風薫海航空翔

カゼカオル・ウミワタル・ソラカケル Presented by 柊(syu)

答えは自分の中に必ず存在する・後編

2011-12-19 14:26:37 | 徒然なる日々
前編よりつづき。

「自分は幸せになってはいけない」という潜在意識での想い。
一見するとアホくさーい思い込みなんだが、これが自分の中に随分長い間真実として存在してきたことに今回初めて気付いた。
しかも「顕在意識」ではなく「潜在意識」に居座っていたもんだから、顕在意識で生きているとぜーんぜん気付かない。全く気づかないのだ。

その思い込みが語った存在理由。
それは。

・人は苦難の中でしか成長しない。成長し続けたいから幸せになっちゃダメ。
・自分は幸せになる価値なんてないから。
・幸せになると他人が妬み壊しにくる。
・ワタシが幸せでいると親は喜ばない。
・不幸なほうが他人はかまってくれる。
・幸せにしていると手抜きできない。

こうやって文字にすると「んなアホな~(笑)」的な理由なんだが(顕在意識下ではアホくさい理由)、ワタシはコレが真実だと潜在意識の中で信じて疑わなかった。

多分子供の頃や大人になるまでの過程の中で知った知識、経験したことを自分なりに解釈して「これが真実」と受け取ったからこそなんだと思う。
例えば「親は私の幸せを喜ばない」という理由は完全な思い込みであることを、今のワタシなら説明できる。
自分がみていた親の姿なんて断片でしかない。子供の親への無条件の愛から、親が不幸な側面を見せたときに「私が親より不幸になってあげないと…」という犠牲的な思いにかられることもよく聞く。
(今でもそうだが)自分の幸せを親に伝えると「よかったなー」の一言で済まされ、逆に困ったことや悩んでることになると親は饒舌になる。それを幼ければ「親は私の幸せを喜ばない」と謝って認識→思い込むかもしれない(事実自分はそうだった)。
でも実際に親は喜んでいない訳ではなくて、喜びの共感方法を知らないだけかもしれない。親だから困っているときのほうが助けたい一心で饒舌になるのかもしれない。

だけど。
幼い意識下ではそういう事情をわからないまま。「親は私の幸せを喜ばない」と解釈、そして耐えがたき事実として潜在意識に沈めてしまった。子供にとって親から愛されていない、という事実は耐えられない。だから傷つかないように傷すらも隠す。どこに?。潜在意識に。

潜在意識に沈められた思い込みは年月が過ぎれば過ぎるほど、表在化が困難となる。だから今みると「アホくさく幼稚な思い込み」であるんだが。親に愛されたくて、嫌われたくなくて。そのために潜在的に幸せをわざと遠ざけようとするようになる。

ワタシのケースであれば。
欲しいものを極端に我慢する。
これが結構あったんだ…今まで。店頭で「かわいい♪」「これ欲しい!!」と思ってもなかなかレジに持っていけなかった。アタマの中では「他に安い店あるかも」とか「もっとええものあるかも」といった、一見前向きな思考が始まるんだけど再び探すことは皆無。結局買わないのだ…。
たとえ買えたとしても罪悪感がヒョコヒョコ出てくる。「もっと安くであったかもしれないのに…」「無駄遣いだったかも」と。
物を購入するというのは、それを自分のものにしたときの喜びや使うことによる満足感を得るための行動でもある。そういった幸せを「無意識に」妨害しようとしてきた。

健康にいいから、と始めたことがなぜか続かない。
自己肯定感が向上するから、と始めたことも続かない。
なぜか自分を粗末にする男性に惹かれた時期もあった。
過度に緊張するような思考にとりつかれたり。
楽しく過ごしていたら、過去の失敗や悲しいことが無意味にフラッシュバックする・・・。

そういう行動全てが「ワタシが幸せになると親は喜ばない。嫌われたくない、愛されたい。だから幸せにならないように頑張ろう」という目標のもとにやっていると言えば。すべて納得する。腑に落ちる。
まさに引き寄せてきたのだ、「幸せになってはいけない」という人生を。
思い込みの通りの「幸せにならない」人生が叶ってきたのだ。
いくら顕在意識で「幸せになるぞーっ!!」と思っていても、潜在意識がこんな状態であれば叶えることは困難極まりない。

おそるべし、思い込み。
おそるべし潜在意識。
顕在意識では気づかないから余計に。

「親に嫌われるから」という思い込み以外にも、前述したいくつかの理由が最強タッグを結成していたからそりゃもう凄まじい勢いがあるんですね。たとえば「ワタシは幸せになる価値はない」なんて理由は、自己肯定感が低いからこそだし。その極端な低さは子供の頃に受けてきたいじめの傷が癒えてないことが大きな要因だったり(それも実は思い込みが大半)。自分でわざわざ幸せ壊しに行く不思議な行動とっても仕方はない。理由もなしに自分を責めたり恐れを煽りに煽っていても仕方ない。
逆を言えば、ここまで総戦力でよってたかってやらないといけないぐらい、ホンマの自分には幸せになる能力が備わっている。という見方も出来るんですけどね。

幸せを感じられず、絶望の中で生きている。
そんな人生を作ってきたのにもちゃんと理由がありました。
人間、原因がわかれば楽になります。
ここまで自分の内側をみれたのであれば、あとは「それ違うでー。ただの思い込み。ホンマはな・・・」と思いこみを再インストールすること。
そして「ワタシは幸せになってもええんやなぁ」と自分に許しを与えること。
ものすごく簡単なことだけど、とおまわりしたり寄り道したり時には諦めたりしながら、今ようやくたどり着いた地点です。

「どんな感情にもメリットはある」
「向き合いたくない感情ほど宝物をもっている」
「本当の答えは自分の中に必ず存在している」
ワタシが数年前コーチングを受けたときにコーチに聞いて、以来自分の友としている言葉です。
この言葉たちも思い込みのひとつにすぎないのかもしれないけど。
それでも今日この場所まで伴走してくれた言葉ですわ。

随分長くなりました、最後まで読んで頂きありがとうございますm(__)m。

答えは自分の中に必ず存在する・前編

2011-12-19 08:57:52 | 徒然なる日々
今日はココロの話を書いてみようかと。

「ザ・シークレット」の発売前後から、日本でも「引き寄せの法則」関連の本が発売されていますね~。
内在化したものが現実として表在化する。
それをワタシもよく体験していますわ。
最近では「思い込みを変えれば幸せになれる」系の本もチョイチョイ増えてきたように思う。
コチラのほうがスピリチュアル色が少なくて、受け入れられる層も多くなるかな?。
どちらも根底では同じ、幸せも不幸せも自分の内側に舵取り棒が存在している、ということ。

願えば叶う、というのは真実だと自分の人生経験からなんとなーく感じる。
ワタシもいろんな書籍を読み漁り、いろんな情報をかき集めてふるいにかけては実践。
しかし「これだけ願ってるし努力もしているし、手に入ったことをイメージしているのになんで叶わない?」と
悩んだこともありました。
その答えが「潜在意識」にある、ということもいろんな知識から知ってはいたものの
なかなかそのターゲットに接触出来なくて悶々としたり。

ところがここ数年でいろんな形で取り組んだ結果、
人生を作るの核である「潜在意識」に随分スムーズに触れることが出来るようになりました。
(いや、決して怪しいことにお金を注いだ訳ではないんですよ。ごく普通の生活の中でごく普通のことをやり続けただけのハナシであって。このへんは長くなるのでこれはまた別の機会に)。
すると「願っても叶わない」のは当たり前なんやな~、と腑に落ちることが沢山あったのです。

人は誰でも「幸せになりたい」と願う。
ワタシも例外なく願って生きてきた。
でもなぜか幸せになれない。
もっと具体的な言い方をすれば、「幸せを感じられない」のだ。
特に産後はその想いにとりつかれていて、ただひたすらゴールの見えないぬかるみの中を絶望を抱えて歩いている。
そんな毎日だった。
名作「ネバーエンディング・ストーリー」の中で主人公が『悲しみの沼』を歩いているシーンがあるんだけど
まさにあの場面そのものの中に自分がいるような。
ときどき友人と飲みにいったり遊んだり、プロレス観戦をして楽しい夜を過ごしても
なぜかすぐに「あー楽しかった」という感情が消えてしまい、また元の泥土を歩くような雰囲気になる。
幸せを願っても願っても、たとえ手にしたとしても、掌から砂がこぼれおちてしまうような。
ここ数年はそんな苦しみの中にいたことは事実。

でも。ポロリと殻が気持ち良く剥けたように。
ある日気づいた。

「ワタシは本心から自分の幸せを願っていない。
 むしろ幸せになることを強く強く拒んでいる。
 あえて不幸でいなければいけない、と願っている。
 それを実践しているだけだ。」

アホちゃうかーこの子!!。と笑われるかもしれんのやが、それがワタシの潜在意識から出た答えだった。
その答えだけでなく、この想いがワタシの中で真実として長年鎮座し、揺るぎない地位を確立してきた理由も一緒に表れてきて。ワタシはものすごーく腑に落ちた。
ナルホド、だからワタシはいつまでたっても幸せを感じることが出来なかったのか、と。


         (長くなるので後編につづく)

青空によく似合う

2011-12-09 21:57:07 | 徒然なる日々
先日「横浜でイチョウがきれいに色づいてるよ。行かない?」と相方に誘われて、家族で出掛けてきました。



今年はイチョウの色づきは遅い、とテレビで言ってたけど、なかなかキレイに色づいていましたよ♪。
(写真手前のほうは、まだそれほど黄色くなかったんですけど。)
快晴の空によく映えるんだなぁ、黄色く色づいたイチョウって。
相方オススメのこの通りは、電線が無いので空がとても広く感じてこれまた見事でした。
日曜日だったせいか、座って絵を描いている人がチラホラいましたね。
そう言えば何年か前に外苑前のイチョウ並木を見に行ったけど
あの場所も見事だったなぁ~。

色づいたイチョウをみるたびに「ああ本格的に冬が始まるなぁ」と毎年実感します。
冷え症にはツライ季節だけど(涙)。
すっかり遠い故郷になってしまったけれど、毎年御堂筋のイチョウで冬を感じてた時期もありました。
桜に年齢分だけ思い出があるように、イチョウにもいろんな過去の感情を呼び起こされる…。
歳とったんやなーワタシ。

舞い落ちる黄色い葉の下を、元気に走り回るチビ助の姿。
それもイチョウと共に記憶に刻まれていく。
平凡な週末だけど、有難いかもしれない。
今年は特にそう思わされた年でしたね…。

もう師走

2011-12-02 11:30:57 | 徒然なる日々
ぬあっ!!最後に更新したのが4月だぁぁぁっ
もはやブログの役割果たしてないな…。

御無沙汰通り越して、生存確認になりますが元気にしてます
気づいたらもう師走…。
はやいなぁ。年々1年が早く感じる。
特に育児をしてたらあっという間に感じますわ。

今年初めから社会復帰しました
妊娠中に仕事辞めてから約2年。
子供を保育園に預けてパートに出ています。
「子供が熱だして仕事休まなあかんときがくる」と覚悟しながらやってたんですが
ものすごーく丈夫に生まれたせいか、チビ助全然熱出しません。
親孝行してくれてますよ、感謝感謝

しかしながら、育児・家事・仕事の3両立というものは本当に大変。
仕事終えて子供を保育園に迎えにいってからが戦場!!。
まだワタシは週2~3日勤務のパートだからマシだけど
フルタイムで残業こなすお母さんたちを、心から尊敬するわ…。
コッチも仕事で疲れているのに、やらなきゃいけないこと山積み。
子供も保育園でいろいろ我慢してきた1日だから、お母さんに甘え放題。
家事は遅々として進まず、
そうこうしているうちに旦那から帰るコールでご飯の支度を。
子供風呂に入れないと、寝かせる時間だぁぁぁっ

・・・というような生活に慣れるまで結構時間かかりました。
今はいろいろ手抜きを覚えてまわせるようになりましたけどね

いろんなタイプのお母さんがいると思うけど
ワタシは外で人と関わっている方が好きな性格なもんで
働きに出たことは精神衛生上良かったと思われ。
大変なこともあるけど、やっぱ仕事再開して良かったです。
職場で友達も出来たし♪。

相変わらずヲタクな趣味は展開中で
飽きもせずプロレス観戦に出かけたり
(8月の「ALL TOGETHER」は感動の嵐で一生忘れられない)。
なぜか夏ごろからドラマ「相棒」の再放送にハマってしまって
TSUTAYAに貢ぎまくってしまったり
(右京さんも好きだがイタミンも好きよー)。
ドカーンと男子パレーボールへの萌えが再燃してしまい
目下のW杯録画して、子供寝てからコッソリ再生してニヤニヤする毎日…。
(相変わらずの植田監督LOVE)。

うん、このアホさ加減は死ぬまで治らん(笑)。
それが一番ワタシらしいっちゃーワタシらしいんやが。


ココロの変化もイロイロありました。
一言では書けないけれど、縛っていたものが1本ずつほどけてきたような…。
いいカウンセラーさんとの出会いもあって、
ゆっくりだけど着実に階段を上っています。
去年母親が亡くなったことも大きな転機になったんですが
子供が生まれたこととか、ここ数年で人生の岐路をいくつも経験したことで
自分の内側は確実に変わっていきました。

「過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変えられる」
よく聞く言葉です。
でもそれをココロのふか~いところで受け止められる瞬間が何度かあって
絶望感で覆われていた未来に少しずつ光が見えてきました。

うーん、この変化もいつかアウトプット出来ればいいなあ

3年B組~!!ロケ地ツアー

2011-04-06 09:18:36 | 徒然なる日々
土曜日の朝、相方が急に「堀切駅に行きたい」と言いだした。
むふふ、相当ハマっとるなー。とニヤリ

というのも、3月の放送された「金八先生ファイナル」夫婦でがっつりやられてしまったんですわ
いや~良かったですね、久々にいいドラマ観ました
もともとワタシが金八第2シリーズどマニアなもんでして
ええ、アレですよ。腐ったみかんだの「世情」で逮捕シーンだの。
あの日本ドラマ史に残る名作

ワタシが高校時代に何度目かの再放送を夕方にしてて、それをみてドップリハマった世代なんですわ。
リアルタイム世代はワタシらよりもう少し上の年代かな。
あの頃、高校の友達たちと「昨日の再放送の加藤くんはこうだった、ああだった」と毎日語りあったもんで。
その名残が今もあって、第2シリーズ全部録画したものを今も大事に持ってるし。
(繰り返しみた回数は20回を越えてるぞー)。
加藤君の答辞のセリフも全部言えるし。
松浦くんが不良のくせに「パパ」と呼ぶことも知ってるし(笑)。

てな訳で今回のファイナルに加藤優こと直江喜一氏の出演が決まって、オンエアをメッチャ楽しみにしてました
登場したときには直江氏のあまりにも豪快な外観の変貌に、「ギャァァァっ!!見なかったことにしよう」と一瞬テレビを消したくなった…。
でもドラマが進み、駅のホームでかつての恩師に「そいつには先生がいるじゃねぇか」と重要なシーンになったとき。
外観は変わっても、彼はあのとき荒谷二中の放送室で鋭い視線を投げかけていた加藤優そのものでした
セリフの言い回しや視線の投げかけ方、間の取り方…。
加藤君がそのまんま変わらずにそこにいた
もうそれだけで感動。泣けてきた~
ラストの卒業生点呼シーン、なんだか現実と虚像が入り混じって不思議な気持ちになりましたね。

なもんだから、我が家はチビ助が寝静まってはDVDやらYouTubeで第2シリーズ関連を観漁る日々…。
どんどん金八濃度が高まる中、とうとう相方が金八ロケ地の堀切駅に行きたいと言いだした。
してやったり(笑)。
お天気のいい休日、チビ助連れて家族で金八ロケ地ツアーへ。



コレが堀切駅
第2シリーズでは松浦くんが入試前夜に継母が産気づいて、加藤君に助けられて乗り切り。
その翌日入試に向かうシーンでこの堀切駅が出てきたのを思い出しました。
30数年だって変わってるだろうなー、と思ってたら
駅舎のそのまま、歩道橋だってそのまま。何より駅前の電話ボックスも健在!!。
うぽーーーーーっ!!嬉しすぎるっ!!。

その後駅のすぐ横の荒川土手へ。



もう言葉はいりません。説明も不要。
ぜーんぜん変わってないよ…
金八っつぁんが歩いてても不思議じゃない景色。
土手の下を見れば、ドラマでよくうつってたような路地が住宅地の中にいくつも健在。
嗚呼、転校初日に暴れた加藤君が走ってきそうだ(←妄想)。
自転車に乗った大森巡査とすれ違いそう(←さらに妄想)。
就職内定取り消すと墨東興業の社長に言われてヘコんだ加藤君が…(しつこい妄想なので以下自粛)。

あのオープニングシーンはこのへんから撮影したんじゃないかとか
思わず「♪とお~くまでぇ見える道を~」とくちづさんでしまったり。
かなりクソヲタクなひとときを過ごしていました。
もうこれだけでお腹いっぱい

それにしても金八ロケ地を差し引いても、荒川土手というのは気持ちいい場所です。
空が広くて開放感たっぷり



土手からスカイツリーも見えてました。
チビ助も大好きな電車が荒川を渡る光景にニコニコ
お弁当もってゆっくり来てもいいかも。

その後土手の下の住宅地を北千住方面へ歩いていたんですが
なんかところどころに昭和の雰囲気が残っていて、いい感じでしたねー。
うんうん、行って良かったよ金八ロケ地。
上京以来、一度は行ってみたいと思ってて念願叶いました。

北千住に辿り着いたら、もちろん「ドンレミー」に寄って。
山盛りアウトレット洋菓子を買いこみ、乗り換えて亀戸へ。
軽くて美味しい亀戸餃子ををビールでたらふく胃袋へ流しこんで帰宅。
チビ助が寝静まってからは今日の復習、とばかりにまた夫婦でDVD再生。
金八第2シリーズの傑作「卒業式前の暴力」に涙
充実した休日でしたよ~

友という財産

2010-11-19 22:39:26 | 徒然なる日々
某日。ワタシの高校時代の友人たちが関西から遊びに来てくれた

大阪から夜行バス→舞浜に朝到着→そのまま開園時間からディズニーシーで遊ぶ→その日の夜に予行バスで帰阪。
という「水曜どうでしょう」のサイコロの旅のようなハードスケジュールでやってきてくれました
みんな体力あるヤングだぜっ!!
ちゅー訳でチビ助を旦那にまかして、ワタシもディズニーシーで一緒に遊ぶことに。
ディズニーシー…というよりディズニーランド自体約20年ぶりぐらいじゃないか?。
東京に住んでても行かんやつは行かんのだ

そのお初ディズニーシーにて高校時代の友人たちと現地集合。
卒業して約20年…みんなぜんっぜん変わってないやん!!!!
いやいや、確かに歳はとって30代後半やからワタシも含めてみんな多少のアレはあるものの。
雰囲気や喋り方が変わってないのだ。
みんなで喋っている時の会話の回り方や話す立ち位置が、制服をきて教室で話していた頃となんだ変わらんのだ

あの頃。
今となっては毎日どうでもいい話ばかりしていたように思う
箸が転んでもおかしい年頃、とよく言ったもので。
楠田江里子や三原じゅん子の物真似だけで笑い転げていた。
修学旅行に行けばTMネットワークオンステージをしたり(やったのはワタシだが)。
『想い出に変わるまで』の松下由紀に本気で怒ってみたり。
仲間内の誰かが男の子に告白されて大騒ぎしてみたり。
体育祭で使う壁画を夢中で作ったり…。

ワタシ自身、小・中学校にいい思い出がほとんど無くて。高校卒業後進学した職業訓練校は楽しいこともあったけどしんどいことも多かったので、あの頃の仲間はドッチかというと「戦友」に近い存在だった。
だから純粋に楽しい思い出が多くて、学生という身分を満喫出来たのは高校だけだったように思う。
幸い母校は今考えると非常にゆる~い学校で、授業サボって喫茶店でお茶しててもお咎めがなかったような(笑)。

だから今回久しぶりに高校時代の友人たちと集まったとき、まるでタイムマシーンに乗ってあのころに戻ったような錯覚に陥った
思い出話に花が咲き、え!?そんなことあった??とワタシが忘れているような話や、あーっ!!あったあったそんなこと!!と記憶の引き出しがン10年ぶりに開くこともあったり。
話しても話してもシャベリタランティーノ(←死語)だった。

つくづく。ワタシはいい高校時代を過ごしたんやなぁと思った
いい友人に恵まれ楽しい時間を過ごした。
決してあの頃悩みがなかった訳ではない。むしろ悩みだらけやったように思う。
つまづいたことも沢山あった。
それでも今こうして何もかもが懐かしく輝いて見える、時間のマジックなんやろうかなぁと
だとすれば今自分が抱えている悩みも、何年かすれば同じように振り返れる日がくるのかもしれない。

それと。
考えてみれば高校時代に限らず、数は多くないけど長い付き合いの友人がワタシにはいる。
とんでもなくアホな話が出来る友人もいれば、涙を流しながら胸の内を告白出来る友人もいる。
年金もらう年齢になっても一緒に飲みに行こうな~と思う友人だっている。
愚痴を言い合える友人もいる。
当たり前ではなく、それは財産なんやと心の底から思えた。
もしかしたら人生って素晴らしいのかもしれないな…

当たり前の自由

2010-08-27 20:00:33 | 徒然なる日々
チョット前の話だけど、お盆期間相方の実家滞在をいいことにお舅&お姑さんにチビ助を預けて飲み会に行ってきた
飲み会なんていつ以来だ?。妊娠がわかる直前に職場の人と飲んだのが最後だから2年ぶりやん~!!。と飲み会約束した日から楽しみで楽しみで♪。

集ったのは友人ミニモニと有明で某イベント(笑)に参加するため関西から来ていたS嬢。
向かったのは友人ミニモニ推薦の「世界の山ちゃん

いや~以前から行ってみたかったんよね、山ちゃん。名古屋メシファンにはたまらんっ
数年前名古屋に2年連続で全日本プロレス観戦に行った時、「世界の山ちゃん」行こうと思っていたんですが。
1年目は店に行ったら「満員です」と断られ
2年目は諏訪魔の三冠ヘビー級チャンピオン戴冠に感動のあまり、山ちゃんに寄るのを忘れてホテルに戻ってしまったという(笑)。ポカかましました
なので久々の飲み会に加えて、念願の山ちゃんという嬉しさダブルサービス

               
写真がボケてるのが残念だがうまかったなぁ~手羽先
ウワサ通りビールに合う!!パクパクたいらげて追加で何本も注文してました。
帰宅後チビ助の寝かしつけが待っていたから2杯しか飲めませんでしたが。
東京でも名古屋メシ食べられるのはありがたい~。是非また来たいわ♪。

そして何よりも友達とアホな話しながら飲む酒というのは、ホンマに美味しいことこの上なし
「あ~飲み会ってこんなに楽しかったのか」と心から感じた。
母親であることを忘れ妊娠する前のただのワタシであった時代に戻ったようで。
自由っていいよなー。こうやって友と飲みに行くことなんて当たり前やったのに、今じゃ高嶺の花状態


翌日もチビ助を相方の実家に預け、コチラもまた出産以来の神保町へ繰り出した。
東京出てきてから「こんな街があるんやー、東京ってええとこやな」とワタシを思わせてくれた街のひとつ・神保町

向かった先は神保町に行くと必ず立ち寄ってた書泉ブックマート地下1階。
ええ、プロレスヲタクが涙する書籍満載のコーナーっすよ!!(涙)。
嗚呼、この一角全部大人買いしたい…(←アホな野望)。
週プロのバックナンバーを漁り、大好きな神保町界隈の喫茶店でお茶して…。
コレも妊娠前は当たり前にやってたことなんやけどね。


しかし自由を感じて不自由の生活に戻るとなかなか…ダメですね
「よしっ!リフレッシュしたから明日からまた頑張るぞーっ!!」と前向きモードになれればいいんだけど。根っこが後ろ向きなんで難しいなぁ。
(愚痴モード突入につき、以下省略)

奇跡

2010-07-09 18:00:14 | 徒然なる日々
この間NHKを見てたら、作家・井上ひさし氏の特集番組をやってた
その番組の中で「きらめく星座」という作品のこんな一節が紹介されていた。

この宇宙には四千億もの太陽が、星があると申します。
それぞれの星が平均十個の惑星を引き連れているとすると惑星の数は約四兆。
その四兆の惑星のなかに、この地球のような、ほどよい気温と豊かな水に恵まれた惑星はいくつでしょう。
たぶんいくつもないでしょう。
だからこの宇宙に地球のような水惑星があること自体が奇跡なのです。
水惑星だからといって必ず生命が発生するとはかぎりません。
しかし地球にあるとき小さな生命が誕生しました。これも奇跡です。
その小さな生命が数かぎりない試練を経て人間にまで至ったのも奇跡の連続です。
そしてその人間のなかにあなたがいるというのも奇跡です。
こうして何億何兆もの奇跡が積み重なった結果、あなたもわたしもいま、こうしてここにいるのです。
わたしたちがいる、いま生きているというだけでもうそれは奇跡の中の奇跡なのです。
こうして話をしたり、だれかと恋だの喧嘩だのをすること、それもそのひとつひとつが奇跡なのです。
人間は奇跡そのもの。人間の一挙手一投足も奇跡そのもの。
だから人間は生きなければなりません。

この番組を見て思いだしたことがある
以前ネットで紹介されていた助産師さんが書いた本で、
子宮内で受精卵が出来ること、その受精卵が正常に着床すること、子宮の中で臨月まで育つこと、そして出産。そのプロセスがどれほど奇跡なのか、ということが書かれていた。
ワタシも妊娠・出産を経て思うが、人ひとりがこの世に生まれてくるということは並大抵ならぬハードルをクリアしてきた結果なんや感じる。

生まれてからも今日このときまで生きてきて、様々な災いから逃れた結果生きているということなんよな
毎日TVから流れる悲しい事件や事故、それから災害や病で命を落とすことなく来たから今がある。それも奇跡の連続。
なかなか普段の生活では感じないことやけどね。

よくスピリチュアル系の本で「宇宙が私を応援している」だの「大いなる力に生かされてる」だの書いてあるけれど、ワタシはそれを読んでもイマヒトツ腑に落ちなかった
(だから野口嘉則・著「3つの真実」も一度読んだだけで本棚の肥しに…)。
あまりにも漠然としすぎてたし、目に見えない話はなかなかスッと入ってこない。

でも、この一節に触れて人類の進化を考えたとき。
チビ助を妊娠・出産したときのことを思い出したとき。
やっぱり人が今ここで生きていることって奇跡かもしれへんなぁ~と感じる
世の中いろんな人がいて自分にとって絶対許せない人も存在する中で、この節を受け入れるのは容易いことではないけれども。

ここ数ヶ月、自分のテーマを『自己肯定感・自尊心の向上』に掲げていたせいか
こういう情報がアンテナに触れやすくなっている
不思議なもんですなー。

ブログに書きたいこと山のようにあるのですが、
PCの前に座るとなぜかチビ助が怒るので、なかなかアウトプット出来ず
(現在チビ助昼寝中につき更新)。
ふぅ~、育児って大変ですね…。



本の虫

2010-06-15 13:07:18 | 徒然なる日々
昨日梅雨入りした東京。なのに今日は暑くて夏ですわ~

最近のマイブーム



それは読書

毎日毎日家で子供とふたりっきり、なかなか気分転換出来ません…
一番の気分転換は萌えなんですが(爆)。萌え神様がなかなかおりてきませんので
嗚呼、恋するような萌えよ来い!!(←無視して下さい)。

いや、そんな話じゃなくて
読書です
たまたまウチの近所に図書館があるもので、以前からよく借りに行ってました。
所蔵していない本はリクエストして取り寄せてもらったり、購入してもらったり。
(プロレスラー鈴木みのるの「風になれ」まで取り寄せたのはワタシ)。
妊娠中から無収入生活が続いているので、本屋で気になる本があれば控えて借りたりする節約でもあります。

そんなこんなで、しょっちゅう本借りてきて読んでいるんですが。
これがなかなか色んな世界に入り込めて楽しい♪。
写真にある千原ジュニアの著書は、芸人の世界ってこんなんなのかー。とか、芸人さんだからこその悩みってあるんやな、と知らない世界に迷い込めた。
今まで手にとったことのない作家さんたちの文章は、それは好き好きある中で「別の作品も読みたいなー」と思わせる作家さんに出会えると嬉しい
(綿矢りさや本多孝好がその典型だった)。

どうしても自己啓発や心の本・育児の本を手にとりやすい中、
こういう文学作品に触れて行くのは別世界に連れていってくれる良いツール。

家事育児に追われて、まとまった自分の時間がなかなかとれない中。
いつでも本を開けていつでも閉じることの出来る読書というのは、結構いいもんです。
チビ助を保育所に預けられて働いていられれば、また違う時間の過ごし方があったのだろうけど
今は家で過ごす運命で、その中じゃないと出来ないこともあって
そのひとつが読書だとチョットだけ前向きに考えようかと

桜ふたまわり振り

2010-04-04 09:55:36 | 徒然なる日々
台風のような風にも耐えて、週末東京は桜満開でした

             


去年チビ助が生まれた春、桜が咲いてた頃はドップリ育児生活中
花見どころか外出もしないで閉じこもっていたもんだから、約2年ぶりのソメイヨシノ再会
今年は近所の友人Oちゃん&御子息と連れだって、近所のお寺に花見に出かけた
ピンクの冠をかぶったようなお山のお寺。いつもは静かなのに沢山の人で賑わっていました。
見ごろを迎えた桜は豪華で美しく「これぞ日本の春!!」。愛でることが出来たとき、毎度「嗚呼日本人でよかったわ~」と思います。

今回はお寺の境内でお茶席をやっていたので、頂いてきました。
いや~桜の下で頂くおうすは格別。風流でしたわん♪。


この御近所主婦友達Oちゃん。ワタシが上京してきた数年前、東京で初めて出来た友人
目と鼻の先に住んでいることや、同じ職種の仕事をしていたり、一時期関西に住んでたこともあるOちゃんと関西出身のワタシetc。共通のことが非常に多く、何時間でも喋り倒せる仲のふたりだった。
そのOちゃんが出産をした1年後、ワタシもOちゃんが出産した同じ病院で出産。
これまた同じ男の子をもつ母親となり、共通の話題は事欠かず。不思議な御縁の友人なんですなー

そんな友と互いの子供を交えてのお花見。
桜にまつわるエトセトラは過去に数え切れぬほどあるけれど、こんな光景は数年前には想像だにしたなかったなぁ
人生何が起こるか本当にワカリマセン。むふっ