期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

復興について

2011-04-24 18:33:38 | 日記
この稿は基本的に政治向きの話はしないことにしているのだけれど、この頃感じることとして、復興財源として降って湧いたような増税という話、あれは全くとんでもないというか、非常にうさん臭い。財務官僚と与謝野大臣辺りの差し金ではないかと思う。
そもそも今回の震災を、歴史に鑑みて考察してみると、安政の大地震あるいは大正の関東大震災が思い出されるわけであるが、いずれも社会の在り方そのものの大変革を招いたと言っていい。安政地震からは明治維新につながり、大正からは戦争につながる。要するにそれまでのやり方では駄目であるということが明らかになって、別のシステムが作られたということである。
今回の震災は、東京自体が壊滅したわけではないという点で、先の二つとは異なる。しかしこの国の在り方そのものが変わらなくてはいけない段階であると私は見ているのだが、今出ている増税という話は、今までのように官僚組織が好き勝手にできる国のかたちを前提にしているように見える。そういう復興ではいくら金があっても足りるはずはないし、日本という国は本当に溶けて無くなっていくのではないかと思う。では新しいシステムとはいかなるものか、私にもわかる訳はないが、がんばろうという掛け声と増税という政策だけでどうなるものでもない。

晴れ時々曇り

2011-04-24 17:12:08 | 日記
昨夜は晩餐にいい加減古くなったわさび漬を、明らかに風味が変わったと知りつつ食べて、案の定どうも腹具合が普通でないと自覚し、そう言えばこの辺の休日夜間診療ってどこでやっているんだろうと不安になったり、いやもし変質していたにしても毒性の強い微生物が繁殖したとは限らない、いずれにしても今晩無事に寝て、明朝目が覚めてご飯が食べられれば大丈夫だろうと思って寝たら、何事もなかった。
それにしてもいざという時のために、平生から近所の医療機関を調べておくことは必要である。そう思いつつ、健康を回復したとなるとそんなことはあっという間に忘れて、目先の雑事に取り紛れてしまうのである。
それで今日はお天気も直ったことだし、午前中は昨夜のうちに洗ってあった洗濯ものを外に干して、掃除機を掛けて、お風呂も洗剤でちょっとこすって流した。
お昼を食べたら、何となく出掛けたくなって、電車に乗って街に行ってみた。別に用事はないけれど、禁固刑に遭ったのではあるまいし、一室に閉じこもってばかりいると気も塞ぐ。
それで震災後初めてメディアテークの様子を見に行ってみた。中は入れず、露天で一部サービスを再開しているという話であったが、出ているわずかな本だけで、館内から資料を持って来てくれるでなし、私にとっては全く使えないと思った。建物自体の安全性に問題ありとかで、再開はいつになるやら見通しは暗い。
近くの古本屋に寄って、さらに二三本屋を覗いたが、収穫はなし。古本屋では新大系を一冊見つけたのだが、客が混んでいたせいもあって買う気にはなれず。
思いついてミスドに立ち寄ってドーナツを三つ買って帰った。明日のお昼である。これを楽しみに仕事に行こうと思う。

2011-04-23 10:54:48 | 日記
早くもまた週末となり、街へ買い物に出ようかと思ったのだが、大雨が降るというので自重した。エアコンを焚いていると屋根裏が暖かいので、本とお茶とお菓子を持ち込んでうつらうつらする。昨日までまだ授業は始まってはいないが、何かと緊張が続いたので静かに休ませてもらうのも有難い。
国歌大観のコピーは、昨日は結局断念した。図書館の館内資料を、私用でコピーさせてもらう話だから、図書館と事務室の二カ所に話をしないといけない。司書のお姉さんはやはり新任で、何となく話しやすいので昨日のうちに相談できたが、事務の方は何かと面倒な気がする。
そのうち、来週月曜から大学図書館が再開するという朗報が聞こえて来た。ただし平日のみとのことであるが、火曜の朝の授業が終わったら遠征しようかと思う。
歌書をやたらにコピーしたところで一度に読めるものでもないが、結局これは、自分なりに以前の精神的な生活を取り戻すために必要なことなのだろうと思う。物は物である以上に、その人にとっての意味を持っている。各人のそういう懐かしい心情が根こそぎ失われるのが災害というものである。

いよいよ始まった

2011-04-21 19:27:33 | 日記
午前中、C校の新任式・始業式に行って来た。八時五十分までに来ればよいと言われていたが、結局その前の職員打ち合わせから参加してしまった。何しろ歩いて十五分の近さだから全く苦にはならない。
ふつう新任者一人ずつ挨拶するものだと思っていたが、今年は何かと忙しいということで、代表の先生一人で終わった。緊張もするが、何を言おうか考えてもいたので、拍子抜けでもある。
午後は授業の予習をしながら、図書館にも行って見た。ひそかに期待していた新編国歌大観があった。五巻までだがまずは充分である。一枚十円の実費で何とかコピーさせてもらえないか、明日にも頼んでみようと思う。

曇り肌寒い

2011-04-20 16:57:24 | 日記
昨日あたりから恐ろしく寒い。四月も下旬だというのに震災当日に着ていた真冬の外套でちょうどいいくらいで、昨日はそれでも震えていた。
幸い今日は少し薄日も射してしのぎやすい。明日はいよいよ始業式なので、今日は最後にお出かけで、震災以来初めて大学まで遠征した。
主な用事は生協に脱退届を出すことである。これで出資金が返って来る。いくらか忘れたがそれなりにまとまった額だったはずで、この物入りの節には有難い。ただ実際振込まれるのは来月以降になるそうである。
私も忘れていたが、組合員証のプリペイドに八百円くらい残っていて、今日使わなくてはいけないので、岩波文庫の古今集と、歌書のコピーを綴じるファイルを一つ買った。震災前に集めていた歌書もほとんど失い、復活させたいのだが、今はどこの図書館も休業でどうにもならない。
大学も休みで閑散としており、桜だけが満開だった。例年ならば新年度早々で、学生も多いし、花見のグループも見られる頃である。花も怪しんでいるであろう。
図書館も開いてはいるが、休憩室しか使えないので、持参して来た手製のサンドイッチを食べて早々に帰る。
歩いて街に戻る途中、博物館の前を通ると、震災前から五月八日までの予定で開催していた「ポンペイ展」の看板の上に臨時休館の張り紙がしてある。私は興味もないから見なかったが、そう言えばこんな特別展をやっていたかと思い出す。しかしポンペイの遺物を展示していたら大震災に襲われたというのもどうなんだろうと思う。

水道復活

2011-04-16 16:58:59 | 日記
十六日頃までという触れ込みで、十三日深夜から始まっていた計画断水であるが、水道管の補修が順調に進んだらしく、めでたく本日午後二時をもって通水が再開された。市民に対する約束を守るということは行政の基本的徳目であって、今回万事予定通り進んだについては担当者すべての労に感謝したいと思う。
ただ広報車が二時から通水と触れて回ったにも関わらず、実際わが部屋に水が来たのはそれから小一時間は遅れた。察するに町内の水道管に端から水を通す、途中みんな待ち構えていて使うから、全体に水が回るのに時間が掛かるのだろうが、何しろこちらは水切れに堪えて来て、本当に来るのかどうか不安になっているのであるから(自分だけか)、その旨言ってくれてもよいのではないか。
また広報車は、最初は濁り水が出るかも知れませんのでご了承下さいとも言っていて、確かに微妙に色づいているような気がする。普段の断水なら透明になるまで流せばよい話だが、ここにいささか問題がある。当地では津波で下水処理施設が壊滅したとかで、節水が呼びかけられている。濁り水が出るけどやたら流しちゃいかんと言われては、一体どないせえちゅうねん、という感じである。
そんな訳で、微妙な赤みは気にならないでもないが、お湯はふんだんに使えるし、ここ何日かいい加減にしか洗えなかった食器を全部洗い直してさっぱりした。特に、お魚の佃煮が入っていたタッパー、一応綺麗になったけど魚臭いと思っていたのが、洗ったら匂いが取れたのには驚いた。やはり綺麗になっていなかったわけだ。水の足りない避難所の衛生状況の悪さは推して知るべしである。

初夏の陽気

2011-04-15 22:28:02 | 日記
仙台でも桜が咲き始めた。人みな花見などする気分ではないようだが、こんな年でも花は春を忘れずに咲く。国破れて山河ありという感じである。
今日はまたバス代に電車賃を掛けて、故郷の市に里帰りをした。まず市役所に行って所得証明書なるものを取る。これは国民年金の保険料の免除申請のためである。先日、転入届を出しに行ったついでに聞いてみたら、必要だと言われたのだが、全く面倒な話である。交通事情もよくない時に、仮にも被災者に半日掛けて紙一枚取りに行かせるというのはどうなんだと言いたくもなるが、発行手数料はただになっていた。受付のお姉ちゃんがそう言っていた。
それから父に迎えに来て貰って、弟の部屋に行き、お昼とお湯をよばれる。一応お土産のお菓子は買って行ったのだが、帰りはそれ以上に母にいろいろ持たされた。
夕方帰り、ふと別件に気付いてC校に電話してみたら、時間割の調整が付いたと知らされた。しばらく心配していたので大変安心した。これでどうやら、一年間は今の部屋を維持出来そうである。後は知らない。と言うよりその間に地震でもあればどうなるか、人の運命などはかりがたい。

楽あれば苦あり

2011-04-14 10:50:10 | 日記
昨日はまた片道五百円のバス代をかけて街に出た。電車が止まっているので朝夕は大変な混雑で、衣装ケースを買おうと思うのだが、持ち帰るなど思いもよらない。
それで任務はいい加減にして、震災後初めて行きつけの古本屋に行ってみた。何しろ普段から斜陽に見受けられたから、もう物心ともにつぶれたんじゃないかと失礼な想定をしていた所、以前と何一つ変わらず営業していたには驚きであった。
薄暗い本棚を見上げながら、無惨にも水死してしまったわが蔵書たちを思い、感慨なきを得なかった。ネットで取り寄せた書物の方が多かったが、これらの店から求めたものもあった。ここに居ればよかったものを、あの部屋に移したばかりに可哀相なことをしたと悔やんでも悔やみ切れない。
しかし懲りずに、震災前から目を着けていた本を一冊買う。高木市之助『大伴旅人・山上憶良』。
私にしては珍しく、女主人と話をしてみると、やはりこの店でも本はすべて崩壊し、一週間掛かって元に戻したそうである。戻したのもすごいが、あんな地震でも水さえ来なければ大丈夫だったのにと、今更ながら津波が恨めしい。
隣の店も元通りで、岩波文庫の新古今和歌集が手に入った。その後ダイエーに回って、衣装ケース他も買って、配送して貰うことにした。日時の指定は不可、直前の連絡も無理、来週のいつか突然届く。被災地を実感する。
しかし目的を達し、書物も携えて心愉しい気分で帰って来たら、とんでもないことには今夜から十六日頃まで断水という触れが回っていた。慌てて風呂に入り、飯を炊き、水を溜める。思えば引越してきて一週間足らずの文化生活であった。多くを語らず。

スーツを買った

2011-04-12 20:29:18 | 日記
相変わらず電車は動かないし時間割に関してはその後まったく音沙汰もなく、部屋にこもっていると強い風の音におどかされて気が塞ぐばかりなので、午後から思い切ってバス代をはたいて街に出かけた。
仕事が始まるに当たって、どうしても必要なのがスーツ一式である。今日でなくてもいいが、出来上がるのに日数が掛かってもいけないし、何しろ明日何が起こるかわからないようなご時世だから、早めに動いて置くに越したことはない。
それでアエルでお金を下ろしてから、仙台駅前のコナカに出かけた。スーツとワイシャツ三枚、それに靴とネクタイとベルトも揃えて相当の散財になったが、これでいつでも仕事ができる。後はA校とC校の時間割担当が円満に解決してくれるのを期待するのみである。私が心配してもどうにもなるものでなし、余計な気を揉むのは止めにした。
それより、本当に久しぶりにスーツというものを身にまとって、やはりいいものだと感動した。命があってまたこういういい衣装が着られるだけで幸せである。今回の震災に関して文部科学大臣が出したメッセージの中に、これまでの物質至上主義を反省して云々という一節があったようだが、被災して無一物になった人間にとっては、衣食住の物質がまず第一になるのである。

また一回休みか

2011-04-11 15:55:26 | 日記
例の小震災直前に、A校から時間割が決まったという連絡があって、今日は早速それを、この四月から勤めるC校に伝えに行こうと思う。諸般の事情により、時間割の柔軟性が極めて低いA校を先に決めてもらって、隙間にC校の授業を入れてもらう手筈になっている。とにかく時間割を調整してもらわないと二校兼務は成立しない。
何しろどちらも徒歩圏内だから電車が止まっても何も怖くない。ところが時間割の方が故障した。当初は全く話のなかったC校の拘束条件が今になって出て来て、後でA校の先生方みな怒っていたが、私もそう思う。
しかし反省するに、時間割調整というのは一義的に学校側の仕事であって、講師の私が連絡調整に携わる自体、出過ぎたことであったかも知れない。しかしこの非常時ではあるし、置き忘れられるという不安がある。つくづく非常勤の身の処し方はむつかしい。
生活がどうやら落ち着いたので、アマゾンのアカウントを携帯から使えるようにして、おととい古本を一冊注文したところが、今日になってメールが来た。当地は現在配送不可、復旧の見込みなしとかで、キャンセルとなってしまった。
時間割もどうしたか、不安だが私にはどうしようもない。何につけ今は待つしかないようだ。