである。いわれなく迫害されていると、相手が絶対的に正しくて、まちがっているのはすべて自分だと思いがちだが、決してそんなことはない。
 私の場合、他の教員はまともに働いているのに、辞めるに追い込まれたのは私だけだから、やはり私が悪いんだろうと思っていたが、あの管理職の意識が特に私を標的にしていたのだと考えれば、他の教員がどうあろうと関係はないのである。要するに状況を高い視点から客観的に見るということであるが、渦中にあると実にむつかしい。
 大人としていちいち辞職しているわけにも行かないので、いじめをどう克服するかという問題はさておいて、見も知らぬ大津の中学生に今の私はひそかに感謝している。いじめられている人々よ我々は決して一人ではないのだ。

オープンキャンパスだった

2012-07-30 17:40:38 | 日記
 学校が夏休みになったせいか、どこも急にイベントづいて、混んで困る。
 今日は月曜日で公立図書館は休みであるので、大学図書館に行ってみたらオープンキャンパスをやっていて、高校生を満載した観光バスが続々と集まって来ていた。そういえば例年この七月の末二日かけてやるんだった。忘れていた。
 私が大学に入る二十年前はこんな馬鹿な催しはなかった。高校のうちに大学見物したって仕方が無いじゃないかと思う。見物なんかしなくたって、利口な奴は受かるし馬鹿は落ちるのである。ただ受かったからと言って幸せになれるとは限らないというのは、私がいちばんよく知っている。
 しかも暑い中大挙して来ても、目的意識のない学生の方が多すぎる。夕方駅前から乗ったバスでもそれらしい男子二人連れを見かけたが、学食で四時間時間をつぶして終わったとか言っていた。何をしに行ったのか不思議である。たぶん学校から行って来いと言われたのであろうが、全く意味がない。
 観光バスの社名を見ていると、東北一円に加えて北関東からも来ているようで、キャンパスは繁華街よりも混んでいる。今日もとんでもなく暑いから、一通り見て回って行く所のない者は図書館に掃き寄せられて来て、集団でその辺をうろうろしている。在学生はもちろん知っていて今日明日は来ないだろう。私のような部外者がうっかりして大変な目に遭うわけであるが、部外者でもあの高校生たちよりは図書館に来るべきまともな用事があるように思う。
 閲覧席は取れたからよかったが、お昼になって、飲食可能な休憩コーナーに行ってお弁当を食べようと思ったら、いつまでも満席でどうなるかと思った。一時すぎにようやく一つだけ空席を見つけて割り込んだが、見ているとたいていの学生はぼんやりと座り込んでいるだけである。携帯をいじったり仲間うちで喋ったり、音楽プレーヤーで何か聞いていたりで、知的活動をしている者はきわめて少ない。休憩コーナーにはさまざまな雑誌が置いてあるのだけれど、そういうものに関心を示す者はほとんどいない。せめて週刊誌を読もうという気はないのか。ないのだな。しかしかりにも大学生になろうという者、社会の動きに関心を持たずしてどうするのだ。
 まあ彼らは大学から見れば未来のお客さんなわけで、私なんかは学費も何も払わずに入らせて貰っているだけだから、迷惑だとかうっとうしいなんて言えた義理ではないだろう。しかし半日ばかりその辺をうろうろして何がわかるかなと思う。オープンキャンパスやるんだったら、いっそ夏休みずっと開いてはどうか。予約制にして一日一校にする。そして普段にはない催しとか見世物なんかやっても仕方がないので、いつもの授業なり演習に参加して頂く。ここまで書いて思い出したが、理科系の方ではこのくらい気合を入れて高校生を教育する試みもあったように思う。これで適性を見ていけば、実は入試もたいへん楽になると思うが、これだけで学生を取っていたら今日びの大学は営業が出来ない。
 そんなわけで明日も大学へは近寄れない。夏休みは定期券を買ってでも大学に通いたいと思ったのだが、とりあえず明後日以降の話である。

だからいじめはなくならない

2012-07-27 21:14:54 | 日記
 私は子供の頃からひたすらいじめられる側であったから、いじめる側の心理はほとんど分からない、と言いたいが、ごくかすかに加害側に立っていた、と思える経験が少なくとも今までに二回ある。
 その経験の具体的な詳細を語るのはここでの目的ではない。むしろそういう心理を基にして、なぜ人は人をいじめるのであろうか、と考えてみたいのである。簡単に言ってしまえば、それによって精神的な快感が得られるからである。愉しいからである。
 何年も前から、子供たちの間のいじめが深刻だということは注目されてきた。世間でいいかげん報道されると潮が引くように忘れられ、しばらく経つとまた誰かがどこかで自殺して、可哀想だとか教師は何をしているとか同じようなことがひとしきり騒がれる。語弊をおそれずに言えば、いじめ自殺は一つの話題として〈消費〉されている感がある。いわゆる永劫回帰というのはこんなんじゃないかと思える。
 どうしてこう無限ループみたいに同じ事が繰り返されているのかと言えば、いじめる側の心理が全く抜け落ちているからではないかと考える。どうして人は人をいじめるのか。報道でも、国や役所などの対策でも、こういう視点は全く語られない。いじめは卑怯であるとか、人として許されないとか、そういう建前論をふりかざしても仕方がないのである。
 それで改めて言うと、人をいじめることは基本的に愉しいことである。この事実をまず直視せねばならぬと思う。一人もしくは少数を迫害している時、その集団には強烈な連帯感が電気のように流れる。自分がその一員であるという意識は、人間にとってはたいへんに甘美なものである。
 また人間は、自分が何らかのパワーを持っていると思えることも、また快感である。ちょうど倫敦で五輪が始まるが、何につけ勝負事というのは、人間のこのような欲望を合法的に昇華するという機能があると言ってよい。いじめというのは、そのような心性を、ふだんの生活の場で、周囲の人間を対象にして勝手に発動してしまうわけである。やられる側は迷惑千万だが、人を殴ったり金を取ったりする事によって、いじめる側は自分のパワーを確認し、精神的快感を得ているのであろう。
 さてこのように考えてみると、いじめという現象はきわめて普遍的にあり得るわけである。いじめはどの学校どの生徒にも起こりうる云々というのが、文科省の公的見解であるが(教職教養で覚えたもんだ)なぜそうなるかと言えば、あらゆる人間に、人をいじめる可能性がひそんでいるからである。たぶん脳のどこかにそういう機能が組み込まれているんじゃないかと思う。
 さらに言うと、われわれ日本人という民族は、歴史的文化的に、だかどうだか、このいじめ機能が強化されているような気がする。上で考えた二つの要因からすると、まず集団への同一化圧力が非常に強い。みんな一緒、に価値があり、空気を読むことが重要なスキルになる。
 そして力の誇示という点から言うと、日本人は基本的に自信がもてない。謙譲の美徳もあり、また集団に順応するのがよいということからしても、個人として確固とした自信を持ちにくい。その裏返しとして、人をいじめて自分を確かめようとする。
 こんなわけで、大人の世界でもいじめはなくならないというのが、なんとなくこの国の常識と言ってよいが、自我がいまだ固まっていない子供、しかもその自我を作り上げる時代に差し掛かっている中学生で、露骨で悲惨ないじめが多くなるわけである。
 私に言わせれば、この中学生時代で、人をいじめた奴といじめられた奴に二分され、いじめた奴の価値観だけでこの国は動いているように思う。教員の世界もそうであって、生徒が自殺したのに全くまともな対応がとれないというのは、彼らがみな勝ち組として人生を生きて来たからである。迷える一匹の羊というたとえ話があるが、弱い一匹の羊を見捨てることで、この国の学校という組織の論理は成り立っているようである。
 とにかくこのいじめという問題は根が深いのであるが、子供たちへの指導という点で言うならば、まずは上で考えたように、人をいじめるのは愉しいことで、生物的に自然なことだと直視させる必要がある。その上で、われわれは人間であって畜生ではないので、人として高貴な精神を持って生きねばならない。まあそういう倫理を喚起していく他ないと思う。

肛門科デビュー

2012-07-24 10:10:09 | 日記
 何というタイトルだ。
 先週末思い立って、週明けの昨日、ついに上杉なるきくた肛門科を受診した。この稿では自分の痔疾の話をえんえん書いて来たが、医師にかかったことは一度もなかったのである。
 それがこのたびついに受診したについては、別にとつぜん悪化したわけではない。ただ某予備校で夜のお仕事をちょっとやったら、今まで経験のない時間帯でもあったせいか、緊張してまた腫れてきて、ここ何日かトイレに行くたびにまた軽く出血している。ただそれも自然に止まる程度で、大貧血に陥った去年の夏ほどひどくはない。
 しかしつらつら考えてみるに、この持病は困ったもので、今は仕事をしていないから血のめぐりが滞りがちなのだが、一方で忙しくても悪化する。要するにどんな生活をしていてもすぐに悪くなる。四月にせっかく得た定職を辞めてしまったについては、痔疾が直接の原因ではなかったと思っているが、辞表を出す頃には悪くなる気配が確かにあった。
 いずれまた非常勤なり何なりの仕事をする上でも、この十年来の持病は、はたして実際にはどうなっているのか明らかにしたいと考えたわけである。今は暇でもあるし、国民健康保険の窓口負担金も免除されているから、医者に行って薬をもらっても一切お金はかからない。実はこれが受診する最大の動機であったかも知れない。
 それで昨日は朝から出かけたら、すでに受付は数十人も入っていて、診察は午後からになった。外出してもよいと言うから、県庁まで歩いてドトオルに行って一服し、いちど電話してみたら、やはり午後になるとのことで、さらに定禅寺通のドトオルでお昼を食べた。相当ぜいたくをしてしまった。
 さて診察は、世に言うように、横向きに寝て下着をずらすという形で行われ、特に痛みもなかった。これなら誰しも怪しいと思った時にすぐに診てもらった方がよい。漱石の『明暗』だったか、主人公が痔を診察されて激痛に絶叫するシーンがあったと思うが(これは作者その人の経験と見ていいだろう)、平成は明治大正の御世より大変に進歩している。あたり前である。
 私の場合は、さすが医者というべきか、私が何も言わないうちに、これは最近悪くなったものではあるまいと見抜かれた。大きな内痔核が三つあるそうで、古いものだから、普通は外科的処置をした方がよいとのことであった。注射なら二泊、切除なら七泊入院だそうである。
 なにしろ思い立った所だからすぐにでもやって貰おうかというつもりであったのだが、だいぶ先まで予約で満室で、個室なら早くて九月上旬、大部屋なら十月だそうである。国保の免除は九月いっぱいだから、個室は高いけれど、ここで二泊して注射してもらおうかと考える。
 ところで九月の上旬は教採の二次がある。予後の問題もあるようだから、一応これが終わった後にしないと危険だろう。だいたい夏休み明けには仕事が入ることを私はひそかに期待している。看護婦さんには、お休みが取れると決まったら云々と言われたが、私の場合はあいかわらずお休みが続くか、それどころでなくなるか全く不明である。非常勤を始めたとたん入院なんてあり得ない。
 それで当座の処置として、座薬と飲み薬と軟膏を一週間分もらってきた。これにしても市中の薬局で買えるような薬とはだいぶ違うようで、私としては効能を期待している。薬で良くなればそれに越したことはない。

教採が終わった

2012-07-21 20:22:31 | 日記
 後は野となれ。
 今日行われたのは一次だが、今の私にとっては後はもういい。ちゃんと会場に出かけて、例年通り試験を受けてきたというだけで感慨深いものがある。
 久しぶりに県立高校に入って、やっぱりいいなあと思った。まあ毎年通っている会場だから懐かしい。今日は涼しかったから、スーツを着て校内を歩いていると、やはりここが私の居るべき場所だという気がした。
 後はもういいとは言ってみたものの、出来はやはり気になる。おおむね例年と同じ程度には出来たのではないかと考える。例年だいたい一次は間違いなく通るから、今年もたぶん通ったのではないかと思いたいが、試験というものは何が起こるかわからない。万一撥ねられていても驚くには当たらないが、しかし落とされた日には、私が辞めた学校から手が回ったのじゃないかと邪推しそうである。
 ところで今年は、なんだか受験者が少なかったような気がする。高校国語だけかも知れないが、去年は八十何人、今年は六十何人で相当減っている。それで採用数も少なくなっていれば意味がないのだが。
 受験者が少なかっただけに、知った顔には誰にも会わなかった。もしかすると辞めた学校に一緒に勤めた兄ちゃんも来るんじゃないかと思ったが、見かけなかった所を見るとあの学校にうまく根を下ろしたのであろう。結構なことである。まあもしかすると中学国語の方に行ったのかも知れないけれども。
 さらには、去年A校で一緒に非常勤をやって、私にしてはふだん親しく話などもして、今年度は県北の高校で常勤をやっているはずの人も、もしかするとと思ったのだが見なかった。彼は研究の方に軸足を置いているらしく、講師はしても教採では行き会ったことがない。そういう生き方もありかも知れない。
 終わって、大学の中を抜けて歩いて帰って来た。というと会場がわかりそうであるが、文学部の院生募集のポスターを見て、入れてくれないもんかと一瞬思った。まあそれは考えるだけで、学費もないし、去年博士の院試に落ちた時、教授からいったん研究生にならないかと勧められたのを断ってしまったし、今回はなにしろ教授に紹介された学校を二週間で辞めてしまった等々、今さらジロー(古いね)なのである。
 まあ何にしても一つミッションが無事に終わってよかった。久しぶりに達成感を得た感じである。後はもういいというのはそういうことである。

暑さ一段落

2012-07-18 20:58:07 | 日記
 今日は吹く風が少しだけ涼しくなっている。猛暑日が続いている地方もあるというのに有難いことである。天気予報によれば土曜日の教採をねらったように涼しくなるようである。最高気温二五度以下だから、スーツを着て行ってもいいくらいだろう。
 教採と言えば、今日メディアテークに行っていたら、隣の席の姐ちゃんが教職教養の勉強をしていた。ご苦労様です。私なんか参考書と赤シートだけで読んで覚えようと横着しているのに、ちゃんとノートにいちいち答を書いて採点していた。偉いぞ。こういう人が多分合格していい先生になるのだ。
 私は昔からそうだったが、教採の参考書はあまり外で読まない。いかにもこいつ受けるんだなと思われるのが嫌だからである。今年は特に、今さら教採を受けるということには後ろめたさがあるので、参考書などは絶対に持ち出さない。
 今日はとりあえず外に出て外気に身体を慣らすというのが目的だから、お勉強は一休みである。姐ちゃんの隣で『ローマ人の物語Ⅲ』を読んでいた。

 ところで話は変わるが、原発の意見聴取会について。
 あいかわらず姑息な手段をとるなあと思うが、こういう時にどうして電力会社が動員かけるかね。抽選に通るために、組織的に大量に応募を掛けたに決まっている。
 しかし私は逆説的であるが、電力会社社員が出て来て意見を述べたのはかえって良かったと思うのである。中電の社員であったか、原発のリスクは過大視されている、現に福島では誰も死んでいないと言ったそうである。テレヴィに切り取られた一部だけではあるが、電力会社という所は末端の社員に至るまでこういう心情であるのかと思った。これでは国民の声がどこにも届かないのも無理はない。
 かくいう私も、今回自分が被災するまでは、この社員のような気分があったことは否めない。まあ命があったんだからいいんじゃない。大事故や大災害のニュウスを見聞きして、生き残った人々に対しては何となく無意識にそう感じていたようにおもう。
 けれども被災してそれまでの生活を失うということは、さまざまな面において命にも匹敵するような喪失なのである。現に福島では、原発事故のせいで自殺に追い込まれた人が何人もいるという。誰も死んでいないどころの話ではない。
 したがってこんな電力会社に原発を動かす資格などないと私も思うが、だからと言って、大勢寄ってサイカドウ、ハンタイなんて百万遍念仏を唱えて済むものでもない。原発はぜひ無くさねばならぬが、廃炉にするといったら大変な手間と時間がかかるだろう。脱原発の方針を速やかに立てて、しかし一方では、この無用の長物を飼い慣らす技術を、情熱を持って開発し続けねばならない。これが多分いちばんむつかしくて、人間は自分が何か役立つことをやっていると思えて初めて熱意が湧いてくるが、何も生み出さない撤退作業となると阿呆らしくなる。
 だからもはや原発は国がすべて責任を持って、優秀な人材も集めて養成しつづけて、この先数十年か管理するほかないであろう。脱原発と言ったらこういう方法しかないと思う。だいたい活断層さえも無視して建ててしまったようだから、この先何があってもおかしくない。日本が原発なるものを次々作ったのはここ数十年の話だが、列島の大地がこのあいだ静穏であったのは単なる偶然である。阪神からこの方、列島が動乱期に入ったことは学者ならずとも感づくところであろう。
 それでつくづく思うのは、古代ローマにおいても、すぐれた指導者は自国の危機を洞察し、国民とともにそれを乗り越えたのだということである。現代日本にもそれが出来るであろうか。

暑くなった

2012-07-16 20:23:57 | 日記
 グウブログはアクセス数上位三万位まで順位を教えてくれる。本稿は見ての通り飾りも何もない、写真すら一切ない(したがって表示はきわめて軽いと思われる)加えて無名人が気ままに更新しているという地味さだから、今までは順位なんか出たこともなかったのだが、昨日は24893位という値が出ていた。有難いことである。コツコツやっていれば誰かが見ていてくれるのだ。
 ところで今日は暑くなった。全国的にはたいへんな酷暑で、あちこちで最高気温が三十五度を超えたという。それから見れば例によって当地は三十度そこそこだから大したことはないのだが、それなりに暑い。
 午前中、運動も兼ねて少し遠くの生協まで歩いて行った。部屋からいちばん近いマーケットはヨーカドーだが、今日までどまんなか得の市だから混雑しているだろう。何もなくてさえこのヨーカドーはいつも混んでいる。少しばかり安くても、落ち着いて見ることも何も出来ない、周りばかり気にしながら買い回って、レジではしばらく並んで、ようやく自分の番が来ると後ろを気にしながら素早くお金を払い、買った物を詰める台では空いている所を何とか探して、そそくさと詰め込んでようやく出て来る。こんな買い物をしているとだんだん心がすさんで来るように思う。
 だいたい私は主婦ではないので、物の値段には鈍感である。たぶん生協は同じ物でもいささか高いんだろうと思う。それで今日なんか行っても、言葉は悪いが閑散としている。
 実は昨日もこの生協まで行っていろいろ買い物をして来たのだけれど、なにぶん私は主婦ではないので、何かしら買い忘れて一度で用が済まないことがよくある。今日もお昼のパンに使うマーガリンが切れかけているのに気づいたのだが、こういう時に大混雑のヨーカドーには行く気もしないし、マーガリンだけ買おうとすれば何だか周りから白い目で見られそうな気がする。
 こういう時には空いている生協は心安い。マーガリンと大根半分と、洗剤と柔軟剤だけ買って帰って来た。
 片道二十分ほどだからちょうどいい運動だと思ったが、部屋に帰って来たらちょっとクラッとした。まさか熱中症にもなるまいが、何しろ仕事も何もしていないから身体が暑さに馴れていない。今のところ週間予報では、教採はそんな酷暑にもならないようであるが、今のうちに少し出歩いて外気に身体を馴らしておいた方がよいかも知れない。

しのぎやすい

2012-07-15 17:23:20 | 日記
 雨が降ったり止んだりで、あいかわらず湿度も多いが、案外しのぎやすい。全国的には大雨になったり猛暑日になったりの所もあるのから見れば、じめじめだなんて文句を言ったらばちが当たる。
 それにしても今回の九州の大雨・洪水・土砂崩れの災害はすさまじいほどのものである。テレヴィの映像で見ていると、車が流れるなんて大津波と全く同じで、雨が降ってああなるというのは大変な量だったのだろうと思う。
 昔は災害のニュースなんて見てもどこか人ごとであったが、自分が被災して家を失い流浪の身となってみると、被災者の具体相はいちいち想像できるようにおもえる。前日まで何のこともなく平和に暮らしていた家が、取るものもとりあえず逃げ出した、あるいは何の予期もなく出かけた(私はこちらだった)その日を最後として永遠に無くなるのである。お見舞い申し上げますなんて簡単には言えない。
 さて今週の土曜日はいよいよ教採である。今の私にとってはもうこれくらいしか楽しみはない。もはや最終的に採用されるという望みはとうの昔に諦めているが、一次くらい通らなければ一分が立たない。例年そう思って受けているけれど、今年は特に、生きる自信を失って精神的にどん底であるから、一次だけは何としても通って、ひそかに自信を回復したいという思いは強い。しかし大体そういう年に限って失敗する、という気がするのはやはり自信喪失のせいであろう。
 私にとって教採を受けて一次を通るというのは、具体的には講師の口がかかりやすくなろうかというのが例年最大の目的である。けれど今年は、二次に行って面接を受けたら、訴えてみたいこともある。二週間で辞めたということは履歴書にも正直に書いたから、必ず話題になるにちがいないが、無為に過ごしつつ自分を見つめなおした中で、やはり自分には教育という仕事しかないと思った。辞めるに追い込まれたのは管理職と衝突したからで、それまで生徒との関係はきわめて良好であった。それだけに口惜しくもあり情けなくもあるが、ことの軽重からいえば、やはり教員は生徒との関係が第一義であるはずで、管理職や同僚や保護者と少々揉めても、何とでもなるし、何とかやりすごすべきだったのであろう。
 まあ私学は転勤もないという点で逃げ場がないから、公立以上にしんどいわけで、あの反キリストみたいな学校を辞めたについては今さら後悔はない。そして正直な所はせめて非常勤の口があればと思うわけである。
 そんなわけでまた先週から、去年の参考書で教職教養の復習をはじめた。他にやることもないから、一週間もあればたいがいおさらいも済むであろう。と思うのが落とし穴になりかねないわけであるが。

蒸し暑い

2012-07-12 20:27:45 | 日記
 ここ何年かは梅雨寒というべき気候はあまりなくなって、梅雨の間でも蒸し暑い日が増えたように思う。思い出してみると、この海の日前後に特に暑苦しい日が多い。二年前に非常勤をやっていたB校は、偏差値的には低位の農業高校で、生徒は野生児が多かったから、あまりにも暑くて授業にならず、五分短縮とかしてしのいでいたものであった。
 それで今年もここ二三日急に蒸し暑くなって、部屋のエアコンをドライで掛けたり止めたりしていたのであるが、今日の午前中はそれでもなかなか涼しくなった気がしないので、これはどうしたことだろうと考えて、問題は照明にあると思い当たった。
 私の部屋に備えつけてある照明は、普通の蛍光灯ではなく、よくカフェやなんかで見られるスポット型が二つ天井に付いていて、それぞれ向かい合う壁に当たっている。いわゆる間接照明という感じで、雰囲気としては寛げるのかも知れないが、物を読むにはいささか暗い。
 さらにこの二つに百ワットの電球が入っている。冬から春にかけては全く気にならなかったが、当然熱を出す。手をかざしてみると相当熱くなっている。
 当然電力も消費するし、空調の効率もよくない。これは速やかに善処しなければならない。そこで雨が降っているのにもめげず、街に出かけてヨドバシカメラに赴き、今流行りのLED電球を物色した。
 しかし自分の部屋の器具に合うのかどうか、今ひとつよくわからない。結論から言うと電球の口金というものは、二六ミリか一七ミリのだいたい二通りであるようで、太い方なら二六ミリでいい。
 今げんざい部屋ではまっている電球と同じものを見つけたので、売り場の兄ちゃんに確かめて、これなら使えるというのを一つ買って来た。ただしLEDではなく、蛍光灯の電球である。LEDよりは安いし、これでもある程度は節電にはなるし、発熱量も減る。
 もし実際に取りつけてみて、何か不具合があれば、箱を壊したりしなければ返品も出来るというので、なお安心して買って来たけれど、どうもうまく行かんのではないかという予感がした。こういう予感は大概当たる。帰ってはめ込んで見たら案の定うまく入らなかった。口金の直径は合っていたが、その上の部分が太くなっているせいである。
 レシートもちゃんと取ってあるから、明日さっそく交換に行く。どうもこのスポット型の照明に合う電球は無いのかも知らん。これに電球をはめて照らしていた日には暑くて仕方が無いから、別の照明器具を設置することを考えないといけないかも知れない。
 そんなわけで現在は、天井の照明は消して、卓上に蛍光灯のスタンド一つ置いて、何だか停電に遭ったような状況である。明日には何とか部屋全体を明るくしたいと思う。
 さてしかし首尾よくLED電球を入れたとして、これは周知の如く寿命が長い。私は前から言うように、この部屋にはあまり長居をする気がない。まあ引越す時には電球も一緒に外して行けばよいようなものだが、電球だけ持って行って使えるかどうかわからない。やはり照明器具から考えたほうがよいかも知れない。

用足しの一日

2012-07-09 20:26:42 | 日記
 定職の夢がはかなく破れ、私の社会保障は再び国民健康保険と国民年金に逆戻りになった。なにしろ二週間で逃亡してしまったから、社会保険も切り替わらず(しかしこれもずいぶん手続きが遅かったと思うが)保険証も何も貰わずじまいだった。
 それで健康保険の方は表面上は何も変わらないままだったが、年金の方は今ごろになって先週の金曜日に通知が来て、見ると国民年金への加入を「勧奨」すると書いてある。ところが但し書があって、手続きをしないといろいろと不利益があるから、この書類が出されなければこちらで勝手に手続きをして、保険料を納めるように督促することもあるという。
 全く何度も言うように面妖な制度であって、任意なのか強制なのか全く不明である。こんなの信頼に値しないとは誰でも思う所で、生活が苦しくて保険料も払えないとなれば尚更である。
 まさに今の私は無収入でそんな金はない。とりあえず減免申請を出そうと思って、この三月まで住んでいた市に前年分の所得証明書を郵送で頼んであったが、それが届いたのがやはり先週の金曜日であった。
 私は専門家でも何でもないからここで事情をくわしく説明できるわけもないが、引っ越した場合この減免申請を出すには、前の居住地の所得証明がいる、ということは学習していた。要するに市町村が前年の所得を捕捉していないと判定ができないらしい。年金を所管しているのは年金機構だが、しかし個人の所得のデータを持っていないからこういう面倒なことになる。この点でも民主党の歳入庁構想というのはじつにもっともな話だったと思うが、これも財務官僚の抵抗にあって雲散霧消した。
 それで今日は区役所が開いてすぐに出かけて行って、手続きをしてやろうと思ったら、思わぬ故障が生じた。所得証明書がもう一枚要るんだそうである。これまた私には説明しかねるが、この減免申請のサイクルが七月から翌年六月とずれているために、私のように一年足らずで引っ越した人間の場合は、前々年の分の所得証明書も必要なことになるらしい。
 何だか知らんが、ふーん、としか言いようがない。無ければ手続きできないというなら仕方がない。無収入の身で旅費(と言っても往復千円たらずだが)を掛けないために、前に住んでいた市の所得証明書はわざわざ書類を郵送して取り寄せたのだが、今さらそんな暇をかけている場合ではない。ぼやぼやしていると年金機構がまた割符を送りつけてくるであろう。今日はこの手続きをするのが予定だったのだから、どうせ他にやることも無し、さっさと終わらせてしまいたい。
 それで予定を変更して、バスと電車を乗り継いで、震災まで住んでいた故郷の市役所まで出かけた。証明書を入手して、ついでに近くのモールまで歩いて、一服して軽くお昼を食べた。
 実は私は今日は、スーツにネクタイ姿で出かけて来ている。お天気がよいので歩いていると暑い。この節はクールビズで、ビジネスマンでもこんな格好をしている人はあまりいない。無職の癖にどうしたかと言えば、もう一つ用事があって、それは教採の受験票に貼る写真を撮ることである。
 写真は仙台駅の地下の自動写真機ですぐに撮ったけれど、あちこちうろうろして暑苦しかった。今日はもう一つ、一時を期して予備校に教材を受け取りに行くという用事もある。昨日仮設実家に帰っていたら、予備校から連絡が来て、また水曜日の晩に一時間、という注文が入ったのである。週に一時間ずつでは、ひと月で一万円にもならない。じっと手を見る、である。
 教材も何事もなく受領して、まだ早いから街をぶらぶらしようかと思っていたのだが、暑いし、普段になく歩き回ったせいか何だかお腹も不安定になって来たので、帰ることにする。幸いどうやら落ち着いたので、区役所に寄って年金の手続きを完了した。四分の一免除になるだろうという話であった。私の計算では半額はいくだろうと思っていたので落胆だが、どちらにしても収入のない間は無視する所存である。ヤミ米を拒否して餓死した判事ではあるまいし、年金なんか払って生活苦になっている場合ではない。