期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

記録的な寒さ

2012-01-30 17:57:49 | 日記
 昨日の朝はついに風呂場が凍っていた。夜にシャワーを浴びて、寒いから床が濡れたままにして寝ると、換気扇を一晩回しておいても翌朝は濡れたままで、洗面台で顔を洗うのにまず雑巾で床を拭ってから風呂場に入るのだが、昨日の朝もそのつもりで雑巾を持っていったら、水気は全くなく、床は光り輝いていた。
 こんな光景を見たのはさすがにこの冬初めてである。湯船の底も覗き込んでみたら氷が張っていた。
 それでも水道がなんともないのは頼もしい。おそらく寒さはこれ以上になることはまずあるまいから、一冬大丈夫と見てよいと思う。両親の住む仮設では、同じ昨日の朝は危うく水道が凍りかけたそうである。
 部屋にはエアコンがあって、当然この節は部屋にいる限りつけっ放しなのだが、夜などはいくら焚いても暖かくならない。電気炬燵に入ったまま寒さに耐えて縮こまっているばかりである。
 対策として昨日、まずアルミの銀色のシート(二畳敷)を七百円ほどで買ってきて、絨毯の下に敷いたら、それなりに暖かくなった。炬燵に入っていても、その辺の空気が何となく和んだ感じである。
 さらに、生活様式を変えて、昼間もロフトで過ごすことにした。この部屋はロフトの分だけ天井が高く、暖かい空気は上昇気流となるから、エアコンからいくら下向きに温風を吹き出しても、地表付近は冷えたままである一方、ロフトには暖気がたまって快適である。炬燵など他の熱源がなくても充分居られる。
 それでやはり昨日あたりから、炬燵が導入されるまで使っていた折り畳み式のテーブルをロフトに担ぎ上げて、仕事をしたり本を読んだりお茶を飲んだりしている。寝る時は足を畳んで片隅に立てかけ、やはり一方に丸めておいた布団を敷く。方丈記を連想するが、いつか矯正展で見た、刑務所の独房のような感じでもある。
 思えば夏、暑くてロフトでは寝られなくて、布団を運び下ろして地上で寝ていたのが嘘のようである。今は逆に地上にはいられない気候である。かくして生き物は四季の変化に応じて生息場所を変えるのである。

とんでもなく寒い

2012-01-26 20:27:09 | 日記
 毎年冬の寒さがだんだん増して行っているような気がするが、気候変動のせいなのか、氷河期に向かっているのか、単に私が肉体的に歳をとって寒さに抵抗できなくなっているのか、よくわからない。今年は特に、住居が変わったから寒い、ということもあるかも知れないが、よく考えてみると昔の家も、寒い時は寒かったと思う。
 それでも事実としてここ数日はかなり気温が低く、各地の仮設住宅では水道が凍ったりして大変なようである。私も独り暮らしになって、実家では毎年父が手がけていた水道の凍結防止など、私の手際ではどうにもならない。万一凍ったらどうしようと一抹の不安を抱えつつ寝ているが、今までのところ大丈夫なようである。明け方に厠に立つ時に水を流すのと、あとは集合住宅というものは、集まっているだけに案外熱を保つのかもしれない。住人の生活リズムがそれぞれ微妙に違っていて、夜遅くまで起きている人がいる一方で、早起きをして出かける人もいるから、建物のどこかが熱源になるのではないか。
 しかしこれ以上寒くなった日にはそんな暢気なことを言っている場合ではないかもしれない。しかし水抜きなんてどこをどうしたらいいか全くわからないからやはり思考停止である。
 今週からC校では三年生の午後の授業がなくなって、私の今日の仕事は午前中で終わり、以前からの心積もりでは街に出かけようかと思っていたが、余計な用事が入って残念ながら果たせなかった。
 原因は、部屋のトイレの水漏れである。年が明けて間もなく、水洗トイレのタンクに壁からつながっている管の途中から水が漏っているのに気がついた。十四日に管理会社の人に来てもらって、ナットを締め直してもらったら一応止まったが、またすぐ一滴二滴ぐらいずつ漏るようになっていた。
 とりあえずヨーグルトの容器なんかで受けておいて、まあ三月初めには引っ越すしこれでいいかと思っていたのだが、一昨日あたりから俄然漏れ出す量が増えて、一日の仕事が終わって夕方帰って来たら、容器が満水になって溢れ出していた。緊急事態である。
 とりあえずタンクにつながる管の途中のネジを、マイナスドライバーがないのではさみの刃で閉めて、根元から水流を止めたら当然漏水は止まって、一息ついた。あとは使う時だけ水が流れるようにして、出かける時や夜寝る時はいちいちネジを回して水を止めれば漏れも止まる。
 しかしあまりに煩わしいので、一昨日のうちにまた不動産屋に電話して、見てもらうことになったのが今日の午後というわけである。
 結論から言うと、タンクに給水していた管を取り替えて、思ったより簡単に修理は終わった。壁から出ている水道管とタンクをつなぐ管が微妙に曲がっていて、しかも壁に固定してあったタンク自体ががたついていたせいで、継ぎ目に負担がかかり、水漏れにつながったらしい。おそらく震災で歪んでいたものが、何ヶ月か経つうちに目に見える形で現れてきたということだろう。
 こうしてみると、震災で被害を受けて、表面的な復旧復興すらなかなか進まない部分も多いのだが、表面的には元に戻って何の問題もないように見えている所でも、ひそかにダメージが隠れているということはあるかも知れない。原発のような構造物でもそうであるし、形のない人の心、精神という面でもそういうことはあると思う。
 それはさておき、修理は二時頃には終わって、それからとりあえず今晩の味噌汁を煮て、さて出かけようかとも思ったのだが、結局は逼塞した。理由はさまざまあるが、せっかく暖まりつつある部屋をまた冷やすのが勿体ない、今出かけたとすると、夜に帰って来ればまた冷え切っているであろう。電車賃をかけて、大して用もないのにふらふら街に出るよりは、部屋で暖房をかけて茶でも飲んでいた方が倹約にもなる。寒いと考えもつい縮こまりがちになってよくないと思う。

震災から十ヶ月

2012-01-11 19:33:58 | 日記
今日は仕事が終わってから、夕方から仙台に出て不動産屋に出向き、重要事項の説明を受けて、家賃一ヶ月分を予約金として置いて来た。これで四月からの部屋はほぼ決定である。
くたびれたのでドトールで一服、その後かねての予定通りエクセルに移りパスタを取って晩餐にした。さらにスコーンと紅茶も追加し、普段になく豪遊してしまった。
しかしここでパスタを食べていると、震災前の生活を思い出した。定時制のA校の授業が五時に終わると、うちに帰る前によくここで晩餐を取った。一服して本を読んで、電車とバスを乗り継いで帰り、ヨーグルトを食べて風呂に入って寝た。
あの頃の自分の行動が、電車バスの時刻までそれからそれへと浮かんで来る。それからすると家が無くなった今の暮らしは、なんと変わってしまったことだろう。全く違う方角の電車に乗って帰る部屋は誰もおらず冷え切っていて、風呂に入ればすぐに残り湯で洗濯をしなくてはならない。
何だかこのまま帰る気もせず、どこかに行ってしまいたい衝動にさえ駆られる。非常に危険である。元気を出すには少しくらい豪遊する必要がある。

さてさて

2012-01-09 21:36:18 | 日記
 今年最初の連休も終わり、おおかたの児童生徒と同様、私も明日から学校である。ただし今年は例の震災・原発事故の影響で、夏休みが長かった分冬休みがなくなり、ほとんどサラリーマンと同じような日程で動いている学校もあるようで、子供も大変だが教員も大変だろうと思う。一月四日からいきなり授業なんて考えられない。
 しかし私にしても明日から仕事なんて信じられない。今年の冬休みは例年にもまして遊び倒した、わけでもないが、本当に学校のことは全く意識から飛ばした。教科書を開くどころか、ほとんど何も準備もしていない。たぶん休み前に仕込んでおいた分でなんとかなる、筈。
 それで何をしていたかというと、休み前に決めた通り、読書にいそしんだ。しかしその割にはそんなにたくさん読めたわけでもない。浜松中納言物語が、結局全五巻のうち四巻しか読み終わらなかった。その他には懐風藻と本朝文粋を少しだけ覗いたが、こちらは読んだ分には全く入るまい。
 実を言うと私の個人的勉強として、漢文学というのは最近大きな興味を占めている分野である。顧みれば初めに通信教育で現代文学から入って、次に大学院で和歌を中心とする古典文学をやって、それで国文学はだいぶ親しくなった気になったが、日本の江戸時代以前(さらには明治期も含めて)の文学をやるにはどうしても漢文というのは無視できない。
 そんなわけで去年の秋にまたもや教員採用試験を落ちてから、次なる目標としてまたひそかに通信教育を受けようかと思っていた。すなわち中国文学か、あるいは国史か哲学かと物色していたが、運命が急転直下して今となっては定職に就くことになったから、当分は何も出来ない。順調に行けば停年まで数十年は無理、ということになるが、人生何があるか判らないのは言うまでもない。
 今日は休暇との別れを惜しんで、午後から街に出かけて大学の図書館に行った。以前から大学図書館という所は、行って申請すれば卒業生はじめ学外の者も入れてくれていたし、一年ごとの利用証も作ってくれていたが、この頃はいっそう積極的に開放しているらしい。昔は私くらいしか居なかったのが、最近では休日に行くと退職したようなおじさんなどもよく見かけるようになった。他にも掲示されている利用者の意見を見ると、高校生が入り込んで邪魔だ目障りだというのがあるが、私の行くのはたいてい休日だからそういう手合いは見たことがない。
 ところが明日から一ヶ月は試験期間中だそうで、大学生で混雑するから一般の利用者はご遠慮下さいという掲示が出た。確かに今日あたりから学生が目立って増えていて、夕方には休憩室は満席で、お茶も飲めなかったのでそのまま帰って来た。言われなくても私は明日からは当分来られない。春休みまでのお別れになる。その後は永遠に来られないかも知れない、というような言い方をすると何だか気が滅入るから、そういう言い方はしないで置こうと思う。

部屋を探しているのです

2012-01-06 10:22:35 | 日記
 D校に勤めるのは四月からで、それまでは今のA校C校の仕事があるから今の部屋を動くわけには行かない。しかし非常勤だから三月はかなり暇になる。三月の初めに引っ越すつもりで、少し早いけれども冬休みで暇なうちに部屋を探して置こうと思い立った。
 ネットであれこれ物色して、年末のうちに二つの不動産屋に三件問い合わせを出した。そうしたら一昨日あたり、二部屋問い合わせた不動産屋からメールが来て、一つは決まってしまったがもう一つは空いているという。
 私の条件はとりあえず、職場までとにかく近いということが第一である。その上で例の持病があるから、トイレはぜひ洗浄設備がありたく、さらに最近こう寒くなってくるとつくづく思うが、お風呂には追い焚きがあってほしい。
 それで家賃はけっこういい加減に見ていたのだけれど、問い合わせた二件は片方が三・八万でもう一方が五・三万円だった。そのうち高い方だったら空いていると言われたのだが、よく考えてみると一人暮らしで五万円も家賃を払っている場合ではない。しかも敷金が二か月分というからいきなり十万円以上吹っ飛ぶ。
 そこで一昨日の晩、またネットで別の検索サイトを探して、いいのがあったのでもう一つ問い合わせて、昨日のうちに店に出向いて、現地を視察させてもらってきた。思いのほかによさそうな部屋だったのでとりあえず申し込みをして、今朝になって例の五万円は電話をかけて断っておいた。
 そんなわけで今は向こうの返事待ちだが、また揉めるだろうなと思う。とにかく現在の私の収入が少ないのと、連帯保証人の問題がある。父親でいいか、弟か叔父かとまたひとしきりあちこち少しずつ嫌な思いをするだろう。思いだけならいいが、結局はお生憎さまということになってもおかしくない。そうすればまた一から探し直すだけだが、だからやはり早めに着手しておくに越したことはないと思う。
 暮れの二十八日に現在借りている部屋の退去申請をしに行った。その時不動産屋も言っていたが、今は震災の影響で、当地はなかなか物件がないらしい。そこへ来て年度末だから人の動きも増えるだろう。昨日不動産屋に居たら、窓口に学生らしい父子連れが二組も来ていた。ああいうのを見ると、つくづくうちなんかはほったらかしだったよなと思う。息子二人とも大学からずっと地元だったから、うちの親なんかはああやって子供を連れて部屋を探してくれたことなど一度もない。
 ちなみに、暮れに問い合わせを出したもう一軒の不動産屋からは全く音沙汰がない。よく見るとどうも地元の業者らしくて、日曜祝日は定休と書いてあるくらいだから反応が鈍いのもやむを得ない。いま私がやり取りをしている二軒はどちらも全国チェーンの大手で、年中無休である。何だかんだ言って、こうして地元企業は全国資本に客を奪われて行くのも仕方がないのだろうと思う。

風邪気味です

2012-01-03 21:43:15 | 日記
 そんな訳で一人きりの正月休みを満喫しているのであるが、ごくうっすらと風邪の気配があって完全に元気というわけにはいかない。特に熱が高いわけでもなく、日常生活には全く支障はないが、時に微妙にだるくて眠い。単に休みで気が抜けているだけかも知れない。
 それで三が日はひたすら蟄居して本を読んで過ごした。外に出なければお金も遣わないから経済的でいいが、ただ暖房は焚きづめである。電気炬燵とエアコンをほとんど付けっ放しだから、今月は電気代が怖ろしい。
 初売りで買いたい物と言ったら書物くらいだが、もう読まねばならない本が手許に集まりすぎているから、もう当分買わなくてもいい。私にとって書物を購うというのは、女性が(男性でもそういう趣味の人は居るだろう)洋服や靴や何かを買い込むのに似た作用がありそうである。衣服にしても一度に一着しか着られないのに、他のがつい欲しくなってしまうという人がいるが、そういう気持はよくわかる。書物にしても、一冊読み始めればそれを読み終わるまで、他の本は無くても同じことである、と考えるのは間違いであって、購って手許に置くことによって、書物というものは精神に何らかの作用が与えられるのである。電子書籍の時代には寝言かも知れない。
 それで読むにしても、自室にひたすらこもって読んでいると私の場合はなんだか落ち着かなくなってくる。不思議なことに、電車の中とか、街のカフェとか、どこか移動中という状態に身を置いた方が、効率よく読み進められるような気がする。考えてみれば他に何もする事がなく、目の前の本にだけ集中していられたのは子供時代の幸福な記憶である。大人になって、さまざまな義務に追いかけられるようになると、読書は片手間になり、かえってそういう状態の方が自然になってしまう。悲しいことであるが。
 それで今日はついに閉門蟄居に堪えかねて、特に用事もないのに夕方からふらふらと電車に乗って街に出かけた。カフェで一杯やりながら本を読むのが主たる用事である。後はダイエーに寄って、今夜の味噌汁に入れる豆腐その他を買って帰る。
 明日以降は街も正常に戻るだろう。とりあえず市役所に行って、見なし仮設になっている今の部屋を、この春で出る申請をして来ようと思う。新しい勤め先が決まったから、また近くに部屋を探して引っ越さないといけない。今ひそかに私が心配しているのは、仮設を出る申請をした後で、内定取り消しという目に遭うことである。私立学校は民間企業と同じであるから、何があってもおかしくない。しかしあまり起こってもらいたくない不祥事ではある。

今年もよろしくお願いします

2012-01-01 18:01:21 | 日記
 そんな訳で無事に年も明けた。
 今年は従来に比べて何かと様変わりした正月である。だいたい一人ぽっちで越年するなんてのが初めてであるが、会者定離というくらいで、人はいつかは独りになるのである。
 何かと案じられた餅も無事に処理ができた。焼き網で充分焼けるし別にくっつきもしなかった。考えてみればホットプレートのない子供の頃は、父が台所で七輪に炭をおこして焼いていた。炭がガスになったと考えれば、焼き網で焼けないわけはない。
 切り餅を三つ焼いて、小鍋に溶いて温めたあんこに入れて、昔に変わらぬあんこ餅を食べることが出来て感無量である。ところがその後がいけなかった。私はふだん朝食の後は珈琲かココアを飲む。今日は思いついて、鍋に少しだけ残ったあんこを牛乳に溶かして温めて飲んでみたら大変美味であったが、しばらく経って食後の気分はいつになく悪い。
 これはあまり急に血糖値が上がったのと、その割に部屋が寒いので消化機能に不調を来したのだろうと思う。この部屋はロフトのせいで天井が高いから、エアコンを焚いても暖まるのに非常に時間がかかる。この頃は起床一時間くらい前に一度起き出してつけておくのだけれど、今朝はつい寝過ごして、起きてからスイッチを入れたから、食べ始める頃になっても部屋の空気は冷たい。
 愚痴は慎みたいと思うが、昔の家はよかったと思う。やはり正月に餅を食うとつい食べすぎてげんなりしたものだったけれど、暖かい部屋でゆっくりしていれば、いつの間にか元気になっていた。
 今日は寒い台所で餅を焼いたりしている間に、風邪を引いたのではないかと思う。炬燵に足を入れていてもがたがたして気持が悪くて仕方がないので、ロフトの寝床に戻って、着たなりで毛布を二枚かぶってしばらく休む。
 気がつくと小一時間ほど眠っていて、これでだいたい餅の呪いは解けたようでまずは助かった。例年私にとって餅三つが食べすぎな訳はないのだが、明日は二つにした方がいいかも知れない。だいたい餅という食材は独りで食べるものではないと思う。家族でも村人でも、何人かの集団で搗いて、それらの人々が談笑しつつ一緒に食べるのが本来の姿であろう。それを一人で黙々と食べたら、確かに美味しくはあったけれど、胃腸の方はびっくりして不思議はない。
 それで今日は近くのコンビニにお昼の食パンを買いに行った他は、どこにも行かずに部屋ですごした。本当は仮設実家に行きたかったのだけれど、普段利用している市民バスが二日まで走らないので、父に迎えを頼まないとすれば駅から三十分ほどは歩かなければならない。じつは昨日の大晦日も年越しそばを食べに行ってきたことだし、本式に風邪を引いては困るから自重した。
 昼ころには部屋もいい具合に暖まってきて、テレビも何も見ずにゆっくり静かに読書している気分は悪くない。今は主に浜松中納言物語を読んでいる。源氏の宇治十帖から、夜の寝覚、狭衣、と平安後期の物語を読むのが被災前からの計画であったのだが、なかなか進まない。この冬休み中に浜松が読了できるかどうかという感じであるが、別に義務でもないから構わない。春になればもはやこんな贅沢な読書は永遠にできなくなるだろう。