風薫海航空翔

カゼカオル・ウミワタル・ソラカケル Presented by 柊(syu)

鬼嫁薬局

2005-07-29 13:49:19 | グッジョブ!
ある日、本屋でパラパラ立ち読みしてたら意外に面白そうで購入してしまった、北斗晶(ほくとあきら)・著「鬼嫁薬局」(フィールドワイ発行・933円)。
「旦那の2度の無職状態を乗り越えた鬼嫁・北斗晶による言葉の薬がここに!」
「リストラや失業で落ち込む旦那を持つ奥様の悩み解消」
というコピーつき。なかなか読みやすい文章で1時間ぐらいで読み終えた。

北斗晶は、元女子プロレスラー。最近バラエティー番組に引っ張りダコなので、見たことのある人も多いかもしれない。派手な格好とプロレスラーの旦那に対する鬼嫁ぶりと裏腹に、人の良さそうなタレ目がなんとも愛嬌のある人。でも現役時代は、「女・猪木」と呼ばれるぐらいカリスマ性のある一時代を築いたレスラーだった。女子プロレスを見ない私でも、その存在は知ってたし人気のあるレスラーだった。なので、その絶頂期に現在の夫・佐々木健介と結婚したときにゃ~驚いた(@o@)。
佐々木健介というレスラーは、その当時私の中では「強いけど本当の強さはない、どっか野暮ったい垢抜けない一流になれないレスラー」という存在だった。なので超がつくほど一流の北斗晶との日本初・現役レスラー同士の結婚にはビックリしたなあ。(ボロクソ言うて・・・ごめんね健介)。
その後健介は当時所属していた新日本プロレスでチャンピオンの座まで登りつめ頂点を極めたものの、色々な事情で表舞台から姿を消す。「鬼嫁薬局」はその不遇の時代の夫を妻として・マネージャーとして支え、最終的には夫・健介の表舞台へ復帰・プロレス大賞受賞という復活までの舞台裏を描いた夫婦愛のドキュメント。「内助の功」なんて甘ったるい話ではない。むしろ「鬼嫁」となった妻のスパルタな夫再生計画である!。

とは言え、特別な夫婦の話ではない。どこの夫婦でも起こりうる、「ダンナのリストラ」「転職」「金銭的危機」に対して北斗晶が嫁の立場でどのように工夫して成功したかが述べられている。旦那がいかに生き生きと過ごしているか、それが家庭の幸せなんだ、と北斗晶は言う。その旦那を支えてあげるのは嫁である自分しかいない。

旦那には「好きな仕事を楽しくやってもらう」、それが鬼嫁から伝授する亭主改造計画の基本です。
お金のために旦那を働かせるんじゃなくて、家族の幸せのために旦那に元気になったもらうことが、結局お金につながるんです。
(「鬼嫁薬局」より抜粋)

なんかとても古典的な夫婦の姿で、今の若い世代の夫婦観とはちょっと違うように思う。でも邪心のある損得勘定すれば、北斗晶のいうところは正論やなあ、と思った。それと・・・世間では「鬼嫁」と呼ばれる北斗晶。元レスラーらしく竹刀で旦那を追いたてたり、旦那に「だからオメェはダメなんだよ!」と怒鳴ってみたり。でも、この本を読み終わると、その行動が全て感情的ではなく旦那・健介への愛情でいっぱいなんだなあ~、と見方が変った。ただ優しいだけでは乗り越えられない危機もある。旦那が生き生きと仕事をするために、あえて自分が鬼になる。どれほどこの夫婦がお互いを大切に考えているか、とってもよくわかる
あと4ケ月もすれば、私も「嫁」という肩書きがつく身。とても参考になる1冊でした

地震不感症?

2005-07-23 21:31:58 | TOKYO生活
本日夕方。ボケーッと歩いてたらケイタイのメール着信音。内容は「大きな地震があったけど、大丈夫?」へっ?地震なんてあったの??。そう言えば、さっき交差点で信号待ちしてたときに「あらっ、なんかフラフラする。立ちくらみかなぁ?」なんて呑気に思ったのがそうだった?。帰ってきてTVつけたら、けっこうな震度だったみたいで。鈍感ですなあ~
地震に対して鈍感なのは、今に始まったことではない。家族が起きるような地震があっても、夜中であれば私は全く知らずに眠ってた。朝になって「夜中の地震凄かった」といわれても、へっ?地震?だったし。
あの阪神大震災のときはさすがに目が覚めた。冷蔵庫の上のオーブントースターが転げ落ち、建物が潰れるんじゃないかと思うほど激しい揺れだった。幸い震源地から離れてたので被害はなかったので幸い。時計を見て「こんな早朝に地震で起こされた!」と二度寝したのを覚えてる・・・。(そのときは神戸の惨状なんて予想も出来なかったし)。あの頃も地震に対して気持ちが鈍感だったのね

上京してきてビックリしたのが、この地震の多さ。東京では日常茶飯事に地震が起こる。関西は地震が少なくて滅多に揺れなかった。よく「笑っていいとも!」や、東京のスタジオから生放送の番組で「今揺れてますねー」なんてやってるのを関西で見てて「へー、東京って地震多いねんなあ」なんて思ってたけど。住んでみると実際本当に多い。酷いときには1ケ月に1回ぐらい体感地震があるように思う。最初は怖かったけど、最近はすっかり慣れて「あー、また揺れてる」程度になった。この「慣れ」がまた怖いのかもしれない。今日も首都圏電車が一斉に止まって、交通網が麻痺していたのを見ると違った怖さを感じる。備えあれば憂いなし、なんだけど二次的な恐怖はどうようもないなあ・・・。
  

琉球の風

2005-07-20 21:23:38 | TOKYO生活
友人Tに誘われて、六本木の沖縄居酒屋「島唄楽園」へ。目的は沖縄・久高島の酋長さんという方のライブ♪。
「島唄楽園」は六本木の駅のすぐ側・六本木交差点に面してある、なかなか便利な立地条件。多分普通の居酒屋と同じぐらい広さなんだろうけど、この日は満員御礼どころか立ち見も出るギューギュー満員電車状態!。ひぇーっ!!(^^;)。友人Tが事前に予約してくれてたおかげで、なんとか座って沖縄料理食べながらのライブでした(偉いぞ!友人T!)。
その満員電車並みのお客さん、みんな「酋長さん」目当て。この方は、沖縄本島南部の知念半島沖5kmに浮かぶ久高島という小さな島の名物オジイ。久高島は日本でも数少なくなってきたホンモノの聖地でその昔、琉球の神・アマミキヨが降臨した島として今でも「神の島」と呼ばれています。私も沖縄に行くたびに立ち寄ってますが、一言では説明できないんだけど、なんだかとっても不思議な島。毎度立ち寄る割にはこの名物オジイに会ったことがなくて・・・。GWに友人Tが久高島を訪れた際に「酋長さん」と知り合いになったご縁で、こうして私もライブへ来れました。
「酋長さん」はとっても不思議なオジイで、顔は沖縄特有のパーツで着ている着物の柄も沖縄なんだけど。長く伸びた白い顎鬚や、頭頂できっちりまとめられた髪だとか動きを見ていると、昔よく見た北海道土産のアイヌ人形みたい。オヤジギャグ(オジイギャグ?)を連発しながらも、その唄は引きつけられるものがありました。
六本木のど真ん中で聴く島唄は、脊髄まで染み渡るような旋律でした。半音上がりの音階や哀愁を帯びた旋律や、少しこもった音の三線が、心の奥深くまで染みこんでくるような。琉球の唄は大好きやわ~♪。
唯一心残りは、お腹を壊していたので大好きな泡盛を我慢。延々さんぴん茶だったので、次回こそ久米仙・八重仙(ええ、安い泡盛の方が好きなんですわ~)で海ブドウつまみに、琉球の風を満喫したいでござる~。

Heavenly Blue

2005-07-19 10:24:57 | 旅たびたび
所用で盛岡に行ってました。昼間の暑さは東京とあまり変らなかったけど、朝晩の涼しさは東京にはないもので。夜は気持ちよく眠ることが出来ました。
                                    
前回盛岡に行ったとき病み付きになった、八幡平にある後生掛温泉へ今回もGO!。途中八幡平の頂上付近で、道端にニッコウキスゲが咲いているのを発見。その脇が遊歩道になっていたので、車を止めて歩いてみました。すると・・・あるわあるわ、高山植物の花がウヨウヨ咲いている!。野生の花の名前には疎いのでよくわからないけれど、力強く咲いている花々は素敵でした。
先ほど道端で発見したニッコウキスゲも、遊歩道沿いにいくつも咲いていて・・・。このニッコウキスゲ、初めてみたのは2年前の北海道放浪のときで知床に近い別海町・尾岱沼のトドワラへ向かう道でした。北海道では「エゾカンゾウ」という呼び名。黄色いラッパ状の花をつけるエゾカンゾウと、紫紅色のハマナスがまるで競演しているかのごとく咲き乱れている景色を今でもよく覚えています。あのときと同じように、八幡平でもエゾカンゾウ、ではなくニッコウキスゲ(どっちも一緒やけど^^;)に巡りあえたのはとても嬉しかった。太陽の光を浴びて、まるでパールラメをメイクしたようにキラキラ輝いている花弁。たくさんのエネルギーが詰まっているようなお花です。(このエゾカンゾウ、バッチフラワーレメディのミムラスという花に似ているんだなあ・・・)

遊歩道のゴールには、一面のワタスゲと遠慮がちに咲くニッコウキスゲのお花畑が。空の青・湿原と森の緑・ワタスゲの白・ニッコウキスゲの黄色、自然の色の見事なアートが広がっていました。ああ・・・、天国ってきっとこういうところなんやろうなあ。よく臨死体験した人が一面のお花畑があったって言うし。青い空の下、広がる湿原の上には風にまかせてユラユラ揺れているお花たち。絶え間ない鳥の声。頭上を流れる白い雲と、ひんやりした山頂の風。この世にも天国に近い場所ってあるんですねー。

サヨナラ大好きな人

2005-07-11 21:19:12 | Weblog
             
大好きな人が急逝しました。

今日の夕方、たまたま開けたネット画面の小さなニュースコーナーに「プロレスの橋本真也死去」の文字が。え?嘘でしょ?とクリックすると、橋本の死亡記事が。本日午前10時、横浜の病院で脳幹部出血のため亡くなったと。目の前から色がなくなっていって、頭が真っ白になりました。

プロレスを好きになって見始めた頃、橋本真也は新日本プロレスに君臨するIWGPチャンピオンだった。強かった。本当に強かった。大好きだった。白いハチマキを巻いて強い光を宿した瞳で、多分どのプロレスラーよりも格好いい入場シーンを何度も何度も見せてくれた。入場シーンだけでアドレナリンは全開。東京ドームの長い花道を歩いてくる、ただそれだけの入場シーンでも会場のテンションはいつも最高潮だった。IWGPの防衛戦はいつもワクワクしたし、試合が始まれば我を忘れて応援していた。若手選手と対戦すれば、相手のいいところを存分に引っ張り出してくれる優しさがあった。その反面、鬼のように怖い試合をすることもあったなあ(IWGPを藤波辰巳から奪還した福岡ドームの試合とか)。一度だけ握手をしてもらったことがあった。芯の強い瞳でしっかりと目をあわて、大きな手で握手してくれた。大好きなレスラーだった。


レスラーが亡くなるたびにやりきれない。だけど、今回ほどやりきれないことはない。まだ40歳だった。あの強かった橋本が一瞬のうちに死んでしまった、という心にポッカリと埋められない穴が開いた。どこでどう間違えてこんな運命をたどってしまったんだろう。悲しいとかショックとか、そんな簡単な言葉では表現できない。もうあの入場も、水面蹴りも垂直落下式DDTも見れないのかと思うと辛くて仕方ない。
ただ、橋本真也が私に、いやいや、私たちプロレスファンに与えてくれたもの全てに感謝したい。貴方が残した全てに感謝したい。
橋本真也、本当にありがとう、と。
そしてサヨナラ大好きな人。