前編よりつづき。
「自分は幸せになってはいけない」という潜在意識での想い。
一見するとアホくさーい思い込みなんだが、これが自分の中に随分長い間真実として存在してきたことに今回初めて気付いた。
しかも「顕在意識」ではなく「潜在意識」に居座っていたもんだから、顕在意識で生きているとぜーんぜん気付かない。全く気づかないのだ。
その思い込みが語った存在理由。
それは。
・人は苦難の中でしか成長しない。成長し続けたいから幸せになっちゃダメ。
・自分は幸せになる価値なんてないから。
・幸せになると他人が妬み壊しにくる。
・ワタシが幸せでいると親は喜ばない。
・不幸なほうが他人はかまってくれる。
・幸せにしていると手抜きできない。
こうやって文字にすると「んなアホな~(笑)」的な理由なんだが(顕在意識下ではアホくさい理由)、ワタシはコレが真実だと潜在意識の中で信じて疑わなかった。
多分子供の頃や大人になるまでの過程の中で知った知識、経験したことを自分なりに解釈して「これが真実」と受け取ったからこそなんだと思う。
例えば「親は私の幸せを喜ばない」という理由は完全な思い込みであることを、今のワタシなら説明できる。
自分がみていた親の姿なんて断片でしかない。子供の親への無条件の愛から、親が不幸な側面を見せたときに「私が親より不幸になってあげないと…」という犠牲的な思いにかられることもよく聞く。
(今でもそうだが)自分の幸せを親に伝えると「よかったなー」の一言で済まされ、逆に困ったことや悩んでることになると親は饒舌になる。それを幼ければ「親は私の幸せを喜ばない」と謝って認識→思い込むかもしれない(事実自分はそうだった)。
でも実際に親は喜んでいない訳ではなくて、喜びの共感方法を知らないだけかもしれない。親だから困っているときのほうが助けたい一心で饒舌になるのかもしれない。
だけど。
幼い意識下ではそういう事情をわからないまま。「親は私の幸せを喜ばない」と解釈、そして耐えがたき事実として潜在意識に沈めてしまった。子供にとって親から愛されていない、という事実は耐えられない。だから傷つかないように傷すらも隠す。どこに?。潜在意識に。
潜在意識に沈められた思い込みは年月が過ぎれば過ぎるほど、表在化が困難となる。だから今みると「アホくさく幼稚な思い込み」であるんだが。親に愛されたくて、嫌われたくなくて。そのために潜在的に幸せをわざと遠ざけようとするようになる。
ワタシのケースであれば。
欲しいものを極端に我慢する。
これが結構あったんだ…今まで。店頭で「かわいい♪」「これ欲しい!!」と思ってもなかなかレジに持っていけなかった。アタマの中では「他に安い店あるかも」とか「もっとええものあるかも」といった、一見前向きな思考が始まるんだけど再び探すことは皆無。結局買わないのだ…。
たとえ買えたとしても罪悪感がヒョコヒョコ出てくる。「もっと安くであったかもしれないのに…」「無駄遣いだったかも」と。
物を購入するというのは、それを自分のものにしたときの喜びや使うことによる満足感を得るための行動でもある。そういった幸せを「無意識に」妨害しようとしてきた。
健康にいいから、と始めたことがなぜか続かない。
自己肯定感が向上するから、と始めたことも続かない。
なぜか自分を粗末にする男性に惹かれた時期もあった。
過度に緊張するような思考にとりつかれたり。
楽しく過ごしていたら、過去の失敗や悲しいことが無意味にフラッシュバックする・・・。
そういう行動全てが「ワタシが幸せになると親は喜ばない。嫌われたくない、愛されたい。だから幸せにならないように頑張ろう」という目標のもとにやっていると言えば。すべて納得する。腑に落ちる。
まさに引き寄せてきたのだ、「幸せになってはいけない」という人生を。
思い込みの通りの「幸せにならない」人生が叶ってきたのだ。
いくら顕在意識で「幸せになるぞーっ!!」と思っていても、潜在意識がこんな状態であれば叶えることは困難極まりない。
おそるべし、思い込み。
おそるべし潜在意識。
顕在意識では気づかないから余計に。
「親に嫌われるから」という思い込み以外にも、前述したいくつかの理由が最強タッグを結成していたからそりゃもう凄まじい勢いがあるんですね。たとえば「ワタシは幸せになる価値はない」なんて理由は、自己肯定感が低いからこそだし。その極端な低さは子供の頃に受けてきたいじめの傷が癒えてないことが大きな要因だったり(それも実は思い込みが大半)。自分でわざわざ幸せ壊しに行く不思議な行動とっても仕方はない。理由もなしに自分を責めたり恐れを煽りに煽っていても仕方ない。
逆を言えば、ここまで総戦力でよってたかってやらないといけないぐらい、ホンマの自分には幸せになる能力が備わっている。という見方も出来るんですけどね。
幸せを感じられず、絶望の中で生きている。
そんな人生を作ってきたのにもちゃんと理由がありました。
人間、原因がわかれば楽になります。
ここまで自分の内側をみれたのであれば、あとは「それ違うでー。ただの思い込み。ホンマはな・・・」と思いこみを再インストールすること。
そして「ワタシは幸せになってもええんやなぁ」と自分に許しを与えること。
ものすごく簡単なことだけど、とおまわりしたり寄り道したり時には諦めたりしながら、今ようやくたどり着いた地点です。
「どんな感情にもメリットはある」
「向き合いたくない感情ほど宝物をもっている」
「本当の答えは自分の中に必ず存在している」
ワタシが数年前コーチングを受けたときにコーチに聞いて、以来自分の友としている言葉です。
この言葉たちも思い込みのひとつにすぎないのかもしれないけど。
それでも今日この場所まで伴走してくれた言葉ですわ。
随分長くなりました、最後まで読んで頂きありがとうございますm(__)m。
「自分は幸せになってはいけない」という潜在意識での想い。
一見するとアホくさーい思い込みなんだが、これが自分の中に随分長い間真実として存在してきたことに今回初めて気付いた。
しかも「顕在意識」ではなく「潜在意識」に居座っていたもんだから、顕在意識で生きているとぜーんぜん気付かない。全く気づかないのだ。
その思い込みが語った存在理由。
それは。
・人は苦難の中でしか成長しない。成長し続けたいから幸せになっちゃダメ。
・自分は幸せになる価値なんてないから。
・幸せになると他人が妬み壊しにくる。
・ワタシが幸せでいると親は喜ばない。
・不幸なほうが他人はかまってくれる。
・幸せにしていると手抜きできない。
こうやって文字にすると「んなアホな~(笑)」的な理由なんだが(顕在意識下ではアホくさい理由)、ワタシはコレが真実だと潜在意識の中で信じて疑わなかった。
多分子供の頃や大人になるまでの過程の中で知った知識、経験したことを自分なりに解釈して「これが真実」と受け取ったからこそなんだと思う。
例えば「親は私の幸せを喜ばない」という理由は完全な思い込みであることを、今のワタシなら説明できる。
自分がみていた親の姿なんて断片でしかない。子供の親への無条件の愛から、親が不幸な側面を見せたときに「私が親より不幸になってあげないと…」という犠牲的な思いにかられることもよく聞く。
(今でもそうだが)自分の幸せを親に伝えると「よかったなー」の一言で済まされ、逆に困ったことや悩んでることになると親は饒舌になる。それを幼ければ「親は私の幸せを喜ばない」と謝って認識→思い込むかもしれない(事実自分はそうだった)。
でも実際に親は喜んでいない訳ではなくて、喜びの共感方法を知らないだけかもしれない。親だから困っているときのほうが助けたい一心で饒舌になるのかもしれない。
だけど。
幼い意識下ではそういう事情をわからないまま。「親は私の幸せを喜ばない」と解釈、そして耐えがたき事実として潜在意識に沈めてしまった。子供にとって親から愛されていない、という事実は耐えられない。だから傷つかないように傷すらも隠す。どこに?。潜在意識に。
潜在意識に沈められた思い込みは年月が過ぎれば過ぎるほど、表在化が困難となる。だから今みると「アホくさく幼稚な思い込み」であるんだが。親に愛されたくて、嫌われたくなくて。そのために潜在的に幸せをわざと遠ざけようとするようになる。
ワタシのケースであれば。
欲しいものを極端に我慢する。
これが結構あったんだ…今まで。店頭で「かわいい♪」「これ欲しい!!」と思ってもなかなかレジに持っていけなかった。アタマの中では「他に安い店あるかも」とか「もっとええものあるかも」といった、一見前向きな思考が始まるんだけど再び探すことは皆無。結局買わないのだ…。
たとえ買えたとしても罪悪感がヒョコヒョコ出てくる。「もっと安くであったかもしれないのに…」「無駄遣いだったかも」と。
物を購入するというのは、それを自分のものにしたときの喜びや使うことによる満足感を得るための行動でもある。そういった幸せを「無意識に」妨害しようとしてきた。
健康にいいから、と始めたことがなぜか続かない。
自己肯定感が向上するから、と始めたことも続かない。
なぜか自分を粗末にする男性に惹かれた時期もあった。
過度に緊張するような思考にとりつかれたり。
楽しく過ごしていたら、過去の失敗や悲しいことが無意味にフラッシュバックする・・・。
そういう行動全てが「ワタシが幸せになると親は喜ばない。嫌われたくない、愛されたい。だから幸せにならないように頑張ろう」という目標のもとにやっていると言えば。すべて納得する。腑に落ちる。
まさに引き寄せてきたのだ、「幸せになってはいけない」という人生を。
思い込みの通りの「幸せにならない」人生が叶ってきたのだ。
いくら顕在意識で「幸せになるぞーっ!!」と思っていても、潜在意識がこんな状態であれば叶えることは困難極まりない。
おそるべし、思い込み。
おそるべし潜在意識。
顕在意識では気づかないから余計に。
「親に嫌われるから」という思い込み以外にも、前述したいくつかの理由が最強タッグを結成していたからそりゃもう凄まじい勢いがあるんですね。たとえば「ワタシは幸せになる価値はない」なんて理由は、自己肯定感が低いからこそだし。その極端な低さは子供の頃に受けてきたいじめの傷が癒えてないことが大きな要因だったり(それも実は思い込みが大半)。自分でわざわざ幸せ壊しに行く不思議な行動とっても仕方はない。理由もなしに自分を責めたり恐れを煽りに煽っていても仕方ない。
逆を言えば、ここまで総戦力でよってたかってやらないといけないぐらい、ホンマの自分には幸せになる能力が備わっている。という見方も出来るんですけどね。
幸せを感じられず、絶望の中で生きている。
そんな人生を作ってきたのにもちゃんと理由がありました。
人間、原因がわかれば楽になります。
ここまで自分の内側をみれたのであれば、あとは「それ違うでー。ただの思い込み。ホンマはな・・・」と思いこみを再インストールすること。
そして「ワタシは幸せになってもええんやなぁ」と自分に許しを与えること。
ものすごく簡単なことだけど、とおまわりしたり寄り道したり時には諦めたりしながら、今ようやくたどり着いた地点です。
「どんな感情にもメリットはある」
「向き合いたくない感情ほど宝物をもっている」
「本当の答えは自分の中に必ず存在している」
ワタシが数年前コーチングを受けたときにコーチに聞いて、以来自分の友としている言葉です。
この言葉たちも思い込みのひとつにすぎないのかもしれないけど。
それでも今日この場所まで伴走してくれた言葉ですわ。
随分長くなりました、最後まで読んで頂きありがとうございますm(__)m。