言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

100年越しの論争

2014年08月05日 | 歴史の話し


夏の短い休みを利用して、信州の松本に行きました。
避暑のつもりでしたが、最高気温の予想が35度。
とんでもない旅を予測していた割に、幸運にも(?)適度に曇ったため、熱中症の恐れもなく旅を楽しむことができました。

松本といえば、国宝にも指定されている松本城が有名ですが、もう一つ旧開智学校も松本の歴史を語る上で欠かせない史跡です。
学校の歴史は明治6年にさかのぼり、この建物は明治9年の竣工。現在では、重要文化財として一般に公開されています。

建築としては、木造2階建て、外壁は漆喰塗の洋風の建築で、中央の八角塔屋が特徴的です。
竜や雲などの彫刻が建物をいろどり、今の小学校からは想像もつかない豪華な建築です。

中に入ると、当時の初等教育のあり方や考え方がよく分かるように、様々な資料が展示されていました。
明治5年の学制によって、新しい授業の枠組ができたこと。
当時の開智学校では、読本課、算術課、習字課、英学課か設けられていたこと。
英学課では、和英翻訳やリーダーのほか、世界史や理科なども含まれていたこと。

その中で目を引いたのが、この資料でした。



おそらく当時の教科書か何かの1ページでしょう。
その内容は今もしばしば議論されていることです。

我が国の言語をたもて。
学問のため、また外国とのつきあいのために外国語の習得は必要だが、一方で日本には日本語という母語があり、これを失ってはならない、というのです。

小学校の英語の必修化が導入された時、この議論で沸きました。
たしかに英語の習得のことだけを考えれば、なるべく早い時期に学ぶことは重要です。
ただ、限られた時間に何を学ぶべきか、という議論になると、英語が最優先でよいか議論は分かれるところです。
国語や歴史、文化などを学ぶ時間を割いて、英語を学び、自国について満足な知識と教養を持たない教育になってはまずい。
その議論が、100年以上前から繰り返されていたことをよく示す史料です。

文明開化にわき、皆が欧州の文化と、それに伴い言語を学ぶことがよしとされた時代、そこに危機感を持つ向きがあったことも確かです。

英語は、この数十年で国際語としての地位を確実に高めており、世界とコミュニケーションをとる上で英語が欠かせないのは間違いありません。
ただ一方で、英語を学ぶこと自体が目的化している傾向があることも否めません。
英語はあくまでコミュニケーションのツールであり、問題は「何を語るか」のはずです。
たまに「英語だけできる」という人に出会うと、私自身も疑問を感じることかあります。

日本がどのように世界とつきあっていくのか。
そのありようは、明治の時代もいまも、変わらず考えなくてはならない重要な課題だと思います。



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