だんなっちょんのブログ

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甲斐性無しの二児の父

4月2日日記 タトゥー

2012-04-03 08:42:18 | 生活漫談
タトゥーという言い回しでソフトにしてはいるが
俺から言わせて貰えば、入れ墨には変わりようがない。
と言うのは古い人間の考え方になるのだろうか。
まさに理解できぬ。

ファッションじゃなく「決意表明」

そもそもなぜ決意表明「とやら」で体に彫り物をしなくてはならぬのだ。その辺から心の弱さと能力の無さを感じる。上の記事に出てきている女性達はおそらく心が非常に弱く、何かにすがらないと生きていけない精神的に弱いタイプなのだろう。家族や友達や恋人と信頼できる関係を構築できているのなら、おそらく彫りモノなんかして「決意表明」だの言い出すことはないだろう。
普段心の底から信頼することが出来る相手もいなければ、信頼されることもないのだろう。だからこういう彫り物などの偶像崇拝めいたものに頼り「決意表明」という、恰も根性入ってますよ的な表現を使って一生懸命現実逃避する。

よく珍走団が仏教の法典に用いられるような四字熟語や慣用句を使うことがあるが、それと同じ理屈。親や社会が自分を嫌っていることを分かっているからこそ、自分を虐げる社会や大人に対して神や仏は平等に天罰を与えて「くれるだろう」、自分には平等に接して「くれるだろう」という願望が強く湧いてくる。そこで仏や神のメッセージを用い、傍に置くことで自分が忌み嫌う現代社会から逸脱し、あたかも自分は神や仏の悟りの境地にまで至っているという気持ちに「なろう」と現実逃避しているのだ。

カルト宗教に嵌りやすい人は、人間関係に苦しみ、精神的に病んで縋る人が居ない人が多いと聞くがそれと同じ理屈だろう。結局人間関係がうまく構築できてない人は神や仏の言葉にどうしてもすがりたくなってしまうのだろう。その気持ちは分からんでもない。

そもそもまともな精神構造をしていれば、タトゥーをすることに対するリスクコントロールが働き「していいもんじゃない」と思いだすのが普通の流れだと思うんだが。親を大事に思っていれば、親から授かった体に傷を入れることに対する罪意識は誰にでも湧くはず。それすらも湧かないんだから単純に精神的に未熟。例え親がどんなにクズであっても18歳も過ぎれば幾らかの感謝の気持ちが湧いてきて然るべきだろう。俺も16歳までは心底親を憎んだものだが、「なんだかんだで食わせてもらって、寝る場所も与えてくれる」という点に気が付くと勝手に憎悪は薄れていった。

周りからどう見られるかという分析能力も信じられないほど無い。
タトゥーをする人の動機の大半が「自分がやりたいから」とか「芸能人もやってるから」「かわいい・かっこいいから」という本能の赴くままの猿以下の内容ばかりで中身が全くない。
彫ったことによって、世間や親にどう判断されるのかさえも考えられない。余計に自分の居場所を縮めるばかりなのである。
どんなに若いうちにアホやっても最後は襟首整えて礼儀正しくしないと生きていけないのが大人の社会なのである。まるっきりそれに順応しようとする意思が見えておらず、好き勝手生きて生きたいという身勝手な人間性しかタトゥーからは感じ取れない。まぁタトゥーの仕事なら十分理解してもらえるだろうが、かたぎの仕事にタトゥーして「決意表明です」なんていって通用するかって話である。

そもそも何が決意表明なのだか。成功者のミュージシャンなどで彫り物をしている人は無論たくさんいるが、彼らはその世界に身を投じた時からずっと彫り物があったわけでもなかろう、下積みをしっかりして周りの評価を集めて認められてチャンスをモノにして一つ一つスキルアップしていった人が殆どだろう。憶測には過ぎぬがおそらくハナからタトゥーまみれで成功した芸能人などは殆どいないだろう。
芸能界という異質の環境を一般ピーポーの能無しのアホが「○○だってやってるもん!」と同一化することにも無理がある。まともな大人はまず向き合って貰えない。その辺のリスクコントロールがまるっきり出来ないことに失笑を覚えるばかりだ。余計自分を追い込んでいることになぜ気が付かないのだろうか。

友人の友人の話になるのだが、大好きな彼氏が出来て彼氏の名前とIloveyou的な熱いメッセージ入りのタトゥーを股に入れた女がいるらしいが、それを見た瞬間に彼氏がドンビキしてしまって振られてしまったらしい。当然彼女は号泣。一体タトゥーどうすんだろうねって話。
愛や恋をタトゥーなんかで頼ろうとするから、そもそもダメだし
だいたい恋愛なんか若いうちは幾らでも別れ・振られることはあるっていうのにその辺のことちょっと考えることさえ出来なかったのかよ・・って話なのである。

彼ら・彼女らは決意表明を自分でして居るわけではなく、ただ彫って決意表明をタトゥーに「任せている」だけなのだ。自分の意思は実は薄くタトゥーに神がかり的な力か何かが宿って自分を勝手に助けてくれると思い込んでいるだけに過ぎない。
さしずめ「神様仏様タトゥー様」といったところか。