風薫海航空翔

カゼカオル・ウミワタル・ソラカケル Presented by 柊(syu)

NEXT GENERATIONじゃない、きっと

2012-05-20 10:14:21 | Weblog
もはや不定期更新になってしまいました、ウチのブログ…。ははは。
にもかかわらず、ご訪問ありがとうございますm(__)m。


ちょっと前の話ですが。
NHKの「SONGS」でやってた尾崎豊特集を録画して観ました。
没後20年…。
もうそんなに経つんだなぁ、とビックリ。

信者と呼ぶかどうかは置いておいて、私も10代の頃よく聞いていました。
CDも「十七歳の地図」「回帰線」「壊れた扉から」を持っていたし。
よくコピーしてギターで弾いてたなぁ。

ちょうどプロモーションビデオと呼ばれるものが、日本のミュージックシーンで始まった時代。
平日の夕方からやってた「MUSIC TOMATO JAPAN」だったっけ?。
アレを部活さぼって観てたものです。

その中で当時とてもインパクトに残ったのが、尾崎豊の「卒業」。
水の中でもがくシーンや松葉杖の不自由な姿、ラストで鏡の中の自分をギターで叩き割る演出が
見事に歌詞とマッチしていて強烈なインパクトを与えられたもんです。

私自身もかなり多感な時代。
今考えてみても、あまり社会性育成に役立つとは思えない校則や
軍隊みたいな規律を強いられる学校生活に、沢山不満を抱えていたもんですわ…。

大人になって、実際子供育てていると思うんですが。
周囲に自己肯定感をキチンと育んでくれる大人がいれば、きっとそういう苛立ちとか不信感とかっていう感情は自然消滅したんだろうって。
でもそうじゃなかった環境にいると、やっぱりOZAKIは自分たちの代弁者だったんですよね。
信じられぬ大人しかいないと。

彼が麻薬で逮捕された事件のときもよく覚えているし、
彼が早すぎる死を迎えた日のことも、今でもよく覚えています。
その衝撃とか、人が死ぬって一体何なんだろう、って思ったこととか。

今この年齢で改めて尾崎豊の歌を聞くと
そのメッセージ性よりも、散りばめられた歌詞の素晴らしさに驚かされました。
人生経験の少ない高校生が書ける歌詞じゃないよ。
これを10代で書いたとは…。
やっぱこの人、天才だったんやねぇ。


同じ時期によく聞いてたチェッカーズの歌で、「NEXT GENERATION」っていうのがあって。
(正しくはチェッカーズじゃなくて、Cute Beat Club Bandですが。中身は同じ人たち)。
その歌詞の中に「僕らはいつもその後の世代」っていうのがあんですわ。

偉大なるビートルズもオールディーズもウッドストックも。
様々な時代を動かした音楽全て、それが自分たちの世代より上のひとたちだけが経験して
自分たちの世代は「いつもその後の世代」っていう意味なんだけど。
それって私も10代の頃、いつも感じていたジレンマでした。

音楽を好きになって、洋邦問わず聴き漁るようになったんだけど。
でも結局素晴らしい楽曲は全て、自分が生まれる前だったり興味を持つ前だったりして。
本当はその時代に共に生きて、共に感動を味わってみたかった。

余談ですが、ウチのお舅さんはビートルズの来日公演に参加した観客のひとりでして。
その話聞いたときにゃ、羨ましくて羨ましくて…。
(でも感想は一言「テレビの方がよく観えた」にズッコケましたが)。
いわゆる時代の生き証人ってヤツです。

そういう「僕らはいつもその後の世代」感が、10代のときが私の中にずっとあったのは事実。

でもね、今回のOZAKIの特集を観て。
「ああ、私はもうその後の世代なんかじゃないんやなぁ」って思えたんです。

後にも先にも、尾崎豊というカリスマは彼以外もう存在しない。
あの時代だったからこそ、存在したひと。
その始まりと終焉を、同じ時代で見届けたっていう感覚が私にもある。

OZAKIだけじゃなくて、ソニーミュージックの台頭とかバンドブームとか小室哲也とか。
もっともっと沢山、その時代にしか存在しなかった素晴らしい音楽シーンをいっぱい観てきたんやな、私、って。

私の時代にビートルズはいなかったけど。
それでも確実にそこに伝説の音楽はあったんやなぁ、なんて。
だから「その後の世代」じゃない、きっと。

最近オッサンホイホイ的なYouTubeばかり観てしまうオバサン世代ですが
あの頃しっかり良い音楽沢山聞いてて良かった、と思うこの頃です。