風薫海航空翔

カゼカオル・ウミワタル・ソラカケル Presented by 柊(syu)

友という財産

2010-11-19 22:39:26 | 徒然なる日々
某日。ワタシの高校時代の友人たちが関西から遊びに来てくれた

大阪から夜行バス→舞浜に朝到着→そのまま開園時間からディズニーシーで遊ぶ→その日の夜に予行バスで帰阪。
という「水曜どうでしょう」のサイコロの旅のようなハードスケジュールでやってきてくれました
みんな体力あるヤングだぜっ!!
ちゅー訳でチビ助を旦那にまかして、ワタシもディズニーシーで一緒に遊ぶことに。
ディズニーシー…というよりディズニーランド自体約20年ぶりぐらいじゃないか?。
東京に住んでても行かんやつは行かんのだ

そのお初ディズニーシーにて高校時代の友人たちと現地集合。
卒業して約20年…みんなぜんっぜん変わってないやん!!!!
いやいや、確かに歳はとって30代後半やからワタシも含めてみんな多少のアレはあるものの。
雰囲気や喋り方が変わってないのだ。
みんなで喋っている時の会話の回り方や話す立ち位置が、制服をきて教室で話していた頃となんだ変わらんのだ

あの頃。
今となっては毎日どうでもいい話ばかりしていたように思う
箸が転んでもおかしい年頃、とよく言ったもので。
楠田江里子や三原じゅん子の物真似だけで笑い転げていた。
修学旅行に行けばTMネットワークオンステージをしたり(やったのはワタシだが)。
『想い出に変わるまで』の松下由紀に本気で怒ってみたり。
仲間内の誰かが男の子に告白されて大騒ぎしてみたり。
体育祭で使う壁画を夢中で作ったり…。

ワタシ自身、小・中学校にいい思い出がほとんど無くて。高校卒業後進学した職業訓練校は楽しいこともあったけどしんどいことも多かったので、あの頃の仲間はドッチかというと「戦友」に近い存在だった。
だから純粋に楽しい思い出が多くて、学生という身分を満喫出来たのは高校だけだったように思う。
幸い母校は今考えると非常にゆる~い学校で、授業サボって喫茶店でお茶しててもお咎めがなかったような(笑)。

だから今回久しぶりに高校時代の友人たちと集まったとき、まるでタイムマシーンに乗ってあのころに戻ったような錯覚に陥った
思い出話に花が咲き、え!?そんなことあった??とワタシが忘れているような話や、あーっ!!あったあったそんなこと!!と記憶の引き出しがン10年ぶりに開くこともあったり。
話しても話してもシャベリタランティーノ(←死語)だった。

つくづく。ワタシはいい高校時代を過ごしたんやなぁと思った
いい友人に恵まれ楽しい時間を過ごした。
決してあの頃悩みがなかった訳ではない。むしろ悩みだらけやったように思う。
つまづいたことも沢山あった。
それでも今こうして何もかもが懐かしく輝いて見える、時間のマジックなんやろうかなぁと
だとすれば今自分が抱えている悩みも、何年かすれば同じように振り返れる日がくるのかもしれない。

それと。
考えてみれば高校時代に限らず、数は多くないけど長い付き合いの友人がワタシにはいる。
とんでもなくアホな話が出来る友人もいれば、涙を流しながら胸の内を告白出来る友人もいる。
年金もらう年齢になっても一緒に飲みに行こうな~と思う友人だっている。
愚痴を言い合える友人もいる。
当たり前ではなく、それは財産なんやと心の底から思えた。
もしかしたら人生って素晴らしいのかもしれないな…

ニューミュージックと呼んでいた時代

2010-11-09 14:59:14 | ハマリもの
久々更新どす

チビ助が奇跡のように保育所に入れました
認可保育所の申し込みに行ったら役所で門前払いに合い、認証保育所も50人待ちと言われ諦めていたんですが。
4年保育をしている幼稚園に最後の望みをかけて受験→撃沈。
ダメもとで近所の認証保育所に待機をかけたら、1週間前に1歳児に空きが出ましたと
うーん、まさに捨てる神あれば拾う神ありき
今は慣らし保育中で、ワタシの仕事も来月から(の予定)なんでチョットうちでゆっくりひとり時間させてもらえてます。
目下、病児保育の登録にも勤しんでますが。

ところで最近我が家でブームとなっているものがあります。

稲垣潤一「SUPER BEST COLLECTION 」

まだ「Jポップ」という言葉がなく「ニューミュージック」と呼んでいたあの時代。
ワタシも80年代後半から90年代初頭は多感な中学生高校生の真っ最中。
「GB」だの「ベストヒット」だの「シンプジャーナル」だの…音楽雑誌を少ない小遣いから買って読んでましたよ
「PaTi-PaTi」もたまに買ってたなぁ。
「シンプ」は硬派な音楽雑誌で、「ベストヒット」や「PaTi-PaTi」は中高生向けって印象。

今もあの時代のミュージックシーンを鮮やかに思い出せる。
大好きだったアルフィーがTOKYO BAY-AREAで前代未聞の10万人コンサートを成功させて。
チェッカーズが自分たちでオリジナルソングをリリースし始めた。
尾崎豊はまだ生きていて、浜田省吾の「J-BOY」、サザンの「KAMAKURA」、ユーミンの「DADIDA」。
TMネットワークが「GET WILD」でカッコよくヒット飛ばして。
HOUND DOGのPVはいつも凝った創りで楽しかったし。
中村あゆみや渡辺美里が圧倒的な存在感で出てきた頃。
日清カップヌードルのCMソングはいつも素敵な曲ばかり…。

アカン、語りだしたらキリがない(笑)。

そんな当時、稲垣潤一はワタシにとってまだまだ「大人の聴くアーティスト」だった
杉山清貴と同じ位置やったんよね。
だから当時はあまり熱心に聴いた覚えはなかった。
ただ、ドラムを叩きながら歌うというスタイルがかなり衝撃でした
しかもバンドじゃなくソロシンガーで(バンドならCCBがいたので)。

そうそう、あの当時のワタシの衝撃と言えば
・CCBの渡辺クンが弾いてたヘッドのないベース
・布袋ちゃんのギターの奇抜なデザイン
・バビーボーイズのツインボーカルというスタイル
・かつ、ソプラノサックスをボーカルが持っているというスタイル

アカン、これも語りだしたらキリない(笑)。

話をもとに戻して

なもんで、「クリスマスキャロルが流れるころには」ぐらいしかちゃんと聴いたことのなかった稲垣潤一。
たまたま相方が「夏のクラクション」をYouTubeで聴いてからハマり
CDを借りてきて一緒に聴いたら、うーーーーーんっ!!なんかめっちゃええやん!!
ニューミュージックと呼ばれなくなってからン十年、大人になった自分にすごくスイング

「1ダースの言い訳」や「思い出のビーチクラブ」「1969の片思い」みたいなポップな曲も非常に素敵なんですが
個人的には「ドラマティックレイン」のような哀愁漂う雰囲気がツボです
この方ずっとシンガーソングライターだと思っていたけど、ほとんどが提供曲で生粋のシンガーだったのもビックリ。

そしてこのCDについていたライナーノートが読み応えありました!!。
稲垣潤一のそれぞれの曲の背景と共に、ワタシが大人になる前に過ごした時代。
テレフォンカードや留守番電話が登場した話とか「ああそうやったなぁ」とタイムマシーンに乗ったかのような気持ちにさせてくれる。
なんかとってもいい文章やなあ、と思って読んでたら書いてたのが『サエキけんぞう』。
おおーっこの人ってあの頃シンプジャーナルでみたような??。
そんなところでも懐かしい気持ちで溢れた贅沢なCDでした