球団マスコットの先駆者、島野修さん死去(読売新聞) - goo ニュース
巨人、阪急(現オリックス)の元投手で、引退後はオリックスのマスコット「ネッピー」役などで人気を集めた島野修(しまの・おさむ)さんが、脳出血のため、8日に兵庫県内の病院で死去していたことが分かった。
59歳。10日に親族による密葬を済ませた。
島野さんは1969年、神奈川・武相高からドラフト1位で巨人に入団。76年に阪急に移籍し、79年に退団した。通算成績は24試合で1勝4敗、防御率5・05。
現役引退後は、球団マスコットの先駆者として球界に貢献。阪急で「ブレービー」、オリックスでは「ネッピー」としてファンサービスに尽力し、96年には“通算1000試合”を達成。
98年に辞めるまで主催試合では1日も休まず、18年間、1175試合で選手とファンのパイプ役を演じてきた。
「(巨人)ドラフト1位の島野、今ではピエロ」
そんな心ない記事が載ったせいか、球場で自分にヤジを飛ばされたという。
島野修さんが現役を引退し、阪急のマスコット「ブレービー」の中に入って間もない頃である。
一時期ものすごく悩んだけれど、
「ブレービーが楽しかったね」という親子の会話を聞いて迷いが吹っ切れたという。
それからの活躍は、皆様ご存じのとおりだ。
島野さんの一番の功績は、単なる「お飾り」でしかなかったマスコットを、キャラクターにまで進化させたことだろう。
そのために涙ぐましい努力があったと聞く。
その努力が実って、今ではどの球団マスコット担当者も、
「島野さんのネッピーのようになりたい」
と尊敬されるほどになった。
プロで1勝しかできなかった男、マスコットで金字塔を打ち立てる。
やっぱりこういう人がいないと、プロ野球というのは面白くない。
ご冥福をお祈りします。