期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

なぜか非常にせわしない

2011-01-19 21:38:50 | 日記
 来週金曜日の院試が終わるまではまた忙しい日々が続くのではないかと思う。と言って、別に試験勉強をしているとかいうのとはちがい、忙しさの内情は仕事の手配である。だいたい二つの学校でしめて四種類、週十六コマというのがもともと多い。昨日あたりは学食で晩ご飯を食べてから、大学図書館の公衆パソコンで、授業で書かせた作文をタイプしていた。
 そのうえ金曜日のA校を休みにするために自習課題を作らなくてはならない。さらにはB校の教材、A校の小テストといった具合で、いくらパソコンを打っても終わりの見えない状況である。
 したがって院試の準備はほとんど何も出来ない。受験票は昨日ようやく送られてきたけれど、こんな状態でもし進学しても本当に大丈夫かしらと思う。落ちた方が楽になれるのではないかと言う気さえするが、いやいや諦めてはいけない。いま現在は二校で週十六コマだが、これが来年度も続くという保証というか、それほど多忙と決まったものではない。もう少し減る可能性もあり、皆無になる恐れもある。そこまで行くとまさに恐れであって、学資が続かないからあっという間に学生生活は店仕舞いとなるが、いずれにしても行ける所まで行ってみようと決めたのだから今は余計なことを考える必要はない。
 しかしそれにしても今日はよく働いた。もともと水曜はB校で四時間連続という、週で最も過酷な日であるが、加えて、いつもは一クラスを分割して私と一緒に半分ずつ担当している先生が、具合が悪いとかで急に休まれて、二時間は合同、すなわち人数が急に倍になった。進度も違うし無茶な話であるが、幸い復習プリントが作ってあったのでやることは大丈夫だった。
 それより人数が倍になると治安の悪化が深刻である。特に態度の悪いクラスは授業中ずっとトランプを遊ぶ者が四名×二組、お化粧に余念のない者が二名、立ち歩く男子が一名といった状況で、だいたい半数は教室に存在する価値のない人間と言ってよい。こういうのを一気に取り締まろうとするとあっという間に内戦に発展して政権が転覆する恐れがあるので、軍事力が充分でない当局としてはやむを得ず放って置くのだが、相当ストレスではある。
 帰り列車の中で、向かいに全然関係のない他校の男子生徒が座っていて、耳に長いチャラチャラしたピアスが下がっているのを見ていたら、それを力任せに引き千切る妄想がしきりに浮かんできて、自分ながら怖かった。純文学にたまにある、暴力小説のような描写である。こうして人は道を踏み外すのだなと思う。そうならぬために適度なストレス発散は常に必要である。
 駅前の生協で缶珈琲を一杯やって帰った。本当は街のドトオルまで行きたかったが時間と金がないのでやむを得ない。それでも取りつかれたような気分は拭ったようになくなったからよかったと思った。