逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

祝!「菊池城炎上崩壊」5年前のkikulogから見る9・11陰謀論考

2012年07月25日 | 9・11事件と情報操作

『御用=権力(権威)との癒着構造』

菊池誠(kikulog)の不思議な話は、日本人独特の権力との一体構造を肯定する精神の問題が一番大きいでしょう。
普通の外国では『権力』(権威)と、我々一般市民の利害は『対立する』と考えられているのですが、『和を持って尊しとする』我が日本国では『権力(権威)崇拝』とも思える不思議な現象が聖徳太子の大昔から現在まで、一貫して変わることなく続いているのです。
今回の記事では学者のいわゆる『御用』問題を取り上げているのですが、去年の3・11大震災以前では権威や地位や名誉ある存在が、善良な人々に無条件に信頼されているのですね。
世界的に例がなく実に珍しい『権威あるものが(ばれた時に恥ずかしいから)真っ赤な嘘はつかない』と心底信じる不思議な菊池誠を教祖とする『科学教』が我が国に存在していた。
何とも不名誉な話である。
世間一般の、御用学者に対する信頼感は抜群だったのである。
人々は少しも疑っていなかった。
この日本国の『御用』構造は菊池誠のような悪質な御用学者の存在だけが問題ではなくて、話はより深刻であり病巣の根が深い。
菊池誠など御用学者だけでは、『御用』は成立しないのです。
それを取り巻く大勢の一般市民層からなる『御用信者の群れ』が絶対必要条件なのですよ。
『権威は無条件で信用できる』が、これらの御用信者の最も大切な教義なのであるが、地位や権威、名誉の言葉を『権力』とか『利権』と置き換えれば、ことの本質はもっと判りやすいでしょう。
既存の権威の崇拝とは『権力志向』のことであり、地位や名誉は『利権構造』でもあるのですね。
『御用』とは、利権漁りでもあるのですが、本質的には権力への精神的な屈服であると考えると問題の核心部分が分かりやすいでしょう。

『世界一の権威(アメリカ)に対する根本的誤解』

圧倒的な軍事力や政治・経済力を持っているので幻惑されアメリカの真の姿を見間違うが、実は本当のアメリカの力の源泉は、新聞やテレビや出版などマスメディアの情報発信力だけではなくてハリウッド映画やディズニーランド、ジャズやロック音楽などを含む総合的なアメリカ文化の発信力であり、宣伝広報など情報戦の飛びぬけた力量なのである。
アメリカ文化のグローバル化は古代ローマ帝国と同じ戦略であるが、当たり前ですが昔とは雲泥の差で現代のアメリカではとんでもなく技術が進歩している。
それにしてもアポロ映像を丸々信じている科学教(kikulog)のお馬鹿連中ですがネットウョの歴史修正主義と五十歩百歩。まったく当時の様子を知らないのです。
完璧にプロパガンダを『真実である』と誤解している。
全てのプロパガンダは『全部が嘘』ではなくて、一部分嘘が混じっているだけなのですね。
プロパガンダとは何も特別なものではなくて、政治的な『コマーシャルである』と考えれば、誰にでもその本質が分かりやすいでしょう。
プロパガンダとは化粧品のコマーシャルと同じ構造であり小さな真実の度外れた拡大解釈、誇張なのです。
1960年代はアメリカは世界中の金の8割近くを所有する並外れた世界一の超大国だったので紙切れのドル紙幣が『金である』と世界中に信じ込ませた。
当時のアメリカは、何事も『世界一』でないと絶対に納得せず、無理やり自分の言い分を通す。
ところが宇宙開発だけは総合的な国力が格段に落ちるソ連に10年以上も負け続け、常に二番手に甘んじる屈辱を味わう。
これでは『何でも世界一』のアメリカの面子が許さない。
アポロ11号とは9回裏2死からの代打逆転満塁ホームランのような今までの流れとは全く違う話であったが、当時のアメリカは『何でも世界一』でないと絶対駄目で、黒でも白だと主張して無理やり押し通した。
無茶苦茶な『ごり押し』にも程がある馬鹿話ですが、アポロ当時何十年もの長い間、強引に世界一の大河はアメリカのミシシッピー川であると主張して、有無を言わさず世界中に認めさせる。
何しろアメリカは並外れた世界一の情報宣伝力を持っていた『最高権威』だったので当然だったのある。
『間違いだ』とは判っているが、誰も逆らえない。
小学生の時にアメリカの無理筋の『世界一』に気が付き、父親に聞くと『アメリカが天下を取ったからである。もしも中国の天下なら今頃は揚子江が世界一の大河になっている。』
私の父親は小学生時代に教師が授業で『金属は比重が1以上なので必ず水に沈む』といえば、『金属ナトリウム片は水に浮きます』と反論するような歩く迷惑のような人物。(これは『ひっかけ』でナトリウムは水と激しく反応するので小片なら必ず浮く現象を知らなかったらしい)
明治大正時代の教師はとんでもなく権威を持ていて、恥をかかされたこの教師はその後私の父を徹底的にイジメたらしく、根性が曲がった困った性格の人物に育つが身内にとってはなはだ迷惑な話である。

『5年前のkikulog考(陰謀仮説)』

菊池誠大阪大学物理学教授のkikulogに、『理学部大学院中退して、オウムに行くのではなく地学教師になった』SeaMountさんが9・11陰謀論仮説で会話を試みたが、ニセ科学批判が看板の菊池誠(kikulog)の中身が、すさまじい 『レッテル貼り科学』であることを証明してしまう。
当時のkikulogのコメント欄は菊池本人や信者たちの非科学的な当てこすりとか誹謗中傷が殆どであり、到底正常な大人の常識が通じない異次元の別世界であった。
kikulogの集団吊るし上げ状態にも臆せず科学的な会話を試みたSeaMountさんの努力と忍耐力にはただただ敬服するばかりである。
理不尽な艱難辛苦の連続に耐える様は驚くばかりで、私には到底真似が出来ないことなので頭が下がる思いである。

〔kikulog2007/9/12のSeaMountさんのコメント〕
【おっちょこちょいのおしゃべり男】
このサイトは、「ニセ科学」を扱うものらしいです。そして、それと同等のものとして「陰謀論」も扱っているようです。
「陰謀論」には確かに「ニセモノ」も多いかと思います。
しかし、それが「ニセモノ」であることを、きちんと論証しようとするものではなく、「陰謀論」とレッテルを貼れば、ほとんど自動的に「ニセモノ」とされるように思わされました。
そうであるなら、私にとっては、参加しても意味がないことになります。どうしてこのサイトに関わったのか、繰り返しになりますが、その最初の経緯だけまとめさせていただきます。

その前提としては、私自身がどんな人間かということがあります。それが、上の小見出しなのですが、私は、小さなころから、親などによく「おっちょこちょい」と言われました。また、小学生の時には、(どっかの生徒のように、)授業中よくおしゃべりして、先生に「おしゃべり大王」という“レッテル”を貼られ、口にセロハンテープも貼られました。(^^;)

最初、ここを見に来たとき、物理学者としての見解よりも社会人の常識とやらを優先しているようで、違和感を感じました。
しかし、せっかくだからとその点を書き込みました。
そして、科学者であるなら、社会人の常識もいいが、科学の進歩はそこからは生まれないということで、前回まとめた菊池先生による辞職勧告の理由の3に対する反論の内容、突飛な仮説から革命的な進歩が生まれることを、ウェゲナーの大陸移動説を例として紹介し、アポロが月に行っていないという説は否定するが、いくつもの謎があるため、9.11テロについては、陰謀があったという仮説を持っているという私の見解を生徒に紹介したことも書きました。
そしたら、いきなり、「誇大妄想」とか「陰謀論者は想像力が足りない」とか「地学の教師としてハズカシすぎる!」とかの、レッテル貼り、決めつけ、罵倒が返ってきました。

私は、この時点で、撤退するつもりで、上のことについて、自分のブログで議論する用意はあるが、もうここには書かないだろうということを述べました。しかし、私のブログを見にいった人から、《アポロ陰謀論を信奉している「理数系」の教師》がいるという、ある先生について誤解した書き込みがありました。これはまずいと思い、その誤解を解く書き込みをし、それでやめておけば良かったのですが、次のようなことも書いてしまったのです。この前に、言われた言葉への反発がそうさせたのかもしれません。

(kikulogはその後、
『WTC2の疑問:鉄骨軟化による自重崩壊か、それとも制御解体か』のコメントが続くが、菊池誠教祖御大から次のコメントが入る。)

>『そして、もうひとつ。ずっと上のほうでSeaMountさんに伺った質問の回答をいただいていない気がします
>理数系の方々なら、下記ぐらいの議論をくり拡げていただくといいかと思います
とまでおっしゃるくらいですから、FEMAやNISTの報告書はもちろんお読みなのですよね。
それでもなお、制御解体にシンパシーを感じられるとすれば、その理由はまさか「自由落下だから」だけということはないでしょうね。』(きくちまこと)

それに対して、
『乗りかかってしまった船なので、お答えさせていただきます。』
と始めてしまったのです。
物理学者が主催しているというサイトということ。そこには、自然科学に携わっている人が集まっているようだということで、多少いやな言葉も投げつけられるとしても、きちんとした答えも返ってくるだろうと思ったのです。
まさに、「おっちょこちょい」でした。
そして、「おしゃべり男」の本領を発揮して、連休中の夜に、多数の書き込みをしました。すぐに誰かから反応が返ってきて、「チャット状態」でした。ただし、一対多数でした。その時は、何かに取り憑かれたかのように、書き続けました。

菊池先生からは、「公式報告書をすべては読んでいないのだから」だめなのだということを繰り返し言われました。
しかし、そこにはWTC7について、書かれているのかと聞いても答えはありませんでした。
それについて、私の方から、仮の考え方は書かれているが、まだ報告書は出されていないという事実を提示できて、はじめてそのことへのコメントがいただけました。しかし、わたしから見ると、それは、前回書いたとおりの、矮小化と話のすり替えでした。
公式報告書をすべてを読めば疑問はなくなるかのように言い続けたことについての何の弁明もありませんでした。
その時点で、私は書き込みをやめることにして、その旨を書きました。

【レッテル貼り科学】

菊池先生から何の弁明もないことについて、周りの人間が誰もそれを問題にしていないどころか、私が、そこを退散したから勝利だとしか思っていないようでした。
そのあとしばらくは、「きくち先生の勝利」に賛辞の連続なのです。

周りの人間がこのようである理由の一つは、菊池先生の、実にまめなレスにあるのではないかと考えられます。
それぞれのコメントのすぐ下に、先生のコメントが入れられるシステムなのです。同意見の人には、それに同意し、フォローし、展開する。
私だって、同意見だったら、かなり気分がいいでしょう。
しかも、大阪大学で物理学を教えている教授なのです。
さらに、「メールアドレスを入力しておくと きくち がレスをした際に通知します」ということです。実に素晴らしい。

これは、大学のサーバーのようですから、学生の教育用に開発されたシステムなのでしょう。それを生かして、菊池先生のようにやっていただけるのなら、大阪大学の学生は、大変うらやましい教育を受けているといえます。もちろんそれは、その先生の考え方に沿ったものとなります。

私が受けた印象を、はっきり言わせていただけば、【kikulog 】は、『「レッテル貼り科学」を方法とする、「ニセ科学を叩く会」で、「教祖」は菊池先生』というようなものです。
教祖というのは言い過ぎかもしれませんが、私は、まじめに議論する会かと思って行ったら、実は新興宗教の集まりだったと気づき、ほうほうの体で逃げだしてきたよう気分なのです。

『ウィキペディア』で見たら、菊池誠先生は、私と同じ年の生まれでした。私は、ブログの最初に書きましたが、自分のことを、オウム世代の年長の部分に位置すると捕らえています。そこに入った多数の、理学部大学院生と似た思考傾向も持っていました。
菊池先生やその周りの人たちがどうというのではないのですが、理学部の人間に、「純粋まっすぐ君」(小林よしのりの用語)が多いという傾向はあるとは思います。ドクターコース中退の私がいうのも何ですが、研究というのは、究極一人でやる孤独な作業です。
そんな中、みんなで「ニセ科学」「陰謀論」という“悪”を叩くということに酔ってしまっているのでなければと思います。
(SeaMountの雑記と書庫 2007-09-21から引用)

今回の記事を書くにあたり、偶然SeaMountさんのブログの存在を知り、その主張や論理展開が当方と多くの場合に一致していて納得出来るもので、大部分を引用させて貰いました。
私が菊池誠の不思議な悪行を科学に名を借りた新興宗教、『破壊的カルト宗教の科学教である』とブログで取り上げるよりも大分前に、kikulogは『実は新興宗教の集まりだった』と気づいた人がいたのですね。
現在このSeaMountさんのブログは何年も更新されておりません。プロフィールに『ガンであることがわかり』とあるので病状が悪化したのかも知れませんがまことに残念なことです。(SeaMountさんは2009年9月に亡くなりました)
我が身がやがて消え行くと悟った時、自分の発言や思考を記録したいと思ったのでしょうか。
今読み返してみれば論争相手の科学教信者と到底比べられないほど素晴らしい内容です。(まだ生きている菊池誠よりも)遥かに正しく段違いに優れていたと、ネット世界に広く証明された。

祝!『菊池誠砦が落城する』kikulogの炎上(閉鎖)

『ニセ科学批判』と『9・11陰謀論退治』の牙城だったのですが、去年3月11日の大震災以後に菊池誠のエアー御用学者(隠れ原発推進)の正体が発覚してからは、しばしばスパムの大量発生で大混乱に陥っていたが、とうとう今年7月に入って早々にkikulogがアクセス不能になっています。
kikulogはブログ管理者の菊池誠大阪大学教授によって予告無く突然閉鎖された模様です。
そもそも子供騙しの『ニセ科学批判』はともかく、もう一方の看板の『9・11陰謀論退治』は余りにも無謀な試みであり、無理筋だった。
日本では小林ヨシノリの漫画を歴史的事実と勘違いした知恵足らずのネットウョや時代錯誤の『作る会』系のお馬鹿な右翼御用学者の誰一人も、9・11のアメリカ政府公式報告書を全面的に正しいと実名で主張したものはいない。
西尾幹二も八木秀次も絶対に行わない。石原慎太郎も橋下徹も絶対に行わない。
『アメリカについていけば100年安心』と主張した対米従属命の岡崎久彦でも無理だった。積極的な否定も肯定も行わないのが、この連中の共通したスタンスだったのである。
その唯一の例外が、大阪大学物理学教授の看板でネット世界やマスコミで一時は大活躍した菊池誠(kikulog)だったのである。
ただ一人菊池誠だけは、9・11陰謀論退治に血道を上げていた。

『誰も手を出していない隙間(ニッチ)産業』

今の世の中は良く出来ていて、常にバランスがとれている。だから日本社会が安定しているのです。
大学教授は名誉や権威など社会的地位は多少高いが、マスコミに登場するテレビタレントに比べれば収入は格段に低い。
社会性に問題のある菊池誠としては、今まで誰も手を出していない隙間(ニッチ)産業(大学教授の副業)として、9・11陰謀論退治が美味しそう(ローリスク、ハイリターン)に見えたんでしょうね。
余りにも馬鹿馬鹿しい話である。
なにやらマルチ商法やネズミ講にまんまと騙される高偏差値の大学生のようで、基本的に社会経験の不足や社会科学に対する無知が原因している。
基本的にローリスクならローリターンであり、ハイリターンなら自ずとリスクも高くならざるを得ない。
ローリスク・ハイリターンを謳うトリプルAのサブプライム・ローン証券のような美味しそうに見える商品は基本的にインチキなのです。
超ハイリスクであるばかりかローリターンであり、中身が見せ掛けとは正反対だった。
ネズミ講とサラ金が合体した詐欺商法であり、騙された購入者は最後には必ず破綻して大損をするのである。
これと同じ構造だったのが9・11陰謀論退治である。
トリプルAの最高ランクのアメリカ政府の公式報告書なのでローリスク。しかも競争者が誰もいないので自動的にハイリターンである。
『絶対に間違いない』と信じて、誰も手を出さない『丸っきりの詐欺商品』に菊池誠ただ一人が迂闊にも飛びついた。
社会常識が欠落した救いようが無い阿呆な慌てもののですな。

『何事も第一人者の責任は重く、先頭が一番風当たりが強い』

どんな世界でも第一人者にはその他大勢には無い『全体』に対する責任が生まれるので、必ず人並み以上の責任や注目が集まる。
集団で動く競輪選手や渡り鳥でも先頭は風当たりが一番強いので一番疲れるのである。
ましてや9・11陰謀論退治では、大勢の中の先頭とか第一人者程度ではなくて、菊池誠は『唯一無二の存在』であり、他に一つも例が無い。
菊池誠の完璧な独占状態なのですから、これが『成功』すれば超ローリスクで超ハイリターンの美味しい話なのですが、そんな上手い儲け話が世の中には転がっていないのですよ。
普通は、詐欺とかインチキですね。
対米従属でアメリカ命の連中でも、『誰も手を出さない』のは、彼等が美味しい話に気が付かなかったからではなくて、本能的に『9・11陰謀論』の持つ危険性を敏感に察知したからですね。
どれ程の些細なニッチ(隙間)産業でも日本で唯一の存在なら必ず流行るので大儲けできる。
ましてや9・11は今の世界の最大関心ごとである対テロ戦争の根本原因ですよ。
それなら菊池誠(kikulog)が一時的に商売繁盛で引っ張りだこだったのは当然だったのである。

『同意と承認と、』博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて陰謀論叩きを愛するようになったか

精神疾患者とか高齢の痴呆者の対応でしばしば遭遇するのが『長い話が始まってしまったらどうしよう』かと迷う場面なのですが、菊池誠大先生は専門家中の専門家で、標本として取っておきたい様な素晴らしい対応なのである。
このような場合に、『相手に話を合わす』のが最悪の対応で有り時間がいくらあっても足りなくなる。
話は合理的でも建設的でもなく意味不明。体が幾つあっても足りないし精神的にも大きな負担になる。
二番目に悪いのは、当ブログのように未だ気が付いていない『論』の穴を具体的に指摘する方法で、これでは相手が余程の人格者で無いと必ず怒る。
話を聞いても駄目、間違いを指摘しても矢張り駄目。
この場合にはkikulogの菊池誠大先生が一番良い手本である。
こころの病気を抱えた相手の長い話を傾聴する余裕など無いとの本音をぐっと押し殺して、決して話をしようとする相手を遮って『あなたの話は聞きませんよ』といわない。いえば信頼関係は崩壊し修復不能になる。
キーワードは『つながり』(今風に言えば絆)であり、『Love & Respectの法則?』で『つながりの存在』を意識させることが一番大事なのです。
これは具体的には小まめな同意(あいづち)と承認で、相手との『つながり』を常に確認する努力を惜しまないことなのですね。(一度信用を勝ち取れば、後は自由に誘導できる)
kikulogの菊池誠ほど、同意(相槌)と承認を小まめに繰り返した人物は過去に一人もいなかったのである。
たまたまkikulogにコメントした人が、暇であるはずが無い有名大学教授の菊池誠から同意と承認を与えられれば、善良であればあるほど感激して簡単に騙されたのである。
しかし、これはそもそも物理的に無理があり不可能ですよ。

『時間が絶対的に足りない』

kikulogだけでもコメントが三桁もあるし、他の沢山の科学教の自分の信者達のブログにも入り浸り状態であるだけでなく、批判的なブログにまで投稿する念の入れようは尋常で無い。
人間ワザとは到底思いえない、超人的な八面六臂の大活躍。
公立大学教授ですが、普通は時間的にあれ程の暇が無いのですよ。
幾ら何でも不思議すぎる。きくちまことのコメント投稿がまめすぎるのです。
殆ど仕事が無いパートの非常勤講師程度でも多分時間的に無理では無いでしょうか。
ネット世界だけが、外界との唯一の接点である引きこもりのニートでも無理でしょう。
誰であれ、kikulogやその他の科学教信者のブログ、反対の立場の9・11懐疑派のSeaMountさんのブログにまでコメントを大量に投稿している菊池誠ほど投稿できない。
一人では、一睡もしないで24時間丸々使っても到底時間が足りません。
公立大学教授ではなく単なる普通の社会人であっても無理で、幾ら何でもマメすぎる。
ある程度は『学生の教育用に開発されたシステム』で代用が可能かもしれないが最後は矢張り人手が必要です。
多分、菊池誠は自分のクローン(学生のアルバイト)を何人も雇ってきくちまこと名義でコメントを大量に書かせていたのでしょう。
学者の看板を利用してインチキ商売をしていた薄汚いペテン師ですね。
今回エアー御用学者の正体が発覚、菊池城が炎上したが遅かれ早かれ何時かは奇術のネタ(詐欺)は誰かが気が付いたでしょう。

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12 コメント

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Unknown (ssfs)
2012-07-21 23:20:33
SeaMountさんは2009年9月に亡くなりました。ブログの最終ページのコメント欄を参照のこと。氏のブログには私もいくつか投稿しています。

マイナスイオンに関してkikulogで菊池氏とその取り巻きが演じた醜態は、この陰謀論のときと似ています。むしろ私の方が1年早く、彼ら彼女らの「洗礼」を浴びていることに留意ください。大学教授だからといって、その知識や主張が信用できるものではないことを初めて知りました。今は見られなくなったkikulog。阪大の汚点なので、永久に消えるといいです。
返信する
死せる孔明生ける仲達を走らす (宗純)
2012-07-22 14:57:56
ssfsさん、コメント有難う御座います。
当方はプロパガンダ論をメインとする政治ブログであり、個々の細かい科学的真実を探求する科学ブログではありません。
ですから政治に直接影響を及ぼすとは到底思えないマイナスイオンに関しては何の興味も関心もありませんし、今後自分で取り上げる心算もまったくありません。

SeaMountさんが3年も前にお亡くなりになられたことは、何とももったいない残念な話ですが、我々は皆、不完全な死体なのだと言う事実を忘れているのです。
我が身がやがて消え行くと悟った時、何らかの自分の発言や思考を記録したいと思ったのでしょうか。
今では死んだSeaMountさんの方が、まだ生きている菊池誠よりも、段違いで正しく優れていたことはネット世界に広く証明されてしまいました。
今読み返してみれば、比べられないほど遥かに素晴らしい内容です。

kikulogが死んだらしいが、こちらの方は菊池誠の今までの数々の悪事の隠蔽工作ですね。
無責任な腹立たしい話です。
内容的に汚いゴミなので『残す』との考えが無かったのですが、これ程菊池誠が卑怯だと分かっていたら9・11陰謀論関係のkikulogのお馬鹿記事を保存しておくべきでした。
ただ、数々の菊池誠語録ですが、何かが可笑しいのですよ。不思議すぎるのです。
人間ワザとは到底思いえない大活躍。
公立大学教授ですが、普通はあれ程の暇が無いのですよ。
きくちまことのコメント投稿がまめすぎるのです。
殆ど仕事が無いパートの非常勤講師程度でも多分時間的に無理では無いでしょうか。
ネット世界だけが、外界との唯一の接点である引きこもりのニートでもkikulogやその他の科学教信者のブログ、反対の立場の9・11懐疑派のSeaMountさんのブログにまでコメントを大量に投稿している菊池誠ほど投稿できませんよ。
一人では24時間丸々使っても到底時間が足りません。
単なる普通の社会人であっても無理で、幾ら何でもマメすぎるのですよ。
ある程度は『学生の教育用に開発されたシステム』で代用が可能かもしれないが最後は矢張り人手が必要です。
多分、菊池誠は学生アルバイトを何人も雇ってきくちまこと名義でコメントを大量に書かせていたのでしょう。
学者の看板を利用してインチキをしていた薄汚いペテン師ですね。
返信する
kikulogアーカイブ (バージル)
2012-07-23 21:53:10
閉鎖してもInternet Archiveには記録が残っているので読めます。↓

http://web.archive.org/web/20110724151902/http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/

ただし、昨年7/24が最新の状態ですが。
返信する
意見発表の場は欲しい (弥勒魁)
2012-07-24 06:01:28
 kikulogの寄生者でした。
 「科学」の基本は「ヨハネ伝福音書」冒頭に書かれていることだと思われます。
 明言されているかいないかに関わらず,この精神を受け継いできたもの達が発達させて来たものが「科学」ではないでしょうか?
 呉越同舟の越から来て,日本に稲作・製鉄・造船・航海・交易・土木・建築・都市工学その他を,即身成仏の仏教とともに伝えた我が祖が活躍していた時代には,本邦にも「在った」と思うのですが。
 この考え方に基づく意見発表の場は欲しいと思っています。
返信する
たぶん黒幕が。。。 (Saito)
2012-07-24 22:46:26
「ただ、数々の菊池誠語録ですが、何かが可笑しいのですよ。不思議すぎるのです。人間ワザとは到底思いえない大活躍。公立大学教授ですが、普通はあれ程の暇が無いのですよ。」

それは、きっと黒幕がいたのでしょう。お金も権力もある黒幕。

私の身近でも変なことがありました。今まで、是々非々で論じられていたことに、突然「陰謀論」というレッテルが貼られてタブー化しました。時期的にも、その菊池ブログ大活躍の頃と符号するようです。菊池ブログについては、このブログの紹介記事しか知りませんが、私の知ってる事件の主謀者たちは、海外関係(ほとんど永住)の人たちなので、おそらく、あちらの方から指示があったのでしょうね。

具体的に書けなくて申し訳ないのですが、当時、私が大したことないと評価していたその団体は、ある一定の領域ではそうとう影響力があった(ある)ようです。そこでいわゆる陰謀論を締め出すことは価値があったのかもしれません。

菊池ブログの件も、菊池さんという方の個人的な趣味や野心の結果ではなかったと思います。


返信する
残念ですが、 (宗純)
2012-07-25 09:57:29
バージルさん、ご紹介のURLですが現在は無理なようですよ。開けません。
菊池誠ですが大阪大学物理学教授とあるが、いわゆる物理学者ではなくてネットなどを駆使して統計学的な手法での何かの情報操作(世論誘導)を行う専門家ですね。
プロのネット工作員?。
いくらブログを自分で閉鎖しても通常は誰かが保存しているので今のように完全に見えなくするのは無理なのですが、流石に菊池誠は別格で常識が通じません。
返信する
弥勒魁さん、はじめまして (宗純)
2012-07-25 10:51:57
『意見発表の場は欲しい』のであれば、御自分でブログを書かれることを薦めます。
意見の内容が優れていれば沢山の読者を獲得できるし、コメントでの有益な会話も期待できるでしょう 。
当ブログに書いた記事をTBしてもらえば原則的に全て公開にしています。
当ブログに対するコメントもTBも大歓迎ですが、ただし会話を拒否すると看做される、一方的な御自分の意見の宣伝である判断出来るものは、スパムとして不掲載としている。汚い意味不明の『落書き』は他の真面目な読者の迷惑になるからですね。
kikulogの寄生者であれ、真面目な会話を求めるのであれば大歓迎で、賛成意見だけではなく疑問質問、文句、何でも結構ですから、遠慮せずコメントを投稿して下さい。
当ブログは、政治ブログとしては極めて珍しい『宗教』のカテゴリーを持っています。
鬼道に通じた卑弥呼の話にもあるように昔は政治とは『まつりごと』であり宗教と切っても切れない密接な関連性があったのですね。
実は西欧近代科学の誕生にも宗教が大きくかかわっているのです。
具体的には西欧の宗教改革による権威の失墜による大混乱を修復しようとして『聖書の無謬性』の証明の副産物が実は今の近代科学なのですよ。
合理的で普遍的で有ると思われている近代科学の父親は、実は近代科学とは正反対の偏狭で非合理的で偏屈な性格がある宗教なのです。
このことが原因して、人間とチンパンジーのDNAが似ている部分が沢山あるように、宗教と科学には共通のDNAが流れているのですね。
それで時々は菊池誠の科学教のような先祖がえりの理解出来ない不思議な現象も生まれるのですが、何とも困った話です。
共産主義は社会科学の大事な構成部分なのですが近代科学の生みの親が宗教であった関係で、矢張り共通のDNAを持っているのですね。
一見まったく無関係に見える一神教と科学と共産党には不思議な共通点が存在しているので時々は意味不明の騒動を引き起こしてしまうのです。
「偶然と必然」を読んで
2009年11月08日 | 共産党
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/220ade96bf6e4a32482888040d3a89fe
(続)「偶然と必然」を読んで
2009年12月14日 | 共産党
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/2f19622a610036fa8fc65f84f54ccf78
返信する
真の目的は、会話自体の拒否 (宗純)
2012-07-25 11:36:59
Saitoさん、コメント有難う御座います。

唐突に『陰謀論』なる言葉が出てきて、突然流れが変わり今までのような会話か出来なくなり、Saitoさんはまことに残念に思われたことでしょうね。
ご同情申し上げます。
しかし、多分それは誤解ですよ。
『是々非々で論じられていたことに、突然「陰謀論」というレッテルが貼られてタブー化しました』とすれば、
この場合の一番の核心部分とは実は、『タブー化した』ことの方なのですよ。
内容的に不味いので、会話自体が問題でありこれ続けたくないのです。
我々の様な世代では自分の今まで主張していた『論』が丸々間違いであることが発覚した場合に、素直に『間違いでした』『すみません』と言えれば何の問題も起こらないのですが、矢張り面子とか行きがかり上、謝ることが無理な場合がある。
間違いが判っているのだが、正しい方向での修正が効かないのですね。
このような話が不味い方向に向かうので、会話を続けたくない場合の便利な言葉が『見解の相違である』なのですよ。
相手が何を言おうと一切無視して『見解の相違である』と一方的に突っぱねるのですね。
この『見解の相違』の意味するところは、『もうその話は貴方とはしたくない』との、明確な会話拒否宣言であり、『タブー化』そのものなのですよ。
『陰謀論』も、これとそっくり同じ構造です。
その話は不味いので、真面目な会話は続けたく無いのですよ。
疑問点に対する会話を続けて何かの真実を見つけたいのではなくて、その正反対。
色々な疑問点を『陰謀論である』と頭ごなしにレッテルを貼ることで封じるのが最大の、そして唯一の目的なのですよ。
ですから如何でもよい細々した言葉の定義などには熱心だが、論理的な会話には無関心で決して全体を見ようとはしないのです。
脳内の美しい世界を信じていて、醜い現実世界は見たく無いのですよ。
タブー化による会話拒否こそが『陰謀論』の正体なのです。基本的にペテンですね。
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現代における科学と宗教の関係 (弥勒魁)
2012-07-26 06:41:32
宗純さん,お言葉に甘えて一言。

 加賀乙彦「科学と宗教と死」集英社新書0624C 2012.01.22.刊行

は,標題のことがらを上手く取り扱っていると思われます。この宇宙空間の中に全知全能のモノは存在しないのだから,特に人間は,「頑張る」ことよりも「祈る」ことを大事にしなければいけない,と言っています。
 もちろん,天命を待つ前に,人事は尽くさねばならぬことは当然でありますが。
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何か大きな誤解があるような (宗純)
2012-07-26 11:40:06
弥勒魁さん、
前のコメントではっきりと説明したと思ったのですが、
弥勒魁さん、はじめまして (宗純)
2012-07-25 10:51:57
『意見発表の場は欲しい』のであれば、御自分でブログを書かれることを薦めます。
意見の内容が優れていれば沢山の読者を獲得できるし、コメントでの有益な会話も期待できるでしょう 。
そもそもブログのコメント欄は、何を書いても良い掲示板ではなくて、当該の記事の内容に対して行うものですよ。
今回菊池誠の不思議な言動は破壊的カルト宗教であるとは書いているが、宗教論を論じてはいない。
主題は『9・11事件と情報操作』であり、陰謀論退治の持つ危険性とかカルト宗教とのかかわりですね。
当ブログに宗教のカテゴリーがあるのは事実ですが、『宗教の話が好きだから』では無いのですよ。その反対です。
いくら努力して政治経済社会を全て詳しく分析して判断しても、予想どうりには結果が出てこない。
時には正反対の結果が出てしまう。
私の今までの判断には何か大事なピースが抜けていたらしいのですね。
それで困り果て仕方なく政治の科学的判断に嫌々宗教のピースを加えて見ると、今度は驚くほど予想と結果が一致するのですよ。多くの人々は科学ではなくて宗教的に判断して行動しているのですよ。
だから今の社会で色々な矛盾した話が延々と続くのですが、何とも困った話ですね。
宗教とはドーキンスがいうように、
『ある一人の人物が妄想にとりつかれているとき、それは精神異常と呼ばれる。』しかし 『多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる。』
『何をどう考えていっても、神などというものがこの世を見守っていると信じる合理的理由はない。』
『宗教が人の世の平和や、真の心の平安に役に立った試しはない。』
『特定の宗教が有害無益だというのではない。そもそも宗教というものが、人間にとって有害無益だと言うのである。』
そもそも宗教は大嫌いなのですよ。『死』の話も大嫌いです。
そもそも興味が無いのですよ。
キリスト教などの一神教では人の死は大問題であり大切な教義の根幹部分なのですが、科学的な思考方法の仏教では『死』は大きな意味が無いのですね。
意味があるのは『死』ではなくて人の『生』の方なんですよ。如何に生きるかが大事なのです。
そもそも誰も死を直接経験したものが無いのですよ。(死んであの世を見てきた人は一人もいない)
ですからいくら熱心に『死』を論じても真実には辿り着きません。禅問答程度にしかならないので、論じること自体が最初から無駄なのです。
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