動詞の活用についての分類法はいくつかあります。
話し手の主観を表す「モダリティ」。(彼は疲れているようだ。明日は雨がふるはずだ。の「ようだ」「はずだ」など)
文に現れる人の立場を表す「ヴォイス(態)」。(能動・・・彼女は彼を叩いた。受動・・・彼は彼女に叩かれた。など)
そうした中で、ちょっと混同しやすいのが「アスペクト」と「テンス」です。
アスペクトは、動詞の表す動作がどの段階にあるかを表す概念です。
例えば同じ「歩く」という動詞でも、その動作がこれから始まるのか、今最中なのか、終わったのか、によって色々な表現ができます。
歩くところだ(開始直前)
歩きだす、歩き始める(開始)
歩いている(進行)
歩き続ける(継続)
歩き終わる(終了)
歩き切る(完了)
歩いたことがある(経験)
といった具合です。
中でも「ている」「てある」の用法は複雑で、理解しやすいとは言えません。
「ている」は大きく5つの用法に分けられます。
➀動作の進行 「風が吹いている」「彼が走っている」
と②結果の状態(結果が継続している)「眼鏡をかけている」「服を着ている」
➂状態の継続(ある状態が長く続いている)「あの川は東に流れている」「山に塔が立っている」
④繰り返し 「毎週塾に行っている」「毎日どこかで交通事故が起きている」
➄経験(動作が繰り返し起きているが残存していない) 「彼は3回離婚している」「このパソコンは何度もフリーズしている」
これに対して「てある」は、誰かによって意図的に引き起こされた動作の結果が続いていることを表します。「ている」が意図的でないのと対照的です。具体的に比べてみましょう。
「窓が開いている」⇔「窓が開けてある」(誰かが窓を開けた)
「テレビがついている」⇔「テレビがつけてある」(誰かがテレビをつけた)
「コップに水が入っている」⇔「コップに水が入れてある」(誰かが水を入れた)
いずれも、「ている」は「開く」「つく」「入る」などの無意志の自動詞とつながっています。
これに対して、「てある」は、「開ける」「つける」「入れる」などの意志を表す他動詞とつながっています。
いずれにしても、アスペクトとは、動作が始まる前なのか、最中なのか、継続しているのか、完了したのか、などの局面を表す表現である、ということです。
さて一方のテンスですが、こちらは「時制」とも呼ばれ、過去、現在、未来に分かれます。
ざっくり言うと「タ形」が過去、「ル形」が未来、「テイル」が現在となることがほとんどです。
「窓を開けた」(過去)、「窓を開ける」(未来)、「窓を開けている」(現在)といったことです。
ただし「ある」や「異なる」などの状態動詞は、「ル形」で現在を表します。
「庭にバラの木がある」「彼とは意見が異なる」
テンスはさらに「絶対テンス」と「相対テンス」があります。絶対テンスは、文の主たる動詞につくテンスです。この絶対テンスの基準時間は、「発話している時」です。
これに対して、文の主たる動詞の動作の時点を基準として、そこから見て過去か未来かを判断するのが「相対テンス」です。
「東京に出てくる時に、友達が集まってくれた」
「東京に出てきた時に、友達が集まってくれた」
この「集まってくれた」は絶対テンスで、発話時点から見て「過去」です。
ただ「東京に出てくる時」の「出てくる」は発話時点から見るとすでに過去ですが、集まってくれた時から見ると未来です。
田舎から東京に出ていこうとしている時に、田舎の同級生たちが集まってくれた、というわけです。
英語でも時制の一致ってありますね。あれと似ています。
何となく時制という言葉を聞くと、英語学習を思い出してしまいますが、日本語にも立派にテンスや時制はあるのです。
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